1035話
レイとの模擬戦……と呼ぶには多少派手な戦いが終わり、オプティスは上機嫌に笑う。
「はっはっは。マリーナが連れてきた男だと聞いていたから、あまり心配はしていなかったのじゃが……まさに予想以上の人物じゃったわい」
「……この場合、喜ぶべきなのか?」
デスサイズをミスティリングへと収納しながら呟いたレイの言葉にオプティスは少し不思議そうな表情を浮かべるものの、今は聞くべき時ではないと判断したのだろう。
杖を……凶器と呼ぶに相応しいだろう杖で地面を突きながら、視線を広場の入り口へと向ける。
そこにはオプティスの行動を知った大勢が集まっており、レイへと賞賛の視線を向けている者が多い。
中には苦々しげな表情や悔しげな表情を浮かべている者もいるのだが、オプティスは特に気にした様子もなくレイへと向かって口を開く。
「ほれ、お主の連れが来たぞ婿殿」
「……婿殿って……」
一瞬唖然としつつ、その言葉の意味を理解すると、視線の先にいるマリーナが軽く手を振ってくる。
そしてマリーナの側にはエレーナやヴィヘラといったお馴染みの面々もいるのだが、レイへと向ける視線は若干鋭い。
その理由が、たった今オプティスが口にした『婿殿』という言葉にあるのは明らかだった。
二つの鋭い視線を受けながら、レイは改めてオプティスへと話し掛ける。
「それで、俺はこれからどうすればいいんだ? また軟禁されるのか?」
「いやいや、そんなことは……」
「当然です! その者は世界樹に対して害を与えた者! 寧ろ、生かしておいているだけで感謝されて然るべきなのですから!」
オプティスの言葉に割り込むように、周囲に声が響く。
大きな声は広場中へと響き渡り、オプティスとレイの戦いを見ていた者全員の注目を集める。
そんな声を発した男を見て、一瞬ではあるがオプティスの顔が顰められた。
また、マリーナの方は少し離れた位置にいるその男を見て不愉快そうな表情を浮かべる。
「ラグド、この者は我が孫の婿。そして世界樹の治療をする為にわざわざここまで来てくれたのじゃぞ? それを軟禁するなどという真似をした時点で失礼な真似をしておるというのに、この上まだ何かしろと言うのか?」
「当然でしょう。この者が集落の中に入った途端に世界樹に異変が生じたのですから。それは、当時現場にいた者の殆ど全員が見て、感じて、体験していることですよ?」
ラグドと呼ばれたその男は、周囲を見回しながらそう告げる。
その際にマリーナとも視線が合ったが、少し前に行われた会議では半ば言い負かされただけに今は得意そうな表情を浮かべていた。
だが……そんなラグドの言葉に、マリーナは一切怯んだ様子もなく口を開く。
「あら、あの脈動が世界樹にとって悪いものだとは言えないと思うのだけど?」
「あの脈動を感じて、それでも尚そのように言えるのですか? ただでさえ今の世界樹は弱っています。そこにあのような脈動……害にしかならない。そう思いませんか?」
「では聞くけど、ラグドは世界樹が弱っている現状をどうするつもりなのかしら? 貴方達がどうしようもなくなって、私に戻ってくるように助けを求めたのではないの?」
マリーナの言葉は事実でもあった。
元々この集落に残っていた者達で世界樹をどうにか出来ているのであれば、わざわざ集落を出ていったマリーナを呼び戻す必要はなかったのだ。
それが出来ないからこそ自分を呼び戻し、そして解決策として連れてきたのがレイだったのに、そのレイを排除しようとしているのはマリーナにとって我慢出来ることではない。
しかも、そのレイの危険性を全く無視しての行為である以上、正直マリーナとしてはいつこの集落が炎に包まれても不思議ではなかった。
(幸いお爺様との間で信頼関係は築けたようだけど……ラグドのような人が出てくれば、またレイの態度が変わる可能性は否定出来ないわね。それに、このまま放っておけば後々問題になりそうだし……)
普段であれば、それもいいだろう。話し合いをして自分の意見を通し、ラグドの話を聞いて……と。
だが、今は文字通りの意味で非常時だった。
このままラグドに付き合って時間を無駄に使い、世界樹が弱り……最悪、迷いの結界と障壁の結界の二つの結界が消滅してしまう可能性を考えれば、強引であっても事態を思う通りに進めた方がいい。
「それは……然るべき処置をすれば、世界樹もきっと回復をする筈です」
「その然るべき処置が出来ないからこそ、私が呼ばれたのでしょう? 違う?」
当然のマリーナの言葉に、ラグドは黙り込む。
事実、ラグドを含めて現状では世界樹に対してどうしようもないというのは事実なのだ。
勿論この集落でも何もしていなかった訳ではない。
だが、それでも世界樹の治療法を見つけることは出来なかったのだ。
いや、魔力を流すことにより幾ばくかは治療をすることに成功はしたのだが、ダークエルフ達の魔力では現状維持より多少マシといった程度のものでしかない。
その辺を突かれると、ラグドとしても言葉に詰まるしかない訳で……
と、不意にラグドの近くにいたダークエルフの一人が、何かに気が付いたようにレイの姿を見る。
そうしてラグドの耳元で何かを囁くと、その言葉にラグドはこれ幸いと口を開く。
「おかしいですね。この者はレジュームといって魔力を感知する能力を持っている私の友人なのですが……この者によると、決してそこにいる人間の男の魔力は高くないという話ですが? いや、一般的な人間に比べれば高いのでしょうが、私達ダークエルフに比べれば明らかに低いと」
ラグドの口から出た言葉に、広場にいた多くの者達が驚愕の視線をレイへと向ける。
もしそれが本当であれば、マリーナがレイを連れてきた意味がないということになってしまう為だ。
だが、同時に疑問を抱く者も多い。
魔力を感知する能力を持っている者はそれ程多いという訳ではないが、そんな中でもマリーナはトップクラスの能力を持っている筈だった。
そんな能力を持っているマリーナが、レイの魔力が高くないことに気が付かないのか、と。
事実、ダークエルフの中にいる何人かがレイの魔力を感じてみると、そこにあるのは普通の人間より少し多いといった程度の魔力でしかない。
そしてレイの魔力を感じた者が周囲にその事実を教えると、レイに向けられる視線は薄らとした疑惑へと変わる。
それでも完全な疑惑へと変わらないのは、やはりレイを連れてきたのがマリーナだというのが大きいのだろう。
この集落の中でも非常に高い弓と魔法の技術や人望といったものを持っているマリーナ。
約百年ぶりに戻ってきたばかりだったが、ダークエルフにとって百年というのは、ついこの前といった感覚だ。
そうである以上、信頼が出来る相手だという思いもある。
(全く、余計なことをしてくれるわね)
マリーナはどうするべきか迷う。
今回の件を解決するだけであれば、そう難しい話ではない。
それは、オードバンの時にしっかりと証明済みなのだから。
だがそれを行うと、他のダークエルフがオードバンと同じようにレイへと畏怖や恐怖の視線を向けるのではないかという疑念がある。
その辺を考えると、出来れば止めておきたいというのがマリーナの正直な思いだった。
だが、今広場に漂っている雰囲気はそんなマリーナの想いとは裏腹のものだ。
そんなマリーナの態度に、今が攻め時と感じたのだろう。
ラグドはここぞとばかりに叫ぶ。
「どうしました? マリーナ様ともあろう者が、もしかして自分の恋人と共に旅行したいというだけでここまで連れてきたのではないですよね? もしそうであれば、私はマリーナ様に対して失望を禁じ得ません!」
「そうだ、この大変な時に恋人と旅行をしたいというだけでやってくるなんて、何を考えてるんだ! 許せないぞ!」
「全く。私達がここまで大変な目に遭っているってのに、自分だけこうして楽をしているなんて……ちょっと理解出来ないわね」
「俺達がどれだけ苦労してきたと思ってるんだ!」
「自分は男を連れて好き勝手に恋愛を楽しんでるなんて、最低よ!」
ラグドの言葉に釣られるように、その周囲にいるダークエルフ達がそれぞれマリーナを糾弾する。
傍から見ればあからさまとしか言えない光景。
だがそれでも、実際にその場にいる者にとっては違う意味を持つ。
他の者達がマリーナを非難しているのだから、もしかして本当にマリーナが悪いのでは? そう思う者が出てくるのだ。
勿論しっかりと自分の意思を持っている者もいるのだが、中にはどうしても周囲の意見に流される者もいる。
マリーナに対して好意的なダークエルフも当然いるのだが、レイから感じられる魔力を考えると、どうしてもその擁護は出来ない。
ラグドとその周囲の者達が一斉にマリーナを責め立てている様子は、一種の吊し上げのようにしか見えなかった。
しかし、その吊し上げをされているマリーナ本人はただ黙って自分を責める言葉を受け止める。
レイが畏怖されるような視線を向けられてしまうよりは、と。
マリーナの周囲にいるエレーナやヴィヘラも、アーラ、ビューネといった面々もそのことを分かっているのか、悔しげな仕草を見せるが口は開かない。
少し離れた場所にいるジュスラもまた、マリーナの思いを否定する訳にもいかず、黙り込んでいた。
「どうしたのです、マリーナ様。何も言わないというのであれば、それは私の言葉を認めた。そう考えてもよろしいのでしょうか? であれば、当然そのような虚偽を口にした罪を……」
ラグドがそこまで言った時……不意にその言葉を止める。
何があった訳でもない。ただ、本能的にそうしなければならないと理解したのだ。
それはラグドだけではない。他の、マリーナを責めていた者達もまた同様だった。
「黙れ」
そうして広場の中に響き渡った声。
決して大きな声という訳ではない。
だが、間違いなくその声は広場にいる者全員の耳へと届いていた。
誰の声だ? そんな思いと共に、広場にいるダークエルフ達の視線が声の主へと向けられる。
そこにいたのは、つい先程まで自分達の長老と激しい戦いを繰り広げていた人物。
それでいながらラグドの部下に魔力を殆ど持っておらず、世界樹の治療が可能な人物ではないと、マリーナが非難される原因を作っていた人物。
そんなレイの言葉に、皆が黙り込む。
唯一長老のオプティスのみは面白そうな笑みを口元に浮かべていたが、それ以上何かをするつもりもないらしく黙ってことの成り行きを見守っていた。
「だ……黙れとは何事ですか! そもそも、貴方が魔力も持たずに世界樹の治療をする為にやってきたのが原因でしょう!」
ラグドも、少数ながら自分の派閥を率いる者だ。ダークエルフとしてそれなりに長い期間生きてきただけに、色々な経験も豊富だ。
それでも森から出たことは殆どなかった為、レイの言葉の前に立ち塞がるのは非常に精神的な重圧を感じたが、それでも部下のいる前で情けないことは出来ないと、レイに向かって叫ぶ。
その腹の据わりようは、良くも悪くもラグドらしいと言えるのだろう。
だが……そんなラグドの態度は、レイにとって余計に苛立たせるものでしかない。
だからこそ、レイは再び口を開く。
「俺は黙れと言ったぞ?」
「ぐっ!」
一段と強まる得体のしれない圧力に、ラグドは思わず呻きながら数歩後退る。
そうして後退った自分に気が付き、自分でも知らない間にレイに対して恐怖心を抱いたという事に苛立つ。
周囲にいる自分の部下達が頼るような視線を向けているのに気が付けば、ラグドにとってもこれ以上はどうしようもなかった。
殆ど破れかぶれに近いながらも、自らの中にある意思を振り絞って前に出る。
そんなラグドに一瞬レイの表情に驚きが浮かぶ。
だが、すぐに冷たい視線へと戻って口を開く。
「お前は俺が魔力がないからマリーナが連れてきた意味がないと言っていたな?」
「え、ええ」
「なら……マリーナが間違っていなかったということを、教えてやろう」
「待って! 駄目! 駄目よレイ!」
その言葉でレイが何をしようとしているのかを理解したのだろう。マリーナがレイの行動を止めようと叫ぶ。
今のマリーナには普段から持つ成熟した女が持つ余裕といったものは一切なく、ただレイの身だけを純粋に心配していた。
自分のせいで、再びレイがオードバンから向けられたような視線を受けるのかと。
そんな思いと共に叫ぶマリーナに、レイは一瞬だけ視線を向け……そして、小さくだが唇の端が弧を描き、指に嵌まっている新月の指輪をそっと引き抜いた。