ep.37 伊藤 颯太の野望
去年の12月1日。都立高校2年生の伊藤 颯太は、その日、人生の目標をひとつ定めた。
きっかけは、キャラランドのスタジオだった。
誕生日にもかかわらず、颯太はいつものようにアルバイトに入っていた。
誰に祝ってもらうでもなく、母と末姉に「行ってきます」と言って家を出たあの朝は、どこか静かで、自分の中の“何か”が変わる予感がしていた。
スタジオの隅で清掃道具をまとめていたときだった。
ふと聞こえてきた、ギターの音。
それに続いて、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも切実な歌声が、壁越しに響いてきた。
──佐藤 翔太。
名前を知らなかった。でも、声は忘れられなかった。
この人の歌は、誰かの心を動かす。そう確信した。
あのとき、颯太は自分に問いかけたのだ。
「俺が、この声を世界に届けたら……母ちゃんに、恩返しできるかな?」
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颯太には夢がある。
それは「芸能界で一旗揚げること」。
でも、アイドルや俳優になりたいわけじゃない。
自分は目立つタイプじゃないし、そっちの器じゃないとわかっている。
けれど、裏側から仕掛けることはできる。
気配りと段取りだけでやってきた。母の背中を見て育ったから。
お金の大切さも知っているし、現実も見ている。
──だったら、プロデューサーになればいい。まずはキャラランドのマネージャーになるでもいい。
自分の目で見つけた“光”を、ステージに押し上げる仕事を。
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いま、キャラランドでは「最終オーディション」が行われている。
残された候補者は20名。翔太を含め、誰もが個性と可能性に満ちていた。
歌やダンスのうまさだけじゃない。
目つき、表情、沈黙、まなざし――たった数秒の立ち姿が、誰かの胸を打つ。
そのことを颯太は、日々の業務の合間に感じ取っていた。
掃除中も、ペットボトルの差し入れ中も、照明チェックの裏側でも。
「この20人の中で、ユニットメンバーを組めたら……絶対に売れる」
そう思ったとき、体が熱くなった。
芸能の知識も人脈もない高校生が、確信していた。
彼らには“輝く準備”ができている。
足りないのは、その背中を押す“誰か”だ。
──だったら、俺がなる。
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キャラランド代表・稗田椿は、颯太にとって特別な存在だった。
末姉の学生時代の友人で、今では芸能事務所を率いる社長。
颯太を信頼してくれて、事務所の雑務を任せてくれる。
彼女に拾ってもらったから、颯太はこの世界を覗くことができた。
高校卒業後、颯太はキャラランドに就職するつもりだ。
正式なスタッフとして、マネージャーとして。
翔太だけじゃない。この20人から選ばれる7人で結成される8人のユニットメンバーのすべてに賭けたい。
そして、母に、誇れる未来を手渡したい。
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最終オーディションの幕が上がった。
ステージの裏側向こうで、ひとりの少年が心に決めた。
「翔太くん、そしてみんな。お前ら君たちが日本で、いや世界で輝くデビューするその日まで、俺は絶対に諦めない」
伊藤颯太の野望は、静かに燃えていた。




