第十四話
うげっがぼっ、ぶばばば。
な、何だ!?
うっぷ、げほっぐは!
やめろ! 冷たい!
っていうか痛い!
やめろって!
誰かが俺に冷水をかけている。
いや、かけたというより勢いが強くてぶつけられてると感じる。
ホースの先を絞って勢いをつけたような、かなり勢いの良い水流を顔面に受けて意識が覚醒した。
冷水に驚いて顔の前で手を振り回して暴れたら唐突に水は止まった。
なんなんだ! 一体!?
怒りと驚きで、水が飛んできた方を見ると、小屋の入り口から去っていく兵士の後姿がチラッと見えた。
その段階でようやく「付いて来い」の命令に気づいた。
多分、命令を出しても俺が小屋から出てこなかった所為で、様子を確認しに来た兵士が小屋の隅で寝ている俺に気が付いて起こす為に水を掛けた?
ここにはタオルも何も無いので、手のひらで大雑把に水をぬぐった後、濡れた犬がやるみたいに頭をぶるぶる振って水滴を飛ばす。
辺りを見回すと既に小屋の中に残っているのは俺だけだった。
いきなり水を掛けられて起こされた所為で状況が把握できなかったが、ひとまず側においてあった机の脚と、昨日一生懸命作った布っぽい何か……これは幅も狭いしもう帯でいいか。
とりあえず、右手に机の脚、左手に帯を持って濡れた地面の上を転ばないように急いで入り口に向かう。
やべえ、寝坊したのか俺は?
こんな目立ち方はしたくなかったんだがやってしまったものは仕方が無い。
慌てて小屋を飛び出した。
小屋を出て、外に居る裸のお仲間を見れば、なぜか全員ずぶぬれになっていた。
なんとなく昨日と同じように人数を数えると20人……あれ?
顔を覚えていないので、昨日帰ってこなかった奴が今も居ないのか、それともそいつが帰ってきた代わりに別の誰かが居ないのか判断は付かないが、今の時点で人数は昨日よりも一人減っている。
そして、廻りには、多分昨日と同じ顔ぶれの兵士達。
相変わらず目元しか見えないので確証は無いが、だらけた雰囲気といい昨日と同じ兵士達だと思う。
何だこの状況?
水をぶっ掛けられた所為か、鼻が詰まって息がしにくかったので、手の甲で鼻をこすろうとしたら、鼻に何かが詰まっているような違和感があったのでようやく思い出した。
そうだ、昨日の夜、小屋の中で……。
そこまで考えて今の状況がようやく理解できた。
全員ずぶぬれなのは多分兵士がクソまみれのこいつらを見かねて汚れを落としたってことじゃないか?
寝てるところにいきなり水ぶっ掛けるとか、やり方は最悪だがこれでようやく少しはマシになるか。
あ、でも小屋の中の汚れは誰が掃除するんだ?
そんなことを考えながら、鼻の中の邪魔な詰め物を外して地面にぽいっと捨てる。
途端に溜まっていた大量の鼻水がだらーっと出てくる。洟垂れ小僧か俺は……。
誰が小屋を掃除するのか気になり、小屋のほうを振り返るとそこに小屋は無かった。
……
はあ?
思わず手のひらでまぶたの上から目をこする。
再度見直しても、ついさっきまで俺がいた小屋はそこには無かった。
え、なにこれ?
何がおきたの?
小屋があまりにぼろかったからとうとう倒壊した、とかそんな話ではなく、そこには少し濡れた地面が、いや、地面しかなかった。
元々小屋なんてここには無かった。といわれれば信じてしまいそうなほど何も痕跡が無い。
壁のあった位置も地面に溝があるわけじゃなく、単にそこで雑草が途切れているだけ、ああ、痕跡はあった。
雑草がまるで小屋があった場所はここですよとでも言うふうに綺麗に境目を表している。
つまり、小屋は俺が飛び出してほんのわずかの間に消滅してしまったのだ。
愛着があったわけでも、大事な物を置いていたわけでも無いので、クソまみれの小屋自体がなくなるのはどうでもいいのだが……って、まて! 皿と塩は!?
俺の皿と塩!!
あわてて、元小屋だった場所の、いつも俺が定位置にしていた場所の辺りへ走りこむ。
無い!
どこにも無い!
置いてあった皿も、今朝までは確かに有った筈の草も、全てが消えていた。
右を見ても左を見ても綺麗に整地されたような平らな地面しかない。
あのクソまみれの床も、少し湿っているだけで何も無かったみたいに綺麗になっていた。
思わず四つんばいになって地面にうなだれる。
俺の……。
目の前の異常事態よりも、折角手に入れた、手に入れたばかりだった皿と塩がどうやら失われてしまった事の方が俺にはよほどショックだった。
何か一言文句を言ってやろうと思い四つんばいのまま首だけで後ろを振り向くと、さっきまで空き地だった小屋の前の空間に新しい小屋が建っていた。
ぽかーん。
ははは、なんだこれ。
もう、こういうものだって無理にでも納得するしかない。
ここでは、建物はいきなり出現するし、いきなり消える物だ。と
昨日の水瓶も多分これと同じ技術(?)なんだろう。
そして、それを兵士が好きなタイミングで実行できる。と
どうなってるんだ!
オーバーテクノロジーどころか、これじゃあまるで御伽噺の魔法じゃないか!
……
魔法!?
……荒唐無稽な話だが、なんだか凄くしっくり来る。
頭の中で、足りなかったパズルのピースがぴたっとはまったような感触がある。
俺の知っている現代科学では一切説明できそうに無いここ最近の出来事の数々。
思考放棄だ! と、もしかすると言われてしまうかもしれないが、俺は別に科学を宗教のように妄信するつもりも無い。
目の前で起こった現象を科学で説明できないなら、それは魔法じゃないか? というのもずいぶん乱暴な考え方だが、今の現象は俺の中ではまるで魔法をつかった出来事のように感じた。
誰かが肯定してくれる必要も無い、それに、ここには話し合える誰かも居ない。
俺しか居ないのだから俺が信じた事が俺にとっての真実だろう。
勿論、何日も続く連続した夢を見ているという可能性もゼロではない。
単純に技術レベルが違いすぎて俺の目に魔法のように見えているだけという可能性だって当然ある。
江戸時代の人に、現代科学が作り出した製品は魔法にしか見えないだろう。
この問題の答えは待っていても誰も出してくれない。
なので、俺は俺の出した答えを信じよう。
ここは魔法のある世界で、俺はどういったわけかそこに紛れ込んでしまったんだ。
四つんばいのまま呆然としていたら首輪からチリチリとした痛みが走ってきた。
いつの間にか兵士達が移動を開始したようだ。
そうだ、今は「付いて来い」の命令が出ていたんだったな。
今は思考を停止して兵士たちについていこう、考えるのは後で良い。
朝飯抜きでふらつく身体に鞭打って、立ち上がる。
机の脚と帯は左手にまとめて持った。
ついでに、目の前の草を少しむしって口の中に放り込んで兵士たちについていく。
歩きながら、もぐもぐ口を動かす。
ひたすら苦いが、我慢してかみ続ける。
歩いているうちに先ほど掛けられた水は殆ど乾いてくれた。
これが原因で風邪を引かなければ良いが。
かめばかむほど苦さが刺激になって唾が沸いてくるのでそれを飲む。
そのうち口の中は繊維だけになったので唾液と一緒にそれを無理やり嚥下した。
歩いている途中、草が生えているところを通過する時はちぎって口に放り込む。
生の草をひたすら食い続けている所為でだんだん舌が麻痺して味がわからなくなってきた。
おっと、どうやら目的地に着いたようだ。
場所は昨日と同じ、だと思う。
あの釣り上げ式の扉のところだ。
さて、今日は何をさせられるんだ?
どうせろくな事じゃないだろう。と思いながら兵士たちについていく形で扉をくぐった。
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