1055話
エレーナ達が借りている庭へと駆け込んできたのは、数人のダークエルフ。
ただし、そのダークエルフの背丈はビューネと同じくらいしかなく、明らかにまだ子供と呼ぶべき存在だった。
「マリーナ姉ちゃん! 大変だよ! ルグドス達が戻ってこないんだ!」
「私は駄目だって止めたんだよ!? なのに、ルグドス達が自分なら大丈夫だって……」
「頼むよ、マリーナ姉ちゃん。ルグドス達を助けてあげて!」
それぞれが好き勝手に騒いでいる為に、話の内容をすぐに理解することは出来ない。
だが……それでも子供達の何人かがどこかに行って戻ってきていないというのは理解出来た。
そんなダークエルフの子供達を見ながら、ふとレイは疑問を抱く。
(マリーナがこの集落から出て行ったのは、百年近く前の筈。……だとすれば、この子供達は何だってこんなにマリーナに懐いてるんだ? さすがに百年前だと、この子供達もまだ生まれてなかった……よな?)
ダークエルフの寿命を考えれば、実は生まれていたという可能性はあるかもしれない。
そんな風に考えるレイだったが、実際には今日集落の中でマリーナが世界樹について調べている時に知り合ったというのが正しい。
ダークエルフの子供の中にも悪ガキやガキ大将と呼ばれる者はおり、そのような者達が集落の重要人物という扱いのマリーナにちょっかいを出したのだが……当然マリーナがそのまま黙ってやられている筈もなく、結果的にはガキ大将達がやり込められることになる。
「そしたら、ルグドス達が自分の力を見せてやるって行って、集落を出て森に行ったんだ!」
「なっ……」
その言葉に、マリーナは顔を引き攣らせる。
当然だろう。普段であれば、迷いの結界と障壁の結界の間にはモンスターの姿も殆どなく、ある程度は安心して集落から出すことも出来た。
だが……今は前日に世界樹が回復した為に、迷いの結界と障壁の結界の間には多くのモンスターが閉じ込められた形となっているのだ。
それもゴブリンが多く入り込んでいる可能性もある。
そんな場所に、ろくに戦闘技術も持たないダークエルフの子供が何人か向かえばどうなるのか……想像するのも難しくはない。
「くっ!」
マリーナは視線を空へと向ける。
既に夕日は沈みそうになっており、そう遠くないうちに夜になるだろう。
そして夜になればモンスターは更に活発になり、ダークエルフであっても結局は子供がどうにか出来る状況ではなくなる。
一瞬迷ったマリーナだったが、すぐにレイ達へと向かって口を開く。
「レイ、エレーナ、ヴィヘラ、アーラ、ビューネ、アース。……力を貸してくれないかしら」
本来ならレイ達が受けている依頼は世界樹の治療と森の異変の解決だ。
ここでダークエルフの子供を救う義務は一切ないし、その選択をしても責められることは一切ない。
だが……それでもレイ達にとってここはマリーナの故郷であり、そのマリーナが困っているのであれば救いたいと思うのは当然だった。
そんなレイ達とは違い、アースの場合はもっと単純だ。
英雄を目指しているのだから子供を見捨てるような真似を出来ないというのもあるし、何よりアースは元々自分が育った村ではガキ大将の地位にあった。
それだけに森の中へ行ったというガキ大将を見捨てるという選択肢は一切なかったし、そのガキ大将の気持ちも理解出来る。
真っ先に口を開いたのは、レイ。
「分かった、俺は構わない」
そんなレイの言葉に、他の者達も全員が森に行く事に賛成する。
「……ありがとう。じゃあ、行きましょう。ねぇ、貴方達。このことを他の大人達には言ったの?」
確認するようなマリーナの言葉に、子供達は揃って首を横に振る。
言えば叱られると思ったのか、それともマリーナに会った時の印象がそれだけ強かったのか。
ともあれ、この件がまだ他の大人達に知られていないと知ったマリーナは、その子供達へと向かって告げる。
「いい? これからすぐにお爺様……長老の下に向かって、今と同じ話をしなさい。そうすればすぐに他の者達を動員してくれる筈よ」
「でも……」
子供のうちの一人が、恐る恐るといった様子で口を開く。
「このことが知られたら、怒られる……」
「ここまで大事になった以上。どうやっても隠し通すことは出来ないわ。それなら早い内に知らせて帰ってこないルグドス達を探した方がいいでしょう? 怒られるのは悪いことをした以上、仕方がないわ。……それとも怒られるのが嫌だからって、いなくなった子達のことを見捨てる?」
冗談っぽく……それでいながら決して目が笑っていない笑みで尋ねたマリーナに、子供達は首を大きく横に振る。
自分達のリーダー格でもあるルグドスを見捨てるような真似は決してしたくはなかった。
今回のように色々と問題を引き起こすガキ大将ではあったが、それでも面倒見のいい性格をしており、下の者に好かれているのは事実なのだから。
そんな子供達の様子を見たマリーナは、数秒前の目の笑っていない笑みではなく満面の笑みを浮かべて口を開く。
「そう、じゃあ行きなさい。私達も森の中に行ってルグドス達を探すから」
「うっ、うん! 分かった!」
そう叫ぶと、子供達は急いでその場を走り去る。
それを見送り、マリーナは口を開く。
「じゃあ、皆、協力をお願いするわ。私もすぐに準備を整えてくるから、里の入り口で待ち合わせましょう」
マリーナの言葉に、全員が行動を開始した。
エレーナが借りている家へと向かって行く面子、マリーナは自分の家へと向かい、アースはポロと共にレイが借りている家へと向かう。
そんな中、レイのみは特に何をするでもなくその場に残っていた。
ミスティリングを使っているレイにとって、準備というものは基本的に必要ない為だ。
勿論消耗品の類を購入したりといったことは必要だったが、幸い今は何か足りないようなものは存在しない。
そうである以上、レイは真っ直ぐ集落の入り口へと向かう。
「グルルルゥ」
そんなレイの隣では、セトが喉を鳴らす。
(いや、これはやる気に満ちていると表現するのが正しいんだろうな)
ギルムでもそうだったが、基本的にセトは子供に甘い。
勿論無条件で甘いという訳ではなく、悪戯をしてくる相手には軽くではあるが仕返しをしたりもするが、それでも総合的に見た場合、子供に対して甘いというのは間違いがなかった。
それだけに子供が森の中に……それもゴブリンが大量発生していると思われる森の中に入っていって戻ってこないというのは、色々と思うところがあるのだろう。
セトと共にダークエルフの集落の入り口へと向かいながらも、レイは集落を覆っている木の柵へと視線を向ける。
この集落は世界樹の障壁の結界によって守られており、その結果ギルムにあるような壁の類は存在しない。
木の柵も一応という意味でしかなく、だからこそルグドスというガキ大将達が容易に外へ出ることが出来たのだろう。
(普段なら……世界樹が元気な時なら問題はなかったんだろうけど)
今は世界樹の問題もあって、森の中は危険な状態となっている。
大人も当然子供達に対してはきちんとその辺の注意をしていた筈だろうが、子供というのは大人に言われたことを破るという行為を喜んでやることがあった。
特にガキ大将であれば、その傾向はより強いものがあるのだろう。
「だからって……それでも子供を見殺しにしていいって訳じゃないけどな」
「グルゥ!」
呟くレイの中では、相手が子供ではあってもダークエルフ……つまり、実際にはレイよりも年上である可能性は完全に消え去っている。
実際の年齢はともかく、見た目が子供なのだから子供扱いをしても当然だろうと。
それは、マリーナの実年齢に関することを考えないようにという防衛本能に近いものがあったのかもしれない。
ともあれ、レイとセトは待ち合わせ場所へと到着する。
そして、既に何人かのダークエルフが集まっているのを見て驚きの表情を浮かべた。
いや、ただ集まっているだけであれば特に驚くようなことはなかっただろう。何かの理由があってここに集まっているのか、と。それこそ宴会でも行う為にと言われれば多少なりも納得したかもしれない。
だが……こうして集まっているダークエルフ達は、その殆どが手に弓を持っており、これから宴会をやるとはとても思えない様子だ。
(そもそも世界樹が完全に回復した訳でもないんだし、宴会をする筈はないか。あれだけショックを受けている者が多かったんだし)
では何故ここにダークエルフがこんなにいるのか? そんなレイの疑問は、ダークエルフ達が話している内容を聞けばすぐに分かった。
「いいか、ゴブリンを見つけたらルグドス達が近くにいないかどうかを真っ先に確認するんだ」
「けど、女ならともかく男だぞ? しかも子供。ゴブリンがそんなダークエルフを見つけて、そのままにすると思うか?」
「それでもだ。可能性としては皆無じゃないだろ」
「……生きてるといいんだが……」
心配そうに喋っているのは、ルグドスを始めとした子供達に対する心配の言葉。
つまり、レイと同じくルグドス達を探すために集まっている者達なのだろう。
(随分と早いな)
マリーナが家から出てから、すぐにレイは家を出た筈だった。
だが、やって来たレイの前には既にダークエルフ達が大勢集まっている。
「……うん? もしかしてあんたも協力してくれるのか?」
ダークエルフの中の一人が、レイの姿を見てそう声を掛けてきた。
特に隠すつもりもないレイは、その問い掛けに頷く。
「ああ。マリーナに頼まれたからな。……それより、俺が話を聞いたのはついさっきなのに、ここまで集まるのが随分と早いな」
「集落の子供が行方不明になってるんだ。集まってくるのは当然だろ?」
レイと話をしているのは、外見年齢二十歳くらいのダークエルフだ。
矢筒を背負い、弓を手にしているその様子は、まさにレイのダークエルフのイメージそのものといった形だ。
「随分と仲間思いって言うべきか?」
「そうか? 普通だと思うけどな。……まぁ、あんたみたいな奴が協力してくれるのは、こっちとしても嬉しいけどよ」
レイの魔力がどれ程のものなのか、魔力を感じることが出来る知り合いから聞いているダークエルフの男は、レイが協力すると聞き嬉しそうに笑みを浮かべる。
そこにはあるのは、既にレイに対する畏怖や恐怖といった感情ではない。
ダークエルフの子供を助けるために森へ向かうというのも、当然関係しているのだろう。
また、この男自身が魔力を感じる能力を持っていないというのも大きい。
事実、訓練場でレイの魔力を感じ取った者の何人かが、レイの方を見るや、そっと視線を逸らしていたのだから。
もっとも、そこにあるのは恐怖ではなく畏怖……どちらも恐れられているという意味では同じだが、それでも悪意の類を持っていないのは、やはり世界樹を治療したという実績があるからこそだろう。
「グルルゥ」
「おわっ」
レイがダークエルフの男とだけ話していたので寂しくなったのか、セトが喉を鳴らしながら顔を出す。
そんなセトの様子に、ダークエルフの男が驚きの表情を浮かべるが、それはセトに慣れていない者が浮かべる表情としてはかなり驚きが少ないと言えた。
「……あまり驚かないんだな」
「そりゃそうだろ。世界樹を治療してくれたお前さんが連れているんだ。無意味に暴れたりしないってのは、容易に想像出来る」
レイと話しているダークエルフの男はそう言うものの、他のダークエルフ達の中にはセトを見て距離を置こうとしている者も多い。
その様子を見れば、ダークエルフの全てが男のようにセトを受け入れている訳でないというのは明らかだった。
「おいっ、離せ! 離せよ!」
「だから待てって言ってるだろ! もう夜になるってのに、森の中にお前だけで行ってどうするんだよ! 皆が別々に動くより、全員で協力して動いた方がいいって!」
ふとそんな声が聞こえてきたレイは、そちらの方へと視線を向ける。
そこでは一人のダークエルフが森へと向かおうとしているのを、数人で止めているといった光景だった。
いや、気が付けば他にも何人か森の中へと向かおうとして、止められている者も多い。
「あれは?」
「……ああ。ルグドスの兄さんだよ。他のもルグドスと一緒に森の中に向かった奴の親兄弟だな」
なるほど、とレイは頷く。
自分の親族が今の森に……迷いの結界と障壁の結界の間にある森に行っていると言われれば、あそこまで焦るのも当然だろうと。
「けど、皆がそれぞれ自分の好き勝手に動いても、ルグドス達を見つけるのに無駄な時間が掛かるだけだ。それが分かっていても……それだけ焦ってるんだろうな」
呟く男の言葉にレイが頷こうとした、その時。
「皆、こっちに注目してちょうだい。これからそれぞれが探索する部分の範囲を告げるわ。それに従って探索してちょうだい。知っての通り、現在森の中には多くのモンスターがいるから、決して単独行動はしないように」
マリーナの声が周囲に響き渡るのだった。