第四十八話
「水の音?」
立ち止まったまま耳を澄まし、ゆっくりと頭を左右に向けてその音がどこから聞こえてくるのか探る。
今現在、水の入手に関しては友ちゃんに頼めば何時でも手に入るので困っていないが、川は別の理由で是非とも発見したい。
食料としての魚や海老、蟹が手に入る可能性があるからだ。
手元には釣り道具も網も無いが、それでもまずは川の存在を発見し、そこに食べられる生き物が居るのかどうかを確認しておきたい。
一応、一つアイデアもあるのでそれが巧く実現できるなら川に魚がいさえすれば捕まえる事も出来るんじゃないかと思っている。
真っ黒な下生えのなかを掻き分け、水音がする方向へと向かって歩きにくい腐葉土を踏みしめながら斜面を進む。現金な事に、さっきまで重く感じていた足もなんだか今は軽く感じる。
「魚、海老、蟹……焼くか鍋にするか、それが問題だ」
心なしか周囲の湿度も上がってきている気がするので川が近いのかもしれない。
既に俺の頭の中では、捕まえた魚をどうやって料理して食べるか、そんな事ばかり考えてしまっている。
歩いているうちに聞こえてくる水音がますます大きくなってきた。
うきうきしながら川を求めてきょろきょろと辺りを見回すがまだ見えない。
今歩いている場所は、向かい側に同じような斜面があり、丁度小さなVの字の谷間のようになっている。
水音はこの辺りから聞こえてくるので近くに川があるのは間違いないと思うのだが、下生えが黒いのと木々の作り出す影の所為で川がどこにあるのか良く分からない。
「川はどこだ?」
川がもう少し開けた場所に有ってくれたらよかったのに。
そんなことを考えていたら枯れ枝を踏み砕いたような感触とともに、ふいに足元の感触が無くなった。
「うお、うわぁああああ!?」
数瞬の浮遊感の後、足元を踏み抜き空中に投げ出された俺は次の瞬間ドボンという音とともに足先から真っ暗な水中へと飛び込んでいた。
目を開けても何も見えず、水流の中で上下の感覚も無く、洗濯機に放り込まれた洗濯物のように体ごと無茶苦茶に回転させられる。
突然の事にパニックを起こしてしまい、手足をでたらめに動かして何かに掴まろうとしたが何もつかめず、動いた所為で息が続かなくなり空気を求めて口を開けると、口の中から逃げ出した空気の代わりに入ってきたのは当然空気ではなく水だった。
体は条件反射で水を吐き出そうとしてむせるが周囲に空気が無い状態でそれは逆効果でしかなく。
しかも、水温が低くて手足の先が段々痺れてくる。やばい。これはやばい。
(誰か、助けてくれ!)
心の中で助けを求めて叫んだ時、友ちゃんが応えてくれた。
『助けてくれ。
が、理解できない。
具体的に提示せよ』
その声で俺はどうにか理性を取り戻し、領域を展開してもらって領域内の水を空気へと置換してもらい呼吸する事を思いついたのですぐさま指示を出す。
(今すぐ領域を展開して領域内の水を空気へと置換してくれ!)
『了解した』
一瞬で顔の周りから水が無くなり「助かった」と思った次の瞬間、俺は何故かまた水没していた。
(違う! 次に指示を出すまで領域内の水を空気へと置換し続けてくれ!)
どうしても自分の常識で友ちゃんに指示を出してしまう癖が抜けない。
だが、出した指示の一体何が間違っていたのかがすぐわかるようになってきたのは進歩といってもいいだろう。多分。
――友ちゃんが連続して領域内の水を空気に置換しているおかげで、俺の頭を覆う領域に入ってきた水は次々と空気へと変換されていく。
「げほ、うげっほ、ぐおええ……」
俺はさっき少しだけ飲み込んでしまった水をむせながら吐き出し、吐き出した水の代わりに今度は必死で空気を吸い込んだ。
しかし、状況的には相変わらず川の流れに翻弄されているままで、そうしている間にも体ごとどんどん流されている。
何とかしたいのは山々だが、もう一つ困った事に、領域に侵入する水を空気に変換しているのが原因なのかさっきから頭が川底に向いて落ちていく。
頭側が水の浮力を受けられない状態になってしまった所為だろうか?
領域が風船のようにしっかりとした実体のある物だったなら逆に浮力を得て頭部が浮かんだのだろうが、今は領域に触れた水は片っ端から空気に変換されているだけで変換後の空気に関しては当然のように水面を目指してどんどんと上昇していく。
まあ、おぼれて苦しむよりは何倍も状況はマシになっているので文句も言えないが、このままだと頭に血が上るのと、川底で頭を削り取られそうな予感がして恐ろしい。
頭側が水流の抵抗を一切受けないので抵抗を受ける足が下流側になり頭が下になるという一応の安定した姿勢を取れるようになったのだけは不幸中の幸いだろう。
俺は頭が川底に衝突し無い様に両手で頭部を抱えるような姿勢で暫く水流に身を任せた。
とりあえず助かった……友ちゃんには感謝しないといけないな。
どうにか、呼吸できる空気を確保できた俺だったが、今度は水温の所為で体温が下がり、寒くて寒くて仕方が無い。
俺は乾いた川底に頭を庇った腕や肘を擦りつけられながら足を水流に引っ張られるという稀有な体験をしながら、西部劇かなにかで見た気がする人間を馬に紐で縛り付けて引きずる拷問はこんな感じだろうかと馬鹿な想像をしていた。
多分、ここの川底の石が丸い物ばかりであまり痛くは無かったおかげで余裕があった所為だろう。
川に落ちてからの時間はあっという間の出来事だと思っていたが、実際は結構な時間が経過していたようで、だいぶ下流まで流されてしまったみたいだ。
いつのまにか川の流れは緩やかになり、さっきまで頭上を覆い隠していた草木の天井も無くなり明るい中で見る川は大して深くも無く立ち上がれば腰の高さ程度までしか水が無いような水量だった。
しかし、流れる水は湧き水なのか冷たくて、川から上がりたいのに冷え切った体は思うように動いてくれないし流水の中にある下半身の感覚もなんだか痺れたような感じで非常にまずい気がする。
このままではやばい……。
本当ならこれは、魚を取る時に試そうと思っていたアイデアなのだが今使おう。
友ちゃんに最大サイズの領域の展開をお願いし、その中の水を連続で空気に置換してもらうよう指示を出す。
すると、川を半透明な黒い幕で遮ったみたいに俺の周囲の空間だけ水が無くなり、浮力を失った俺は川底にぼてっと落っこちた。
「あ、いてっ」
落下距離は大したことが無かったが落っこちる事を予測してなかった所為で思わず驚いて声が出た。
まあいい、暫くこのまま日差しに当たって体温を上昇させよう……。
元々このアイデアは、川で魚を見つけたら友ちゃんに頼んで今みたいに最大サイズの領域を展開してもらい、その中の水を空気に置換してもらえば魚が取り放題なんじゃないかと思って考えた物だが、意外なところで役に立った。
実際、こうやって試してみると分かるが、このアイデアは実用的で素晴らしい。
今まで色々と友ちゃんに頼むたびにとんでもない失敗を繰り返してきたが、友ちゃんに物事を頼む時のコツのような物を俺もどうにか学習出来たようだ。
不思議な事に先ほど盛大に吐き出した水や気管支に水が入った所為で激しくむせてしまい垂れ流しになっていたはずの鼻水と涙はいつの間にか綺麗に消えてなくなっていた。
川は相変わらず流れているが、今は俺の周りだけ水の入ってこない空間が出来ている所為で周囲を水のドームに囲まれているような状況だ。
寝転んで上を見ていると、ドームの上のほうは水面より領域の方が高いので空がそのまま見えていて、ドームの中は埃が舞っているのか微細な粒子がキラキラと日差しを反射している。
一寸埃っぽいのが気になるが、日差しが暖かくて気持ちが良い……。
そういえば、折角用意してきた色々な装備が全て水に持っていかれてしまった。
今の俺はまたもや全裸状態だ。
まあ、布に関しては望めばすぐに手に入るわけだし、状況的にはそれほど悪い物でもないが。
そんなことを考えながら暫く体を温めるためにボケーッと強制的に水が無くなった川底で日向ぼっこをしていた。
するとなぜかたまに「カサッ」という音がする。
気になって音がしたほうを見ると埃が……ぽわっとそこに舞っている。
……何だ? これは?
というか、領域内が段々埃っぽくなってきていて息がしづらい。
体が温まるまではまともに動けそうに無いのでこの不思議な現象も気にはなったが調べる余裕が無く、取り合えず色々なところをきょろきょろと目だけで観察していたら目の前で恐ろしい事が起こった。
自分に実害が無かった所為で今まで気が付かなかったが、この領域の働きは非常に危険な作用を発生させていたようだ。
魚が……そう、この川には待望の魚が居てくれたんだが、それが領域に飛び込んだ瞬間カリカリの干物になり、自由落下して川底に落ちた瞬間に粉々に砕け散ってしまった。
さっきまで聞こえていた音と、領域の中がどんどん埃っぽくなっている理由はこれだったようだ。
「……うそーん」
つまり、今友ちゃんに作ってもらっているこの領域は、指示通り領域に入ってきた水(H2O)を全て、生物非生物を問わず空気へと常時置換してしまっているという事だ。
事前に「俺」という存在を友ちゃんの物質変換の対象から外していなかったとしたら今頃俺も干からびたミイラになっていた事だろう。
恐いよ友ちゃん……。
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