第5話:灯里という"少女"
催眠アプリとはとてもいいものだ。無理やりじゃないけど意中にすることで純愛といっても語弊が(俺の確認する中では)ない。だから、こんな作品も……。
「……うわ。あんたマジで趣味悪いわね」
「アッ、アカリサン。ド、ドウシタンダイ」
背後から灯里の顔が俺のスマホを覗く。八咫野の部活が終わるまで誰もいない教室で、ひそかに今日のおかずを探していたところが……。
「なんであんた学校で見てんのよ。馬鹿か」
「いや、俺はいま、同士に語り掛けていたところだ」
「同士って、誰もいないけど」
「いるんだ。ここじゃない何処かに……」
意味わかんない、とうんざりそうな顔をする。ポニーテールをなびかせ、バッグを肩に背負いながらといった彼女は、まさにヤンキーのようだ。柄が悪い。どうやったらあんなお嬢様からこんな人格が出てくるんだと常々思う。
「部活終わったんだけど。あんたの出番だよ。氷織に戻して」
「あーもう。わーったよ」
そうやって彼女のでこに軽くデコピンを……。
バシッ。
「あでっ」
しかし衝撃をおでこに食らったのは俺の方だった。
目の前に灯里のしなやかな指がある。にやりと笑い、
「やっぱやめた。あんたん家行くわ」
「……拒否権は?」
「あんたに必要なの?」
灯里はニッと笑い、ポニーテールを振り回し、教室を出ていく。不思議と、悪い気がしなかった。まあ家に入られたとて、今時、男子高校生が見られて困るものは電子媒体だからな。いましがた見られたけど。
そういえば。灯里よくポニーテールだが、氷織のときにはロングである。その方が動きやすいとかあるのだろうか。
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灯里がリビングでソファにカバンを投げ出す。
「よーし。賢治、飯」
「ハイどうぞ」
「……」
彼女は渡されたものと俺を交互に訝る。
渡したのはゼリー飲料だ。それもカルシウム補給バージョンの。
「カルシウム足りてないんじゃないかって、買ってきたんだ。感謝してくれ」
「……。ああ、そう。つまりは、あたしに喧嘩売ってんだ」
彼女がそうやって、鳩尾めがけて拳を振りかぶる。しかし俺は余裕だった。昨日はずっと灯里に鳩尾を殴られ続けていたので、鳩尾部分に分厚めの板を装備しているのだ。これのせいで今日は椅子に座りにくかったが。
「……無防備だな」
「灯里が速いだけだ」
「そうか」
振りかぶった拳を開き、何かを、いや……ナニかを鷲掴まんとする形だ! 男の本能でそれを察知し、彼女が目標をとらえる前に俺は土下座のポーズをとる。
「申し訳ございませんでしたっ」
「あんた本当にバカでしょ。やられるって解っておきながらコケにするとかさ」
「いやぁ。なんか俺、女子は苦手だけど灯里には強く出られるんだよな。女子ってより男友達感がつよい」
「……それはあたしが、女としての魅力がないって言いたいの?」
「外見で言えばクラスのマドンナ。中身はヤンキー。後者が痛すぎるだけだぞ」
あとは、彼女自体が俺のボケを全て拾ってくれるところもあるか。俺に友達が夏向くらいしかいないのは、ノリが合うのがあいつくらいだからだ。灯里は何か、波長が合う気がする。ただ少し力に加減が欲しいが。
「そこは素直に『魅力的だ』って一言言いなさいよ」
「ミリョクテキダ」
「こいつ、棒読みを多用しすぎじゃない?」
「ソンナコトハナイサ」
今度は明らかにおちょくったように言ってみる。灯里はしかし、なにか考え込むように下を向く。
「ねえ、本当に魅力的じゃない?」
「……は?」
「今だけ、あたしに何をしてもいいって言ったらどうする?」
「お前何言って……」
言うやいなや、彼女は髪を纏めていたゴムを解き、俺のベッドになだれ込む。完全に脱力し、胸元も緩んだ無防備な姿。髪はベッドに広がり、それは氷織のような印象を与える。
控えめな大きさの胸部はベッドの上でしかし大きさを主張する。運動部らしい健康的で流麗な肢体。魅力的じゃないなんて、言えるはずもない。
「お前何してんだ!」
「言ってんでしょ。あたしの体、好きにしてみなよ。催眠でもなんでも使っていいから」
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あたしは、なんでこいつを受け入れたのか。分からない。あたしは、なんでこいつを殴れるのか。分からない。あたしはなんでこいつを手離したくないって考えてるのか。分からない。
あたしは元々、水泳をするためだけの人格だった。彼女が築いたイメージを崩さないために、友達との会話は最小限にして、あたしという存在の影響力を消そうとした。水泳に打ち込んだ。なのにあいつの事件があって、人格のスイッチが壊れて。
そしてあたしは彼に突っかかった。校舎裏という2人きりの空間で彼に当たった。
氷織を守るべきなのに、氷織を助けるためにいるのに。なんであたしは、彼の行動を許してしまったのだろう。
ベッドの上で、あたしは何かを待っている。
「灯里、催眠も使っていいんだよな」
あたしは無言でいる。ああ、やっぱり使うんだ。彼はスマホをかざす。
直後頭がふらつく感覚。全てを受け入れてしまうような。その微睡む感覚の中で彼の声が嫌に心地よく反響する。
「灯里、」
きっとあたしは彼を軽蔑する。それは満たされそうで虚ろなようで。それをずっと待っている。
「強がりはやめて正直になれ」
……え?
直後頭のモヤが晴れる。
彼はおもむろに唇を開く。
「やっぱり灯里は、氷織の人格なんだな」
「……なんで」
「手が震えてる。あんときの氷織と同じだ。催眠が怖いんだろ。それに、」
「……」
「氷織を守るとかいいつつ、氷織に替わるべきだった放課後、そのままでいたくせに」
「それは、まあ、気分よ」
あたしのことを知ったように話す彼に、もううんざりし始めていた。
「本当にそれだけか。言っとくがな。俺はもう、嫌な嘘をつかれたくないんだ。今日のお前は気持ち悪い」
あんたに何がわかるの。
「………………さみし、かった」
口からポロリと零れた言葉は、あたしの思いもよらないものだった。気づけば目元も温いものが流れ、喉が苦しくなった。
「あ、あたし、……さみしかったの?」
催眠のせい、催眠のせいで。涙の堰も言葉の堰も全てなくなっていく。そんなつもりでやったんじゃないのに。あたしは、あたしは……。
「初めてだったの。自分から、この口調で話せた奴が。あたしに、名前がついたのが。だから、もっと……もっと友人みたいなのが欲しかった。氷織は友達がいっぱいいるけど、あたしはその子たちの友達になれないから」
あたしでも知らなかったことが、溢れては腑に落ちていく。
「だから、あんたとの関係を手放せなかった。氷織に替わりたくないって思った。だから、自分でも分からないうちに、こうしてた」
明確な理由じゃない。けれど、何かが欲しかった。それは多分、熱。
あたしは、彼の体に抱きつく。
「はぁ!? お前……」
「もう少しこうさせて」
彼は体を弛め、こちらに任せてくれる。
「あんた、汗臭いわね」
「今言うか」
「ええ。だから次までには綺麗にしておいて」
安心はしない。臭いから。でも何か、満ちるのだけ確かに分かった。だから、そう。催眠をかけられているんだから。仕方ない。
「ありがと」
それだけポツリとつぶやく。あたしは、ずっと待っていたんだ。彼に、解かれることを。
彼の顔を見ようと体を離す。と、彼の顔はとてつもなく真っ赤だった。
思わず吹き出す。
「わ、笑うな。こ、こんな、こっ、こと……」
「しどろもどろすぎよ。ばか」
あたしは彼の制服を正して、キッチンへ向かった。
「ふう。お礼してあげる。ご飯あたしが作るから」
「な、なんで急にまた」
「うっさい。黙って受けてろ」
あたしはきっと氷織のような料理は作れない。けど、できることをしたいと、そう思った。




