1027話
「いや、本当に助かったよ。ありがとう。まさか、このあたしが盗賊に捕らえられるなんて思ってもみなかったんだ。正直、もうこのまま奴隷として売られるのかと思ってたけど……あ、ありがとう」
ダークエルフの女が、ヴィヘラの差し出したサンドイッチに感謝の言葉を述べながら、手を伸ばす。
そうしてサンドイッチを口の中に放り込みながら、女はしみじみと周囲を見回して口を開く。
「それにしても、こんなマジックアイテムの馬車を持ってるなんて、随分と凄いんだね。いや、オードバンはともかく、マリーナ様がいるんだから当然かもしれないけど」
ともかくと言われたオードバンは、呆れたように口を開く。
「あのね、ジュスラ。何だって貴方が盗賊なんかに捕まってたのよ。精霊魔法を使えば、どうとでもなったでしょ?」
「いやぁ……それがね。森の中であまりに春の日射しが気持ちよかったから、昼寝をしてたんだよ。そうして、気が付いたらもうあんな状況でね。猿轡を嵌められていたから精霊魔法も使えないし、かといってあたしは生身での戦いは、弓ならともかく近距離は苦手だしね」
「呆れた。今の森の状況は知ってるでしょ? 何でそれでわざわざ結界から出るのよ」
「あははは。ちょっとした冒険でね。でも迷いの結界からは出てないんだよ? あくまでも障壁の結界から出ただけだけ。……ま、その、ほら。何だかんだとあったけど、結局あたしの貞操は無事だった訳だし。気にしないでくれると嬉しいな」
あっけらかんと告げるその言葉に、オードバンやマリーナは呆れつつも安堵する。
盗賊達がジュスラに手を出さなかったのは、恐らく生娘、もしくは生娘ではなくても盗賊達が手を出していない方が奴隷として高く売れるだろうという思いもあったのだろうが、それでも盗賊は盗賊だ。目先の欲望に流されてもおかしくない。
そう考えると、ジュスラが無事だったのは半ば奇跡に近いものがあると言えるだろう。
「でも、食事の時はどうしてたの? 幾ら何でも昨日今日捕まえられたって訳じゃないんでしょ? なら、奴隷として売るにしても弱っていれば意味はないし、食事くらいはさせたんじゃない?」
「あはは。そうだね、食事はさせてくれたよ。……うん、こう。喉元に武器を突きつけられながらだけど」
ジュスラの言葉に、話を聞いていた全員が納得する。
精霊魔法は普通の魔法に比べて詠唱が短い傾向にあるが、それでも精霊に呼び掛ける為の詠唱の時間は必要だ。
喉元に武器を突きつけられた状況であれば、それこそ精霊へと呼び掛ける為の詠唱を口にするより喉元を斬り裂く方が早いだろう。
そして喉元を斬り裂かれれば当然それ以上の詠唱は不可能であり、精霊魔法を使うよりも前に死んでしまうのは確実だった。
「接近しての戦闘が得意だったら、もしかして何とか出来たかもしれないけど……さっきも言ったけど、弓は得意だけど近距離での戦闘って苦手なのよね」
いやぁ、お恥ずかしいと頭を掻くジュスラは、顔立ちが整っていると表現してもいいような女なのだが、不思議と女らしさを感じさせる様子はない。
「全く、だから前から言ってるでしょ。弓だけじゃなくて、接近戦の訓練もしなさいって。弓の腕は私達の中でも上の方なんだから、接近戦だってやろうと思えば出来る筈なのに」
「あははは。どうにも性に合わないんだよね。……まぁ、今回みたいな件もあったし、少しは考えようと思うけど。……それでさ、話は変わるけど」
そこで言葉を止めたジュスラは、馬車の中にいる人員へと順番に視線を向けていく。
レイ、エレーナ、ヴィヘラ、ビューネ、オードバン、マリーナ。
本来はここにアーラも入るのだが、今は馬車の御者をやっている。
そして続いてジュスラが視線を向けたのは、馬車の窓。
そこからは馬車の隣を歩いているセトと、その背で気持ちよさそうに眠っているイエロの姿が見える。
「……これってどんな集団なの?」
「あのね。私が森を出る時、長老から説明があったでしょ? あの時ジュスラもいたわよね?」
「え? えーっと……あー……うん。思い出した、思い出した。世界樹の治療をする為にマリーナ様に力を借りに行くとか何とか言ってたような」
「何でしっかりと覚えてないのよ?」
「いや、だって長老の話長かったし。それでつい睡魔に負けちゃって」
眠ってしまったんだと言うジュスラに、オードバンは心の底から呆れた表情を浮かべる。
長老の話というのは、当然のように重要なものだ。
それを眠いから寝てしまったと言われては、何と言っていいのか分からなくなる。
「あははは。ま、ほら。あまり気にしないで。どうせあたしが不真面目なのは皆知ってるしさ」
「変わらないわね、ジュスラは」
オードバンとジュスラのやり取りを見守っていたマリーナの言葉に、ジュスラは照れくさそうに笑みを浮かべる。
「えへへ。あ、でもマリーナ様から教えて貰った弓の腕は上達しましたよ。森でモンスターを狩ってる数も、あたしは上位ですし」
「そうなの? 弓を教えたと言っても、ジュスラがまだ小さい時の話なんだから、そこまで気を使う必要もないのよ」
そう言いつつも、やはり自分を慕ってくれる相手がいるというのは嬉しいのだろう。マリーナの口元には、珍しく艶を感じさせない笑みが浮かんでいた。
「えへへ。マリーナ様に教わったのは、あたしにとって大事な思い出ですから」
「そう言ってくれるのは、私としても嬉しいわね。……それでジュスラ。話は変わるけど、森の様子はどうなっているの?」
優しげな笑みを浮かべていたマリーナが、少しだけ真面目な表情になって尋ねる。
その問い掛けには、ジュスラもふざけた様子を見せず、マリーナ同様に真面目な表情になって首を横に振る。
「オードバンが出て行った時に比べると、やっぱり悪化してますね。加速度的って感じじゃないけど、それでもどうしても世界樹の結界が弱まってますから。実際、あたしが盗賊に捕まったのもそれが原因ですし。今までなら迷いの結界の内側だったのに……」
「そう」
それは、世界樹の病状が刻一刻と深刻な状態になっていることを意味していた。
そんな中、ふとレイは気になっていたことを口に出す。
「何でそこまで世界樹が弱ったんだ? いや、何かの病気になったってのは聞いてるけど、世界樹ってくらいだから色々と特別な木なんだろ? なのにこんなに簡単に弱るとは思えないんだけど」
「……私は随分と前に森を出て、それ以来戻ってないから何とも言えないけど。どうなの? 少なくても私が森を出る時の世界樹は病気になるようには思えなかったけど」
マリーナに視線を向けられたオードバンとジュスラは、お互いに顔を合わせて難しい表情を浮かべる。
マリーナが出て行ったのは百年以上も前で、その時のことを思い出しているのだろう。
だが、すぐにジュスラは首を横に振る。
オードバンはともかく、ジュスラはまだ――ダークエルフとしてはという注釈が付くが――若い。
それこそ先程の話に出ていたように、マリーナが出て行く前に弓の使い方を教えて貰った時には、まだかなり小さかった。
そんなジュスラに比べれば、オードバンはマリーナよりもダークエルフの認識ではあるが幾分か年下という立場だけに、当時のことをしっかりと覚えている。
「そうね、マリーナ様が出て行ってから暫くは世界樹も病気の類はしていなかった筈よ。ジュスラが森の中を一人で出歩くようになる少し前くらいから、少しずつ弱っていた……んだと思う。勿論本当に少しずつだったから、その時は今みたいに大袈裟な騒ぎになるとは思ってなかったけど」
「少しずつ、ね。その辺があくどいわね。短時間で急激に世界樹が弱り始めたならともかく、少しずつだと気が付きにくいもの。特に私達は長い年月を生きているだけに、余計に感じにくい」
一般的なダークエルフとは違い、外の世界を見てみたいという思いから森を出て来たマリーナだけに、その言葉には何とも言えない重みがあった。
「へぇ……ね、マリーナ様。やっぱり外の世界って色々と面白いんですか?」
好奇心に目を光らせたジュスラの言葉に、マリーナは笑みを浮かべて頷く。
「ええ。森で暮らしているのとは随分違うのは事実ね。慣れるまでは色々と大変だったけど、その辺はオードバンも理解出来るんじゃない?」
「そうね。最初に森の外に出た時には、色々と大変だったもの。まあ、それでも何だかんだと慣れることは出来たんだけど」
自分の失敗談を色々と思い出しているのだろう。オードバンは複雑な表情で呟き、改めてジュスラの方へと視線を向ける。
「それで話を戻すけど、結界が弱まってきてる以外に異変は何かあった?」
「……えっと、今まで森で見たことがないようなモンスターも見るようになってきたって話を聞いたかな」
「うん? ちょっと待った」
三人のダークエルフの話を聞いていたレイが、ふと何かに気が付いたように口を開く。
そんなレイにオードバンは一瞬だけ顔を強張らせたのだが、幸いそんなオードバンの様子に気が付いた者はマリーナしかいなかった。
(少し失敗したかしらね。レイの魔力でここまで萎縮することになるとは思わなかったわ。……いえ、これが普通なんでしょうけど)
新月の指輪を外した時のレイから放たれる魔力は、完全にオードバンを萎縮させてしまっていた。
マリーナとしては、出来ればオードバンにもレイと仲良くなって欲しいと思う。
そこまでいかなくても、せめて敵対するような真似はして欲しくない。
「森には結界が張られてたんだよな? なのに、前からモンスターが出て来てたのか?」
「ああ。それね。森と言ってもかなり広いのよ。それこそ、レイ達が最近サイクロプスと戦ったあの森よりも余程ね。だから世界樹の結界が張られているのは、あくまでもダークエルフが住んでいる場所の周辺だけよ。大体、私達だって食べなきゃ生きて行けないのよ? どうせ食べるのなら、高ランクモンスターの肉の方がいいじゃない」
モンスターの肉というのは、ダークエルフにとっても重要な食料なのだろう。
そして食べるからには、美味い肉……高ランクモンスターの肉の方がいいというのは、レイにも理解出来た。
「結界が強くて広ければ、食料になるモンスターも姿を現さない、か」
「そうよ。それに、食料以外にも素材も必要になるしね」
少数の例外を除き、基本的にエルフやダークエルフというのは人間よりも高い魔力を持つ者が多い。
当然その魔力を使った錬金術も苦手という訳ではなく、ある程度のマジックアイテムは自分達で作ることも出来る。
そうなれば必要になるのは素材であり、その素材の中にはモンスターの物も数多い。
その辺の説明を聞かされたレイは、目を好奇心で光らせる。
(ダークエルフが作ったマジックアイテムか。正直、興味がないと言えば嘘になる。……今回の件の報酬は世界樹の素材だって話だし、いっそマリーナの故郷の錬金術師にマジックアイテムを作って貰うのもありか? 世界樹の素材は扱い慣れてるだろうし)
世界樹のある場所に住んでいるというのだから、当然世界樹の各種素材を使ったマジックアイテムを作るのにも慣れているだろう。
そう判断したレイだったが、それを口にするよりも前にジュスラが口を開く。
「とにかく、森はそんな具合かな。すぐにどうこうなるって訳じゃないと思うけど、間違いなく悪化しているよ。だから、あたしとしてはマリーナ様が連れてきてくれた貴方達に期待してるんだ」
あたしのことも助けてくれたし、と告げるジュスラの姿に、それを聞いていた何人かは苦笑を浮かべる。
本来であれば、襲ってきた盗賊を倒した後はアジトに寄らずに真っ直ぐダークエルフの森へ向かった方がいいと考えていた為だ。
もしレイがその言葉を大人しく聞き入れていたら、ジュスラは未だに盗賊のアジトに捕らえられていただろう。
勿論ジュスラが捕らえられていると知っていれば、他の面々もアジトを襲撃することをあっさりと納得しただろう。
だが、そんなことは知りようがない。
それだけに、今回の件は半ば成り行き……僥倖であったとすら言える。
「……マリーナ。少し聞きたいのだが、もしかしてここから先にも盗賊達はいたりするのか? もしそうであれば、今回の件を考えると、出来る限り討伐していった方がよいのではないか?」
エレーナの言葉に、マリーナは苦笑を浮かべる。
「私に聞かれてもね。何度か話しているのを聞いてると思うけど、私は随分と前に森を出たんだもの。当時いた盗賊が今もまだいるとは思えないわ」
「それはそうか。……ではオードバンとジュスラ、お前達はどうだ?」
「どう、かしら。結界がある時は盗賊の類は何かの偶然でもない限り入ってこられなかったし、私が森を出た時には特に襲われはしなかったけど」
自信なさげに呟くその言葉に、エレーナは少し困ったようにレイへと視線を向ける。
その視線を受けたレイは、特に問題がないと頷きを返す。
「ま、盗賊が襲ってきたら順次壊滅させていけばいいんじゃないか?」
レイの言葉に、そうすれば確実だと皆が頷き、この近辺の盗賊達の運命は決まるのだった。