1065話
世界樹の下へと到着したレイとセトが見たのは、完全に予想外の光景だった。
ここへと向かっている時にも世界樹の上の方の葉が枯れているのは見えていたが、実際に世界樹の下へと到着したレイが目にしたのは上以外にも多くの葉が枯れている光景。そして何より……
「何だ、あれは……」
視線の先には、世界樹の幹にしがみついている巨大な何かが存在している。
その大きさは体長二十m程で、横幅も太い場所では十m近い。
何だと口にしたレイだったが、レイ自身はそれが何であるのか……似たような存在を知っている。
レイがまだ日本にいた頃、その姿を毎年のように見てきたのだから。
そして世界樹の根元に巨大な穴が開いているのもその存在がどこから来たのかを示しており、レイの予想を裏付けていた。
それは、毎年夏になれば姿を現す存在。夏の風物詩と呼んでもいいような存在であり、本来はここまで巨大ではない存在。
「……蝉?」
そう。レイの視線の先にいるのは、間違いなく巨大な蝉だった。
足が左右五本ずつの合計十本あったり、尻尾のようなものがあったりはするが、それでも原型は蝉だと……いや、今は蝉になろうとしている蛹の状態なので、正確にはまだ蝉ではないのだろうが。
勿論視線の先にいるのは正真正銘の蝉という訳ではない。少なくてもレイが知ってる限りでは体長二十mの蝉などというものは存在しないのだから。
そもそも蝉は羽化をする時は無防備になる為、明るいうちは基本的に羽化はしない。
蟻や蜂といった天敵が活動しなくなる、夕方から夜にかけて羽化をするのが一般的だ。
(まぁ、この大きさの蝉なら蟻や蜂がいても敵にはならないだろうけど)
木の幹にしがみついている巨大蝉の蛹の姿を目にし、レイはどうしたものかと考える。
地面の巨大な穴と、木の幹にしがみついている巨大蝉の蛹。
この二つを見れば、レイがそもそもここに呼ばれた世界樹の病の件は何が原因だったのかがはっきりと理解出来た。
蝉の幼虫は、地面の下で木の根から樹液を吸って成長するのだから。
(まぁ、結界が張ってある中でどうやって世界樹の下に辿り着いたのかとか、そういう疑問はあるけど)
見た目は羽化する寸前の蝉のように見えたが、体長二十mの蝉というのは普通では有り得ない。
間違いなくモンスターなのだろうというのが、レイの予想だった。
(つまり、世界樹が魔力を失ってどんどん弱くなっていったのは、こいつが根から吸い取っていたからってことになるんだろうな。けど……どうする? 今の状態なら殺すのはそう難しいことじゃないだろうけど、そうすれば世界樹にも被害が出る)
デスサイズを手に、どうしたものかと悩む。
蛹は世界樹の幹にしっかりと左右五本ずつの足でしがみついており、世界樹の幹の皮は剥がれ、五本の足の先端が世界樹の幹を深々と貫いている。
それどころか、蛹の状態にも関わらず足から世界樹の中に流れている樹液を吸い取ってすらいた。
ここまでしっかりと世界樹にしがみついている以上、迂闊に蛹に攻撃をすると世界樹にも被害がいくのは確実だった。
(特に厄介なのが、やっぱり世界樹だよな)
レイの視線が世界樹へと向けられ、次に自分のすぐ側に浮かんでいる光球へと向けられる。
その明滅は次第に弱くなってきており、それが世界樹が弱っているというのを現しているようにレイには感じられた。
(時間もない。手っ取り早く攻撃出来るのは、内部から攻撃するのが一番なんだけど……)
内部からの攻撃ということで、真っ先にレイの脳裏を過ぎったのは『舞い踊る炎蛇』の魔法。
敵の内部に炎の蛇を産みだし、それにより敵の内部から身体を焼くという凶悪な魔法だ。
だが……その蛇は炎で出来た蛇であり、世界樹にも大きな被害を与えかねない程の威力を持つ。
威力を弱めた魔法であればその辺の心配はいらないかもしれないが、そうなると今度は全長二十mの巨大蝉の蛹に対してダメージを与えるのも難しくなる可能性があった。
(なら……)
次にレイの視線が向けられたのは、近くで巨大蝉の蛹に向かって威嚇の声を上げているセト。
岩をも砕く威力を持つパワークラッシュであれば、延焼といった心配もない。ないのだが……
(あの蛹が世界樹に思い切り刺している十本の足が邪魔だな。下手にあの蛹を吹き飛ばしたら、その威力が直接世界樹に突き刺さっている足に伝わって、結果として世界樹に大きな被害を与える可能性が高い。となると……羽化した直後に攻撃するのがいいのか?)
そう考えるも、こうして蛹の状態の今のままでも急速に世界樹の葉は枯れ続けている。
このまま羽化するまで待てば、世界樹に大きな被害が出るのは間違いない。
レイの横に浮かんでいる光球も早く何とかして! と言いたげに、光が薄くなってきた状態ではあっても激しく明滅している。
その必死さを考えると、蛹の羽化を待っていられるような状況ではない。
少し考え、今の自分がいるのが世界樹にしがみついている蛹の真っ正面であることに気が付く。
「そうか、横から少しでもダメージを与えれば……」
幸い、レイの攻撃手段の中にはピンポイントで敵を攻撃出来る槍の投擲という手段があるし、何より飛斬という攻撃手段もある。
以前と比べてかなり威力が増した今の飛斬なら、蛹の状態であれば巨大蝉を横から真っ二つに出来る可能性もあった。
今の蛹の中身がどうなっているのかはレイにはっきりと分からなかったが、それでも上手くいけば成虫に羽化するよりも前に一気に巨大蝉を片付けることが可能かもしれない。
そう判断し、レイはセトと光球を連れて世界樹の真横へ……蛹を真横から狙える場所へと移動する。
「こうなると蛹で身動きが出来なかったのが幸いだったな」
「グルルゥ!」
レイの言葉にセトが鳴き、光球も明滅することで己の意思を示す。
遠くからは戦闘しているダークエルフ達の声が微かに聞こえてくるが、それでも現状ではどうしようもない。
今レイが出来るのは、少しでも早く巨大蝉を殺して応援に向かうことだけだ。
「ふぅ……よし」
小さく深呼吸したレイの手には、ミスティリングから取り出された槍が一本握られている。
飛斬と槍の投擲のどちらを選択するかは少し迷ったのだが、より精密な一撃を放てる槍の投擲を選択したのだ。
「セト、何かあった時のフォローは頼むな」
「グルゥッ!」
レイの言葉に、任せて! と喉を鳴らすセト。
そんなセトを信頼するように空いている方の手で頭を撫で、次にレイは蛹に鋭い視線を向ける。
手に握っている槍の柄の感触をしっかりと確かめ、そのまま数歩の助走と共に身体の捻りを加え……力の限り、投げつけた。
空気を斬り裂きながら飛んでいく槍は、常人であれば目で追うのは不可能だろうと思える程の速度で飛んでいく。
そしてレイの狙い通り、槍は蛹の脇腹とも呼べる部分へと向かい……だが、蛹に後三m程の距離まで迫った瞬間、まるでそこに見えない壁でもあるかのように槍を弾き飛ばす。
「……何だ?」
槍を放った状態のまま呟くレイだったが、そこで何が起きたのかというのはきちんとその目で見て理解していた。
つまり、何らかの障壁によって自分の攻撃は防がれたのだと。
「障壁の結界、か? ……いや、世界樹の樹液を吸って育ったんだろうから、世界樹と似たような結界を使えても不思議じゃないけど……それでも俺の攻撃を防ぐだけの力を持つ結界?」
疑問を抱きつつも、光球がこれまで以上に激しく明滅しているのを見れば、世界樹に残された時間が殆どないというのは理解出来た。
考えるのは後だと、今はとにかく蛹を攻撃する方が先だと判断し、ミスティリングから取り出したのは新たな槍……ではなく、デスサイズ。
幸い昨夜の森で行われた戦闘の連続で、飛斬は何度も使用してある程度使いこなせるようになっていた。
まだ完全という訳ではなく、あくまでもある程度でしかない。
だが、障壁の結界のような能力がある以上、多少危険でも遠距離から攻撃出来る手段として飛斬は最適だった。
(これで駄目なら、遠距離攻撃じゃなくて直接攻撃になるんだが……向こうがどんな能力を持っているのか分からない以上、出来ればこれで向こうにダメージを与えられればいんだが……頼むぞ)
デスサイズに思いを込め、そのまま構え……振り下ろす。
「飛斬っ!」
その言葉と共に放たれた飛ぶ斬撃は、真っ直ぐに巨大蝉へと向かって飛んでいく。
世界樹には命中せず、それでいて巨大蝉へは命中するだろう軌道。
威力の増した飛斬なら……そんな思いで見ていたレイだったが、次の瞬間には先程槍の投擲を封じたのと同様の障壁が生み出され、飛斬を防ぐ。
「嘘だろ」
防がれるかもしれないという思いはあったが、それでも最終的に飛斬の攻撃が通るものだとばかり思っていたのだ。
しかし結果として飛斬は障壁の結界により防がれ、蛹に対して何らダメージを与えることは出来なかった。
「障壁の結界を使ってるって言ったって、幾ら何でも硬すぎないか?」
「グルルルゥ……」
レイの言葉に同意するように喉を鳴らすセト。
ダークエルフの集落を覆うように存在している障壁の結界は、レイが多少無理をすれば破れるだろう程度の硬さに思えた。
それこそ、今放った飛斬であればあっさりと……とまではいかないが、それでも何発か放てばどうにかなりそうだという思いがある。
それだけに、同じ障壁の結界と思われる能力でもこうまで一方的に防がれたというのは理解出来なかった。
「もしかして、障壁の結界は世界樹よりもあの巨大蝉の方が上手く使いこなせるんじゃないか?」
何となく口にした瞬間、レイの側に浮かんでいた光球がこれまで以上に激しく明滅する。
それはまるでレイに対する抗議のようでもあった。
レイは全く自覚がなかったが、世界樹の樹液を吸い取っている巨大蝉のモンスターがここまで強力になったのは、レイの魔力に理由がある。
レイが世界樹に注いだ魔力を、その世界樹の根から樹液や魔力といった栄養を奪っていた巨大蝉が吸収し、その影響でここまで強力な存在になってしまったのだから。
言うならば、レイの魔力がなければここまで強い力を持つことにならなかったのだろう。
だが、今のレイはそんな光球の様子に全く気が付かず、ただ今のうちに倒すことだけを考えていた。
もっとも、今のレイの表情には絶望のようなものは一切ない。
遠距離からの攻撃が通じなかったのは非常に残念だったが、だからといって何も打つ手がないという訳ではないのだから。
「出来れば近接戦闘は避けたかったんだけどな」
デスサイズを手に、レイの口から言葉が漏れる。
障壁の結界のような力がある以上、出来れば遠距離からの攻撃で仕留めたかったというのがレイの正直な気持ちだ。
それでも何とか出来る手段があるのだから、そこまで切羽詰まった状況という訳ではないのも事実。
「……お前は少し離れてろ。このままだと危険かもしれないし」
レイの言葉に、光球は何度か明滅するとそのまま離れて行く。
それを見送り、レイの視線はセトへと向けられる。
「セト、悪いけどお前には付き合って貰うぞ」
「グルルゥ、グルゥ、グルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは首を横に振る。
それが何を意味しているのか、レイは何となく理解出来た。
どうせ近接戦闘をしなければならないのなら、レイの代わりに自分がやる、と。そう言ってるのだろう。
レイの飛斬と同様に、セトのパワークラッシュも高い威力を持つ。
レベルで考えればまだ飛斬が一際強力になったレベル五に達している訳ではないのに、セト自身の身体能力と剛力の腕輪というマジックアイテムの効果により純粋な破壊力ではレイの飛斬よりも上だ。
もっとも飛斬はその名の通り飛ぶ斬撃であり、一撃の破壊力という意味ではそこまで強力ではないのだが。
「駄目だ。俺がやる」
「グルルゥ……」
きっぱりと告げるレイに、セトは悲しそうに喉を鳴らす。
そして円らな瞳でレイをじっと見つめる。
「……」
そんな視線を向けられること、数秒。やがてレイは溜息を吐くとセトの頭を撫でながら口を開く。
「分かった、分かったよ。じゃあ俺の後で攻撃を仕掛けてくれ。追撃の一撃を頼む」
「グルゥ!」
セトの視線には抗えず、またここで無駄に時間を浪費するのは面白くないと判断したレイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
「よし、じゃあ行くぞ!」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトが勇ましく喉を鳴らす。
そうして地面を蹴ったレイの後をセトも追う。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
地面を蹴って急速に近づいてくる蛹の姿。
そのままスレイプニルの靴を発動し、空中を一歩、二歩と駆け上がる。
握られたデスサイズにも魔力を流しており、その凶悪な切れ味と重量による一撃の重さを存分に発揮出来るだけの準備は整ってた。
だが……急速に近づいてくる巨大蝉の蛹を見た瞬間、レイは蛹の背に存在する小さな裂け目のようなものを確認する。
(ちっ、幾ら何でも早過ぎるだろ!)
既に脱皮の準備を進めているのに内心で舌打ちしつつ……それでも止まることなど出来ず、レイはデスサイズを蛹目掛けて振り下ろすのだった。