1006話
スラム街を進むのは、先頭からエレーナ、レイ、ビューネ、アジモフ、ヴィヘラという順番となった。
まるでダンジョンに潜っている時のようだというのは、ヴィヘラの感想だ。
実際、こうしてエレーナを先頭にして歩いていても、モンスターという訳ではないがスラム街の住人がレイ達の様子を窺っているのがレイやエレーナ、ヴィヘラ、ビューネには理解出来る。
実戦経験の殆どないアジモフだったが、それでも周囲の状況が色々と不穏なことになっているというのは理解していた。
そんな具合でスラム街を歩きながら、ヴィヘラは前を進んでいるアジモフに声を掛ける。
「戦闘に自信がないのなら、さっきの地下道を通ってマジックアイテム屋に戻っても良かったのよ? 何でわざわざついてきたの?」
「お前達が追っているのは錬金術師なんだろ? なら、俺の知識が役に立つことがあるかもしれない……ってのは、表向きだな。実際にはその錬金術師が持ってるだろうマジックアイテムや素材に興味があるからだよ」
「……随分と正直なのね。けど、マジックアイテムや素材なら、さっきの店にも沢山あったと思うけど?」
ヴィヘラの口から出たのは事実だったが、必ずしも真実であった訳ではない。
それを知っている……いや、予想しているアジモフは、鼻を鳴らして口を開く。
「そうだな、あの店や地下室にはマジックアイテムや稀少な素材も色々とあった。だが、本当に稀少なマジックアイテムや素材といったものは、恐らく俺達が向かっている錬金術師が持ってるんだろ?」
「それはそうでしょうけど……錬金術師の捕縛を要請されている以上、その錬金術師が持っている素材やマジックアイテムの類も恐らく一時的にはダスカー殿に引き渡すことになるわよ?」
そもそも、今回の件はモンスターにマジックアイテムを与える者がいるというのが発端だ。
それを行っていただろう錬金術師なのだから、当然そのマジックアイテムには何らかの秘密がある筈で、それをダスカーが他人に渡すとは思わなかった。
「……分かっている」
言葉では納得しているが、その視線の中に不満そうな色があるのをヴィヘラは見逃さない。
「言っておくけど、私はレイと違って貴方とはまだ殆ど話したことはないわ。つまり、信頼関係を結べる程に長い付き合いじゃない。妙なことを考えるようなら、色々と後悔する羽目になるわよ?」
言い終わると同時に手甲へと魔力を込めると瞬時に手甲から長い爪が延び、アジモフの顔の横を通り過ぎる。
あからさまな脅しではあったが、その脅しをされたアジモフは全く懲りた様子もなくヴィヘラの手甲へと視線を向け、感心したように呟く。
「へぇ、かなりの業物だな。魔力によって爪を作り出すとか、また珍しいものを。しかもこれ以上ない程腕に嵌まっているのを見ると、既製品じゃなくて錬金術師に直接作って貰ったマジックアイテムだな?」
「……ええ」
脅されているというのに、本人に全くその自覚がないというのは非常にやりにくい。
寧ろ喜ばれるのだから、ヴィヘラにとっても脅す意味はない。
「取りあえず、妙な考えは起こさないことね。錬金術師の件にしても、イエロの件にしても」
エレーナのすぐ側を飛んでいるイエロの姿を見ながら告げ、それ以降は周囲の警戒に専念する。
「それにしても、随分と血の気の多い奴がいるな」
呆れたように呟くのは、エレーナの後ろを進むレイ。
スラム街の住人が何人か襲い掛かろうとする様子を見せたのだが、その度にレイは殺気を込めた視線を向けて牽制している。
暴力の絶えないスラム街という場所にいるだけあって、レイの放つ殺気に対する住人達の反応は素早かった。
自分達では絶対に勝てないと判断して手を出すのを諦める。
極上の獲物を前にして手が出せないという、そんな状況。
隠し通路から出た時に襲ってきた者達にも同じ対応をすれば良かったか、と今更ながらに少し考えるレイだったが、何となくあそこで殺気を飛ばしても襲い掛かられたような気がしていた。
そんな中の数人がその場から逃げ出したのをレイは感じ取っていたのだが、実力差を感じ取って逃げ出したのだろうと判断する。
「ま、こっちの邪魔をしなきゃどうでもいいんだけど、な!」
言葉の途中で、レイは手を伸ばす。
顔面目掛けて投げつけられた石は、その役目を果たすこともないままレイの掌の中に収まっていた。
「ふっ!」
鋭い呼気と共に、掌の中にあった石を飛んできた方へと向かって手首の動きだけで投擲する。
レイへと投げられた時とは違う、空気を切り裂くかのような速度で飛んでいった石は、数秒前にその石を投げた持ち主の胴体へとぶつかり、肋を砕く。
まともにやり合っても勝つことは出来ない。そうである以上、遠距離からレイ達の攻撃が届かないように攻撃するという手段を選んだのだろうが……残念なことに、レイを相手にその選択肢は悪手でしかなかった。
もっとも、レイが得意としている槍の投擲を行われなかった分、幸運だったのかもしれないが。
「で、エレーナ。目的地まではどのくらい掛かるんだ? このまま襲撃されるかどうかってのを心配しながら移動はしたくないんだけど」
石の投擲をしてきた相手があっさりと返り討ちにあった為だろう。同じようなことを考えていた者達の動きも止まり、現在はスラム街の住人がレイ達を遠巻きに包囲している状況のまま移動するという、妙な状況になっていた。
スラム街の住人もレイ達を襲うのを諦めた訳ではなく、現状のままだと自分達の方に被害が大きいので様子を見ている状態だった。
これは別に諦めたという訳ではなく、機会を窺っているといった方がいいだろう。
それでも最初よりは大分安心出来る状況になったのでエレーナに尋ねたレイだったが、それに戻ってきたのは、少し困惑した表情のエレーナという珍しいものだった。
「イエロはあの女を空中から追跡していた。だからこそ見つからなかったのだが……」
「ああ、なるほど」
エレーナの言葉を聞き、真っ先に納得した声を出したのはヴィヘラ。
「地上と空からだと、色々と違うということでしょう? それも、このスラム街のように迷路のようになっていれば」
「そうなる」
その説明に、レイもまた納得する。
スラム街ということが影響しているのか、ここに建てられている建物はおよそ計画性というものがなく、無秩序に建てられている。
恐らく自分にとって少しでも便利な場所にという理由が大きいのだろうが、その結果スラム街はヴィヘラが口にしたように半ば迷路のようになっていた。
「となると、道案内が必要か。しまったな」
レイが微かに眉を顰めたのは、先程自分が投げられた石を受け止め、そのまま投げ返したからだ。
その結果、スラム街の住人にとってレイは警戒すべき相手として認識された筈だった。
……もっとも、それは非常に今更感が強いのだが。
殺気を放ってスラム街の住人を牽制していた時点で、既にレイは警戒されていたのだから。
「仕方がないわね。……ビューネ、お願い出来る?」
「ん」
この中で最も隠密行動に長けているビューネにヴィヘラが頼むと、ビューネは短く答えてその場を後にする。
「ヴィヘラ、ビューネはどこに行ったのだ? このスラム街でビューネのような子供が単独行動をすると、面倒な事態になるぞ?」
「大丈夫よ。ビューネはちょっと道案内を探しにいっただけだから」
心配そうに尋ねるエレーナに、ヴィヘラは笑みすら浮かべてそう告げる。
今自分達の様子を窺っているような者に、ビューネがどうにか出来る筈はないと理解している為だ。
それは当然エレーナも理解していたが、自らの相棒とビューネを見ているヴィヘラと違い、エレーナはビューネの実力を認めつつも、保護すべき相手という認識を持っている。
……もっとも、これはどちらが正しいという訳でもない。
その実力を認めているのは同じでも、一般的に見れば十歳程度の少女を相棒と考えるのが少々異常ではあるが、冒険者の中には幼少の頃からその頭角を現す者も多いのだから。
そして事実……
「ん」
物陰から姿を現したビューネは、一人の男を連れていた。
スラム街に住んでいる為か、身体からはすえた体臭が漂う。
髭もまるで剃っておらず、髪も伸ばし放題になっており、身体には垢が付着してすらいた。
そんな男が、自分の太股に短剣の切っ先を突きつけられた状態で怯えた視線をその場にいるレイ達へと向けている。
この男もレイ達を包囲していた者の一人なのだが、レイがどれだけの力を持っているのかというのをその目にした以上、こうして目の前に引きずり出されては生きた心地がしない。
少しでも自分を弱く見せる為に、怯えた表情を作りながら口を開く。
「な、な、何だよ。俺をこうして捕まえてどうするつもりなんだ? 言っとくけど、俺は金なんか持ってねえぞ」
その言葉に、ヴィヘラがレイへと視線を向ける。
何を言いたいのかを嫌になるほど理解出来たレイは、そのまま一歩男へと近づく。
この中で男との交渉……という名の脅しをするには、自分が一番適任だと自分で理解していた為だ。
殺気の件もそうだが、先程の石を受け止め、即座に投げ返した件もある。
普段であれば侮られるレイだったが、実力を見せた後はその小柄さ故に不気味に映るのは当然だろう。
「さて、お前には二つの選択肢がある。一つは俺達の用件を断り、この場でその命を散らすこと」
レイが呟くのと同時に、ビューネが短剣の切っ先を微かにではあるがその足へと埋める。
針で刺されたような痛みではあったのだろうが、レイの前に引っ張り出されて緊張している男にとってはそれで十分な刺激だった。
「ひぃっ! な、何だ! 何をしたいんだよ!」
その怯えは半ば演技でありながらも、半ば本気でもあった。
だが、レイは隙あらば自分達を襲おうとしていた相手に対して優しく接するような慈悲の心は持っていない。
「もう一つは、大人しく俺達の要望を引き受けて……」
ミスティリングから取り出した銀貨一枚を目の前の男へと見せつける。
「この報酬を貰うか、だ」
銀貨一枚というのは、普通にギルムで暮らしている分にはそれ程高額という訳ではない。
それこそ低ランク冒険者であっても稼げるだけの金額だった。
だが……それがスラム街となれば、話は違う。
銀貨一枚あれば、それだけで殺し合いが起きてもおかしくないだけの価値を持つ。
そんな代物が目の前に差し出され、更に断れば殺すと脅されている以上、男が取るべき選択肢は一つしかない。
「貰う! 何でも言ってくれ、俺が出来る限りは……いや、出来なくても何とかして見せるから!」
レイが予想していたよりも、遙かに強力な食い付き。
一瞬驚きの表情を浮かべたレイだったが、向こうが乗り気であるというのは余計な説得や脅迫の手間が省ける。
「エレーナ、イエロが見た場所を」
「分かった。私達が行きたい場所は、一軒の小屋だ。外見はかなり古いが、中はしっかりと手を入れられている作りになっている」
男はエレーナの美貌に一瞬見惚れるが、銀貨を貰う為にとすぐに我に返って頭を働かせる。
だが、それだけの情報で探すべき場所を特定するのは難しい。
「えっと、他に何か手掛かりになるようなものはないのか? 具体的な小屋の形とか、周辺に特徴的な何かがあったとか」
「ふむ、そう言えば周囲には殆ど建物がなくて、広場のようになっていたな。それに……」
イエロの記憶の中にあった建物の周囲の様子を告げるエレーナに、男は最初頷いていたものの、次第にその顔色は青くなっていく。
何故なら、その場所を知っているからだ。
いや、正確にはそこに化け物のような強さを持つ者がいるというのを知っていた。
以前何かの拍子にその建物を襲撃しようとしたスラム街の住人二十人あまりが、たった一人の男に全て斬り殺されるのを男は見てしまったのだ。
襲撃が終わった後で、もしかしたらまだ何か使えるものがあるかもしれないから漁ろうと考えていたのだが、その時のことは男の中に深い傷となって存在していた。
銀貨は欲しい。けど、それより命が大事な男は、断ろうと口を開こうとし……だが、先程レイの口から出た言葉を、死ぬかどうかという言葉を思い出す。
「その、あんた達が行こうとしている場所は知ってるけど、そこは危険な場所なんだ。だから、その……近くまで案内するから、それで勘弁してくれねえか?」
「危ない?」
疑問を持ったレイの言葉に、男は何度も頷く。
「そうだ。その建物を守ってる男は俺なんかとは桁違いの強さを持ってるんだ。だから、な? 頼むよ」
「建物を守ってる男、か。どうやら戦うべき相手がまだいるようだな」
エレーナが呟き、その言葉にレイも頷きを返す。
ヴィヘラは強い敵と戦えるかもしれないと聞いて嬉しさに笑みを浮かべ、ビューネはいつものように特に何を感じている様子もない。
アジモフは我関せずを貫き……こうしてレイ一行は目的地となる建物の側までという約束を取り付け、男の案内に従って道を進むのだった。