16話目
一週間が過ぎて〈アストライア〉は宇宙に浮かぶ星へとたどり着こうとしていた。
トリトン第一衛星基地。
トリトン衛星。実際には鉄くずと岩の塊で出来た巨大な人口衛星都市。
そして衛星の奥には惑星トリトン特有の黄色い空が見えてきて、ユラリと光の衣を羽ばたかせながら、白き船が黄色い惑星へと帆を進める。
モニター越しに通信が届き、マキナは大きな欠伸を漏らした。
〈ふぁあ……通信入ってるよぉ……〉
「仕事してるんだからもう少し緊張感持ちなさい、マキナ……」
〈船の操縦、簡単だしつまらないもん……〉
そう言ってマキナは蒼い水の中でクルクルと身体を丸めて回転すると、ガクリと肩を落とすアリシアを恨めしげに見つめた。
身体に絡みつくコードが尾を引き、蒼い水を覆うガラスを叩く。
コツリ……。
ガラスに手を添える感触が伝わり、マキナは通信越しに話し始めるアリシアを横目につまらなさそうに視線を落とした。
「はい。ゴルドじいさんから話は伝わっているとは思いますが」
「あ、エリスっ」
と、そこにはエリスの姿。
少し不安げに首を振るままに、晴れない表情で管制室に入ってくる妹にマキナは不思議そうに首を傾げた。
〈――どしたの?〉
「ミカちゃん……調子悪いって」
〈うーん……最近船の操縦にもでないんだっておばさん言ってたし〉
青筋を浮かべ引きつった笑いで話を続けるアリシアを横目に、マキナは浮かない表情を滲ませそう呟いた。
エリスは同じように不安げに視線を落としながら、ガラスの壁にもたれかかる。
「昨日も〈アトラシア〉の操縦にも参加できないって……最近少し暗い表情」
〈今も寝てるの?〉
「デイズが……医務室に連れて行ってる」
〈そっか……〉
少し心配そうにマキナは視線を泳がせる――
「こらっ、私語は禁止っ」
と、白衣を昼かがえしこちらを睨みつけるアリシア。
マキナはしばらくムスッとする艦長を見上げながら、程なくしてうんざりしたような表情で項垂れた。
そして同じような表情のエリスを見下ろしては、小さく頭を振る――
〈――私でも、大体予想はつくけど〉
「……うん。多分苦しんでる……」
ぼそぼそと話しあう二人に、アリシアは怪訝そうに眉をひそめる。
「何よ……」
〈――着陸準備?〉
「う、うん。衛星軌道に沿うようにランデブーして。こっちでサポートをするから」
〈了解しました〉
「――なんか視線が冷たい」
ジトリと睨みつける二人の目線に、アリシアはたじろぐままに顔を引きつらせると、怪訝そうに小さく首を傾げた。
フワリと宇宙に靡く光の衣。
黄色い星を眼下に納めながら、ゆっくりと軌道上の人工衛星へと〈アストライア〉は帆を進める。
「……どうだ」
〈アストライア〉船内医務室。
デイズは壁にもたれかかり、向かい合うミカと医務員を見下ろしながら、険しい表情を浮かべていた。
目の前には専用のパイロットスーツを着込んだミカの姿。
力なく視線を落したまま、ミカは時折指示されるままに息を大きく吸ったり、背中を向けて聴診器に軽く背筋を反らしたり、口を小さく開けたりしている。
ペンライトの明りがチロリと覗かせる舌を照らす――
「……」
「んむ……」
口の中を照らしていたペンライトをしまうと、マスク越しに零れるため息。
机に埋め込まれたディスプレイをなぞるままに、医務員はマスク越しに少し複雑な笑みを浮かべると、項垂れるミカを見下ろした。
「まぁ、あれです。気の病ですよ」
「……」
「身体的な病状は何もありません。とても健康ですよ」
「そうか……」
「ただミカ・ミルドレシア氏がお生まれになって二年経つのですが、こんな症状になったのは久しいですね」
俯くミカの傍にそっと歩み寄る看護師の女性。
着替えの為奥の部屋に連れて行かれるミカを横目に、デイズは訝しげに首を傾げ、ディスプレイをなぞる医務員に尋ねた。
「なんだよ」
「実のところ、ホルモンバランスが少し正常ではありません。最近少し息が荒い気がしませんか?」
「……俺のせいか?」
「ただ我々が管理することはできませんし。そこらへんは大尉に任せる事に」
「不安になっているのか?」
「興奮してますよ」
「―――」
「大尉。ミカ、マキナ、エリスの三名の年齢はご存知ですか?」
「聞いていない」
「上から二、十一、十一ですよ」
「――合計して俺の年齢に足らんのか……」
クシャクシャと気まずそうに銀の髪を掻き上げるデイズに、医務員は肩を震わせて快活な笑い声を医務室に響かせる。
「はははっ……しかしながら彼女たちは子どもではありません」
「知ってるよ……」
「深くは問いませんが、もう少しデリケートに扱ってくださいね。心の病はリンケージ能力に響きますから」
「――知ってるさ」
「何かあればご相談ください。出来る限りの対応はさせていただきますので」
小さく頷くままに、奥に消えたミカを待ってデイズは目線を薄いカーテンの方に向け腕を組む――
「あ、そうだ。ゴルド氏に、大尉から精子の提供を受けるよう言われてるんです」
「何使うんだよ……」
「遺伝子的な相性です。三人があなたの子供を産めるかどうかの調整らしいです」
「……徹底してやがる」
「いいから後で提供してくださいね」
「なんも思わんのか……」
「子どもが赤ん坊を産む――とても背徳的ですし、私たち一同、とても興奮している次第ですよ」
「お前ら全員死んでしまえ……」
マスク越しにニッコリと笑う医務員にデイズは口元を引きつらせ、苦い表情を浮かべてそう言った。
と、奥のカーテンが開き、ひょこりと顔を出す小さな人影。
看護師の女性に連れられ、ミカはどこか俯き加減にトボトボとデイズの下へと歩み寄ると彼の手を握りしめた。
「……いこ」
「ん。世話になった」
「では後でお薬を部屋まで届けておきますのでお受け取りください」
そう言って小さく手を振る医務員の二人を背に、デイズは腕を引っ張るミカに連れられ廊下に出た。
長くカーブした廊下。
壁には薄い窓が取り付けられ、暗闇に瞬く星の姿がいくつも見える。
きらきらと浮かぶ――
「……」
――ジワリと景色が滲む。
めまいが走ったと思い、デイズは窓の向こうの信念を見つめながら、軽く目尻を擦ると再び宇宙の暗闇を覗いた。
捩じれていた景色が元に戻っている。
なにもいない。
小さく零れるため息。
確認するように腰に差した実銃を軽く手でたたくと、デイズは躊躇いがちにミカに微笑みかけた。
「疲れたな。一週間本当にありがとう」
「……なんにもしていないし……」
褐色の手を握る指の力が弱まる。
トボトボと歩く足取りは少し重く、ミカは俯いたまま不安そうに視線を落とす。
「エリスとマキナに比べたら……私ずっと寝てた……」
「身体はいつも弱いのか?」
「……わかんない……いつもお母さんがくれる薬を飲んでた」
「今日は飲んでないのか?」
躊躇いがちに頷く少女に、デイズは困ったような表情を浮かべ少し乱暴に黒い髪を撫でまわした。
「気にするな。飲みたくなかったら飲まなかったらいい」
「お母さんは……それはダメだって……」
「あのババァ、抜かしやがる……」
忌々しげに顔を引きつらせて呻くデイズの腕に、ミカはもたれかかるようにつかんで歩いた。
ギュッと手の甲に爪が食い込み、零れる熱い吐息。
ゴロゴロと丸太の様な腕に頬を吸いつけながら、白い肌に血色が戻ってきて、ミカはカプリとデイズの腕にかみつく。
犬歯が皮膚に食い込み、痛みにピクリと動く眉。
紅く澄んだ目を細め足を止めると、デイズは同じく紅い目をジトリと見せるミカに不思議そうに首を傾げた。
「どうしたよ」
「――いたずら……」
「可愛いもんだ。……ただそっちの腕は勘弁してほしいな」
「どうして……?」
「お前の髪を撫でられなくて、お父さんは寂しいからな」
「………」
スルリと褐色の手から離れていく指。
代わりに腰に腕を伸ばすと、ミカはゴロゴロとデイズの腰に顔を埋めて何度もほっぺたを擦りつけた。
グイッと押し付けられるままに止まる足。
無表情のまま抱きつく小さな娘の姿にに、デイズは困ったように笑みを滲ませるとそっと黒い髪を撫でた。
褐色の指が結った黒い髪に溶ける。
そっと撫でるたびにグイグイッと身体を押し付けるミカに、デイズは肩をすくめた。
「……母親譲りだなそう言うところは」
「……。お母さんなんかと似てない……」
「――悪かったよ」
「ん……」
ムッと口を尖らせるミカに、デイズは小さく肩をすぼめると腰にしがみつく娘を引っ張り歩き出そうとした。
「ダメです!」
――アリシアの声。
ヒクリと尖る耳。
と、遠くから聞こえてくる怒声にミカはムッとして眉をひそめると、惚けるデイズの軍服にグイッと顔を埋めた。
そして、近づいてくる足音に耳を塞ぐ――
「……きらい……」
「――どうした、アリシア」
ぼそりと呟くミカの声に、デイズはそっと宥める様に黒髪を撫でると近づいてくるアリシアに手を振った。
ドスンッと床にめり込む足。
後ろからついてくるミカとマキナを従え、アリシアはドスンドスンッと足音を立てデイズに近づいてきた。
「あなたのせいですからね!」
顔真っ赤にして廊下に轟くアリシアの声に、デイズは不思議そうに首を傾げる。
「なんのこって?」
「あなたが甘やかすから三人ともつけあがるんじゃないですか!」
「声がでかいババァ」
「ババァ言うなし!まだ二十五よ!」
「四捨五入してみ」
プニッとほっぺたを突っつく指がボタンとなってシュゥウウと頭から昇る湯気。
顔を恒星の如く紅くするアリシア、目を吊り上げ牙をむき出しにすると、とぼけるデイズの胸元に食ってかかった。
「あんたがぁああ!」
「怒りっぽくなって――何我がまま言ってるんだ?」
グラグラと首根っこをひっつかまれ頭をグラグラとされながら、デイズは後ろに立つエリスとマキナを見下ろした。
二人は気まずそうに互いを見比べながら、やがて、エリスが前に一歩出てデイズに話す。
「あの……お願いがあるんです」
「言えよ」
「――トリトン第一衛星に降りたら、私たち、街を観光をしたいんです」
「補給が一日で終わるわけじゃない。なんならエスコートでも付けようか?」
「……四人で……一緒に行きたいんです」
「――なるほど」
小さく肩をすぼめるままに、デイズは次に首元を掴むアリシアの真っ赤な形相に目を向けた。
「赦せよ」
「このぉおお……」
グゥウウウッと軍服が引きちぎれるほどに力のこもる手。
今にも胸元が引き裂かれんばかりの握力に、デイズは怖々と首をすぼめると、そっとアリシアの手に自分の手を重ねた。
と、途端に力を失い胸元から解けていく指。
そのまま、耳元に顔を近づけると、デイズはニィと口の端を歪めては、フッと息をかけた。
「にゃああああ……」
「アリシアは俺の事が嫌いだからな」
「ぐ、ぐぬぬぬ……」
真っ赤に染まる耳を押さえ、腰が砕けたように床にぺたんと座りこむアリシアの睨みに、デイズは小さく肩をすぼめた。
「リンケージチルドレンは他にもいる。そのためにお前が艦長になったんだろう?」
スゥと細める紅い双眸。
赤らんだ耳を押さえながら、腰が砕けたままアリシアはもじもじとその場で身体をよじりデイズの視線から顔をそむけた。
「――非常時よ……それは」
「ここ一週間は慣れない船旅に共同生活――船がいざという時に動かなくなったら、どの道お前が裸になることになるがな」
「それは――」
「それとも、大事な『お兄ちゃん』の頼み事は聞けないか?」
「い、いじわるぅ……!」
「それがいやだったら、俺を船に乗せなければよかった」
「――わかったわよぉ……」
ムスッと口を尖ら、よろよろとアリシアは立ちあがるとエリスとマキナへと振り返り恨めしげに眼を細めた。
そしてびしりと三本の指を立て二人につきつける。
「三時間。それまでに帰って来なかったらデイズに罰則規定を適用します」
「怖い怖い……」
「いいわねっ、三時間以内に帰ってくるのよ!」
メキリッと床に食い込む足。
ノシッノシッと床を踏み抜いて踵を返すと、ビクつく二人を尻目に、アリシアは再びデイズに向き合った。
グッと伸びる手がデイズの伸び切った襟元をつかみ、アリシアは恨めしげに呻く。
「……さっき、重力観測に異変があったわ」
「デリオアの残りカスが追いかけてきた、わけじゃないんだな?」
「現在船の周囲、及びトリトン第一衛星周辺に、敵対反応は見えないわ。船全体でステルスフィールドを展開してる」
「順調だ」
「――予想できることは、わかるわね……」
「既に三人には通達している。後は整備員の連中に伝えるだけだ。まぁ、ネンネじゃないんだ、どいつもこいつも薄々気づいているさ」
「おじいちゃんとも連絡は取れないし……」
「死んでくれてたら嬉しんだがな」
「それは同意」
そう言ってデイズを突き飛ばすと、アリシアはフンッと鼻息も荒く踵を返した。
「ちゃんとお守しなさいよね」
そう言って、ひらひらと手を振ってその場を後にするアリシアの背中に向かって、マキナは舌を出す。
「べぇだ。おばさんむかつくぅ……」
「お前達の事も考えてるんだ、少しは労ってやれよ」
不機嫌も露わにフイッと顔を横に振るマキナの頭を軽く撫でると、デイズはキョトンとしているエリスに目を向けた。
「どうした?」
「……。アリシア艦長は、一体何を言っていたのかなって思って」
――ニィと綻ぶ口元。
「わかってるんじゃないのか?」
「え……」
「胸に手を当ててみろ」
滲む興奮を抑えながらそう呟くデイズに、エリスはハッ目を見開くと視線を落とし胸にそっと手を添えた。
そして目を閉じるままに暗闇に意識を投げかける――
――ジワリ、暗闇に滲む波紋。
ザッ……
土足で誰かが、大きな銃を以ってどこからか歩いてくる音が聞こえてくる。
その足取りは徐々に大きくなってくる――
「……来てる」
「隠れたんだったらやることはそれほど多くないさ。手の内を少し見せすぎててこっちはげんなりするがな」
マキナとミカにもみくちゃにされながらそう言うと、デイズは苦笑いを浮かべエリスの金色の髪をそっと撫でた。
「まぁ、お前達はそういう目的で、外に出ようとは思ってないんだろう」
「う、うん……その……」
言い淀みながら、エリスは腰にしがみつくミカへと視線を向ける――
ヒョイッと隠れる小さな顔。
黒髪を靡かせ、ミカは慌ててデイズの後ろに隠れると、気まずそうに額をデイズの腰に擦りつけた。
「……ミカちゃん」
「気分転換は必要だ。……後でどれくらいで着水するんだエリス」
「自動運転ですので、後五分ほどでつくと思います」
そう言われ振り返ると、窓の向こうには既に人工衛星の停泊港の入口が見えている。
「なら、そろそろ準備をしに行かないとな」
「うんっ」
船が近づく感覚に、エリスは力一杯に頷いた。
ギュゥ……。
そんな二人を横目に覗きながら、ミカはしょんぼりと項垂れるままにぐりぐりとデイズの腰に額を擦りつける。
自分の存在を気付かせるために強く――
「さぁ、行こう……」
――そっと撫でる大きな手。
サラリと髪を梳く指の感触にミカは少し顔を上げると、それでも俯きながらコクリとしかめ面で頷いた。
そして腰にしがみついていた手を離し、ミカはデイズの腕に腕をからめ顔を埋める。
爪が食い込むほどにしがみつく――
「……お父さん……」
ゆっくりとした歩幅で歩きながら、デイズはスゥと紅い目を細め、小走りについてくる自分の娘の横顔を見下ろす。
「……私……もっと傍にいたい」
「ミカを拒んだことがあったか?」
「……ない」
「街に出よう。トリトンのコロニーは風が気持ちい。お前も喜んでくれる」
「うん……」
優しい言葉に耳を傾けながら、ミカはうっすらと目尻に涙を浮かべスッと目を閉じた。
そして暗闇の中に意識を投げかける――
――暗闇に光る炎。
ランタンを口にくわえ、暗闇の草原を白銀の狼が歩く。
傷だらけになりながら、ミカの足元を照らし、草木を踏みわけ平原の向こうへと歩いていく。
やがて明ける夜明けの向こう、星の海へ――