第2話:催眠アプリの使いかた
女子更衣室に誤って入ってしまった俺は、その女子に胸倉をつかまれ、そして校舎裏に呼び出されていた。催眠アプリで記憶を消したはずだというのに。それよりも、ザ・お嬢様といった風評の八咫野 氷織がどういうわけかヤンキーのような、別人格の如き豹変っぷりになっているのだ。いったいどういうことだってばよ。
頭にはてなを浮かべながら購買の弁当を食べ。校舎裏に来てみれば、八咫野氷織(?)が仁王立ちで腕を組んで立っていた。
「遅い」
「弁当は食わせろ。話長くなりそうだし」
「ふーん。……長くなるって自覚、あったんだ」
「あっ」
口調がいつもと違う八咫野に、的確に墓穴を指摘されてしまう。やましいことがあると自白するようなものではないか。
「本題に入ってくれ。俺も忙しんだぞ」
「あっそ。じゃあ言わせてもらうけど」
八咫野は1メートルほどあった距離を詰め、顔を俺の真ん前に持ってくる。そして顎を上げ、高圧的な視線を飛ばしてくる。
「あんた、あたしたちになんかしたっしょ。なんか、見せたよね」
的確にその時のことを言われる。忘れるように催眠をかけたはずなのに、なんでだ?! いやでも、あのときでは効いた様子があったし、なにより、あれが演技だというのなら八咫野の意図がわからない。……ブラフか。俺は一か八か、とぼけることを選択した。
「見せるって、何をだ。俺はそもそもお前に何かする理由がないぞ」
「理由ならあるでしょ。あの子可愛いもん。男子が放っておくわけないでしょ。このケダモノ」
「心外だな。俺は結構紳士な方だが」
「催眠アプリを使うやつのどこが紳士なのよ。てか、本題から逃げようったって、そうはいかないからね」
ブラフではなかったか。
「なんで催眠アプリなんて言葉が出てくるんだ?」
「そりゃあ、アレよ。見た目がまさにだったでしょ」
「見たことあるんだな。もしかしてそういうサイト……」
「あんた……殴られたいの!?」
胸ぐらをもう一度掴まれる。煽りは逆効果だったか。しかし、確信する。
完全に彼女は、一昨日ことを覚えている。忘れる催眠をはねのけてまでだ。これはもう、観念するしかない。
「ああもうわかったよ。だがまず最初に言わせろ。あれは事故だ。というかそもそも記憶を消したはずなんだが」
「こっちだって知りたいわよ。んで、事故ってのはどういうことか説明してもらおうかしら。ましな言い訳じゃないとこの場所で事故が起こるから」
八咫野が拳を翳し、殴る予告をする。
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「……まあとりあえずは分かったわ。何を間違えたのか、トイレと女子更衣室を間違えて、人生を違える勢いで催眠アプリを実際に人に使ってしまったと。ふーん。へーえ。それで、いったいこの状況の何が殴らない理由になるわけ」
「尿意に思考を支配されると、人間は最も愚かしい生き物になる」
「あっそ」
八咫野は拳を振りかぶり鳩尾に容赦なくたたき込む。俺は声もなく倒れる。
「いだいを通り越して、きもちわるい......」
「自業自得よ。というかなんであんたがそんなもの持ってんのよ。エロ同人の読み過ぎじゃないの?」
「……八咫野でもエロ同人って言葉使うのか」
「それはっ。まあ、氷織を汚さないためには致し方ないっていうか。そんなのはいいのよ」
コンクリに転がる俺を、八咫野はローファーで踏む。
「本題はこっち。あんたに、ちょっと"お願い"があるんだけど。"協力"してくれない?」
彼女の顔を見上げれば、逆光で彼女の顔が不敵な光となった。上品でさわやかな光とは違う、不敵でギラついた光。彼女は見下したまま、彼女は笑みを浮かべる。ただただ、嫌な予感しかしなかった。
「嫌だと言ったら」
「あら。鳩尾に入れられるの気に入った?」
彼女はローファーで、先ほど殴られた鳩尾のあたりを踏み、さらにグリグリと押し込んでくる。再来する気持ち悪さに耐え切れずギブする。俺は立ち上がりながら土を払って向き直る。
「んで、協力って何」
「あんたのその催眠アプリで、あたしの人格入れ替えを手伝ってほしいの」
「じんかく……?」
「あーえーと。八咫野氷織は水泳用の人格を持ってんの。でも、あんたのせいでその切替スイッチがぶっ壊れた。以上」
「……質問。なんで」
「知らないわ」
いきなり激昂して彼女は怒鳴りつけてくる。
「そのせいで水泳大会は私だけ棄権になって、女子水泳部が3位入賞になったのよ! それに朝起きたら私になってて……私はあの子みたいに上品に学校生活できないし。全部アンタのせいよ!」
上品さに関しては知ったこっちゃないのだが……。だがまあ、俺に責任があるってことなら、無関係と言えなくなるのか。
「わかった。ただし、条件がある」
「は? 条件?」
「必要だろ、条件。だって今のままだとこっちに利がないじゃないか」
「……あー、ゴメン。説明不足だった?」
また胸倉をぐいとつかまれる。どすの利いた一回り小さい声で。
「あたしのお願いは"命令"って意味ね。あたしの方が人望あるんだから、社会的にアンタを殺すことも難しくないのよ。だから、死なないために協力しなさい。わかった?」
「……わかったよ」
絞るように言えば、彼女は胸に入れていた力を緩ませる。
「まあどうせ、催眠かけたら終わりだろ」
「そうね。それを、普通の時はおとなしい方、体育か部活の時にはこっちの人格にして」
「……めんどうくさいな」
「やだ、そんなに鳩尾が好きなの?」
多分、俺はこいつと相性最悪だ。口を開いたらもう拳が飛んできそうだ。俺はスマホを立ち上げ……。
「そういえば。お前は八咫野氷織だけど、上品な方も八咫野氷織だよな。どうやって呼称するべきか悩むんだが。お嬢様の方とヤンキーの方でいいか?」
「誰がヤンキーよ」
「鏡って知ってるかよ」
彼女のボケ100%のツッコミ……こいつ本当になんなんだ。
「まあ確かに区別しづらいか。……じゃああたしのことはオルターエゴ氷織と呼びなさい」
「だっっっせ。悪いことはいわねえから別のにしろ」
「……氷織Mk.Ⅱ」
「……」
ささやかな反撃で、無言でドン引きの表情を作ってやると彼女の顔が赤くなっていく。
「……灯里」
「あかり?」
「灯里ってのはどうだ、お前の名前。なんか語感いいし」
「ふーん。……いいわね。うん。それ採用。んじゃ、あたしを氷織に代えて。そのあとまたあたしに戻して。ほら、早くする」
すこしテンションの高くなった彼女に向けて、催眠アプリを向けてみる。
すると、彼女の粗暴さや不敵さなどが、すべて消え失せた無表情となる。
催眠待機状態。
ポニーテールであることが灯里っぽさになっているのだろうが、それ以外では一昨日の氷織と何も変わらない。催眠待機状態だからか目の焦点は会わず、無防備である。
……早く、氷織にしなければ。
と言ってもただ催眠をかけるのはつまらない。これが最初で最後かもしれないんだ。ここはテレビの催眠術師みたいに……。
「八咫野。お前は、目の前で俺が手を叩いたら氷織に変わる。3、2、1、はいっ」
パチンと手を合わせた瞬間、目に焦点が戻っていく。不敵さは何処へやら、目つきはとてもおだやかに、上品な容貌に変わっていく。本当に同一人物なのかと疑ってしまう。
「……あれ」
八咫野……氷織が口から声を漏らす。成功とみて、いいだろう。
「あ、えっと、確か生天目賢治さん、でしたよね」
「俺の名前覚えてたのか」
「クラスメイトの名前なのですから。覚えるのは当然のことです」
あどけない声の調子から繰り出される純朴な言葉。クラスメイトの名前を夏向と八咫野以外覚えてない自分にぐさりと刺さる。
「それに……意図せずとはいえ素肌を見られた相手なので」
「その節は本当にすまん……気が動転していて」
苦笑される。……灯里とやらがいないのが1番丸かった気もしてきたぞ。
「いえ。あれは事故ですから。私も反射で叫んでしまいましたし。お互い様です。証拠を隠滅して逃走するような卑しいところさえ謝って貰えれば」
「……ゴメンナサイ」
圧ある笑顔が怖いのは人格が変わっても同じらしい。
「そういえば、あっちの人格と八咫野さんの間では記憶はどうなってるんだ。俺たちのさっきの会話は分かるのか?」
「灯里のことでしたら、なんとなく、ですかね。体の感覚や周りの状況。あと入れ替わる時一瞬だけ灯里の考えてることがまだ残っているので、なんとなくで察せるんです。確かこの後は、また灯里に代わってもらうんですよね」
まあ、もっかいチェンジ出来たら、それは好きな時に変更できるってことだもんな。
俺はうなづいて催眠アプリを起動する。それをまた眼に入れると、氷織は目をトロンとさせ、無防備な状態となる。
それを見て、ふつと、胸に昏がりができる。鳩尾に何発も入れてくる灯里だって、八咫野状態ならなんでもない。今のこいつなら、何をしたっていいんじゃないか?
いや、そもそも。催眠アプリとは本来信頼や恋心を植え付けたり、無防備なうちにいろいろするものだ。
俺は協力する立場であり、俺が催眠アプリで切り替えないと彼女は対人関係と部活で立ち行かなくなる。それをサポートする側だぞ。何の見返りもないというのは、あまりに酷ではないか。
少しくらい、報酬があってもいいではないか。俺は声を震わせながら、代わりに言う。
「氷織、スカートを上げろ」
氷織は顔の色を変えず、スカートをつまむ。そしてゆっくり上がっていき……。
「……て…………やめ……て、ください……」
……絞り出すような声。手は震え。顔も、空虚な催眠状態から泣き出しそうな歪みに変わってしまっている。
痛々しかった。
しかし、こいつもしかして催眠に耐性があるのか? だから記憶を消す催眠も、時間が経って解けて、こうなったのか。
これ以上続けても、抵抗されるんじゃ俺に得は無い。それに痛めつける趣味だってない。
「ハァ……。灯里にもどってくれ」
催眠アプリをもう一度かざして催眠をする。
……そしてすぐに。ドゴッという衝撃が鳩尾に来る。
「おごぉ!」
「このド屑が!」
「鳩尾好きなのは……お前の方じゃねえか」
「相手の弱ってるところを殴るのは当然でしょ。それよりも。あんた本当に信じられない。あんだけ念押ししたのに、本当にやるとは思わなかった」
「……。すまん」
俺は誠意を現すために90度で体を曲げた。
「すまんってアンタ……ああもう。途中で辞めたからまだいいものの、手を出してたら顔の原型無くしてたわよ」
「ああ。もうしない」
「……つまり。あんたはもうすでに禁忌を侵した……。何されても文句は言えないわよね」
「サンドバッグにはなりたくないぞ」
「アンタに、いや、賢治に拒否権は無いわ。ちょっと、ちょーっとだけ、みじめなことをしてもらうくらいだから」
漆黒の、愉快そうな顔で微笑む彼女に、恐ろしく肝が冷えた。
読んでいただきありがとうございます。催眠術の日である今日から週5ペースを維持して投稿をしていきます。よろしくお願いします。




