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白々しき世界  作者: 美亜ナリヤ
第1章 混ざらぬ白
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変人の窟

 三〇分ほど時間を費やして、鈴蘭の姿はようやく見つかった。

 さんざん探させておいて、なんと先ほど僕が春日野さんと話していた場所の目と鼻に先にいた。

 本来は人が座るべきベンチの上を占拠して、気持ち良さそうに丸くなっている。猫の分際で、なかなか図々しい奴だ。

「おい、鈴蘭」

 僕が声を掛けると、ぴくんと耳を震わせて彼女は顔を上げた。僕の姿を確認したようだが、今度は逃げる素振りを全く見せない。それどころか、眠たげな瞳でのんびりあくびまでしている。

 ……こいつ、ついに観念したのか。

 そう思ったところで気が付いた。

 彼女がさきほど自慢げに見せびらかせていた、あの十字架のアクセサリー。それが今はどこにも見当たらなかった。鈴蘭が咥えているということもないし、ベンチの上にも下にもそれらしい物はない。

「鈴蘭、あのネックレスどうした?」

 僕が訝しげに彼女に訊ねると、彼女は待ってましたと言わんばかりに、不敵にニヤリと笑って見せた。あ、なんとなく嫌な予感がする。

 ぴょん、と鈴蘭がベンチから飛び降りた。しなやかに着地をした後、彼女は僕の顔を見上げて含み笑いを浮かべる。それはまるで、悪戯の成功した子供のような表情だった。

「……お前、もしかして隠した?」

 ――リン。鈴が鳴った。

 これは肯定を意味しているのだろうか。彼女の今の挙動から察すれば、そうとるのが自然だと思う。

 気に入ったものを隠すとかこいつ、本当は犬なんじゃないか。いや、光り物だからどちらかと言うとカラスだろうか。

 というかコイツ、大学構内に隠したのか? なんというその場しのぎ……。

 偶然他の誰かに見つけられて持っていかれることも充分にあり得る。だとしたら、なかなか愉快だな。悔しがる鈴蘭の顔が目に浮かぶ。

 ……いや、それは無いか。

 この猫、なかなかその辺は如才なかったりする。あの短時間とはいえ、人目につかない、それこそ猫の目だからこそ気が付くような絶好の場所なんかを見つけていたりし得る。こんな陽だまりのベンチの上でお昼寝して僕が来るのを待っていたのがそのいい証拠だ。

 鈴蘭の顔を眺める。腹が立つほどに勝ち誇った様な表情だ。大学構内になんて隠して、この後どうするつもりなのかは知らないが、本人にとってはそれでいいらしい。自分だけが知っている場所に隠しておくことで、所有欲を満たそうとか、そんな感じだろうか。なんともさもしい奴だ。

 …………はぁ、メンド臭いな。

 仕方がないから、そのネックレスの本当の持ち主には諦めてもらおう。さすがに、コイツの隠したネックレスを貴重な時間を割いてまで探そうと言う気はない。無責任な話かもしれないが、そんなことをする義理もないし。

 そもそも、あんな高価そうなものを落とした方が不注意なのだ。拾った奴が例えそれをどこにも届けず、自分の物としてしまっても文句を言える立場にはないだろう。

 ……さすがにここまで言ってしまうと、自己正当化が過ぎるだろうか。

 まあ心の中で僕が何と言おうが、誰かに聞かれているわけでもないのだから、それもどうでもいいこと。

「うん、見なかったことにしよう」

 自分にとって都合の悪い事実は、みんな忘れてしまうに限る。

 幸運なことにこの後講義は一切入れていない。僕は逃げ出すように大学の外へと歩き出す。別に追われている訳ではないので逃げる必要は全く無いのだが、気分的にこの場を早く後にしたい。

 僕に続いて鈴蘭も歩き出した。当の犯人は罪悪感を微塵も感じさせない涼しげな表情を浮かべている。なかなかいい根性をしていると思う、この猫。

 鈴蘭に恨めしげな視線を送りながら、僕は再び溜息をついた。




 自動車も原付も持っていないため、僕の移動手段は高校の時から乗っているママチャリだ。カゴの中に鈴蘭を入れ、颯爽と風を切っての走行である。縁に前脚を置き、ひょっこり顔を覗かせている鈴蘭の姿に、すれ違う人々が奇異な視線を寄越してくる。だが、鈴蘭自身は全く気にしていないようだ。まぁ、僕も別に気にしている訳ではないが。

 大学から早々に脱出を試みた僕は今、大学から自転車で約十五分程度の場所にある、とある一軒家の前にいる。一般的な住宅に比べればかなり大きい部類に入るだろう。築数年も経っていないのだろうか、綺麗な白色の外壁がその新しさを演出している。見る人にその住人の裕福さが容易に想像できる程度に、立派な家屋である。

 何を隠そうここは、僕のバイト先である。

 まぁ、果たしてアレをバイトと呼んでいいのか疑問ではあるが。


 僕はインターホンを鳴らした。

 ピンポーン、と電子音が中で響くのが聞こえた。僕は扉の前で待機する。

 十秒ほど経ってから、パタパタと誰かがスリッパで駆ける音が聞こえてきた。足音はこちらの方に近づいてくる。

 カチャン、と軽快に解錠の音が鳴る。直後に目の前の扉が内から開いた。

 開けられた扉から僕を迎えたのは、ブレザー姿の少女だった。

「あ、先輩。いらっしゃい!」

「やぁ、柏崎」

 元気よく僕に挨拶してきた彼女は柏崎砂希。僕の雇用主の娘である。

 髪は黒のボブ、体躯は女性の中でもかなり小柄な部類に入る。その幼い顔立ちもあって、よく中学生と間違われるらしい。小学生でも通じそうな気はする。本人に言うとマジギレするけど。

 でも、一応は現在高校三年生。バリバリの受験生である。

「柏崎、学校は? サボり?」

 平日の真昼間に堂々とご在宅とは、なかなかに素敵な受験生だな。

「違いますよぉ、もー。微熱があるのでお休みです!」

「やっぱりサボりじゃん」

 微熱なら行けよ。

「先輩知らないんですか? 体調管理も受験生の仕事なんですよ? だから無理は禁物なのです!」

「体調管理に気を使ってるなら、そもそも熱なんて出すなよ……」

 この子、適当に喋ってるだろ。言ってることがその場しのぎ過ぎる。いや、即座に論破されるあたりその場すらしのげていない。残念な子だな、ホント。

「それにしても、先輩ったら遅いですよぉ! ずっと待っていたんですよ、私」

「えっ、あーごめん」

 眉を吊りあげてむすっとする少女に、咄嗟に謝る。全く悪いだなんて思ってないけど。

 僕を待ってる暇があったら勉強しろよ受験生。微熱程度ならやれなくはないだろ。勝手に待たれて、それで憤られてもこちらとしては困る。

「……ありゃ? 先輩、なんだかお疲れちゃんモードですか? 元気なさげですよ?」

 彼女の言葉遣いはなかなかに独特だ。お疲れちゃんモードって何だよ。

「僕は常にローテンションだよ。でも……まぁ、疲れてるって言えなくもないかな。何処かのバカ猫のせいで」

 そう言って背後を振り返る。鈴蘭が目を丸くして少し驚いた素振りを見せた。が、すぐにそっぽを向いて口笛を吹いて誤魔化そうとする。口笛、全く吹けてないけど。

「ありゃりゃー、また鈴蘭ちゃんが何かやらかしたんですか? 大変ですね、先輩も」

 そう言って、柏崎は僕越しに鈴蘭の姿を見て、挨拶代りに手を小さく振る。

 鈴蘭は柏崎の方を横目でちらりと見たが、すぐにぷいっと顔を背けた。心なしか若干不機嫌そうにも見える。

 無視されたにもかかわらず、柏崎は特段気分を害した様子もなく、「ありゃ、怒らせちゃったかな?」と頬を掻いた。

「別に大したことじゃないよ。コイツが勝手にどっか行って、数十分ばかし僕が探す羽目になっただけ」

「ありゃー……そりゃ大変だ」

 柏崎は呆れるように苦笑いを浮かべる。それから、やんわりとその不用心さを非難する様な視線を鈴蘭に送った。それに対し鈴蘭は、こちらの方を一瞥し、色んな感情を交々させた表情を浮かべて目を伏せた。

「……ま、過ぎたことをあっさりすっきり水に流しましょ。それより、中に入りましょうよ」

 そう言って彼女は一歩を身を引いて、僕を中に招き入れる。促されるまま、玄関に一歩足を踏み込むと鈴蘭もタタッと駆け足で僕の後に続いた。

「ささ、急いで急いで。先生、またいつものところで待ってますよ?」

 靴を脱いでいる僕の背後から柏崎が急かしてくる。

「……別に時間の約束なんてしていないし、急ぐ必要なんてないだろ?」

「甘いなー、先輩は。あの人、超超超、チョー自分本位な人間なんですよ?」

「いや、それは知ってるけど……」

 あれほど他人に合わせようとしない人間は、そうそういない。

「だから、自分のペース乱されるの、大ッッ嫌いなんですよ。もう、小学校低学年並みに短気」

 もういい歳なのに、歳が十にも満たない子供並みかよ。ホント、ろくでもない大人だな……。

 靴を脱ぎ終わり、勧められたスリッパを履いてから、先導する柏崎の後ろについて家の奥へと進む。僕に並んで鈴蘭もてくてく歩く。

「あっ、今日は私も一緒に見学させてもらいますから」

「えっ、君も一緒なの?」

 僕は柏崎の後姿に向かってそう訊ねた。彼女は別に僕のバイトの内容に関わっていないため、普段は同席しない。

「はい。お邪魔はしませんから心配は御無用ですよぉ」

 振りかえって彼女はへらへらした笑いを浮かべながら答えた。

「いや、君、勉強は?」

 僕のこの言葉に、そのへらへらした表情が一瞬固まった。彼女はしばらくの逡巡の末、「……えへっ」と首を傾げて可愛らしくはにかむ。

「……そんなんじゃ受験スベるよ」

「チッ、チガイますよー! ちゃんと午前中はしっかり勉強してましたもん! これは気分転換ですよ、き・ぶ・ん・て・ん・か・んッ!!」

 ムキになって否定する辺りが図星っぽい。

 でも……まぁ、いっか。

 柏崎本人の人生だし。勉強サボって受験に失敗しようが何しようが、あくまで彼女の問題だし、僕があまり口出すことでもない。年上としての老婆心からたまにおせっかいなことを言いたくなるが、彼女としてもあまり触れて欲しい話題じゃないだろう。この辺で受験の話を振るのはやめよう。

「そっか、気分転換ならしょうがないね」

 とりあえず適当に相槌を打っておいた。すると、「うぅ……、絶対信じてない」なんて声が返ってきた。うん、全く信じてない。

 板張りの長い廊下を抜けて、一番奥の部屋に着いた。ここが目的地だ。

 柏崎が木製の重厚な扉の前に立ち、コンコン、と二度ノックをした。

「先生、先輩が来ました」

 中にいるであろう人物に彼女は報告した。しかし、しばらく待っても返事は返ってこない。

「……先生?」

 コンコン、と再び柏崎はノックする。

 すると今度は、数秒ほどで返事が返ってきた。

「……入ってます」

「ここはトイレか!!」

 思わずドンッ、と思いきり力強く扉を叩いてツッコミを入れてしまった。

「……だったら、ちゃんと三回ノックしろ」

 壮齢男性の、芯の通った低めの声で扉の向こうから聞こえてきた。しかも、声色に不機嫌さがにじみ出てる。

「いや、確かに二回ノックはトイレでのノックの作法だけどさ……」

 そんな細かいことどうだっていいじゃん、と内心思う。

 もしかして、自分のペースを乱されて本当に怒ってるのか? だとしたら、かなり気持ち悪い拗ね方だな……。

「……まあいい。さっさと入れ」

 扉の向こうの声を受けて、柏崎はコホンと小さく咳払いをしてから、ゆっくりドアノブを捻って扉を開けた。扉の向こうの風景が広がる。

 二十畳ほどの広めの空間。

 その壁際に、ずらりと並ぶ本棚。中にはぎっしり本が敷き詰められている。収められている書籍のジャンルは多岐に渡るが、どれも読解が極めて困難そうな英語表記の専門書だ。

 また、部屋の一番奥には、やたらデカイ機械がドンと構えている。部屋の三割くらいはそいつに占められているんじゃないだろうかと思う。僕も詳しくは知らないが、とてつもなく高価な機械らしい。

 そんな本棚や機械に加えて、部屋の中には窓は一つもなく、室内は人工の光でのみ照らされているため、部屋の広さの割にかなり圧迫感を感じる。

 その狭苦しい雰囲気の中で、更にうっとうしい雰囲気を放っている男が一人。

 機械の右脇に置かれた、いかにも値の張りそうな重量感溢れるデスクに左手で頬杖かいてこちらを恨めしげに見ている。もう片方の手は、コツコツと指先で神経質にデスクの面を叩いている。

「……遅かったじゃないか、霧森」

 僕の雇い主こと、柏崎岩生は重々しくそう言い放った。

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