第二章「転校」 その三
月曜日、今日から通常通りの授業が始まろうとしていた。
節子は、いつも以上に気持ちを引き締めて、教室に向かった。
短縮授業の間は、まだまだ〈夏休み気分〉の抜けなかった子供達に、気持ちの切り替えを
させなければならなかった。
節子が教室に入ると、子供達は、慌てたように席に着いた。
日直の子供が「起立」と声をかけると、全員が一斉に立ち上がった。
「礼」
「おはようございます。」元気な子供達の声に、節子は、笑顔で応えた。
「はい、おはようございます。みんな元気?」
「はーい。」「おー。」子供達からは、口々に元気な声が帰ってきた。
「ようし。今日からは、六時間授業だからね。健太君、お昼で帰っちゃだめよ。」
節子が一番前の席のやんちゃそうな子供に向かってそう言うと、子供達が一斉に笑った。
「帰らないよ〜」健太と呼ばれた子供も、そう言って嬉しそうに笑っていた。
みんながもう一度笑ったところで、節子が言った。
「健太君が帰らないなら、大丈夫ね。それじゃあ、今日も元気にやりましょう。
出席をとるから、いつも通り、元気に返事してよ。」
節子は子供達一人一人の顔色を見ながら、いつも以上にゆっくりと出席をとっていた。
節子はそうして、子供達の体調などを、朝の返事の声から判断していた。
男子児童の分が終わり、女子児童の半分が終わろうとした時、教室の入り口が
ほんの少し静かに開いた。
扉がゆっくりと半分ほど引かれた後、さらに半分が開けられた。
節子は、すぐにはその異変に気づかなかった。
入り口の近くに座っていた女子児童の一人が、〈きゃっ〉と小さな叫び声をあげ、
急に席を立った。
節子はギョッとして、声の方を見た。
ジャージ姿の若い男が、いつの間にか、そこに立っていた。
「あっ!」
節子がそう声をあげたのは、正体不明の男を見つけたからか、それとも、男の手に光る
ジャックナイフを見たからなのか。
とっさに叫んだ。
「誰?何の用ですか!出て行きなさい!」
男はその声を無視するように、入り口からじっと教室の中を見回した。
「きゃー」
「うわあ〜」
事態の異様さに気づいた子供達が、そう口々に叫んで、教室の後ろの方に向かって、
逃げ出した。その後を追うように、節子も教室の後ろへ向かって走った。
子供達の叫び声が教室中に響いた。
「みんな、逃げなさい。」
節子は教室の後ろ側に向かって走りながら、出入り口を指さした。
扉の近くにいた男子児童が、真っ先に勢いよく飛び出した。他の児童も続いた。
その時、ジャージの男が、教室の中程に躍り込んできた。
廊下側の席の児童は、既に教室の外に逃げ出していたが、窓側の席の児童は、
身動きが出来なくなった。
教壇から向かって、右の奥の角を背に、十人ばかりの児童が残された。
節子は、残された児童を背中に庇うように立つと、男に向かって叫んだ。
「何をするの?早く出て行きなさい。」
そう言って、今度は天井に向かって叫ぶように、
「助けて〜」と大声を出した。
男は一瞬驚いたようだったが、すぐに、
「うるさい。」と短く言った。
男が初めて発した声だった。
妙に落ち着いたその声を聞いて、節子は、初めて本気で恐怖を感じた。
ジャックナイフが、窓からの光に、キラッと鈍く光った。
恐怖で足が震えた。震えはすぐに身体全体に拡がった。
もう一歩も動けない気がした。
「きゃー」節子の後ろで、子供達が、泣き叫んだ。