ep.49 ここから始まる物語~未定のホワイトボード~
連日の猛暑のためかエアコンが、低く唸る音を立てていた。
キャラランド事務所の空気は、先週までの熱狂が嘘のように静まり返っている。
壁の掲示板には、オーディション用のスケジュール表がそのまま残っていた。「7/18 最終結果発表」の赤い文字だけが、過ぎ去った熱を皮肉に思わせるほど鮮やかだ。
ドアがきしむ音を立てて、ひとりの青年が入ってきた。
佐藤 翔太。
キャラランドの新ユニットメンバーのひとり――そして、きのうまでキャラランドのアルバイトスタッフだった。
手には、事務所近くのコンビニで買った小さな袋。
「これで、“裏方”は卒業、か」
小さくつぶやき、息を吐く。
いよいよ、オーディションメンバーとアイドルユニットの活動ができる・・・
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「全員、そろったわね」
椿社長の声が会議室に響く。
長机には、雨野、猿田、岡、猫沢、猫太P、そしてアルバイトの伊藤 颯太。
キャラランドのメンバーだ。
「まず、新ユニットの担当を決めます」
社長である椿は、落ち着いた声で告げる。
「メインのマネージャーは岡さん。プロモーションは猫沢さん。クリエイティブは猫太P。そして、伊藤くんはサブマネージャーとして、岡さんをサポートしてください!」
岡が小さく頷き、「やるしかないな」と呟いた。
猫太Pはペンを回しながら、ホワイトボードを見つめていた。
そこには、大きく『未定』の文字。
ユニット名も、コンセプトも、デビュー時期すら決まっていない。
「オーディションは終わった。でも、まだスタートラインにも立っていない。ここからよ」
椿社長の声には、いつになく強い熱がこもっていた。
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翔太は、会議室のドアの外でその声を聞いていた。
心臓が、不意に早鐘を打つ。
――終わったんじゃない。
――ここから始まるんだ。
ガラス越しに見えるホワイトボード。その真ん中に、岡が黒マーカーで大きく文字を書き加えた。
《TO DO》
その下に並ぶ空欄が、未来を待っている。
翔太は小さく息を吐き、呟いた。
「……負けない」
指先に力を込め、コンビニ袋を握りしめる。
会議室のドアに手をかける。
静かな事務所に、再び熱が戻る瞬間だった。
――まだ何も始まっていない。
でも、ここから始めるんだ。




