1042話
茂みの中から姿を現したのは、老人。それも、レイにとって……そして他の者達にとっても見覚えのある人物だった。
レイ達を代表し、マリーナが口を開く。
「お爺様!?」
そう、茂みを掻き分けて姿を現したのは、マリーナの祖父にしてこの森にあるダークエルフの集落の長老……村長のような役割をしているオプティスだった。
だが、そんなオプティスを見ながらレイは疑問に思う。
レイは昨日オプティスと会話を交わしており、だからこそ先程のポロを呼ぶ声がオプティスの声ではないことは理解していた。
それはマリーナも同様だったのだろう。
レイよりもオプティスとの付き合いは長いのだから、それは当然だった。
だからこそ、マリーナは茂みから出て来たオプティスに向かって尋ねる。
「お爺様、先程の声はお爺様ではないですよね? 誰の声です?」
「マリーナか。世界樹の件はご苦労じゃった。遠くから見ても世界樹が力を取り戻したのは儂にも理解出来たよ。さて、それで先程の声じゃったな。紹介しよう。アースじゃ」
オプティスの声と共に、その後ろから一人の男が姿を現す。
見た目としては、レイよりも少し年上の十代後半といったところか。
身長はレイより頭一つ程大きく、女顔のレイと比べると精悍な……男らしい顔立ちをしている。
まるで大地そのものを髪にしたかのような茶髪が目を引く。
動きやすいようにだろう。モンスターの革を使った胸当てを身につけていた。
レザーアーマーの類ではなく胸当てなのは、より動きやすさを求めてのものなのだろう。
そしてマジックアイテムと思われる弓と矢筒を背負っており、腰には短剣の収まった鞘がある。
総じて身軽さを重要視した装備であり、男の戦闘方法が素早さを活かしたものであるというのは明白だった。
「っ!? オプティス爺さん、この人達は……」
アースと呼ばれた人物がレイ達を見て……いや、正確にはレイの側にいるセトの姿を見て一瞬息を呑む。
だが、セトの姿を見ても取り乱すようなことがなかったのは、男の腹の据わり具合を示しているのだろう。
「ふむ、話したじゃろう? 儂の孫のマリーナに、その婿のレイじゃ。こちらはアース。森の異変を調べに来た冒険者じゃ。ちょうど森の中で会っての。最初は敵かと思ったんじゃが、話してみるといい奴じゃった」
「お爺様……」
呆れたようにマリーナの視線が向けられたのは、オプティスが愛用している杖だ。
その杖に血がついていないのを確認すると、マリーナは安堵の息を吐いてからセトへと目を奪われているアースへと声を掛ける。
「お爺様がお世話になったようだけど……アースさんと言ったかしら。そのカーバンクルは貴方の従魔?」
「え? ああ、うんそうだよ。全く、お前いなくなったかと思ったらこんな場所で他の人に遊んで貰ってたのか?」
「ポロロ!」
アースの言葉に、ポロは嬉しげに鳴き声を上げる。
ポロにとって、セトやイエロといったモンスターとの会話はそれ程嬉しかったのだろう。
そんなポロを見て、アースは仕方ないなといった笑みを浮かべてマリーナに頭を下げる。
「うちのポロが世話になってしまったみたいで……」
臆する様子も見せずにマリーナへと話し掛けるアースに、周囲にいた者達のうち何人かは驚きの表情を露わにする。
特にレイは、アースの様子に驚きを隠せないでいた。
マリーナは間違いなく目を奪われる程の美人であり、これだけの美貌を持つ相手にはそう気安く話し掛けられるようなものではない。
いや、頑張れば話し掛けることが出来るかもしれないが、それでも緊張するのが普通だ。
だが……今こうしてレイの視線の先では、アースは特に気負った様子もなくマリーナと言葉を交わしている。
(もしかして、身近にマリーナやエレーナ、ヴィヘラのような美人がいるのか? だとすれば、慣れているって可能性はあるけど)
そんな風に思っていたレイだったが、不意にアースが自分の方へと視線を向けてきたのを見ると、その考えを中断せざるを得ない。
それも視線を向けただけではなく、次の瞬間にはレイの方へと向かって歩いてきたのだから尚更だ。
「よう、おまえがレイ……深紅だろ?」
「……ああ」
オプティスやマリーナと話していた時と比べると、やや乱暴な口調で話し掛けられたレイは、短くそれだけを答える。
それでいながら、ドラゴンローブの下ではいつでもネブラの瞳を起動出来るように警戒をしている。
オプティスが一緒にいる以上、敵ではないというのは間違いないのだが、それでも殆ど見ず知らずの相手を完全に信じることは出来ない。
そんなレイの緊張を感じ取ったのか、それとも単純に自分のペースで話しているだけなのかは分からないが、アースはレイへと握手を求めるように手を伸ばしてくる。
「俺はアース。ランクC冒険者だ。噂の深紅に出会えたというのは、俺にとっても嬉しいよ」
「レイだ。ギルムに所属しているランクB冒険者。で、そっちがセト」
「グルゥ? グルルルゥ!」
レイの呼び掛けに、セトは嬉しそうに喉を鳴らしながらアースの方へと近寄って行く。
普通であればグリフォンが近づいてくるのは恐怖でしかないだろう。
……ギルムの住民に関しては話が別だったが、それはギルムが特殊すぎるが故のことだ。
「ん? 何だ? どうした? ほらほら」
アースはセトに全く怯えた様子もなく、その頭に手を伸ばして撫でる。
「グルゥ、グルルルルゥ!」
セトはアースへと顔を擦りつけ、うっとりとした雰囲気を醸し出す。
完全にリラックスしたその様子は、レイにも驚きをもたらす。
これまでにも、レイはセトが相手に懐くというのは何度も見てきた。
元々セトは人懐っこく、自分を可愛がってくれる相手に対しては基本的に疎かにはしない。
そうである以上、このような光景も普通に考えれば珍しくはないのだが……レイの目から見れば、普通とは大きく違うものがあった。
同じ懐くといっても、そこには幾つもの懐き具合がある。
例えば軽く頭を撫でる人と食べ物を自分にくれる人というのは、どうしてもセトも後者の方を重視してしまう。
その感覚で言えば、今のセトのアースへの懐き具合はかなりの懐き具合だった。
それこそ、ミレイヌやヨハンナに対するのと同じくらいには。
まるでアースの身体からいい匂いがしてきているかのように、そっと顔をアースの身体へと擦りつける様子は、傍から見てもリラックスしているように思える。
(何だ? もしかして何か特殊なマジックアイテムでも使ってるのか? それとも、単なる体質?)
疑問に思いながら、ふとレイの視線はこの場にいるポロとセト以外のモンスター……イエロの方へと向けられる。
だが、イエロは特に何かがある訳でもなく、エレーナの下へと戻って黙って撫でられていた。
その様子は、アースに懐いているセトに比べるとどう見ても違うように思える。
「ほれほれ、どうだ? ここか? ここが気持ちいいのか? ほら」
レイの視線の先で、アースは笑みを浮かべながらセトを撫でていた。
そんな戯れ具合を眺めていると、アースが何かマジックアイテムを使ってセトを誑かしている……とはとても思えない。
珍しくどうすればいいのか迷っているレイだったが、そんなレイの様子を見たマリーナはアースへと声を掛ける。
「そろそろいいかしら? ここは一応ダークエルフの集落の近くなのよ。森の異変を調べに来たって話だったけど、もう少し詳しい話を聞かせてくれる? 勿論お爺様が貴方を案内してきた以上、何か後ろめたいことがあるとは思えないけど。……ああ、そうそう。自己紹介を忘れてたわね」
言葉を一旦切り、マリーナは小さく笑みを浮かべて口を開く。
「私はマリーナ。マリーナ・アリアンサ。そこにいるお爺様……この森にあるダークエルフの集落の長老の孫娘よ」
「え? 長老!?」
オプティスからその辺については聞いていなかったのか、アースはオプティスに驚愕の目を向ける。
それを見て、オプティスとアースは初対面なのだろうとマリーナは結論づけた。
「そう、長老。で、ちなみに私はギルムの冒険者ギルドのギルドマスター」
「えぇっ!?」
マリーナの口から出たのも予想外の言葉だったのだろう。アースはセトを撫でていた手を完全に止めて周囲にいる者達へと視線を向けた。
「じゃ、じゃあ、もしかして他の人達も何か重要な人物だったりしますか?」
「そうね。そっちにいるのはエレーナ・ケレベル。……姫将軍って言えば分かるかしら」
エレーナの方へと視線を向けたアースは、驚きで既に言葉も出せない。
精悍と呼んでもいいくらいに顔立ちが整っているアースだが、こうして驚きに目を見開いている姿を見る限りではどこか親しみの持てる顔立ちでもあった。
(この子、面白いわね。アース……そう言えば五年くらい前にどこかのダンジョンを攻略したとかいう冒険者の名前がアースだったわね。そうそう、テイマーだって話だし、ポロとかいうカーバンクルの希少種を連れているのを見れば間違いないわ)
アースと話しながら、以前ギルドマスターの会合で聞いた名前だったと思い出す。
「えっと、じゃあ……もしかしてそっちの美人も有名人だったり?」
エレーナとマリーナからは視線を逸らさず真っ正面から見つめ返すことが出来たアースだったが、ヴィヘラだけは正面から見ることは出来なかった。
その理由は、当然ながらヴィヘラが身に纏っている薄衣だ。
向こう側が透けて見えるような薄衣は、とてもではないが冒険者が身に纏うような代物ではない。
娼婦や踊り子といった職業の者達が身に纏うような代物であり、その上でヴィヘラはアースがこれまで見てきた中でも最高峰の美貌を持つ相手だった。
そんな美人のあられもない姿を正面から見るには、アースの女性経験は少なすぎた。
(リヴより美人な人がいるとは思わなかった)
脳裏を友人以上恋人未満といった、どちらかと言えば親しい関係の女の姿が過ぎる。
ふと脳裏のリヴにいつもの表情を変えないままの……それでいて親しく付き合っているからこそ理解出来るジト目を向けられたような気がして、アースは慌てて首を横に振って疚しい考えを追い払う。
そんなアースの行動はマリーナにとって簡単に見通すことが出来るのだろう。小さく笑みを浮かべてから口を開く。
「そうね。色々とあって正確には言えないけど重要な人物だというのだけは確かよ」
「……他の人も?」
「さて、どうかしら。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわね。……まあ、それはともかくとして。森の異変を調べに来たって話だったけど、誰の依頼? この辺の森には基本的に手を出さないことになってる筈なんだけど」
「クロスの商人からの依頼だよ」
「……なるほど、クロスの商人ね。誰のことかは大体分かったわ。それなら納得出来るわね」
クロスというのは、この森からそれ程離れていない場所にある村だ。
その村の商人と聞いてマリーナが納得したのは、ダークエルフの集落がクロスの商人と細々とではあるが取引をしている為だ。
クロスを治めている領主は出来ればもっと大々的にダークエルフと取引をしたいと思っているのだろうが、ダークエルフとしては人間との関わりは出来るだけ避ける方向で話を進めていた。
それ故に取引は細々としたものとなっていたのだ。
過去にクロスを治めていた領主がダークエルフの集落を襲撃しようとして、結果的に反撃で大きなダメージを受け、最終的には没落し、その後にやって来たのが今の領主の家系である以上、現在の領主も強引な真似をしようとはしなかった。
だからこそクロスに手厚い保護を与えてはいるが、強制のような真似をすることはない。
その一環が今回のアースの派遣だった。
(正確には報酬を代わりに支払うとかでしょうけど)
マリーナはそう予想する。
クロスという村の何人かの人間は、ダークエルフと交易を行ってはいるが、それでも細々としたものだ。
そんな村人達にランクC冒険者を雇える程蓄えに余裕があるかと言われれば、首を傾げざるを得ない。
つまり、この森の異常を調べて貰うという依頼の報酬の何割か……または全額が領主から出ている可能性が高かった。
「で、森の中を調べていたら、ポロの奴が急に走り出して……それを追いかけていたら、オプティス爺さんに会ったんだ」
「よく無事だったな」
そう告げたのは、昨日オプティスにいきなり戦闘を仕掛けられたレイ。
だが、そんなレイの言葉にアースは何を言っているのか意味が分からないといった風に首を傾げる。
そんなアースの姿に、恐らく戦闘を仕掛けるようなことはしなかったのだろうと判断すると、レイはオプティスへとジト目を向ける。
レイのジト目を向けられたオプティスは、そっと視線を逸らす。
そんなオプティスへとレイはじっと視線を向けるが、それでもオプティスはひたすらに視線を逸らし続けていた。
「はぁ……二人共その辺にしなさい。一旦集落に戻るわよ。お爺様も見つかったし。……アースも来て貰える?」
「え? あ、うん。俺は別にいいけど……その、あの二人を放っておいていいのか?」
「いいのよ。じゃれ合ってるだけなんだから」
そう告げると、マリーナは溜息を吐いて集落の方へと視線を向けるのだった。