第3話:楔を打ち付ける
何故か俺は過剰な肉体労働を強いられている。確か、灯里に弱みを握られて……。
「あーーそこーーーー効くーーー」
俺はコーヒーメーカーでアイスコーヒーの抽出、傍らで俺は灯里の肩を揉む。そして灯里は今、俺の漫画を読んでいる。彼女が漫画で笑ったり注視したりする度揺れるポニーテールが鼻腔をくすぐって、なんともいたたまれない。
「本当になんでこうなった」
「おっ。この漫画めっちゃ面白いわ。ちょ、早く『スパイシーオレンジウォーター』の続き持ってきてよ」
月曜日は基本部活がないらしく、また5,6時間目は体育と物理だったため、それなら氷織に戻る必要もないかと、そして放課後の時間を、俺の部屋で行われることになったのだ。まじで何なんだこれは。
「つーか、賢治って一人暮らしのアパートなんだ。意外。生活能力なさそうなのに」
「……」
「え、何黙ってんの」
「ナンデモナイヨ」
灯里が二マリと笑う。これは絶対、面白いことをするときの顔だ。
「どーせあんなの使うような奴なんだし、エロ本たくさん持ってんでしょ! これは探し甲斐があるわね……」
言うよりも席を立つが早いか、俺もんでいる肩をするりと抜け、リビングから俺の部屋のドアノブに手を伸ばす。
「あっバカ!」
「賢治のエロ本ご開帳〜!」
俺の自室の封印が、ッ!!!
「………………うわぁ」
リビングはかろうじて片付いているが、自室はダメだ。なぜならそこは、灯里が来るということで全てのゴミを放り込んだ山があるから。俺に生活能力は、皆無なのだ。
「あんた、この部屋で暮らしてるとかマジ?」
「何も、言うな」
「なんというか、酷いわね」
追い打ちと言わんばかりに言葉を重ねられる。俺は紙のエロ本を持っていないので、入られること自体は何も問題は無い。ただ、汚部屋って点を除けば。
「……せっかく溜まり場にしようとしていたところがこれじゃ、漫画も楽しめないじゃない」
「嘘だろ。居着くつもりか」
「別にいいでしょー。美少女が相手してやってんだから、これぐらいはしてくれなきゃ」
「……割に合わねえ」
恨めしいという視線を向けるも、灯里は気にする様子もない。完全に下に見られているのがわかる。ふと、灯里は考え込む素振りをする。
「でもそうね。この汚部屋を意識しちゃったらなんか異臭がしてきた気がする」
そうだろうか、と鼻で嗅いでみるもあまり匂いはしない。
「そりゃあんたはわかんないでしょうよ。鼻がこの匂いに慣れちゃってんだから。……嘘本当に匂いしてきた。カップラーメンの容器やらなんやら、どうしたらこんなに散らかるのよ」
「毎日食ったらこうなるだろ」
「……もしかしてあんた、ゴミ箱に入れたら全部無になるとか思ってない?」
「んなわけ……」
灯里が腰に手を当て、よし決めた!と声を張る。
「あんた、私を氷織に代えなさい。氷織みたいなお嬢様にボロクソに言われればあんたも掃除する気が起きるでしょ!」
「俺のことをなんだと……」
**
「生天目さん、この汚部屋が!」
「グハッ」
入れ替わるやいなや、純朴に励ますかの如き勢いで貶される。
「ごめんなさい。入れ替わり直前に、灯里に言うように言われちゃって」
「灯里の鬼畜……」
「でも、普通の高校生は一人暮らしなんてできないですから。出来て……はないですけど生きてるだけで偉いです!」
言わせてしまった感が強い。罪悪感からか、申し訳なさが……。うん。片付けなきゃかぁ。
と、打ちひしがれている間に氷織が立ち上がって部屋の方へ向かう。
「……八咫野さん、なにして……」
「何って、片付けですよ?」
「いや客人に片付けさせるのは……」
「私がやりたいからやるんです。それに、私達は協力関係なので。ギブアンドテイクです」
灯里には脅されて強制的に協力させるというのに、氷織は片付けを手伝ってくれるだと……!?
「もうずっと八咫野のままで居てくれ……」
「それは無理です。人格切りかえのスイッチが壊れたといっても、なにかの拍子に切り替わりますから。今朝も、何もしていないのに切り替わりましたし」
「もう鳩尾は嫌だ」
「それは、生天目さんの卑劣さと等価交換なので大丈夫でしょう?」
……あれ、この子もしかして怖い?
**
数時間もすれば部屋は片付いた。ゴミ袋は3つ分。逆に3つ分で収まってよかった。
今日はそもそも月曜日の放課後。外はもう既に暗くなっている。平日にするもんじゃないとクタクタと自室を出ると、なんだろうか味噌の匂いが……。
「あ、生天目さん、片付け終わりましたか?」
「ああ、うん。てか、八咫野さんは……?」
「見てわかる通り、今日は豆腐の味噌汁と塩鮭です。ご飯は、時間がなかったのでパックですけど」
「そうじゃなく、なんで料理を……」
「さっきも言ったとおり、生天目さんには協力してもらうんですから。これはお礼の先払いですかね。……それに、こんな様相を見てしまっては、夢見悪いので」
「もう遅いのにか?」
「家には連絡しましたよ」
はぁとひとつため息をついてから、氷織は続ける。
「それに、シンクは片付いてるなーと思ったらただ使われてないだけじゃないですか。冷蔵庫に何も入ってなかったので、材料も買ってこなきゃ行けませんでしたし」
「……冷蔵庫は、電気代食うからなぁ。使うことないし」
「本当にどんな生活ですか」
「朝と夜はコンビニ、お昼の購買の弁当が1番助かる」
それを聞いて信じられないという顔をする氷織。やはり彼女にはまだ早い世界だったか。
頭の中で灯里が「周回遅れって言うのよアンタのは」って言った気がしたがまあいいや。
**
「「いただきます」」
と、膝ほどの高さのテーブルに、豪華な和食が並んだ図に非現実感が湧く。久しく食べていなかった人の手作り、そして見事な和食。箸で鮭の身をほぐす。……素人目にも、火入れが完璧とわかる。
「……うま」
「塩コショウだけですから、大して市販品と変わりませんよ」
「それにしては本当に……美味いな。味噌汁も美味いし」
「市販の顆粒だしですよ」
「ご飯も美味い」
「……ただのパックご飯ですよ」
「わかってはいるんだが。なんでか数百倍増しで美味しい」
いつもはもそもそとしか食べていなかった食事を、久しぶりにガツガツと食べてしまう。氷織の苦笑も届かないほどにがっついた。
**
「ご馳走様」
「お粗末さまでした」
互いにペコりと頭を下げる。氷織は3割ほど残っている。割り箸で塩鮭を小さくほぐして口に運ぶ様も、上品さを醸す。
「……本当にお嬢様なんだな」
「それはクラスの皆さんが勝手に言っているだけです。確かに実家が細いわけではありませんが」
……灯里なら、このご飯をどう食べるんだろうか。口にかき込むだろうか。
「それにしても、使用した形跡はありませんでしたが、ちゃんとお茶碗などが複数ありましたね。客人用でしょうか」
「ああ。本当は親用なんだがな。もう使う機会も……って、すまん。忘れてくれ」
「どういうことですか?」
俺は少しブルーな雰囲気を装ってみる。
「去年までは母親が来てたんだけどな。色々あって離婚して、親権を持ってる親父も、ここに来るような性分じゃねえから」
「っ。……すみません。よくないことを聞いてしまいました」
「全然。俺が勝手に話しただけだ。気にすんな」
ああそうだ。俺が勝手に話しただけ。
……悪い手法だ。こうやって、俺の過去を話した。それは純朴な彼女に罪悪感と憐れみの楔を打ち込むのだ。
ちょっと卑怯でも、せっかく手に入れた女性との人肌の関係だ。手放したくなくなっていた。
きっとこの生活を続ければ、ほかの男子には手の届かないご飯が待っている。逃す手はない。
彼女が好きかと言われたらそんなにと答えるが、それでもなんだか、彼女達との関係に心地良さがうまれた気がした。灯里の鳩尾は……まだちょっとごめん蒙りたいが。というか灯里がいるから催眠アプリをまだ使えていないのだ。邪魔だ。
しかし、灯里も氷織への愛情が見て取れるし、氷織も灯里を大切に思っていることが見て取れる。そして2人とも俺の扱いが雑。
だけど、うん。俺は正直女性が苦手だが、こいつらのことは自然と心地いいとさえ思うようになってきた。
その時、氷織が口を開く。
「生天目さん、灯里は、どんな子ですか」
「どんな子って、お前の方がよくわかってんだろ」
突然訊かれるものだから疑問符が浮かぶ。
「いえ……。彼女は、元々多くを話したがらない人だったので。ですから、こんなに楽しそうに生天目さんの家でくつろぐのを見て、すごくびっくりしました」
「ふーん?」
俺は彼女の言わんとすることがよくわからず、適当な相槌を打つしか無かった。
「生天目さん、ありがとうございます」
嫋やかな笑みを向けられ、自分の所業にムズムズする。紛らわすために初めて使う小型食洗機にお皿をぶち込んだ。




