第五章「別居」 その二
菜美からは毎日、連絡がきた。絵美の体調の報告と、俺の身の回りの心配。
菜美は、〈節子さんが、毎日メールで励ましてくれるの。〉と言っていた。
節子先生は、いまだにリハビリをしながら、自宅での静養を続けていた。
自身が大変な中で、絵美と菜美のことを、心配してくれている。
メールでも、電話でも、菜美は最後に決まって、「ごめんなさい。」と付け足した。
俺は、「気にするな、大丈夫だ。」とその度に言ったが、菜美は可哀想なくらい、全てを自分のせいにした。俺は、絵美の心配はもちろんだが、菜美の心労を思うと、すぐに萩へ飛んでゆきたい気持ちになった。だが、仕事がそれを許さなかった。
菜美が絵美を伴って、萩に帰ってから、十日が過ぎた頃、夜の電話で、菜美が、
「帰ろうと思うの。」と言ってきた。
「絵美の体調も良くて、心配は無さそうだから。」
菜美の言葉に、俺はあやうく涙ぐみそうになった。
「そうか、帰って来られるか。よかった。」
「うん。明後日の金曜日に帰ろうと思ってる。」菜美も、電話の向こうで、涙ぐんでいた。
「そうか、わかった。・・・そうだ、迎えに行くよ。」
「ありがとう。朝から出るから、たぶん、そう、四時くらいには、新大阪に着きます。」
「違うって。・・・俺がそっちに迎えに行くんだよ。」
「えっ、こっちへ?・・・そんなのいい、大丈夫だって。」
「いや、行く。お義母さんにもあいさつしたいし、それに、少しでも早く会える。」
「でも、大変よ。お仕事は?」
「大丈夫だよ。明日、そっちへ向かう。新幹線で行くよ。夕方には着くようにするから。」
「あなた・・・ありがとう。でも、無理しないでね。」
「ああ、大丈夫だって。」
「うん、じゃあ、明日ね。待ってる。」
「うん、昼過ぎの列車になるよ。出る前に連絡するから。」
「うん。わかった。」
「菜美、会いたかったんだ。」
「うん。・・・私も・・・会いたかった。あなた・・・いろいろ、ごめんね。」
「ばか、いちいち謝るなって言っただろ?じゃあ、明日な。」
「うん。おやすみなさい。」
「おやすみ。」
新山口から、萩までは、レンタカーを使った。一晩借りて、帰りにまた新山口で返す。
在来線で行くことも出来たが、明日、三人で移動するには、レンタカーが便利だった。
実家の前の道で、菜美と絵美が、待っていた。
「絵美、元気だったか?」家の前の狭い道に、目一杯、左に寄せて、車を止めた。
狭いスペースから体を這い出すように降りた。目の前で、絵美が腕組みをして立っていた。
「パパ!遅いよ。」
「ごめん、ごめん。思ったより、結構かかるんだ。」絵美にそう言ったあと、俺は、絵美の傍らで、もう涙ぐんで立っている菜美に向かって言った。
「菜美、来たぞ。」
「うん。」菜美は、たった一言、そう言うと、俺の首に抱きついた。
「あ〜っ、ママ、ずるいよ。」絵美がそう言って、菜美を真似るように、俺の腰に抱きついた。俺は、右手で菜美を抱きしめ、、左手で、絵美の頭を抱いた。
涙が止まらなかった。
義母と菜美が、並んで台所に立っていた。夕食の支度が出来るまで、俺は、絵美とテレビゲームで遊んだ。可愛らしいキャラクターのRPGだったが、実際、俺にはよくわからず、絵美が遊ぶのを見ていたと言う方が、正確だった。
「サッカーゲームはないのか?」と言うと、菜美が、「女の子は、しないんじゃないの?」と言って笑っていた。
義母と絵美が、奥の義母の寝室で一緒に寝た。こちらへ来てから、ずっとそうしていたらしく、菜美は玄関脇の間で、ひとりで寝ていたと言う。布団が足らず、俺は菜美と一つ布団で眠ることになった。
「疲れてるのに、狭くて、ごめんね。」菜美はそう言って詫びたが、俺は、かえってうれしかった。
「いや、この方がいい。こうして眠るのは、久しぶりだから。」
俺は、菜美に腕枕をし、肩口からかおる菜美の髪の香りを、愛おしく味わいながら、知らぬ間に、深い眠りに墜ちた。
「気をつけてねぇ。えみ、元気でな。また、おいでよ。」車の窓越しに、義母が、絵美の手をとって、別れを惜しんだ。
「うん、おばあちゃん、ありがとう。冬休みにまた来るから。」絵美は両手で、祖母の手を握っていた。
「お母さん、ありがとう。・・絵美、ほら手。危ないよ。」菜美は、母親に手を振ると、俺を見た。〈行きましょうか〉
「それじゃあ、お義母さん、帰ります。ありがとうございました。お元気で。」俺は、ゆっくりと車を出した。義母は、俺たちの車が角を曲がるまで、見送ってくれていた。
新山口に着いたのは、昼過ぎだった。
12時6分の列車が出たあとで、次ののぞみまで、少し時間があった。
駅前の喫茶店に立ち寄った。絵美と菜美は、大きめのチョコレートパフェを分け合いながら
食べていた。
「パパ、食べる?」絵美がアイスクリームをすくってくれた。チョコレートアイスは、
あまり好きではなかったが、絵美が可愛くて、ありがたくもらっておいた。
なんとも言えず、甘かった。すぐに、アイスコーヒを飲んだ。その様子を見て、菜美が
優しく笑った。
「もうそろそろ?」菜美が言った時、列車まであと15分だった。
「うん。行こうか。」俺と絵美は先に店を出た。菜美がレジを済ませ、出てきた。
喫茶店の前から、駅に向かって、信号を渡った。
俺の後から、菜美と絵美が手を繋いで渡ってきた。