13話目
聞こえてくるアナウンスにヒクつく尖った耳。
『2011時より、模擬訓練を行います。制動逆噴射をかけますので各員は衝撃に備えてください』
――グルルルゥ……!
牙の間から聞こえてくる唸り声。
紅い目を眼下に向けながら、片膝を立て蹲る白い巨人〈アトラシア〉は戦いを前に、身を震わせ蒸気を口の端から洩らした。
バシン……
しなやかな毛並みの白銀の尻尾が床を叩き、全身から漏れ出す光の粒子。
フワリと金色の髪を撫でる光の粒子を前に、マキナは目を見開いて、いきり立つ巨人の覇気に目を丸くする。
「……戦いたがってる」
ピッチリと身体を覆う水着の様なスーツの上を光の粒子が漂い、マキナはソッと光の粒を両手に納める。
そして手を開けば、そこには手の中の暗闇を仄かに照らす光の輪。
まるで生きているように、光は不規則に惚けるマキナの掌を染める――
「……デイズっ。この光何?」
「――10年前、ミオ・ハーティアとアリシアが創造した、特殊反重力物質だ」
軍服を着こんだままやってくるデイズ。
傍に白衣を着た人間とアンドロイドを付き添わせながら、歩み寄る男を見上げ、マキナは不思議そうに首を傾げた。
「おばさんと……ミオ、さん……が?」
「ああ。リンケージだ。……世界を包む力を『現象』させて生まれた新たな物質だ。それ自体にリンケージがあり、お前の意識と知覚を広げる手伝いをしているんだ」
「……?」
キョトンとするマキナは、両手に光の粒を携えながら首を傾げる。
そんな幼い仕草にデイズは苦笑いを滲ませると、そっとマキナの髪を撫でると〈アトラシア〉前まで歩み寄った。
そして白き狼の巨人を前に、手の平を広げる――
「単純にいえば、お前の言う事を聞いてくれるんだ。お前がやって欲しい事をソレに乗せてみれば、その光はその通りに動いてくれる」
グッともたげる重たい首。
巨人は紅くぎらついた目線を上げ立ち尽くす主人を見下ろすと、小さく頷き、自らの胸元を晒した。
――ガゥ……。
「いい子だ……」
継ぎ目のない白い装甲に亀裂が走り、左右に開く胸元。
開いた胸元の奥にいくつもの配線が走り、ドクンドクンと脈打っているのが見える。
その配線に絡まれた中央奥、拳大ほどの白い結晶のような部品。
ブラックホール動力機関。
いくつものコードに巻かれたそれは、巨人を動かすまさに心臓となり、見上げるデイズの目に脈動し映っていた。
そしてその下にはハッチを開きむき出しになるコックピット。
デイズは手を下ろし小さく頷くと、両手に包んだ光を興味深そうに見つめるマキナの髪をそっと撫でて囁いた。
「……少しやってみろマキナ」
「――ぼんっ……」
コクリと頷くままに、マキナは両手に抱えていた光の粒を離す――
――フワリと爆風に靡く長い金色の髪。
途端に光の粒から小さな爆炎が吹き上がり、マキナは見上げるままに惚けたように燃え上がる光の塊に目を丸くしていた。
「すごぉい……でも反重力なの?」
「反重力を目的に創られたからだ。だから普通の人間は重力変異を和らげる目的にしかこれは使えない。
だけどお前は違うだろう?」
「うんっ――ん……」
力一杯に頷こうとして、額にかかる金属の感触。
違和感と不快感に眉をひそめながら、マキナはムッと口を尖らせて振り返ると、そこには白衣を着た数人の人間がいた。
手を伸ばせば、頭には金属輪のようなものが取り付けられている。
「なにこれ?」
「これはあなたの力を何倍にも高めるものよ」
鋭く細める灰色の瞳。
幼い顔を強張らせるマキナに、白衣の人たちはニッコリと笑って、彼女の頭を撫でようとする。
ザワリと白い肌が粟立つ――
「お願い、これをつけて」
「触らないで」
――弾ける空気。
グニャリと空間が歪み、分厚い衝撃波が波打つように、マキナの足元から吹き上がるまま白衣の人間を飲み込んだ。
一斉に吹き飛ばされ、地面に転がる数人の人影。
デイズは軍服の上着を脱ぎ捨てるままに、深いため息を零すと、後ずさる白衣の集団を横目に呻いた。
「医療班。3人は俺に任せてくれって言ったろ」
「おじさん、これいらないんだけどっ」
「望みのままに」
「うんっ」
景色に溶けていく金属輪。
トトトッとデイズに駆け寄り、腰に飛びつく金髪の少女に睨みながら、医療班の人間はよろよろと立ちあがりながら苦言を漏らした。
「よ、よろしいのですか大尉?」
「データは俺が取るさ。元々じじいが俺に頼んだんだ」
「我々は別にかまいませんが……大丈夫なのですか?」
「二人で一組のバディだ。出来ない事なんて何もないさ」
長い金色の髪を梳く大きな手のひら。
スゥと細める紅い双眸。
デイズはギュッと腰に顔を埋める少女を見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべ小さな背中に腕を回し抱き寄せた。
「なぁ相棒、そう思うだろ」
「……うんっ、おじさんと私で何でもできるっ、どこにでも行けるっ」
「それでいい――行こうか〈アトラシア〉」
――ガゥ……。
ゆっくりと縦に動く大きな頭。
巨人は立てた膝の上に乗せていた巨大な腕をそっとデイズの前に下ろして手のひらを広げた。
胸の装甲がさらに開き、腹のあたりに覗かせる空間。
ガシャンッ
床を大きく踏み込むままに、悲鳴を上げる間接。
〈アトラシア〉は緩慢な動作で立ち上がるままに、手のひらに乗った二人を胸元へとそっと引き寄せた。
フワリと舞い上がる長い金色の髪。
床を蹴りあるままに、水の中を泳ぐようにフワリと華奢な身体が宙を舞い、腹部のコックピットへと吸い込まれる。
「うわぁ……ひろい」
中は、全方位に広がるモニターに囲まれた、上下二段のリニアシートが組まれていた。
「上?」
「どっちでも」
上部のシートはとても簡素にできていた。
レバーも何もない手すり。
先端にはぽっかりとくぼんだ穴が作られているのみで、それ以外は小さな身体を包む分厚いシートがあるのみだった。
「上っ」
上部のシートに埋もれる華奢な体。
水の中を泳ぐように飛び上がると、ボフッと背中が背もたれに跳ねかえり、マキナはそっと手すりに両手を添える。
――グニュリと穴から迫り出す感触。
「ふぁ……」
キョトンとするマキナの手の先、蒼い液体が膨らむままに球体状にほっそりとした指先を包んだ。
ひんやりと指先に冷たい感触が伝わる。
マキナは戸惑いに目を丸くして、両手を包む碧い液体に目を瞬かせた。
「これ……ミカが入ってた奴」
「情報伝達体だ。『情報』を実体化させたもので、お前達のリンケージを同じく補助するものだ」
そう言いながらデイズはハッチを潜り、下部のシートに滑り込むように腰を落とそうとする。
――全身を走る刺激。
「ひぁ……」
バチリッと指先から何かが身体を駆け廻っていき、マキナは目を白黒させながらビクンと激しく腰を浮かせた。
桃色に染まる肌。
トクントクンと心臓が鷲掴みにされているような感覚、ジンワリと大粒の涙が目尻に浮かぶ。
思わずギュッとマキナは目をつむり、堪えるように唇をかみしめる――
「はぁ……はぁ……」
「――エリスもそうだが、マキナも感度がいい」
グッとシート脇、左右のレバーを掴むデイズ。
――ヌルリと身体に吸いつく何か。
ゾクゾクと背筋に走る甘い痛み。
敏感になった全身の肌を、ごつごつと大きな手が撫でていく感触に、マキナは息も絶え絶えに太ももを擦り合わせた。
「やだぁ……そこやだぁ」
「――さっきの制御環、今からでも間に合うぞ」
「……ううん……ううん……このまま……このままがいいの……」
「エリスもそう言った――手加減はしないぞマキナ」
「おじさん……身体変だよ……熱くて……んんっ……」
モニターに光が灯り、駆動音が微かにコックピット内を駆け巡る。
グッと握りしめる操縦幹。
手元のパネルを指でなぞるままに目の前のハッチが閉じ、胸元の装甲が左右に閉じられていく。
全身から吹き上がる光の粒子。
フワリと靡かせる長い尻尾。
鋭い爪が地面を蹴りあげ、狼の巨人は格納庫を歩き出すままに、ゆっくりと何もない空間に巨大な右腕を伸ばした。
『そっちは用意できました隊長?』
「ああ」
『――軽く喘ぎ声が聞こえるんですが』
前方モニターの端に浮かぶ、複雑な表情のエミリア。
息苦しそうに肩を軽く上下させるマキナを横目に、デイズは照れくさそうに苦笑いを滲ませた顔を伏せた。
「……まだ慣れてなくてな」
『やめましょうか?』
「――舐めた口を利く」
折らんばかりに握りしめるサイドレバー。
パカリと右手の装甲が開き、黒い球体が光の粒子を纏いながら、掲げた掌に浮かび上がる。
『……本気で行きますよ』
「逃げるなよ」
『煽られて逃げる奴はいませんよ。これでも元対人暗殺部隊所属です、殺す気で掛かります』
「遊んでやる。……掛かってこいエミリア」
『どうも。じゃ発進します』
淡白な解答を残し、途切れる通信。
デイズはニィと口の端を嬉しそうに綻ばせるままに、グッとレバーを引き絞ると指に這わせたボタンを押した。
「行くぞマキナ……」
「う、うんっ。イクッ……一緒に行くから」
「息を整えろ。俺はお前の傍にずっといる……絶対に離れないさ」
「おじさん……おじさんっ……」
荒い息使いの中に聞こえる声が、徐々に高ぶりを見せる。
「行こう相棒っ」
「う、うにぁあ……!」
手のひらに浮かぶ黒い球体が一気に大きくなり、立ち尽くす狼の巨人をも飲み込んで肥大化していく。
軋みを上げる空気。
球体を取り囲む景色がグニャリと歪み、周囲の壁がガタガタと震える。
「リンケージ……!」
空間が繋がる――