第一章「家族」 その二
翌日の月曜日、地元の小学校へ行った。
あらかじめ萩の小学校から連絡を入れてくれていた。
校長と、絵美の担任になる予定の女性教師に会った。
込み入った事情を、出来るだけ手短に話した。
〈気持ちの明るい子ですが、あまりにめまぐるしく環境が変化していますから、
その点が心配なのです。どうかよろしくお願いします。〉と頼んだ。
校長も、担任も、快く引き受けてくれた。
担任の女性教師が信頼できる人柄であることは、少し話しただけで解った。
帰ってから、菜美と〈あの先生なら安心だね。〉と話した。
四日間を俺の部屋で過ごして、菜美はまた萩に戻っていった。
二十日の終業式を終えたら、絵美と一緒に引っ越して来る予定にした。
夏休みは、三人で、ゆっくりと過ごすつもりだった。
ちょっとした旅行も計画していた。
二十一日の午後、菜美は絵美と一緒に、俺のマンションにいた。
絵美に会うのは、まだこれが二度目だった。
「こんにちは。今日からここで、一緒に暮らすからね。よろしく。」
そう言って俺は、かなりぎこちない面もちで挨拶をした。
「はい。よろしくお願いします。」
絵美はそう言うと、ペコッとお辞儀をした。
小学四年生の少女の方が、余程落ち着いて、しっかりしていた。
それから、夏休みが終わるまでの四十日間を、俺は出来るだけ多くの時間、
三人で過ごすようにした。
仕事の予定は、極力詰めて、あちらこちらへ出掛けた。
遊園地、海水浴、白浜温泉への旅行。
絵美の大好きなプールは、近くにあったから、何度も出掛けた。
初めは、緊張していた俺も、絵美の子供らしく明るい性格に助けられ、
短い間に、ほとんど奇跡的なペースで、うち解けてることが出来た。
菜美はそんな俺に
「あなた、ありがとう。でも、お仕事、無理しないでね。じっくりでいいのよ。
絵美はあなたが好きなのよ。だから、大丈夫よ。」そう言って気遣った。
俺は、決して焦っていた訳ではなかった。だが、一つだけ気に掛かっていた事があった。
それは、絵美が俺のことを、どうとも呼ばないことだった。
パパ、お父さん、もしくは、おじさん。そのどうとも言わなかった。
菜美は絵美に、〈「お父さん」と呼べば?〉と言ったらしいが、どうしてもその言葉が
出ないらしかった。
実の父親のことを〈パパ〉と呼んでいたらしいから、俺をパパと呼ぶのは抵抗が
あるらしい。
それで、菜美はそれなら「お父さん」と呼べばと言ったらしい。
菜美のことは、ママで、俺をお父さんだと、ちぐはぐだが、仕方がない。
だが、そんな俺の気持ちを思いやってくれたのか、夏休みも、もうすぐ終わろうかという日、文具店で新しいノートやシャープペンシルなどを買っていたとき、ふいに、絵美が言った。
「ありがとう。お父さん。」
「うん、ああ、うん。」
不意打ちを喰らって、俺は思わず声が詰まった。
涙もろい菜美が、目を潤ませて俺に言った。
「あなた、ありがとう。」
この夏休みは、俺達三人にとって、一生忘れられない夏休みになった。