1008話
レイ達がスラム街で戦い始めた頃……アーラはマジックアイテム屋の前でセトと共に何をするでもなく待っていた。
元々はエレーナにここで待っていて、警備兵が来たら地下へと続く階段のことを教えるように言われていたのだが、その警備兵が全く来ないのだ。
「全く、ギルムの警備兵は優秀だと聞いていたのに……随分と来るのが遅いわね。そう思わない?」
「グルゥ……」
愚痴りながら、アーラはセトの頭を撫でる。
セトはアーラの言葉を聞いているのか、いないのか。ただ頭を撫でられる感触に目を細め、嬉しげに喉を鳴らす。
エレーナ達が地下へと続く階段を下りて行ってから、既に大分立つ。
それでも地下から戻ってこないのを考えると……
「やっぱりあの階段の先は部屋とかじゃなくて、どこかに繋がっているんでしょうね」
何度か階段の下に向かいたいと思ったアーラだったが、部屋であればまだしも、どこかに繋がっている通路であれば自分もエレーナの後を追ってしまうのは間違いない。
そうすれば警備兵が来た時に事情を説明する人物がおらず、警備兵が混乱するだろう。
「セトが喋れればいいんだけどね」
「グルゥ?」
どうしたの? と小首を傾げるセト。
セトが人間の言葉を理解しているというのは間違いのない事実だが、セトの方から人間に意思を伝えるというのが難しい。
「何でもないわ。……それにしても、この店は色々と興味深いものがあるわね」
セトを撫でつつ、アーラの視線は入り口から店の中へと向けられる。
見て分かる程に幾つものマジックアイテムと思われるものが存在しており、マジックアイテムに対してはそれ程興味のないアーラでもその数には目を奪われる。
アーラの背負っている斧もパワー・アクスというマジックアイテムではあるのだが、それよりも見るからに高価そうなマジックアイテムが幾つもある。
「その割りには武器の類が殆どないのが気になるけど……そういう店なんでしょうし」
店の中にあるのは、普段生活する上であれば便利だと思われるマジックアイテムの数々だ。
勿論その類のマジックアイテムも需要はある。
特に貴族を始めとした者達や、金持ちの商人といった者達は武器よりもこのようなマジックアイテムを好む者も多いだろう。
もっとも、信頼する部下に対してマジックアイテムの武器を渡すことも考えると、そちらを必要とする者が多いのも事実なのだが。
「あのソファとか、以前エレーナ様の家、ケレベル家に商人が同じような物を持ってきたのを見たことがあるけど、座ろうとすると最適な形に自動的に変わって、マッサージをしてくれたりするソファよ。白金貨数枚くらいしたと思うけど……」
他にも何種類か見覚えのあるマジックアイテムがあったが、中には全く見覚えがないマジックアイテムもあった。
「あのポットもマジックアイテム?」
紅茶を淹れるのが得意なアーラとしては、そのポットがどのようなマジックアイテムなのかが非常に気になる。
だからといって、まさか勝手に店の中のマジックアイテムを使う訳にもいかず、ただ見ているしか出来ないのだが。
そんな風に微妙に店の中へと視線を向けていると、やがて近づいてくる足音が聞こえてきた。
音の聞こえてきた方へと振り向くと、そこにいたのは三人の警備兵。
ようやく来た……と、アーラは警備兵に向かって口を開く。
「随分と遅い到着でしたね。もう少し早く来るかと思ってたのですが」
エレーナを追いかけることが出来ず、かなりストレスを溜めていたのだろう。本人は意図していなかったが、その口調には若干の棘がある。
それでも警備兵は、特に怒るでもなく大人しく頭を下げる。
「すみません、ちょっと問題が起きたもので。そちらを落ち着けるのに人手が必要だったんです」
「……問題?」
喧嘩腰に言葉を返されれば、アーラもそれなりに対応出来たのだろう。
だがこうして丁寧に謝られてしまえば、アーラもまた高圧的に出る訳にはいかない。
警備兵もアーラが貴族だということは知っているのか、それともエレーナの……姫将軍のお付きだというのを知っているからか、丁重に接していたのが功を奏した形だ。
もっとも、アーラは自分を貴族というよりはエレーナに仕える騎士と認識しているのだが。
「はい。その、レイ達が捕らえた容疑者が逃げ出す際に妙なマジックアイテムを使ったんです。その騒ぎで随分と人数が狩り出されることになってしまい……」
「そう」
短く頷くアーラは、それ以上警備兵を責めても仕方がないと判断する。
「それで、この店に地下へと続く階段があって、レイ殿達はもうそちらに向かったのだけれど」
「……そうですか。アーラ様は?」
「私は貴方達にこの場所を教える必要があったから待っていたの。その用事も済んだし、もう行っても構わないわね?」
「分かりました、こちらからも二人出しましょう。その地下へと続く階段の先に何があるのかは分かりませんが、レイ達が向かってからまだ何の反応もないのはおかしいですし」
「いいの?」
アーラは微かにだが驚きの表情を露わにする。
自分だけで向かおうと思っていたところに、警備兵が一緒に来てくれるというのが予想外だったのだろう。
警備兵の技量を考えれば、それ程足手纏いになったりもしないだろうと判断し、頷きを返す。
普通の街や村であれば、警備兵といってもそこまで期待出来るような強さを持ってはいないのだが、ここはギルムだ。
高ランク冒険者を含めた冒険者が数多く集まり、その冒険者が夜な夜な酒場で宴会を行い、または歓楽街にある娼館へと行く。
冒険者というのは血の気が多く、短気な者が多いので、そのような者達が騒ぎを起こすのは珍しい話ではない。
他にも依頼を終わらせて貰った報酬の分配で揉めるということも珍しくはないし、依頼で得た素材を少しでも高く売ろうと、ギルドではなく店へと売ろうとして、その交渉で揉めるのも珍しい話ではなかった。
そんな高ランク冒険者を含めた冒険者の騒動を収めるのが、警備兵達だ。
当然その実力は一定以上のものが必要となる。
それを知っていたからこそ、アーラは警備兵の動向の申し出を受け入れたのだ。
「はい。ギルムの治安を守るのが私達の役目ですので」
「そう、じゃあ行きましょうか」
アーラの言葉に警備兵が頷き、この場に一人だけを残して店の中へと入っていく。
「セトは……いえ、大きさから見て無理ですね。建物の中なら無理をすれば入れるでしょうが、その地下に続く階段は……」
「グルゥ……」
警備兵の言葉に、セトは残念そうに喉を鳴らす。
実際、扉を壊してもいいのであれば、店の中に入るのは難しくない。
それにグリフォンの希少種ということになっている以上、サイズ変更のスキルを使えば入り口を壊す必要もないだろう。
だが、地下へと続く階段の場合、その先がどうなっているのか分からない。
先行して誰かが調べるという手段もあるが、今の状況でそれを出来るかどうかと言われれば、それは難しかった。
「じゃあ、セト。私は行ってくるから、ここで待っててね」
アーラはセトの頭を撫でながらそう告げ、警備兵と共に地下へと続く階段を下りていく。
「さぁ、私を楽しませて頂戴!」
スラム街の奥にある小屋の近く。
そこでは現在、いよいよ戦いが始まろうとしていた。
レイ達の中で真っ先に敵へと向かっていったのは、当然の如くヴィヘラ。
顔中を髭で覆われている男、ダイアスへと向かい、手甲に魔力を込めて爪を生み出しつつ距離を縮める。
ダイアスはそれを迎え撃とうと、己の武器でもあるクレイモアを手にし、無表情でヴィヘラが近寄ってくるのを待っていた。
それを見たヴィヘラは、自分との戦いを受けたのだろうと判断して更に地を蹴る足に力を込め……瞬間、背筋に冷たいものを感じて大地を蹴って横へと跳ぶ。
空気を切り裂く音と共に、一瞬前までヴィヘラがいた場所へと突き刺さる矢。
「あっれー? 今のを避けるんだ。さすがヴィヘラ様、腕利きというだけありますねぇ……っ!」
感心したように、それでいてどこか煽るような言葉を掛けたアドリアは、数秒前のヴィヘラの如く地面を蹴って横へと跳ぶ。
すると、それこそヴィヘラに対して自分が放った隠し武器の矢と同じように何かがアドリアのいた場所へと突き刺さっていた。
それは、幾つもの魔術的な処置をされた鋼線で繋がっている長剣の剣先。
唯一違うのは、アドリアが放った矢とは違い、その武器を使っているエレーナが手首を返したことにより突き刺さっていた剣先が抜け、手元に戻ったことだろう。
連接剣、ミラージュ。エレーナが得意とする武器で、姫将軍の象徴とも呼ばれているマジックアイテムだった。
「お前の相手は私がしよう。……ヴィヘラを様付けしているということは、お前はベスティア帝国の出で間違いないな?」
「さぁ、どうかしらね? それにしても、あの街中での件といい今回といい……妙に邪魔ばかりするね。正直、面白くない……よ!」
長剣の柄の部分をエレーナの方へと向けたアドリアは、そのまま魔力を込める。
だが、その効果が発揮されるよりも前に、エレーナは動く。
「隠し武器というのは、一度見せた相手に効果があると思うな!」
ヴィヘラへの不意打ちにその武器が使われたのを見ていたエレーナは、アドリアの持っている武器が柄の内部の矢を魔力によって放つという効果を持つ物だと理解していた。
そして、柄の太さを考えるとそこに収納しておける矢の数は二本……どんなに頑張っても三本程度だろうと。
だからこそアドリアの機先を制するように、一気に距離を詰めようとしたのだが……
「ありゃ、残念」
ミラージュを手に近づいてくるエレーナを前に、アドリアは焦るどころか寧ろ笑みすら浮かべてそれを待ち受ける。
瞬間、エレーナは殆ど本能的にその身を翻す。
同時にアドリアの握っている長剣の柄からは矢が放たれる。
それも一本や二本ではない、三本、四本、五本……と、次々に放たれた矢は、最終的に十本を超えてエレーナへとその牙を露わにする。
「何!?」
エレーナは咄嗟にミラージュを振るい、連接剣としての特性を利用して自分の前で円を描くように振るう。
アドリアから放たれた矢は、全てがミラージュの刃によって斬り落とされ、地面へと落ちた。
「へぇ……咄嗟の反応もなかなか」
「……どうなっている? 明らかにその柄の中に入る矢の数を超えているが」
盾代わりに回していたミラージュを手元に戻し、再び長剣の状態にしたエレーナが訝しげに尋ねる。
だが、アドリアはそんなエレーナに向かって笑みを浮かべつつ口を開く。
「わざわざ敵に自分の能力を教える筈はないと思わないかな? そんなに知りたければ、自分で謎を解いてみるといいよ!」
叫ぶと同時に、柄の先端から次々に矢を放ちながら真っ直ぐにエレーナへとの距離を縮めていく。
エレーナの武器が連接剣である為、間合いは近い方が有利……と考えた訳ではなく。
「アドリア! 何で距離を詰めるんですか! その武器なら遠距離攻撃で行けるでしょう!」
マジックアイテム屋の店主、ポールが盾をレイの方へと構えている後ろで、ズボズはアドリアへと向かって叫ぶ。
叫びながらも、隙あらばベルトのガラス瓶をレイへと投げつけようとするズボズ。
「飛斬っ!」
牽制には牽制をという訳でもないのだろうが、レイがデスサイズを振るって斬撃を飛ばす。
空気を斬り裂きながら飛んでいく斬撃だったが、ポールが魔力を流すと、盾の周囲に氷が生み出される。
飛斬はその氷を斬り裂くのだが……氷を斬り裂くことにより軌道が逸らされ、そのままポールやズボズの横を通り過ぎて飛んでいく。
「氷を生み出す盾、か? ちっ、厄介な真似を」
「君が炎の魔法を得意としているというのは、情報として知っています。そして錬金術師の私が貴方のような人を相手にするのに、何の手段も講じていない訳がないでしょう? レイ……貴方にはこの世の地獄を見てから死んで貰うつもりなのですから」
ズボズの、レイを見る目にはとても一介の錬金術師が出せるとは思えない程の殺気が込められている。
それを真っ正面から受け止め、レイはデスサイズを肩に担ぎながら疑問を抱く。
(何でここまで俺を憎んでるんだ? あの錬金術師とは、間違いなく初対面だ。だとすれば、やっぱり去年の春に起きた戦争か、それとも秋に起きた内乱か……さて、どっちなんだろうな)
それ以外にも、ベスティア帝国の刺客と戦ったこともあるし、謀略を知らずに阻止したこともある。
レイはベスティア帝国の、ミレアーナ王国に対する強硬派にしてみれば疫病神としか言えない存在だった。
結局自分が恨まれている理由が分からなかったレイは、正面から尋ねることにする。
「それで、お前は随分と俺を恨んでるようだが……初対面だよな? 何だってそんなに俺を恨んでいるんだ」
「お前が……お前が、カバジード殿下の仇だからに、決まってるだろう!」
普段の丁寧な口調を吹き飛ばし、憎悪に塗れた声でズボズはそう叫ぶのだった。