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第四章 「絆」 その三

〈大阪市・建設局で、またも、談合。どこまで続く、官製談合の連鎖。〉


 市営プールの改修工事を巡る談合事件の記事だった。

同時に、今回の事件の経緯と同じくらいの扱いで、昨年から次々と暴かれた、

談合事件の一覧が載っていた。


そこに、当然の様に、焼却場建設を巡る談合事件として、「昭和建設」

の名前があった。


 小学生の子供達には、荷が重い記事だった。意味もよく分からず、

なかなか感想など書けなかった。


 持ってきた男の子が、

「父さんが〈許せないなぁ〉って言って読んでたから、気になって持ってきたんだ。」

と言い訳するように言った。


 その時、記事を一緒に読んでいた絵美が、黙って立ち上がった。


 無言で立ち上がった絵美の、顔色が真っ青なことに隣の女子が気づいた。


「えみちゃん、どうしたの?ねえ、だいじょうぶ?」


 その声を聞いて、山田先生が絵美の方を見た。

その瞬間、絵美の身体が、まるで朽ち木が倒れるように、グラッと揺れ、

そのまま机の上に倒れ込んだ。


 保健室のベッドの中で、ようやく目を覚ました絵美の目は、

焦点が定まっていなかった。


 じっと天井の一点を見つめている、青ざめた顔には、いつもの、

あの子供らしい絵美の面影は無かった。


 まるで表情を失っていた。


 絵美のただごとでない様子に、保険医は、救急車を呼んだ。


救急車は、先日まで節子先生の入院していた大学病院へ、絵美を運んだ。



「フラッシュバックでしょう。」


 学校の保険医から、倒れた時のいきさつを聞いたあと、精神内科の坂田医師が、

そう言った。


 人間は、何か恐ろしい体験をした時や、心に大きな負担を受けた時、

その恐怖や負担を、無意識に、心の奥底に封印しようとする事がある。


 精神が、〈これ以上耐えられない〉という時に、無意識のうちに起こす、

一種の心の自己防衛。ところが、この封印されたはずの、場合によっては本人も

忘れている様な体験が、ある時、何かのきっかけで、突然、あたかも今、目の前で

起こっているかのごとく、心の中で再現される。


 絵美の心は、去年の父親の会社で起こった事件を、忘れてはいなかった。

マスコミに囲まれて過ごした二日間。

 

 あの時感じた恐怖と、不安が、心の中でじっと息を潜めていた。


 父親の会社の名前など、小学三年生の絵美は、あの事件が起こるまで、知らなかった。

ところが、あの事件以降、その会社の名前は、いたるところから聞こえて、

そこから連鎖するように、いろんな事が、絵美に襲いかかった。


 社会科の授業中、その名前を新聞に見つけたとき、絵美の心の中で、

あの時の恐怖がまざまざとよみがえってしまった。


 父親の事件の当時は、気持ちが張っていた。その後も、絵美なりにいろんな事を

乗り越えて来たのだろう。この学校へ転校して来て、間もなく、あの恐ろしい事件

にも巻き込まれた。


 気丈で、明るく見えてはいたが、心のずっと奥深くに、耐えに耐えたものが

封印されていたのだ。



 学校からの知らせで、菜美が病院に駆けつけた時、絵美は大好きなママを目の前に

しながら、一言の声も出さなかった。


 声が出ない、のではなかった。

〈心をなくした〉そんな感じだった。


〈この夏、この子の目前で起こった事件の恐怖も、きっとどこかで、繋がっているの

でしょう。〉と、坂田医師が言った。 



 二日間、絵美はほとんど何も話さなかった。


 ベッドの上から、窓の外をじっと見つめていたかと思うと、いつの間にかウトウトと

眠りについたりしていた。時折、何かに怯えるように布団の中に潜り込んだりする以外に、

特別の感情も見せなかった。


 ところが、三日目の朝になると、急に元気になった。


 菜美との会話も、仕事を休んで側にいた俺とも、普通に話が出来た。

 この二日間の様子がまるで嘘のようだった。

 

「おや、絵美ちゃん、随分元気になったね〜。それくらい元気が出てきたら、

もう大丈夫かな〜、明日にでも退院出来るようにしようね。」


 坂田医師は絵美にそう言って笑いかけた。絵美も素直に喜んで、

「じゃあ、明日から学校に行っていい?」とそんなことも聞いた。


「う〜ん、そうだね〜。お父さん、お母さんと相談して決めようね。もう二三日は

おうちでゆっくりしてからの方がいいかもね。」

 

 坂田医師はそう言って、病室を出ていった。その後で、担当の看護士が

「先生がお話があるようなので、診察室へおいで下さい。」と、菜美と俺を呼びに来た。


 二人で、診察室に入ると、奥の方から

「どうぞ、お掛け下さい。」と坂田医師の声がした。


「随分しっかりしたお嬢さんですね。とても、小学四年生には見えませんね。

うちの子供なんか六年生ですが、ほんとに頼りなくって、絵美ちゃんの方が余程

しっかりしていますよ。」


 勧められたパイプイスに腰掛けた俺と菜美に向かって、坂田医師は、そう言って

感心したように微笑んだ。


「そうですか、そんな事はないでしょうが・・ありがとうございます。」


「ところで、絵美さんの容態ですが・・・今日は、あんなに元気になりました。

一安心と言うところですが・・」坂田医師はそこで一度言葉を切った。


「まだ治ったわけではないと?」俺は菜美をチラッと見てから、尋ねた。


「はい。恐らく・・。今後も、またいつ、今回のような事になるか・・、それは、

私にもわかりません。」


「そうですか・・、先生、親としてどうすれば・・、いったいどうしてやれば

いいのでしょう?」

 俺は涙ぐんで俯いた菜美の背に、そっと手をやりながら、坂田医師の返事を待った。


「とりあえず、しばらくは様子を見ましょう。・・・このまま何事もなく過ぎて

行くかも知れませんが、またすぐに、何らかの兆候が出るかも知れません。

なんとも言えないのです。実際の所、〈人の心の中〉というもの程、不可思議なものは

ないですから。」


「今しばらくは、経過を見るほかありません。」

 坂田医師はそう言うと、改めて俺の目を真正面から見ながら言った。


「どんな事でもご相談下さい。最善を尽くします。」



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