星祭り 第1話 公衆電話
大学の女子寮。
清潔感漂うセピア色をした木の廊下。
澄んだ空気。
光が、廊下に、窓枠を影としておとす。
手入れされた廊下は、上品な輝きを放っていた。
音が静寂を切り裂く。
寮母の部屋から廊下に、音が鳴り響いている。
ジリリリリと甲高いベル。
遠くまで警報のように響く、それは、電話の音だ。
寮母の部屋、寮に一つしかない、ダイヤル式の黒電話が鳴っている。
ドタバタという足音。
寮母らしきご婦人が、慌てて部屋に入った。
「はいはい」
と寮母は、電話に語りかけながら受話器をとった。
定型的なあいさつの後、彼女は、取調官のような口調になっていく……
「だから、あなたは、どこのどちら様で、小乃道さんとは、どういった関係かしら?」
寮母は、根掘り葉掘り、厳しい口調で、いちいち細かいことを聞く。
寮母が手に持っている受話器の向こうで、相間 心は、しどろもどろになっていた。
火葬場の最寄り駅。
電車の停車音、降りた客が改札口へと、どっと流れでる。
切符切り、発車のベルや乗降案内、行き交う人々の話し声が加わった雑踏。駅の窓口、そこの長い棚、その隅にあるピンク色のダイヤル電話がある。上部にお金の投入口があり、一般の電話より、縦長で箱状の形をしているそれは、ピンク電話と呼ばれる公衆電話だ。
その公衆電話から、心は、詩織へ電話をかけたつもりだった。
彼が、火葬場へ出かける際、詩織が手渡したメモ。
電車の乗り継ぎ方法が記された、このメモに、詩織は、電話番号を記していた。
詩織がした万一の際の用心。
それが、彼女の電話番号をメモに記しておくということだった。
心が、面倒を見ることになった双子を連れて、この駅に着いた時、ふと、彼は、そのメモを見た。
その時、改めて、電話番号を発見した彼は、双子の件を伝えようと、公衆電話電話から、電話をかけた。
そして、緊張のあまり、しどろもどろとなっている相間 心を、幼い双子の兄妹は、心配そうに見つめ、なにやら、お互いの耳のそばで、ヒソヒソ話をしている。
その様子に気がついた通行人のいく人かは、クスクスと笑っていた。
「どんな関係って?」
彼は、絶句した。「幼なじみ」とか「同じ養護施設」とか、簡単なのに、絶句。頭が真っ白といった状態だ。
彼は、詩織が電話に出る思っていた。彼とて、電話の設置には、多額の金があることを知っていたはずだが……
考えなしに、公衆電話に硬化を投入をして、今にいたる。
他人が出るという心の準備が、まったくなかったということだ。
彼の絶句が長いものだから、「もしもし!!」という急かす寮母の声が受話器から漏れ聞こえるほどに大きい。
彼は、詩織との関係を深く考えていなかった。「友達?」と自問しては、違うと思い。「ならなんだ?」となる。それより先の思考を邪魔するように、寮母は、「もしもし!!」を連呼するのだ。
「とにかく、詩織と変わってくれ」
これが、彼の精一杯だが、寮母は譲らない。
押し問答は続いている。
そんな時だ。
大学の女子寮の玄関が開く。
紙袋を抱えた小柄な女性、詩織が寮に帰ってきた。
寮の中に、よいしょと紙袋を置くと彼女は靴を脱ぎ始めた。
そこを待ってましたとばかり同年代の若い女性。
「詩織、詩織、あんたに電話みたいよ」
彼女は、あごでくいくいっと廊下の突き当たりにある、寮母の部屋を指す。
「誰かしら?」
詩織は、靴を下駄箱にしまうと紙袋に手を伸ばす。
「男みたいよ。寮母が、どちらの詩織さんに、誤用ですか? ですって」
女性は、心底嬉しいそうに、詩織に体を寄せた。
紙袋が倒れた。中身が、少し、廊下に散らばる。
女性は、中身を紙袋に戻しながら、
「詩織って、1人しかいないのに、うちの寮母は、意地悪よね」
と、寮母の部屋へと急ぐ詩織を見送った。
詩織は、寮母を押し退けて、受話器を奪う。
その勢いと、あまりの手際の良さに、何事かと、あぜんと寮母は、詩織を見るしかなかった。
火葬場の最寄り駅、そこの公衆電話。
相間 心は、受話器を首のところで、器用にあごと首で固定しながら、財布の中をのぞく。
そこには、もう、10円以上の小銭はなかった。
進展のない寮母との会話。
先ほど、通話時間を残りわずかとなった催促音を、心は聞いていた。
電話が途中で終わる前、自ら、この不毛な会話に終止符を打とうとした時、
「そうちゃんでしょ、どうしたの? 何かあった?」
という声が、彼の耳に入る。
聞き慣れた声。
彼がホッとするのもつかの間、通話時間は、残りわずか、いつ電話回線が遮断されてもおかしくない。
伝えたかったことを、一言で彼は要約した。
「俺、子供ができた」
ここで、回線遮断。
「いや、預かることに……」
すでに、彼の耳には、ツーツーツーという音が受話器から聞こえるのみだった。
女子寮、寮母の部屋。
受話器を無言で握る小柄な女性が立っている。
詩織は、受話器を握り、宙を見つめる。
隣で、尻もちをつく寮母。
怖い……、血の気が引き、青ざめた表情で、寮母は、詩織のことをそう語っていた。
詩織は、寮母に受話器を渡す。
尻もちをついている寮母を見て、
「ごめんなさい」
と彼女は、謝罪をする。
「いいのよ、別に……、で、どちらさまだったの?」
寮母の好奇心は、恐怖より強かった。
「知らないひと」
もちろん詩織は、無言だ。
「あら、そうなの……」
寮母は、オホホと作り笑いを浮かべ、渡された受話器を電話に、そーっと戻す。
電話のベルが鳴る。
玄関で詩織を出迎えた女性の顔が、開かれたままの部屋の入り口の隙間からのぞいていた。
寮母が電話をとる前に、
「そんな人は、いないって伝えて下さい」
と詩織は、背中越しに、寮母に言った。
寮母は、
「はいはい、ちょっと、お待ちになって下さいね」
と声の愛想がよい。
受話器を電話の台に置くと、彼女は、詩織を呼び止めようとする。
「金輪際、会いませんと伝えて下さい」
詩織は、寮母に声を出す隙を与えない。
そのまま出ていこうとする詩織。
そんな彼女を、押し留めたのは、彼女の友人らしき女性。
詩織を玄関で出迎えた若い女性だ。
彼女は、
「詩織、話ぐらい聞いてあげなさい」
と言う。
「だって、子どもが出来たなんて……」
「詩織さん、いつもの、新田さん、何ですけど……」
と寮母。
新田さんというのは、詩織と連絡を取り合う仲の、相間 心の姉、新田 凛のことだ。
キョトンとする詩織に、寮母はもう一度、
「新田さんよ」
と言った。
詩織は、電話に出ることにした。
さて、凛との電話が終わり、詩織が、受話器を置くと、
「ねえ、詩織、そうちゃんって誰、男? あんたと、どういう関係?」
詩織の友人らしき女性は、この場にいる寮母を無視して、興味津々といった様子。寮母は、寮母の方で、会話に聞き耳を立てて、用が済んだ2人を追い出そうという気配はない。
「ただの幼なじみよ!」
と詩織は言いながら、寮母の部屋から出ていく。
若い女性は、詩織を追いかけながら、
「へぇー、で? 詩織、どうなの?」
後ろに両手をくみ、跳ねるような、足取りは軽い。
「りっちゃん、どうなの? って、なにがよ?」
詩織は、下駄箱から靴を取り出す。
「そういう、ところよ」
詩織を最初に玄関で出迎えた、彼女の同級生、律子は、ニヤニヤしながら玄関が見える廊下に立っていた。
詩織は、玄関の土間で履きかけの靴のつま先をトントンとした後、指を使ってかかとを綺麗に靴に収めたところだ。
「別に、ほっとけないじゃない」
「やっぱり、そうちゃん? とかいう男の所へ行くのね」
「うるさい!」
詩織は、律子の背後に、寮母を見つけたので、
「門限までには、帰ってきます」
と言って、女子寮を出て行った。
その後、女子寮でそ、詩織の同級生、律子と寮母、それ以上に、寮の住人も加わり、あれや、これやと噂話が繰り広げられた。
女子寮から、川の土手沿いの道を、詩織が乗った自転車は進む。土手の坂を下り、住宅街を通り抜け、駅前の商店街に、心が居候をしているボクシングジムはある。
心と双子たちより早く着いた彼女は、ボクシングジムの前に自転車を止めて待つ。ジムの隣には、ラーメン屋。ガラス張りの4枚引き戸。厨房を兼ねたカウンターに立っているのは、ボクシングジムのオーナーである親父さんと、その連れ合いの女将さん。
詩織は、先に、事情を話そうかと思いやめた。
電柱の影が長くなってくる。
日差しが黄色味を帯びてくると、通りには、帰宅を急ぐサラリーマンや、買い物帰りのご婦人の姿が増えてきた。
詩織は、行き交う人の中、遠くに、見知った人影を見つけた。
その影は、小さな影を2つ連れていた。
相間 心は、双子の手を引いていた。
その姿に、詩織は大きく手をふる。
彼女には、遠くの心の表情は見えないが、何となく想像できた。
それから、ジムの前で出会う2人。
心は、詩織にペコペコと頭を下げる。双子は、彼女の方が親しみやすいのかじゃれついた。
心と詩織、双子は、ラーメン屋へと消えていった。
こうして、心と双子の生活が始まった。