1056話
日が沈み、暗闇が支配する森の中。
唯一の光源は夜空で女王の如く君臨している月だったが、その月も現在は雲により遮られて地上を照らす月明かりは弱い。
その上で森の木々によって月光を遮っているのだから、地上は暗闇に包まれていると表現しても良かった。
だが……そんな暗闇の中を、大勢のダークエルフは何の障害にもならないと言わんばかりに走り続ける。
元々ダークエルフは夜目が効く。
その上でほんの微かにではあっても月明かりが降り注いでいれば、昼間と同じ……とまではいかないが、それ程視界に困ることはない。
また、そんなダークエルフに負けないくらいの速度で夜の森の中を駆け抜けているのは、セトに乗ったレイだ。
セトもレイも、ダークエルフに負けない程に夜目が利く。
そして少し離れた場所には、エレーナの姿もあった。
エンシェントドラゴンの魔石を受け継いだエレーナもまた、夜目はダークエルフ以上に利く。
レイ一行の中で夜目が利かないのは、ヴィヘラ、アーラ、それとアース。
ビューネとポロの一人と一匹は十分に夜目が利くのだが、ビューネは他人と迅速な意思疎通の難しさから、ポロはアースと離れず、四人と一匹は集落の近くの森をビューネの案内で探索していた。
マリーナは集落の入り口付近でオプティスと共に他のダークエルフ達を纏める役だ。
「じゃあ、よろしく頼む」
「ああ」
マリーナが来るまでレイと話していたダークエルフの男がレイにそう告げると、次第に離れて行く。
もし上空から木の枝を透視出来るような力の持ち主がいれば、多少歪ではあるが放射状に広がっている様子が見えただろう。
(ダークエルフってだけあって、夜の行動に慣れてるんだな)
離れて行くダークエルフの様子を眺めつつ、レイの脳裏にそんな考えが過ぎる。
「グルゥ?」
もう少し速度を出してもいい? レイの方に視線を向けてそう尋ねてくるセト。
レイはそっとセトの背中を撫でることで、セトが速度を上げるのを許可した。
すると、次の瞬間には爆発的な加速とでも呼ぶべき速度でセトが地を走る。
今まではダークエルフ達と行動を共にしていたから押さえていた速度を、ある程度発揮した結果だ。
レイの目に、夜の森の景色が次々と流れていく。
「セト、ゴブリンだ。とにかくゴブリンを探せ。多分今この森の中で最も数が多いのはゴブリンで間違いないらしいからな」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトが高く鳴く。
普段であれば、その声を聞いたモンスターなら自分に勝ち目がないと理解してセトから離れて行くだろう。
だが……
「ちっ、早速お出ましか!」
セトが微かに身体を傾けるのと同時に、何かが一瞬前までレイの身体のあった場所を通り過ぎていく。
何が通り過ぎたのかというのは、再び前に視線を向ければすぐに分かった。
それは、石。
それも拳大程の石だ。
殺傷能力は非常に高く、それでいながらその辺のどこにでも落ちているという石は、夜の森の中という状況では必殺の威力すら持つ。……その姿を見ることが出来なければ、もしくは回避することが出来なければという但し書きが付くが。
夜目の利くセトとレイ。更に身体能力は今見た速度程度の攻撃であれば容易に回避することが出来る。
「グルルルルルゥッ!」
セトが鋭く鳴くと同時に、周囲には幾つもの風の矢が作り出される。
だが、今投石をしてきた相手にはその矢の姿を見つけることは出来ないだろう。
元々風で出来た矢である以上、その姿は昼であっても見失いやすい。それが今は夜なのだ。
幾ら夜目が利いても、その風の矢を認識することはまず不可能だった。
そして放たれる風の矢。
その速度は、先程セトやレイに向かって放たれた投石とは全く比べものにならない程の速度であり、セトとレイの進行方向にいる存在がそれを回避するのは不可能だった。
「ギャギャギャッ!」
「ギャガァ!」
「ギョギュギョ!」
レイとセトへと向かって石の投擲をしてきた者達が、次々にウィンドアローによって風の矢に突き刺され、斬り裂かれ、悲鳴を上げる。
中には首筋を綺麗に斬り裂かれたことにより、自分が死んだのにすら気が付かずに命を失う者すらいた。
「やっぱりゴブリンか」
石の投擲という手段を取ってきたことから、もしかしたらオークではないかという思いもあったレイだったが、攻撃してきたのはここで繁殖しているというゴブリン。
「って、セト。子供達は大丈夫だろうな!?」
「グルゥ!」
もしゴブリンの側に行方不明の子供達がいたら今ので怪我をしたのではないか? そんな危惧を抱いて叫ぶレイだったが、セトはそんなレイに対して大丈夫! と自信満々に喉を鳴らす。
どうやったのかは分からなかったが、攻撃した先にダークエルフの子供達がいないというのを理解した上での行動だったと知り、レイはセトの背の上で小さく安堵の息を吐く。
ダークエルフの子供達を助けに来た自分達が助け出すべき相手を傷つけたとなったら、集落で世界樹を回復させたことによって上がった好感度が見る間に下がってしまうのは確実だったからだ。
同時にマリーナの立場を悪くするのではないかという思いもあり、進行方向にいるのがゴブリンだけであるというのはレイにとって朗報だった。
「飛斬っ!」
セトの背の上で、レイがデスサイズを振るいながら叫ぶ。
放たれたのは、レベル五に達したことによって以前までとは桁違いの威力を宿した飛ぶ斬撃。
進行方向に存在しており、セトの視界を遮っていた木の枝を切断しながら真っ直ぐに飛んでいく。
一瞬無意味に枝を切断したことでマリーナに怒られるかも? と思ったレイだったが、今はゴブリンを倒す方が先だろうと判断して一時棚上げする。
「ギャギャギャ!」
「ギャアアガアァァ!」
「ギョギョギュ!」
セトの放ったウィンドアローから生き残ったのだろうゴブリン達だったが、飛斬によって身体を切断されて悲鳴を上げる。
「セト!」
「グルルゥ!」
レイの呼びかけの意味を素早く聞き取ったセトは、真っ直ぐに突き進む。
少しでも速くゴブリンの下へと辿り着く為に。
セトの前に伸びていた、行く手を遮るかのように存在していた枝は、ウィンドアローと飛斬により殆どが切断されてしまっている。
おかげでセトは枝を気にする必要もないまま、真っ直ぐに走り……
「グルルルルルルルゥ!」
ゴブリンの姿が見えた瞬間、高く、威圧的に鳴く。
放たれたのは、セトのスキルの一つ、王の威圧。
レベル一と、とてもではないがまだ強力と呼べるレベルではないが、それでもセトの視線の先にいるゴブリンに対しては劇的な効果を発揮する。
その雄叫びを聞いた途端、ただでさえウィンドアローと飛斬の先制攻撃で混乱していたゴブリン達の戦意が、完全にへし折られた。
慌てて逃げようとする者、動揺して何をすればいいのか分からなくなった者、王の威圧の効果により動くことすら出来なくなった者……そんな風に動きはそれぞれ違ったが、それでもただ一つ共通していたのは、有効な対策を打てなかったことだ。
ただ近づいてくるセトとレイにゴブリン達に出来るのは、ただ混乱して泣き喚くだけ。
ゴブリン達に残された最後の数秒はそんな風にしてすぎていき……やがて死を運ぶ存在が姿を現す。
「グルルルルルルゥ!」
セトは手足を大きく振るい、時には尻尾を、時にはクチバシでゴブリンを仕留めていき……レイはセトから飛び降りると、デスサイズを振るってゴブリンの命を雑草でも毟るかのように刈り取っていく。
そんな一人と一匹の行動により、セトとレイに石を投げて襲い掛かって来たゴブリンはものの十数秒と経たずに全滅することになる。
「……ま、ゴブリンなんてこんなもんだよな」
デスサイズの刃を軽く振り、付着していた血を飛ばしながらレイは呟く。
元々レイとセトの戦力を考えれば、ゴブリン程度を相手にして手こずる筈もない。
最初の投石にはレイも驚いたが、一度そんな攻撃があると理解してしまえば対処するのは難しくなかった。
「グルルルゥ」
レイの言葉にセトが同意するように頷き、周囲を見回して早く行こう? と喉を鳴らす。
倒したのがオークの類であれば、まだ肉を得る為にミスティリングに収納する時間を取ったかもしれないが、幸いと言うべきか、ここにあるのはゴブリンの死体のみだ。
……それでも本来であればアンデッドになる可能性を考えて処分した方がいいのだろうが、今はそこまでしている暇はない。
ルグドスを始めとしたダークエルフの子供達を探す必要がある以上、ここで無駄に時間を使う訳にもいかなかった。
(それに街道とかならまだしも、森の中なら他のモンスターや動物たちが死体を片付けてくれるだろ。……ゴブリンの肉とか、とても食いたいとは思えないけど)
そこまで考え、ふとゴブリンの肉という言葉に感じるものがあった。
(ゴブリンってのは、基本的にはどこにでもいる。それこそわざわざ探したりしなくてもいい程度には。だとすれば、ゴブリンの肉を美味く食えるようにすれば、かなり画期的なんじゃ?)
どのような手段を使えばゴブリンの肉を美味く出来るのかというのは、まだレイにも思いつかない。
だが、ゴブリンの干し肉というのは冒険者になったばかりの者達にとっては殆どの者が世話になる代物だ。
何しろ、安い。
非常に不味いのだが、それでも安く食えるというのは冒険者にとってありがたい代物であるのは間違いなかった。
もしゴブリンの肉を美味く食える方法を開発すれば、それは間違いなく画期的なものになるのは間違いないだろう。
……もっとも、レイが考えるようなことは他の者達も当然考えており、これまでに何人、何十人、何百人、何千人といった者達がゴブリンの肉の味をどうにかしようと試行錯誤し、結局諦めてしまったのだが。
それに気が付かないレイは、世界樹の件が片付いたら少し試してみようと考える。
取りあえずその時の為に一匹だけ近くに転がっていたゴブリンの死体をミスティリングに収納すると、再びセトの背へと跨がる。
何故レイがわざわざゴブリンの死体をミスティリングに収納したのか疑問を持ったセトだったが、取りあえず今は子供達を探すのが先決だと判断し、そのまま地面を蹴る。
「夜になってゴブリンも活発になってるな。そうなると、子供達の危険もより大きくなるから、しっかりと探さなきゃな」
「グルルゥ」
レイの言葉に短く鳴き、セトは夜の森を駆け抜ける。
森のいたるところで戦いが起きているというのは、レイにもセトにもしっかりと理解出来た。
剣戟の音や、モンスターの悲鳴、中にはダークエルフの悲鳴と思しきものまで聞こえてくる。
「あまり被害が出ないといいんだけど……なっ!」
「グルゥッ!」
言葉の最後で、レイはデスサイズを振るう。
同時に闇の中から飛んできた石がデスサイズの刃によって真っ二つに斬り裂かれた。
「ちっ、またゴブリンか!?」
忌々しげに叫ぶレイだったが、前の方から聞こえてきたのはゴブリンの叫び声ではなく、犬が鳴くような叫び声。
「ワオオオオオンッ!」
その声で、レイは今自分達に攻撃をしてきたのがどんなモンスターなのかをすぐに理解する。
「ゴブリンじゃなくて、コボルトかっ!」
「グルルルゥッ!」
レイの声に同調するように、セトは叫ぶ。
だが、普段であればセトの鳴き声を聞けばすぐに逃げ出す筈のコボルト達は、全く逃げる様子も見せずレイとセトへと向けて石の投擲を続ける。
「って、ちぃっ!」
投げつけた石の全てを防がれ、回避されたのに業を煮やしたのか、数匹のコボルトが自分の持っていた槍や長剣、短剣といった武器を投げつけた。
飛んでくるのが石ばかりだと思っていたレイは、多少驚きはしたもののデスサイズで斬り落としていく。
いや、寧ろ武器のような物を投擲したが為に上手く投げることが出来ず、あらぬ方へと飛んでいった物すらあった。
「セト!」
「グルルルルルルゥッ!」
最後まで言わずともレイが何を言いたいのか理解したセトは、コボルト目掛けて高く鳴く。
それは、数秒前に行われた雄叫びと同じようでいながら、決定的に違っていた。
ゴブリンとの戦いの時にも使われた、王の威圧。
それが思い切りコボルトへと向かって放たれたのだ。
ゴブリン同様低ランクモンスターのコボルトに、今の雄叫びに対抗する手段は一切なかった。
先程のゴブリンとおなじように動けない者、混乱する者といった風に大きく別れ……
「グルルルルゥッ!」
三度雄叫びは響き渡り、同時にセトの周囲に生み出された水球が真っ直ぐにコボルトへと向かって飛んでいく。
その水球に触れたコボルトは皮膚が破け肉が弾け、痛みに悲鳴を上げる。
身動きすらろくに出来ない状況で仲間から上がった悲鳴。
ようやく自分達があいてにしているのがとんでもない相手なのではないかと、興奮した頭の中で考え……だが、そこにセトとレイが突入し、ゴブリン同様に数十秒で十数匹のコボルトはその全てが命を落とすのだった。