1080話
巨大蝉の魔石の吸収直後に、ふと思いついたレイの予想。それは、自分の魔力をその辺の生き物に注ぎ込めば、巨大蝉と同じようにモンスターになるのでは? ということだった。
元々あの巨大蝉がモンスターだった可能性もあるが、逆にレイの魔力によってモンスターへと変化した可能性もある。
その辺をしっかりと確認する必要があると考え、多少の希望が入り交じったレイは早速行動に移す。
もっとも、何も考えずにモンスターを作りだし、この集落の中にあの巨大蝉と同じような強さ、大きさを持った存在を生み出すというのはさすがに不味いと思ったので、何かあったらすぐにその対象を殺せるように、デスサイズを手にしてだが。
実験の対象は、魔石の吸収を行った厩舎のすぐ側にいた蟻。
(蟻のモンスターとなると、ソルジャーアントとかがいたけど……さて、どうなる?)
マジックアイテムを使う時と同じように、レイは掌の上に乗せた蟻へと魔力を流し……だが、蟻は特に異変がない状態で歩き回ってた。
「……えー……」
レイはモンスター化するものだと決めつけていたのだが、実際には全く何の変化も見られない。
せめて魔力に耐えられずに蟻の身体が弾け飛んだり、そこまで派手な動きはなくても蟻が死んでしまうのでは? という思いもあったのだが、レイの掌の上の蟻は全く異常を感じさせずに元気に歩き回っていた。
「せめて何か反応が欲しいよな。……魔力が足りなかったとか?」
呟き、改めてレイは自分の掌の上を歩き回っている蟻へと魔力を流す。
だが結局蟻に何の変化も存在しない。
「何でだ? あの巨大蝉は間違いなく俺の魔力でああなったって話だったのに……」
レイの脳裏を、今はミスティリングの中に入っている巨大蝉の死体の姿が過ぎる。
巨大蝉と蟻によって違うのか? とも思ったが、何となくそれはないように思えた。
(やっぱりそう簡単にはいかないか)
もしレイが試そうとしていることが成功すれば、未知のモンスターを幾らでも作れるということになる。
そうなれば魔獣術による魔石の吸収は今まで以上にはかどることになる……そんな思いを抱いていたのだが。
それでもモンスターの養殖のような真似が出来るのであればと考えれば、レイとしては簡単に諦めることは出来ない。
巨大蝉の件と蟻の件の違いを考えてみるが、最初に思いつくのは使用された魔力の量だった。
世界樹を治療する為に大量の――レイ以外の者達にとってはだが――魔力を注ぎ込んだ。
その時の魔力に比べれば、今蟻へと流し込んだ魔力は雀の涙程と言ってもいい程度の量しか存在しない。
(けど、この集落には魔力を感知する能力を持っている奴がそれなりにいる。今ここで魔力を全開にすれば……)
そう思ったレイだったが、ふと新月の指輪へと視線が向けられる。
レイの持つ莫大な魔力を隠蔽する能力を持つ、マジックアイテムを。
今更ながらに新月の指輪の存在を思い出したレイは、改めて周囲を見回し、誰もいないことを確認してから掌の上で歩き回っている蟻へと魔力を注ぎ込む。
そんなレイの様子を、セトは何かあったらすぐにフォロー出来るように準備を整え、光球は明滅しながら眺めていた。
蟻へと注ぎ込まれる魔力は、数秒ごとに増していき……やがてその魔力が世界樹に注いだ時の半分程になると、レイの掌の上にいた蟻が全く身動きしなくなる。
「ん?」
そんな蟻の様子に疑問を覚えたレイが、一旦魔力を流すのを止めて蟻を反対の手で突くが……蟻が一切反応しない。
「死んでる、のか?」
「グルルルゥ」
レイの言葉に同意するようにセトが喉を鳴らす。
レイが掌の上に乗っていた蟻を地面へと落とし、改めて突く。
だが、蟻が動く様子は一切ない。
間違いなく、蟻は死んでいた。
「……何でだ?」
恐らくモンスター化するのだろうという楽観的な予想をしていたレイだったが、結果は蟻の死亡。
「どう思う?」
セトと光球へと尋ねるが、両方とも言葉を話せる訳ではない以上、答えることは出来ない。
それでも雰囲気で、分からないと思っているのはレイにも理解出来た。
「何でだ? あの巨大蝉は間違いなく俺の魔力で……うん? 蝉? そう言えば……」
呟いたレイの脳裏を過ぎったのは、巨大蝉が羽化しようとしていた時のこと。
十本の足を世界樹の幹へと突き刺し、羽化しようとしている最中であっても世界樹の樹液を吸い取っていたのだ。
(つまり、もしかして世界樹の樹液と俺の魔力が合わさって、初めてモンスター化出来るのか?)
その想像は、レイにとって非常に面白くない未来を予想させる。
もし今レイが考えついた仮説が正しいのであれば、モンスターを一匹作るのに世界樹を瀕死にする可能性があるということなのだから。
いや、レイが魔力を世界樹へと流していなければ世界樹は完全に枯れていた筈だった。
それを考えれば、幾らレイが未知のモンスターの魔石を欲しているからといって、迂闊にモンスターを作るような真似はとてもではないが出来ない。
「うわ……喜んで損した。いや、けどそう簡単に美味い話がある訳ないか」
夢と消えた考えは、取りあえず横に置いておく。
それでも、何かあった時の為に少しずつ実験をしたいとは思っていたが。
溜息を吐き、レイは何となく手慰みにセトの身体を撫でる。
そんなレイを励ますようにセトは喉を鳴らし、光球は明滅しながらレイの周囲を飛び回っていた。
そのまま十分程が経過すると、不意に家の中から誰かが走ってくる気配を感じ取る。
いや、誰かというのは明確ではない。現在この家に住んでいるのは、レイとアースだけなのだから。
いつものようにポロを左肩に乗せて家の中から走り出てきたアースは、厩舎の側でレイがセトと遊んでいるのを見て安堵の息を吐く。
「あー、よかった。レイ、一応聞いとくけど、もしかして朝食って……」
その言葉でアースが何を心配していたのかを悟ったレイは、笑みを浮かべて問題ないと頷く。
「安心しろ。まだ食ってない。俺もちょっと前に起きただけだからな」
「そっか」
「ポロロ?」
レイの言葉に、アースの左肩の上のポロが少し不思議そうに鳴き声を上げるが、幸いなことにアースはそれに気が付いた様子はない。
カーバンクルの希少種というポロは感覚も非常に鋭く、レイが家から出て行くのを寝ぼけ眼ではあるが理解していた為だ。
それは、ちょっと前と呼ぶには少し前過ぎる時間帯であり、ポロはそれが気になったのだろう。
そんなポロの様子に気が付いたのはレイとセトだけだったので、話はそのまま続いていく。
「アースも腹が減ってるようだし、食事に行くか? この時間なら、エレーナ達もそろそろ起きてるだろうし」
「うん。そうしてくれると助かる。さっきから腹が減って」
「……昨日あれだけ食ったのに、よくもまぁ……」
レイは昨夜の宴でアースがポロと共に多くの料理を食べていたのをその目で見ている。
もっとも料理すべき肉は集落の中に大量にあるので、材料に困ることはなかったのだが。
勿論その材料は、集落に襲い掛かって来たモンスター達だ。
障壁の結界の外で倒したモンスターの死体は、その殆どが昨日の内に障壁の結界の中へと運び込まれている。
……ゴブリンのような不味いモンスターは魔石だけを奪ってそのまま処分したので、実際に集落の中に運び込まれたのは襲撃して来たモンスター全体で見れば半分くらいで済んだのだが。
半分であっても、襲ってきたモンスターが大量である以上は食材に困ることはない。
特にオークの肉は皆に好評であり、襲撃してきたオーク全ての肉が食らい尽くされるのではないかと思われる程の勢いで料理は消費されていった。
「昨日は昨日、今日は今日だろ。別に俺は食い貯めが出来るって訳じゃないんだし。……大体、それを言うならレイはどうなんだよ?」
レイの言葉に、アースは呆れたように言葉を返す。
アースがそう言いたくなるのも当然だろう。アースが見た限りでは、レイは明らかにアースよりも多くの料理を食べていたのだから。
セトと共に、今回の宴では肉が余る程にあると知っていたレイは、ここぞとばかりに多くの料理を食べた。
それを見ていたアースにとっては、レイにあれだけ食べたと言われるのは心外以外のなにものでもない。
「そうか? まぁ、俺も腹が減ったし、食事に行くか」
「……お前な……」
アースは溜息を吐きながら、厩舎を去って行くレイとセトの後を追う。
そしてレイの隣に追いつくと、レイの側に浮かんでいる光球へと視線を向ける。
「なぁ、その光球って世界樹の意思なんだよな? それが何だってレイの側にいるんだ?」
「何でだろうな。厩舎でセトと遊んでたら、勝手に近づいてきたんだよ。それでも何か悪いことがある訳でもないから、こうやって好きにさせてるんだけど」
レイの言葉に抗議するように光球が点滅するが、レイは特にそれを気にした風もなく言葉を続ける。
「ま、今までずっとああやって動けずにいたんだ。こうして動けるようになったら、自分で好きなように動き回りたいって考えてもおかしくないだろ」
「……そう、か? そうなのか?」
首を傾げるアースだったが、レイの言葉に賛成するように光球が明滅しているのを見れば、納得しない訳にはいかなかった。
同じ明滅という行為であっても、不思議と見ているだけでそれが肯定が否定かというのが分かるのも、恐らく世界樹の力なのだろうと納得してしまう。
「まぁ、いいけど……」
レイの隣を歩きながら、アースは集落のどこからでも見える世界樹へと視線を向ける。
天を貫くと表現するのが相応しいような姿であり、その世界樹の意思がこの光球だと言われても、少し納得出来ないものがあるのも事実だった。
「それより、アース。お前は今日どうするんだ?」
「……今日?」
レイが何を言ってるのか分からないと首を傾げるアース。
そんなアースに、レイは呆れたように口を開く。
「お前、元々森の異変を調べる為にこの森まで来たんじゃなかったのか? 何か用事があるとか言ってたし、いつまでもこの集落にいるのは不味いだろ?」
「あ」
その言葉に、アースは自分が何故ここにいるのかをようやく思い出した。
もっとも、この集落にきてから急激に色々なことが起こっており、そちらに意識を奪われてしまったというのが大きい。
「……あー……うわぁ……」
色々と思い当たることがあるのか、アースは心の底からやってしまったといった声を出す。
そのまま動きを止めて考え込んだアースをそのまま残し、レイはセトと光球と共にエレーナ達が借りている家へと向かう。
「ポロロロロ!」
そしてアースの左肩を定位置としているポロも、このままでは朝食が抜きになると判断したのかアースの左肩を蹴ってセトの背の上へと着地する。
「……アースは色々と忙しいようだし、お前も先に行くのか?」
「ポロロロ!」
セトの背中の上で喜び……こうしてレイ達は何か考えているアースをその場に置き去りにするのだった。
「レイ! 何で俺を置いて行くんだよ!」
レイがここ数日いつものように庭でエレーナ達と朝食を食べていると、不意にそんな声が周囲に響く。
ソーセージを口にしながら、レイは呆れたような視線をアースへと向ける。
「そう言ってもな。いきなり道で止まって考え込んだのはお前だろ?」
「それは……そうだけど。でも、俺を連れてきてくれても……」
「それより、これからどうするのかは決めたのか?」
「え? あ、うん。朝食が終わったらすぐに戻るよ。森の異変についての報告をする必要もあるし。……ただ、森の異変の原因はあの巨大蝉だったんだろ? なら、今更説明しても殆ど意味がないと思うんだけどな」
溜息を吐くアースだったが、そんなアースにマリーナが口を開く。
「もう行ってしまうの? なら、お礼として何か渡したいんだけれど……構わないかしら?」
「う、うん」
流し目を向けてくるマリーナに、アースは少し気圧される。
やはり昨日の戦いで、レイの魔力を受け取ったのが大きかったのだろう。
いや、正確にはレイの魔力を受け取ったことによりハイテンションになっていたのを見たからか。
そんなアースに、マリーナは気にした様子もなく言葉を続ける。
「馬車とかもないようだし、やっぱり嵩張らない物がいいわよね。色々と集落のために動いて貰ったし……やっぱり魔石がいいかしら? それと、レイにも以前からの約束通り世界樹の素材とかを渡さないとね」
途端に、光球が何かの意思を示すかのように激しく明滅する。
光球が世界樹の意思である以上。自分の素材を渡すと言われるとやはり思うところがあるのだろう。
それでも明滅が否定的な印象を周囲に与えなかったのは、光球が自分の素材を与えることに賛成していたからか。
ともあれ、こうしてアースやレイ達の集落での日々がいよいよ終わりを告げることになる。
そして……集落での終わりの日が来るということは、レイがエレーナと共に行動する日も終わりが近づいていることを意味していた。