12話目
「はぁ……」
――眠れなかった。
ドクンドクンって胸の内側が激しく高鳴ってて、胸を打つたびに意識がはっきりしてくる。
身体がすごく火照ってるのを感じる。
息が熱い。
苦しくて、心が苦しくて、無理やり寝ようと、私は目を強く閉じようとする。
(デイズ……)
――出てくるのはあの人の顔。
少し細めた紅い目。
褐色の肌に銀色の髪。
少し伸びたひげはジョリジョリしてて気持ちよくて、手は分厚いのにすごく熱くて、少し強張った顔。
緊張してる。
わかるもん。
だって私もあなたの前に立って、すごく緊張するから。
声が上ずるの。
あなたを見るたびに、息がどんどんと上がってくるのがわかる。
昔からそうなの。
あなたに夢の中で出会うたびに、私はずっと声が高くなって、息をするのも忘れてしまって。
それでも、あなたは私の事をずっと見てくれて、手を握ってくれる。
私は……ずっとあなたに会いたかった。
私は――
「……デイズ……」
自分の声に、ふと目が覚める。
いつものことだった。
本当なら、ここで会ったことのないあの人を考えて、心が少し虚しくて項垂れるところだった。
でも今はあの人がいる。
――会いたい。
濡れた唇を指でなぞるままに、また心臓が怖いくらいに脈打っていく。
頭があの時の感触を思い出してる。
腰を引きよせる大きな腕。
大きな舌が私の中に入ってきて、私の心を引っ張りだそうとして、どんどんと中に入ってくる。
大きな――
「……」
息が苦しくなって、私は自然とベッドから足を下ろした。
――会いに行こう。
足音をたてないように、私は部屋を出て行こうとする。
扉のボタンに手を添える――
「エリスぅうう……」
「ふにゃぁ……」
わき腹が……少しこそばかったです。
『整備班に伝えたわ。明日〈エルザ〉を追加で一機用意しておくわ』
「ありがとうアリシア」
静けさの広がる艦の廊下を歩きながら、デイズはPDAの向こうに佇むアリシアを前に欠伸をかみしめた。
その大きな口を画面越しに見つめ、アリシアは可笑しそうに笑う。
『ふふっ……久しぶり。その言葉をデイズから聞くの』
「誰のせいだと思ってるんだか」
『……わかってるし』
「ならいいさ。……時間ができたら、後で俺の奢りで飲みに付き合ってやるよ」
『――本当?』
「高い店は指定するなよ?」
『えとっ……わかったっ。この任務終わったら誘うからっ』
喜々とした表情で何度も頷くアリシアに、デイズは少し顔をそむけるままにPDAを持つ手を下げた。
「まぁ考えとけよ。おやすみ……」
『うんっ。おやすみ、デイズっ』
画面が暗転し、PDAをポケットに突っ込むと、デイズは俯く表情に不安の色を微かに滲ませた。
零れるのは深いため息。
クシャクシャと髪を掻くままに首輪が揺れ、デイズは乾いた唇を噛み、吐き出す言葉を押さえる。
「……仕方ない、か」
呟くままに徐々に自分の部屋の入り口が近づいてきて、デイズは小さく首を振って頭を持ち上げた。
――子どもに暗い顔は見せられないな……。
心の中にそう呟くと、読み取り機に手をかざし、デイズは開く扉をくぐろうとした。
「……」
聞こえてくるのは少し甲高い、姦しい声。
デイズはため息交じりに眉間を押さえると、中に入り涙を浮かべて床を転がるとエリスを見下ろした。
転がるエリスの上にはわき腹をくすぐるマキナのニヤけた顔。
「ふにゃああ……デイズぅ、助けてぇ……」
「にひひっ、抜け駆けはダメだよエリスぅ……」
「そんなわけじゃぁ……こ、こそばいよぉ」
「だぁめ、一緒に寝るのっ」
楽しそうにそう言いながらリビングを転がる二人を横目に、デイズは資料をリビング奥のカウンターに置いた。
そして奥の棚からグラスに手を伸ばしながら、デイズはため息交じりに呟く。
「マキナ、エリス」
「は、はいっ」
ピョコンッと跳ね上がる華奢な身体。
緊張気味に身体を強張らせるエリスに、デイズはキョトンと目を丸くして、程なくして笑みを零した。
「ははっ……怒ってるわけじゃない。ただ、寝てるミカの邪魔になるだろう?」
「う、うん……」
「寝付けないなら少し水でも飲めよ、二人とも」
そう言って、デイズは二つ分のグラスをカウンターに置くと、冷蔵庫から水の満ちたガラス瓶を取り出した。
恐る恐るトコトコと歩み寄る小さな足音。
グラスに注ぎ込むままに、デイズはうっすらと笑みを滲ませると、水をエリスとマキナに手渡した。
「眠れないのか?」
「――いえ……そういうわけじゃなくて」
「マキナもか?」
自身のグラスに水を注ぎながらデイズは小さく首を傾げた。
マキナはハッとなって灰色の瞳を見開くと、口を尖らせ頬の蒸気した顔を慌ててデイズから背けた。
「べ、別にぃ……」
「俺を待ってたか?」
「――そんなんじゃないのっ」
キッと睨みつける視線。
茶化す様に呟くデイズの言葉に、マキナは顔を耳まで真っ赤にしながら小声で叫び踵を返した。
デイズは怖々と首をすぼめると、軽くエリスとマキナの髪を撫でるままにソファーに歩み寄り腰掛けた。
ソファーに転がるPDAを手に取り、テーブルに置かれるグラス。
画面を指でなぞるままに、薄暗いリビングに明りが灯る――
「おじさん……何見てるの?」
そう言ってデイズの隣に座って、PDAを覗き込むマキナを横目に、明りの灯るディスプレイをなぞる。
グニュリ……
指が画面の中にめり込み、デイズはニィと口の端を歪める――
「仕事の内容確認。ライアスとエミリアから連絡があったからな」
「明日、模擬訓練でしょ? 私と一緒に乗るんだよねっ」
「――良くみてる。いい子だ」
驚きを隠すままに、デイズは指をディスプレイから引き抜くと、満足げに頷いてマキナの髪を撫でた。
マキナは照れくさそうに笑みを滲ませると、撫でられるままに顔をデイズの腕に押し付ける。
「えへへっ……」
「むぅ……明日は私じゃないんですか?」
反対側に座りながらデイズの身体に寄りかかる華奢な体。
膨れ面のエリスの視線に、デイズは目を丸くすると、小さく首を振るままになだめるように金色の髪を撫でた。
「エリス、お前には〈アストライア〉の管制を頼みたい。ミカは今回は休みだ」
「そうなんですか?」
「艦の制御はそれだけ疲れる。お前には明日には俺とエミリアとの模擬戦をモニターしてもらいたい。
少し辛いだろうが、頑張ってくれよ」
「……はいっ」
表情に明るさが戻りエリスは、力一杯に頷いてデイズの腕にしがみついた。
両腕にズシリとのしかかる重み。
ガクリと垂れる腕。
PDAを操作することもままならなくなり、デイズは苦笑いを浮かべながら両腕にもたれかかるエリスとマキナを見比べた。
「……両手に花、か」
ズキリと胸に走る痛み。
深いため息が零れ、デイズは二人の腕をやんわりと解くと、胸ポケットにPDAを収めるままに項垂れた。
そして目を閉じるままに静かに呟く――
「一つだけお前達に言う事がある。何かあってもあまり3人の中で争いや競争を作ろうとしないでくれ」
「デイズ?」
「これは頼みだ。……隊長として、出来る限りお前達3人が何かで争う事のないようにしてほしい。
できれば、3人で協力して何事も成し遂げようとして欲しい」
「……」
息使いに悲しみが伝わり、エリスは胸を押さえながら不安げに俯くデイズの横顔を覗き込んだ。
「……どうしたんですかデイズ」
「おじさん……私たち別に喧嘩なんかしてないよ、平気だよ」
マキナは少し不思議そうに首を傾げてそう告げる。
デイズは目を開きくと、瓜二つな金色の髪を交互に撫で、愛おしそうに彼女たちをぎゅっと抱き寄せた。
小さな顔が分厚い胸板に埋もれ、二人は頬を染めながら戸惑いがちにデイズを見上げる。
優しく微笑む褐色の大男の紅い瞳に視界が吸い込まれる――
「素直でいい子だ……心は広く、色々な事を偏見なく受け入れてくれる」
「デイズ……」
「お前達の為に、少し話をしよう……といっても隊員もよく知っている古い話だがな」
「――おじさん?」
「多分、お前達の為になる話だと俺は思う」
空気が少しだけ重くなる。
二人の顔が少しだけこわばり、デイズはそれでも笑みを絶やさず、二人をあやす様に囁き始めた。
「といっても大した話じゃないんだがな――昔、俺の隣には女が二人いた。一人は子どものときから一緒にいる幼馴染で、一人は同僚の妹さんだった。
どっちも今のお前達と同じ俺のバディでな、二人とも美人で、とても綺麗で、俺の事が好きだったようだ」
そう言って、自分で照れくさそうに頭をクシャクシャと掻いて、程なくしてまたデイズはぽつぽつと呟く。
「まぁ大したことじゃない。5年前、ガリエア星での大戦が終わって、俺は二人のうち一人を嫁にした。
綺麗で俺によく尽くしてくれた、同僚の妹、ミオ・ハーティア」
「おじさん、結婚してたの?」
「これでもな。ただ、昔から今までずっと童貞なのは変わらんさ」
「どうして……ですか?」
エリスが首を傾げると、デイズは不安げに眉をひそめる彼女の頭を優しく撫でて心のさざ波を押さえるように囁く。
「……二人はリンケージチルドレンだった。俺の心をよく読み、俺の為にたくさんのことをしてくれた。
だけど、その力のおかげで、不幸になった事もあった」
「どういうこと?」
「――幼馴染は俺たちの結婚を許さなかった。だから、アリシアは俺達の間を自分の力を使って引き裂いた」
「引き裂いた?」
「アリシアの望み通り、俺は孤独になり、ゴルドじいさんの恩赦もあってか軍を抜ける事になった。
2年前の話だ」
そう話し終えて、デイズは顔を上げると、照れくさそうにそう告げた。
「少し話が長くなったな。すまない……」
「デイズ……奥さんはどうなったんだ?」
デイズは微笑む。
「死んだよ」
「……え?」
「正確には自殺した。心を壊して――狂わされて」
「―――」
「接続能力は、あらゆるものに自らの意識をつないで、支配的に干渉していき、その効果は現象、実体として露わにする。
アリシアは、ミオの心に繋がった。ミオの心はアリシアの憎悪に一瞬で意識を破壊された。それだけじゃなくミオの心が世界に剥き出しになるように働きかけた」
デイズは小さくため息をつくと、優しく二人の髪を撫でる。
「食欲、排泄欲、支配欲――ありとあらゆる欲望をむき出しになった状態のミオの姿が世界中に映された。
テレビの画面に映るミオの痴態。そして街の人間すべてがミオを憎み、蔑むようになる」
「……」
「その間にも意識はアリシアに浸食されていった」
「――」
「最後は自分の頭蓋をかち割って、脳の皺を掻きむしりながら、何度も部屋の壁に頭をぶつけた。
頭の中に巣くう、もう一つの何かを掻きだすようにな」
はらはらと零れる涙。
二人の目から流れる大粒の滴に、デイズはキョトンと目を丸くすると、照れくさそうに笑って二人をなだめた。
「終わったことだ。ミオは、もういないからな」
「でも……でも……」
「俺の為にいくばくか心をやつす事を、俺はとても好ましく思うし、実のところとても嬉しい。
だけど、その為に誰かを蹴落とす事を俺は認めない」
「……」
「喧嘩するなって事だ。……俺のことをどう思おうと構わんが、俺の為に相手を傷つける事はできない。
さっき、お前達喧嘩してたろ?」
その言葉に二人は真剣な表情でハッとなると、慌てて顔を伏せて気まずそうにデイズから視線を反らした。
デイズは目を見開くと、間をおいて大きな笑い声を部屋に響かせた
「――構わんさ。……エリス、マキナが好きか?」
「……はい」
鼻をすすりながら小さくエリスは頷いた。
「マキナ、エリスは好きか?」
「うんっ、好きだよ」
幼い顔を強張らせながら力一杯に頷くマキナに、デイズは穏やかな笑顔を見せそっと額を撫でた。
そして二人の身体を抱き寄せるように両腕を回しながら、二人の顔を覗き込む。
ニィと牙を覗かせ目を細める――
「最後に一つ、俺が好きか?」
低く潜ませた声に、顔を真っ赤にする二人。
と、耳まで肌が上気する様子が互いの瞳に映り、エリスとマキナは慌てて顔を伏せて、口を噤んだ。
そしてしばらくして、お互いに顔を上げ、視線を交わすと二人は合わせたように同時に頷く。
軽く噛んだ唇。
熱っぽい息を吐き出し、二人は中年男の顔を、真剣な表情で見上げる。
唇を開く――
「……はいっ」
「――好き……好きだよっ」
はっきりと告げる言葉に、デイズは優しく目を細め、汗を滲む二人の額をそっと手のひらでぬぐった。
「いい子だ。……なら俺の為に喧嘩をするな。するなら、二人、いや3人一緒で動くようにして見せろ」
そう言いながら、デイズは顔を上げ後ろを振り返った。
びくん……
跳ねる小さな肩。
寝室の入り口から顔を出していたミカは顔を赤くしたまま、慌てて身体を引っ込めて暗闇に消えた。
それでもジィと背中に感じる熱い視線に、デイズは肩を震わせおかしそうに笑う。
「……3人一緒になって俺に掛かってこい。誰かを蹴落として一人になったところで、俺の背中は支えられんからな」
「おじさん……」
「いいな、マキナ……エリス」
「――はいっ」
柔らかい表情で力強く頷くエリス。
それに続いて、マキナも明るい表情で頷き、デイズは安堵に小さく肩をすぼめて、ソファーから腰を上げた。
そして二人を引っ張り上げ、立ち上がらせるままに靡く金色の髪。
エリスとマキナの背中を軽く押しながら、デイズは寝室まで二人を導くように足を進めた。
「言葉を胸に刻み、記憶を瞼に焼き付け、覚えなさい。深く、深く、その言葉を次へとつなげられるように。
明日を生きよ、今に固執することなく、過去を胸に抱くことなく」
「おじさん、それ誰の言葉?」
「死んだ俺のじい様の言葉だ。悪事も善事も川の流れの一滴に過ぎない。その喜びと悲しみがお前達に繋がっていくのなら、俺の痛みは意義のあるものになる」
「……はいっ」
「――俺の言葉、忘れなよ。おやすみ」
デイズはそう言って二人を寝室へと送ると、小さく手を振った。
二人は薄暗い部屋に足を踏み入れると、交互に振り返るままに後ずさりながら力一杯に手を振る。
「えへへっ……おやすみおじさんっ」
「――私たちの言葉も……忘れないでください」
少し照れくさそうにそう言いながら、二人は部屋の奥へと消えていく。
寝室が閉じ、リビングに一人影が床に落ちる。
「じい様……か。懐かしいな」
残響が部屋に響く。
息を吸い込めば静けさが肺の奥のまで広がり、デイズは僅かに視線を落とすと、踵を返しトボトボとカウンターへと足を運んだ。
そしてカウンターの上に腰掛けるままに、零れる深いため息。
ゆっくりと細める紅い瞳。
天井を見上げ、ジンワリと浮かんだ滴を腕でこすり落とすと、デイズは熱っぽい吐息を肺から一気に吐き出した。
そして、暗闇に意識を投げ、静かに目を閉じる。
暗闇が広がる――
「……憎しみは己に痛みしか与えぬ、憎しみは心の広がりを絶やし、やがて自らを暗い籠に閉じ込める。
赦しなさい……相手を赦し、憎しみを赦しなさい。相手を抱きしめ、頬を差し出し、痛みを背負いなさい」
胸に浮かぶのは、遠い昔になくなったはずの古い言葉。
「赦しなさい……その先へ、繋げていくために――」
ゆっくりと紅く滲んだ目を開き、男は小さく息を吐き出す。
「――じい様……」
哀しげに響く低い声。
永遠に赦されぬ罪を背中に背負い、デイズはガクリと項垂れるままにクシャリと髪を掻き上げた。
「ミオ……すまない……」
カラン……
首輪が乾いた音を響かせた――