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忘却メズマリズム~清楚なお嬢様に催眠をかけたはずが、ヤンキー人格が出てきて尻に敷かれた件~  作者: 春代 羽羽


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第1話:催眠アプリといえば清楚女s……ヤンキー?

 八咫野 氷織(やたの ひおり)が今、教室で俺の胸倉をつかんでいる。

 上品だのお嬢様だのの評判が全部嘘みたいじゃねえか!


 彼女は鋭い眼光で、どすの利いた声で言う。

「オイおまえ。昼休み、校舎裏、面貸せ。逃げたら殺す」


 こんな俺には関係ないと思っていたはずの少女に、俺は頷くしかなかった。

 なんでこんな目に……なんて言えるはずもない。俺にはたしかに心当たりがあった。

 きっかけは、2日前。俺のスマホに、催眠アプリが入っていたことから始まる。


 **

 

 華の男子高校生ながら友人は一名、恋人の気配は原子レベルもなし。そんな生天目 賢治(なばため けんじ)は、朝早くバス停にてゲームを開こうとする。しかしその中にとてつもなく変な気配を放つアプリを見かける


「なんだこれ。催眠アプ……リ?」


 絶対にそんなの、入れたつもりもないはず……。悪趣味な瞳のアイコン。不気味さからか不思議と指が伸び……。


「おっはー賢治ー」


 しかしやってきて背を叩く木下 夏向(きのした かなた)に防がれる。

 いつもなら「おー」くらいで済ますのだが、今は見られたらまずいっ! すぐさまスマホをスリープにし、ひとまず繕う。


「……夏向か。おはよう」

「お前、何か隠したか?」


 バレるのが早すぎる。


「いや。後ろから声かけられたら誰でもびっくりするだろ」

「まさかこんな朝っぱらから往来でエロサイト開いてんの?」

「そんなわけ、な、ないが」

「おお! あとでリンク送っといてくれ」


 夏向は心なしか上機嫌で言う。緊張を紛らわすためでもあるだろうが。

 アプリのことは隠せた。失うものも大きかったけど。


 それにしても催眠アプリといえば男の夢、薄い本の鉄板。ご都合主義も恋心植え付けもなんでもござれの最強アイテム。漫画の催眠能力者は大体強いのだから実在したら世界が滅ぶ代物。いつも決まって唐突に現れるもの。


 催眠ものはよく見るからか興奮が収まらない。


「……じ、おい。賢治聞いてんのか?」

「あ、ああ。聞いてるとも」


 いかんいかん。脳内解説が止まらなくなるところだった。

 

「ったくよー。俺のこれからの命運を知ってんだろって」

「県大会だっけか。」

「いや、今日のは地区大会だ。だが、これで女子水泳部をギャフンと言わせたい!」

「へえ。女子水泳部って強いんだ」

「バカお前、八咫野(やたの)さんのことだよ」


 言われてようやく思い出す。八咫野 氷織(やたの ひおり)。クラスメイトで文武両道のお嬢様と名高い。一部男子が熱狂的なコミュニティを作ってるとかなんとか。クラスメイトの名前を覚えられない俺でさえわかる相手だ。


「あー。そんな人も居たな」

「水泳部の女子ってエロい響き惹かれて入ったら、こんな屈辱の対象だとは思わなかったわ。上層部もエロさで見てんじゃねえの……」


 出た。夏向の男子水泳部ネガ。滅多にはならないが、こうなるとめんどいんだよな。


 あ、そうだ。


 俺はさっきのアプリを取り出しこいつに向けてみる。

「よし。夏向、黙れ」


 なんて、そんなことを言ってもキレられるだけ……。


 しかし夏向の目はそれに反して虚ろなままだった。どこか遠くを見るようで何も見ないような焦点のズレ方。

「……か、夏向?」


 肩を揺すっても戻らない。ずっと虚を見つめている。自然とスマホに目がいく。スマホ画面には「催眠対象:木下 夏向(待機状態)」とある。


 これ、本物なのか?


「お、おい夏向。もう喋っていいんだぞ? ほら、バスもうすぐだし」


 しかし変わらず人形のように佇む夏向。スマホの画面は先程と変わらない。が、夏向の欄の右端にバツ印がある。反射でそれを押す。


 するとさきほどまでが嘘のように夏向があっけらかんと話し出す。

「……おい聞いてんのか賢治」

「え? あ、おう」


 どうやら、このアプリは本物らしい。あの状態の記憶もない彼が証左だ。


 催眠物が大好きな俺といえど、実在する友達に使うのは少し怖気がした。


 ――――


 俺は県で作られた市民プールのベンチに座ってカメラを構えていた。


 ちなみに言うが俺は水泳部じゃない。ただの帰宅部だ。ただ水泳部の友、夏向の親が今日はいないとかで、撮影を任された。県大会でもないのになぜ張り切るかもようわからんが、まあこうでもしなきゃ学校以外で外出することなんかないんだ。


 しかしここで、俺のは緊急事態が迫っていた。すごく、尿意が……っ!


 水の音が、無意識のうちに膀胱を膨らます。家を出る前にトイレ行ったのに!


『まもなく、○○県○○地区水泳部大会予選、男子の部を開始します』


 アナウンスが響く。7番レーンの辺りで夏向含む見たことありそうな顔がズラリと居る。


 しかしこういうのって前座が五分ぐらい待つよな! そんなの待ってられない!今もプールの水音で尿意が刺激されている!


 ちょうどその時、隣の席に暇そうなおじ(い)さんが座って来た。


「すみません! 代わりに第7レーンのあいつを撮っといてください!!!」


 おじ(い)さんは困惑顔だが受け取ってくれた。俺は全速前進、トイレへと向かった。



 もうすぐ始まるというアナウンスがしつこくなってきて、もう通路に人は少ない。女子の部だって男子の直後にやるんだ。準備する人だってほぼいない。


 だからだろうか。人の流れが無さすぎてどこへ向かってるかも分からない!


 しかし目に青の扉が目に入る。これは、トイレだ!


 俺は急ぎ入る。

 それで息を着いたのも束の間、多少の違和感を覚える。塩素の匂いと……甘い香り? 空気がペタつくような独特の雰囲気。


 そして目の前を見るとそこには、1人女子が。

 

 見紛うはずもない。それはクラスメイトで、女子水泳部のエースである、八咫野 氷織その人だった。競泳水着はまだ胸元まで。大事な部分は見えないが着用中の様が扇情的……って八咫野!?


 彼女はこちらを見、驚愕、そして……。


「きゃーーーーーーー!!!!!」


 絶叫した。後ろの戸は若干空いていて声が背後に響く。そして背後で壮年女性の声もする。そういえば道中、近くに受付もあったような。そして声は迫ってくる。

 やばいやばいやばい。このままじゃ社会的に死ぬ! 尿意が全ての思考を急かす。

 どうしようどうしよう。この場所を打開するには……。


 と、ポケットの重みを思い出す。


 催眠アプリ。それはかけるだけで全てを叶える魔法のアプリ。思い通りにするアプリ。


 今の状況も、何とかできないか。現実の人間に使うなど、それを八咫野に使うなど、人としてなにかを捨てることになるだろう。でも使わないと死ぬ。


「な、なんですかあなたは! もしかして不審……」

「(なるようになれだ!)」


 俺はアプリを翳す。その瞬間彼女の恐怖と怒気混じる表情が嘘のように呆ける。


「八咫野! 俺のことを認識せず、そして俺の事を忘れろ!」


 そう言ってから近場のロッカーに逃げ込む。尿意を抑え、声を抑える。


 そして更衣室に受付の女性が急ぎ来た。

「今の声はなに!? 何かあったの?」


「は、はい! あの……あ、あれ?」


 八咫野は催眠アプリの影響が出たらしい。頭のこめかみの辺りを抑える。


 受付の女性が不思議そうな顔をして戻っていく。

 

 その足音が遠ざかるのを見てから俺は更衣室を出る。同時にかけた催眠によって、氷織にまた目撃されることなくトイレへ駆け込むことができた。


 ――――


 そして土日明けの投稿日、俺は先日のやらかしから寝つきが悪く、今日は早く起きてしまった。遅刻の多い俺が十分前には投稿しているという快挙。


 と、そのとき、教室に光が差した。男子たちは一様にドアを見る。

 

 美少女だとか言われているが、それよりも付加する成績の方も大きい。偏差値65越えの本校の学年十指の成績、水泳部エース、そしてお嬢様と言われるほどに気品を兼ね備えた彼女。


 だと思ったが、今日は少しガサツな感じ……? 彼女はいつもと違ってポニテになっている。なぜにイメチェン。


 ただ男子たちは教室後方で鼻息を荒くして語り合っている。

 

 八咫野はクラスの男子の視線を感じたのか、彼女は友人の方からクラスの後方に目を移す。そしてすぐに友人の方へ戻す。……それだけだというのに。


「……振り返り方も気品あふれるっ!」

「俺、これから発展途上国に学校つくる!」


 男が単純すぎる。女性もこれぐらい単純なら、苦手じゃなくて済むというのに。と、八咫野が友達と別れてこちらを向く。明らかに視線は俺を向いていた。


 えも言わせぬ圧、足音も漏れ、上品さは近づくほどに薄れていく。


 そして俺の机の目の前で止まる。


「ちょっといいですか?」

「な、なんだよ」


 明らかな怒気と殺気。そして胸ぐらを掴まれ、耳元で囁かれる。


「オイおまえ。昼休み、校舎裏、面貸せ。逃げたら殺す」

 

 ヤンキーのような口調で凄まれ、俺は口を呆けて「……はい」というのが精一杯だった。

 

 俺が八咫野に胸倉をつかまれる理由、殺意を向けられる理由といえば覗き。だが、それを抜きにしても彼女の性格が変わりすぎではないか。まるで、そう。


「べつ、じんかく?」

 

 俺がつい口から漏らしてしまうと、八咫野はお嬢様らしさの一切ない、不敵な暗黒微笑を浮かべた。


 これは、催眠アプリから始まる純愛の物語である。……いや催眠で純愛ってなんなんだよ。

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