追悼 キム・セロン ―ミスを許さない私たちの社会―
キム・セロンが死んだ。
韓国映画界期待の女優、キム・セロンが死んだ。
2025年2月16日のことだ。
享年24歳。自殺だった。
私がキム・セロンの死を知ったのは、2月22日早朝のことだった。寝ぼけ眼を擦りながら、久しぶりにXでも覗いてみるかという気分になった。ここ数日仕事が忙しくて、なかなかXに触れる機会がなかった。猥雑な好奇心を発散しようと、タイムラインをぼーっと眺めているときだった。気になるハッシュタグがいくつもいくつも目についた。
#キムセロン
妙だなと思った。キム・セロンが名女優であることに疑いの余地はないが、世間一般の認知度は低い。とくに、日本で彼女の名前を知っている者といったら自ずと限られてくる。その多くが映画好きとみて間違いない。件のハッシュタグを使って呟いていたのも、私がフォローしている映画系アカウントだった。そのハッシュタグに付随するかたちで記された短文をなんとはなしに眺めているうちに、なにか嫌な予感がした。キム・セロンに、なにか良くないことが起こったことを匂わせるポストだったからだ。
私ははやる気持ちを抑えてXを閉じると、ブラウザを立ち上げて「キム・セロン」で検索にかけてみた。トップに表示されたニュースが目に飛び込んできた瞬間、私は、もうなにがなんだかわからなくなってしまった。韓国女優のキム・セロンが自宅で遺体となって発見。2月16日の午後4時54分頃。自宅を訪れた友人が警察に連絡して発覚。警察の見解。外部の人間による侵入は確認されず。自殺の可能性が極めて高い。享年24歳。韓国映画界の著名人らが哀悼の意を示す……そのひとりにウォンビンの姿があった。喪服に身を包み、沈痛な面持ちを浮かべているウォンビンの姿が。久しぶりにそのお姿を目にした。こんなかたちで目にしたくはなかったが。
■私とキム・セロン
私にとって、キム・セロンは特に思い入れのある女優のひとりだった。私は普段、映画を観るときに監督や脚本家、プロデューサーの名前に興味はあっても、俳優や女優に対しての関心度は世間一般のひとたちと比較すると、そこまで高くない。そんな私が想いを込めていた数少ない女優のひとりが、キム・セロンだった。
9歳の頃から子役として活動していたキム・セロンは、2009年に主演した映画『冬の小鳥』がカンヌ国際映画祭に招待されたのをきっかけに、女優としての華々しいキャリアをスタートさせた。私が彼女の名前を初めて知ったのは、2010年に公開された韓国映画『アジョシ』だ。この映画は、現代における韓国アクション・サスペンス映画の最高傑作のひとつと断じて良いほどの作品だ。後ろ暗い過去を持つ謎めいた質屋の男・テシク(演:ウォンビン)。そのテシクと交流を持つことになる貧しい少女・ソミ(演:キム・セロン)。ある日、ソミの母親が裏社会の男から覚醒剤を盗んだことがきっかけとなり、極悪非道で知られるマンソク兄弟にソミの身柄が狙われ、拘束されてしまう。テシクはソミを救うため、数々の危機を乗り越えながら、マンソク兄弟へ戦いを挑んでいく……この映画の後半でウォンビンが繰り出す筆舌に尽くしがたいナイフアクションは必見だ。あの圧倒的なナイフアクションを越えるアクションを持つ映画は、ハリウッドでもそうそうお目にかかることはできない。私はこの『アジョシ』こそ、現代韓国映画界におけるひとつの完成形ではないかと考えている。この映画にすっかり心奪われた私は、誰に頼まれたわけでもないのに、DVDを購入し、ひとつひとつのシーンをエクセルに描き起こし、台詞をひとつひとつ抜き出して、映画の構造を分析する、いわゆる『逆ハコ起こし』をやってしまった。それくらいにハマった映画だった。そして、この映画を観て以来、私はキム・セロンという女優に興味を惹かれていった。
2014年には、後に『あしたの少女』という傑作ヒューマンドラマを撮ることになるチョン・ジュリ監督のデビュー作『私の少女』に、準主役級で抜擢される。ペ・ドゥナに比肩するほどの繊細な演技を披露した彼女は、その後、数々の映画やドラマに出演していくことになる。2018年に公開された『守護教師』では、韓国映画界が世界に誇る大スターのひとり、マ・ドンソクとの共演を果たした。『守護教師』は当時、新宿の映画館で鑑賞したが、スクリーンに映ったキム・セロンを観た私は、「おっきくなったなぁ」と、親戚のおじさんのような心持ちで、微笑ましく彼女の演技を見守っていた。
どこまでも繊細で、どこまでも演技に真面目で、どこまでも優し気な雰囲気を持つキム・セロン。女優業として順調なキャリアを積んでいた期待の星だったが、運命の歯車が狂い始める出来事が、後に起こる。
■あの決定的な出来事
2022年5月18日午前8時頃。ソウル・江南区で、ある一台の車が、ガードレールや街路樹、変圧器に何度もぶつかり、破損させるという事故が起こった。
運転していたのは、当時21歳のキム・セロンだった。
通報を受けて駆けつけた警察の取り調べにより、彼女の体内から血中アルコール濃度0.2%が検出された。
紛れもない、飲酒運転が引き起こした事故だった。
キム・セロンは起訴され、2023年4月5日、ソウル中央地裁から罰金2000万ウォン(日本円にしておよそ210万円)の有罪判決を言い渡された。これがきっかけとなって、当時すでに撮影が済んでいた映画・ドラマからの降板を余儀なくされた。それだけではない。当時所属していた芸能事務所からは契約を打ち切られ、違約金として数億ウォン(日本円にして数千万)を背負うことになった。
9歳でレッドカーペットを歩いた若き女優は、22歳で韓国芸能界を追放されたかたちになった。彼女の手元に残ったのは、数千万円という借金と【飲酒運転事故を起こした元・女優】という汚名だけだった。
当時、私もこの飲酒運転事故はニュースで目にしていた。「いったい何をやっているんだ」という憤りが、まず最初にあった。素晴らしい映画作品に出演してきたのに、こんなことでキャリアに傷をつけるのかという怒り。だが、次第に心配の方が勝ってきた。彼女は今後、映画界に復帰することができるのかどうか。いや、そんなことより、彼女のメンタルは大丈夫なのか。それだけが心配だった。以降、私は新作韓国映画が公開されるたびに、キャストを確認しては、そこにキム・セロンの名がないことに、もどかしい想いを抱えることになった。いつか、彼女の名前を再びスクリーンで観たい。そう願う毎日だった。
女優をやっていたんだから違約金なんてすぐに払えるだろう。そう思うかもしれない。だが実情は違ったようだ。このあたりの事はKorepoやKstyleなどの韓国エンタメサイトに記事が掲載されているので詳細は割愛するが、キム・セロンは、芸能活動で得た収入の多くを両親の事業資金や家族の生活費に充てていたらしく、貯金がほとんどなかったという。
芸能の世界を追い出された彼女は、カフェでアルバイトをしながら、違約金を返済するために貧しい生活を送ることを余儀なくされた。それと並行して、どうにか韓国芸能界への復帰の道を模索していたようだが、その願いはついぞ叶わないまま、自ら命を絶つという最悪の結末を迎えることになってしまった。
■キム・セロンはなぜ旅立たねばならなかったのか
なぜ、キム・セロンは自殺という道を選んだのか。なにが、彼女をそこまで追いつめたのか。それは、キム・セロン当人しか知りえないことだ。ただのいちファンである私が、いまさらなにを言ったところで、真相はわからない。ただ、報道されている事実を組み合わせて推測するなら、そこには、一度ミスを許した人間をなにがなんでも決して許さない、常軌を逸した韓国社会の姿に、原因の一端があると見て良いだろう。
これはKorepoに掲載されていたニュースだが、「AOA」というガールズグループに在籍していたクォン・ミナによると、キム・セロンは生前、自らのプライベートをYoutuberに暴露されることが何度もあったという。あの飲酒運転事故以降、キム・セロンに対する世間の反応は、冷ややかを通り越して過激さを増していく一方だった。彼女のアルバイト先を突き止めては、あることないことを書き立て、キム・セロンのSNSに誹謗中傷の書き込みをする匿名の連中が大勢いたという。名前を暴露されるたびに「迷惑がかかるから」と店から解雇を言い渡され、そしてまた別のアルバイト先を探す羽目になる。そんなことを繰り返せざるを得なくなったためか、生活は極めて不安定だったようだ。こうした私生活への度重なる嫌がらせを受けているうちに、いつの日からか、彼女は「キム・アイム」という偽名を名乗って生活するようになったという。そこまで彼女を追い詰める権利が、いったい誰にあるというのか。この記事を書いていて、だんだんと私の中で激しい怒りが湧いてきた。
現在、こうした暴露行為の先頭に立っていたYoutuber(KorepoでA氏と記載されている人物)は、キム・セロンへの誹謗中傷が彼女を自殺に追いやったということが報じられるやいなや、関連コンテンツをすべて非公開にしたことのことだ。
私の意見としては、まず飲酒運転事故は事故ではなく「犯罪」であるという認識でいる。だから、キム・セロンが事故を起こした時、まず最初に彼女に対する怒りがあった。しかし、彼女はしっかり社会的制裁を受けていることも忘れてはならない。裁判にかけられ、罰金刑を言い渡されただけでなく、多額の違約金を背負うことになった。これを社会的制裁と言わずとして何になろう。
また、飲酒運転事故の際にキム・セロンは変圧器にぶつかっているが、その衝撃で近隣の商店57店舗が一時的に停電するという被害に見舞われている。事故を起こしてすぐ、キム・セロンは、その57店舗ひとつひとつを直接訪問し、謝罪と補償をしたというニュースが、Kstyleにて報じられている。キム・セロンが、なにを考えてこうした行動に出たかは、本人亡きいま、憶測でしか語れない。もしかしたら、自粛期間中のバッシングを避けるためのパフォーマンスだったのかもしれない。あるいは真心からの謝罪だったのかもしれない。ただひとつ、行動が示す事実として、キム・セロンがその足で被害に遭われた店舗を直接訪れ、謝罪の意を表明しただけでなく、停電期間中に生じた損害を自らのポケットマネーで補償したというのは、間違いがない。
社会的制裁を受け、謝罪をし、名前を変えて、世間から隠れるように細々とアルバイト生活をしながら、キャリアを積み直すための機会を模索していたキム・セロン。そんな彼女を韓国社会は許さなかった。匿名という笠を被り、あるいは「報道の自由」という詭弁を武器に、あることないことを書き立て、プライベートを暴き立て、再び芸能の世界で生き直そうとした彼女を、暗がりの世界へ追いやった。キム・セロンは昨年の4月に演劇『ドンチミ』で復帰を志そうとしていたらしいが、韓国世論の反発にあって、止む無く降板したとのことだ。
■ミスを許さない私たちの社会
なにかひとつ間違いを起こしたら、ミスを犯した人物を徹底的に叩くという風潮。これは、韓国も日本も変わらない。というか、このケースについては日本よりも韓国の方が異常だ。日本も異常だが、韓国はもっと異常だ。韓国では、こうした若い女優や俳優、インフルエンサーへの誹謗中傷が定期的に取り沙汰されるが、何度同じ間違いを繰り返す気でいるのだろう。本当にやるせないし、悔しい。哀しい。
一度失敗を犯した人間や迷惑をかけた人間を、死ぬまで許さない社会――それが、いまの私たちが暮らしている世界のスタンダードだ。俺は、私は、僕は、自分は、いままで誰にも迷惑をかけてこなかったし、品行方正に真面目に暮らしてきた。だから、一度失敗したり、間違いを犯したり、迷惑をかけてきた人間を徹底的に叩いて良いのだという、奢り高ぶる者たちが、SNSや現実の世界にはわんさかといる。ただ、それを大っぴらに口にしないだけで。
だが、人間なんて生き物は、生まれた瞬間から誰かに迷惑をかけ、何かしらの過ちを犯し続けている生き物だ。この記事を書いている私もそうだし、この記事を読んでいるあなた方、全てがそうだ。そもそも、人間はひとりの力では生まれてくることはできない。医者、助産師、母親……そうした他者の手助けがあって、はじめて私たちは世に誕生することができる。もう、その時点で迷惑をかけている。出産という行為は、あらゆる情感を排して客観的に観測すれば、基本的に「迷惑な行為」に他ならないのだ。私が/あなたが、ここまで大きく成長するのに、どれだけの金と時間と手間暇をご家族や公的機関は費やしてきたのか。そのことを考えれば、「誰にも迷惑をかけない人生を送ってきた」なんて、堂々と胸を張って言えないはずだ。
それに、人間は無意識のうちに間違いを犯す。日常生活、学校生活、仕事場、人間関係……あらゆる場面で私たちは間違いを起こす。それが、法律に引っ掛かるか、そうでないか、という大小の差があるだけだ。そして、法律違反をした人間を相手に、その人の人権を侵害するような振る舞いが許されるわけでもない。人間とは社会的な生き物だ。社会を構築しなければ生きていけない生き物だ。だからこそ、法律違反した人間を社会から追い出すのではなく、違反した人間を更生させ、矯正させ、社会へ再び参画させるプロセスと、そのプロセスへの理解が重要になる。そうしたプロセスを正しく機能させなければ、法律が存在する意味が無化される。「あいつは法律違反したのだから、永遠にこの社会から追い出してやれ」という感情優先で物事が進むようになってしまっては、そうした機会を生み出す法律は法律ではなくなってしまう。ただの排斥運動機会供与装置だ。それはもはや法律とは言えず、そんな法律が存在する国は法治国家とは到底言えない。
もし、キム・セロンが飲酒運転事故で誰かを死なせたり死傷者を出していたりしたら、話は多少変わってくるだろう。だが、キム・セロンはあの飲酒運転事故で、誰も死なせてはいない。そうだ。彼女は誰も死なせてはいないし、傷つけてもいない。飲酒運転という「犯罪」すなわち「法律違反」を犯したのだ。それは司法の名の下に裁かれるべき行為だ。そして彼女は「正しく」裁かれた。その結果、「正しく」社会的制裁を負うことになった。そこに、自らを「正しい」と自称する匿名の者たちが、安全地帯から石を投げ続けた。再び社会へ参画しようとしていた彼女を邪魔する権利が、自分たちにあるのだという、根拠不明な認識の下に。
社会的制裁を受けただけで、十分ではなかったのか。なぜ、そこまでしてキム・セロンを追い詰めたのか。彼女の何が気に食わなかったのか。誹謗中傷を浴びせ続けるという、なぜそんな恐ろしいことができるのか。
私の考えでは、ひとえに「鈍感」だからだろう。他人の感情にも鈍感なら、自分の感情にも鈍感だし、そもそも、身の回りの出来事に対しても極めて鈍感だから、他人を平気で傷つける。SNSは、それを使う者の良心を前提としたツールだが、実際には違う。使う者たちの鈍感さを、当人も知らぬうちに加速させる効果を持つ。それは次第に、使う者の傲慢さを増長させ、自分は世界のあらゆることを知っていると強く錯覚させ、仮初の万能感を抱かせ、良心を失墜させ、悪徳の絶頂へと導いていく。それがSNSだ。こんなものはとっとと滅びるべきだが、私たちが、こうした現実を選んでしまった以上、そこに対する責任は、ひとりひとりが果たして行かなければならない。それは、現代を生きる全ての人々にとっての、究極の命題なのだ。
■『アジョシ』を今後、どう観ればいいんだろう
キム・セロンの葬儀ニュースを見て、私の中でいちばん印象深かったのは、喪服に身を包んだウォンビンの姿だった。2010年の『アジョシ』で主演に抜擢されて以降、すっかり韓国映画界から一線を引いた彼を、こんなかたちで目にしたくなどなかった。報道によると、ウォンビンはキム・セロンの棺を前に、涙を拭ったという。それは、そうだろう。『アジョシ』の世界で、恐るべき犯罪組織から身を呈して救い出した健気な少女が、現実の世界で、こんな最悪のかたちで命を落としたのだ。『アジョシ』の世界では、マンソク兄弟という悪の権化とも言うべき「かたちある悪意」がのさばり、ウォンビン演じるテシクを苦しめたが、最終的にマンソク兄弟は死に、映画の世界には平穏が戻った。だが、現実の世界ではどうか。そこにはマンソク兄弟のような「かたちある悪意」はなく、匿名を盾にした有象無象の「かたちなき悪意」がのさばっていた。テシクの手で救われた少女は、過ちを犯し、その過ちの償いをしたにも関わらず、「かたちなき悪意」の手によって容赦なく叩き潰されてしまった。
『物語』と『現実』を接続するなんて馬鹿げた行為だと思う人もいるだろう。私も、以前までそう思っていた。『物語』は「虚構」の産物であり、それが社会的営みの中で作られたものであるとはいえ、そこに現実の倫理観や道徳観を持ち出して論じるなど、興が過ぎている。
だが、『物語』の世界で「虚構」を演じていた人物は、紛れもなく私たちの暮らす『現実』で生きていた人物だ。それだけは疑いようのない事実だ。そのことが、どうしても脳裏から離れない。私は『アジョシ』を徹底的に分析したから、ひとつひとつのシーンや台詞を詳細に頭の中で描くことができる。テシクがソミを命懸けで助けようとするシーンだって、なにも見ずとも頭の中で再生することができる。そのことが、いま、私をいちばん苦しめている。
■最後に
私がこうした記事を書いても、一年後にあなた方は、このことを忘れるだろう。かつて、キム・セロンという素晴らしい女優がいたことを。その女優が過ちを犯したことも。過ちを償い、貧しい生活を強いられながらも、名前を変えてまで芸能活動の復帰を模索しようとしていたことも。その夢を、事故と何も関係のない有象無象の連中が潰したことも。すべて忘れるだろう。そしてまた、新たな犠牲者が出てくるに違いない。確信的推測というやつだ。人間はもう救えないのかもしれない。私も含めて、全ての人間は、いちど絶滅すべきなのかもしれない。いまの私は、そんなことを夢想してしまうほどに、落ち込んでいる。気晴らしに街へ繰り出したり、新作映画を観たり、小説を書いたりしても、いまでもまだ、キム・セロンの、彼女の眩しい笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。
いま、こうして記事を書いている時でも、私は「本当にキム・セロンは亡くなってしまったのか?」と、疑ってしまっている。三浦春馬が亡くなった時、陰謀論にはしるファンを私はせせら笑ったが、いまなら彼らの気持ちがわかる。こんなショッキングなことが起こったら、原因なき原因を捏造してまでも、心の安らぎを求めたくなる。
もし、この行き場のない想いを収束させる機会があるのだとすれば、それはキム・セロンの「遺作」を鑑賞するほかないのだろう。『ギターマン』というタイトルの映画だ。芸能活動復帰のままならなかったキム・セロンが、最期に出演の機会に恵まれた音楽映画。すでに撮影は終わり、今年の5月に韓国で上映される予定だという。日本に入ってくるのは来年か、もしくは再来年になるのだろうか。
その時になったら、私は必ず劇場へ足を運ぶことだろう。スクリーンの中に彼女の姿を見つけ、そうして、ありえたかもしれない未来に別れを告げ、彼女の死を、初めて受け入れることになるのだろう。そうありたいものだ。
最後に、キム・セロンのご冥福をお祈りいたします。