初夏に咲いた桜が祝う
それから、他の参列者と同様に、故人の遺児である、幼い双子の兄妹に、彼は、お辞儀をする。
兄弟の顔を見て、彼は思う。
年齢は10歳くらい、まだまだ遊び盛りの年頃だと……
双子の兄は、彼をにらみ、妹は、目をそらす。
兄妹の態度は、参列者全員に等しく平等なのだが、彼に、それを、知るよしもない。
兄は、にらみ。妹は、目をそらす。
その事実のみ、彼に、降りかかる。
葬儀に遅刻したという罪悪感。
兄妹の態度は、彼を責めているように感じられた。
だが、謝罪の機会は、彼の後ろに並ぶ参列者に奪われる。
彼にとっては、すれ違いのような双子との対面。向き合うには時間が少なすぎた。
双子の弟は、彼が離れる寸前まで、にらんでいた。
遅刻した罪悪感がなければ、子どもらしくてかわいいと思うだろう顔立ち。頬にあるアザも、彼には、気にならない。
双子の兄は、養護施設に預けられることになっていた。
彼自身と同じ境遇だ……、彼には、同情の気持ちもあった。
その感情を、彼は、封印してしまう。
早足で火葬場の出口へと向かう。
走馬灯か、現実か、区別がつかない状況に終止符を打つ。
それが、彼の望み。
彼自身の死という手段で、それを為すことが最優先させた。
彼の脳裏に顔が浮かぶ。
詩織の顔。
彼は、気がつく。
一度目の人生で、彼女に、これから、かけるであろう迷惑。
そのせいで、彼女の結婚式が延期になってしまう。
彼女の相手は、真面目な奴だったと記憶していた。
なら、その幸せは、奪うまいと決めた。
自らの命を絶って、このあいまいな現実を終わらせる。
ただ、その前に、ここに送り出した詩織に礼を述べる。
それだけは、許して欲しいと願う。
火葬場の出口まで、あと少し。
そこで、彼は、声を聞いた気がした。
いないはずの幽霊。
そんなことは、当たり前のことのはずなのに……
「おまえは強い」
なつかしい叔父の声。
故人の声が、彼の心の中で響く。
「くそっ」
彼は、舌打ちのようにつぶやき、歩みを止めた。
双子の兄、彼をにらむ幼い子ども顔が、彼の脳裏に浮かぶ。
にらんでいても子どもらしくてかわいい顔立ち。ほほには、特徴的なアザがあった。
自分と同じように、養護施設に預けられ、バラバラに暮らすことになる双子の兄妹……
その兄のほほにあるアザが、彼の記憶にある人物とあったする。
彼の腹を刺した鉄砲玉のチンピラ。
チンピラのほほにあったアザ。
そのアザが、双子の兄と一致した。
「くそ、くそ、くそ、くそ」
怒りと躊躇が入り混じり、身体中の筋肉が痙攣してしまう。
二つの感情を打ち消すため、彼は、参列者を押し退けて双子のもとへと走る。
そして、彼は、双子の兄に言う。
「おまえの面倒は、俺が見てやる」
自分には、子どもを育てる資格はないと、彼自身、重々、承知している。それでも、彼は、双子の兄の……これからの境遇を見過ごすことが出来なかった。
参列者たちが口々にいう。
「少しは、まともになったと思ったら、無責任なこという」
「新田さんも、なんとか言ってください!」
姉の凛が見た、彼の顔は、本気だった。
それでも、彼女は、心が、子どもを引き取って、面倒をみるのは無理だと思う。
彼女の養父である新田は、黙って、事の成り行きを静観していた。
皆の視線が、彼に、集まる。
「いててて!」
そうま しんの反射的な悲鳴。
双子の兄が、彼を蹴ったのだ。
何事かと、割って入る、心の姉、凛。
双子の妹は、兄の背中に隠れてしまう。
凛は、もう一度、蹴ろうとする双子の兄を止めた。
「一心君、気持ちは分かるけど、蹴っちゃダメよ」
子どもを引き取って育てる。そんな、ことは、無理だと、彼自身も知っている。
ただ……
彼とって大事なのは、そこではなかった。
無責任かもしれない……
彼にとって、もっとも大事なのは……
「おまえ、いや、一心……俺には、おまえの気持ちなんか、分からないぜ」
凛が口を開こうとするのを、心は手で制止する。
彼は、身をかがめ、双子の弟、一心の方へ、顔をよせた。
たがいに息の吹きかかる距離。
一心の目は、彼の瞳をにらんで、離れない。
大人と子どもが、にらみ合う。
「いいか、自分の気持ちは、声に出して、言葉で伝えろ」
彼の言葉は、彼自身にも、跳ね返ってくる。
一心は、将来、チンピラになって、彼を殺す。
一度目の人生、最後の記憶。
彼は、そのことを恨んでいない。
心配で、心配で、仕方がないのだ。
双子の兄、一心と彼自身を重ねてしまっている。
そして、もう一つ……
彼は、一度目の人生で、目の前にいる幼な子に出会っているはずだった。
彼は、無意識に、この子たちを見捨てたのだ。
一度、彼の命は、一心に奪われている。
それは、双子の兄、一心にとっては、30年後の未来の話。
逆行転生した、彼にとっては、数時間前の過去の話。
「黙ってにらんでいても、なにも変わらないぜ」
彼は、強引に、ことを運ぶつもりだった。
実際のところ、一心が何も言わなくても、それを、やり遂げる覚悟はできていた。
「おっちゃんには、無理だって……」
双子の兄、一心の声がかすれる。
妹は、そんな兄の小さな肩を握って離さない。
彼は、一心の声が聞けて嬉しかった。
膝をついて姿勢を低くすると、双子の兄妹を同時に抱きしめる。
双子の兄妹は、彼の腕の中に入った。
その重みと体温を、彼は感じていた。
「一心、俺を、信じろ」
双子の兄妹が、同時に、こくりとうなずく。
「新田さん、二人とも、俺に、預けてくれませんか?」
「心くん、それは無理だ。私にも、責任がある。妹の心月ちゃんは、面倒をみるし、兄の一心も、養護施設に預けるんだから心配をしなくてもいいだろ?」
彼は、立ち上がった。
それは、激昂の勢い。
「それが、駄目なんだよ!」
彼が、ずっと気にかけ、我慢してきたことだ。
「兄妹なんだぜ。それに、こいつらは、まだ子どもだ」
彼の上着の裾を、幼い兄妹がつかむ。
周りにいる大人たちから見れば、20歳の心も、まだまだ子どもに見えていた。
頼りない3人。
「兄妹をバラバラにするなんて、そんなむごいこと……するなよ」
「なら、君は、兄妹二人を養護施設に預ければ良いと言いたいのか?」
「それも、ダメだ」
彼の声に力はなかった。
だか、両手の拳は、強く握られたまま。
そのことに、姉とその養父母、新田夫妻は気がついた。
他の参列者たちは、胸をなでおろす。
「君が、心配してもしょうがない」
「あまり、わがままを言うものじゃないよ」
心には、言い返す言葉がなかった。
前の心なら、暴力に訴える。そんな場面だ。
現に、力の入った拳を震わせている。
暴力では解決できないことを、彼は、知っている。
皆を、説得できる言葉は知らない。
上着の裾を、双子の兄妹は、強く握る。
だから、彼は、あきらめない。
「そうだ、きっと、俺のわがままだ!」
と開きなおる。
もちろん、参列者たちは、それを許すわけはない。
彼に罵声を浴びせ、異口同音に否定したはずだ。
そのような、隙を彼は与えない。
一瞬で息を整えると、機関銃のように、言い連ねる。
「そうだよ。そのとおりだ! こいつらは、俺が育てたい。それだけだ」
身振り、手振りが大きい。
彼が、暴力的だったことを思い出した、何人かの参列者は、身をかばうようにして、体をのけぞらした。
「兄妹がバラバラにするのを、ほっとけない。それは、俺のわがままだ。なら、二人とも、養護施設に預ける? 絶対に、嫌だね。大反対だ! これも、単なる、俺のわがままだ。養護施設? 別に、悪いとこじゃないぜ。あんたらが、俺みたいな出来の悪い奴なんて、そうそういない。いい奴らばかりだぜ……でもな、でもな、そういうことでも、ないんだ。俺が、こいつらを育てたい。無理? 大変? かもな。でも、そんなの知るかよ。子育てなんて、したことないんだぜ。だから、こいつら、俺が育てる。兄妹は一緒。養護施設もなしだ。これは、俺のわがままだ」
心は、大きく息を吐きだす。
そして、
「ただ、おまえらが、嫌なら……」
と、自分の上着を掴んでいる兄妹を見る。
兄妹は、首を横に振った。
「じゃあ、俺と一緒でいいか?」
兄妹が、こくりとうなずく。
参列者は、黙ったままだ。
沈黙は長くない。
最初に口を開いたのは、彼の姉、凛だった。
「心くんは、兄妹バラバラが嫌で、養護施設にも反対ってことね」
「そうだ」
「やっぱり、嫌だったのね」
姉の含みのある言い方に、彼の「なっ」という悲鳴のような返答。
新田が、彼に問う。
「心くんの、そして、一心と心月の気持ちも分かった。その上で、言わせてもらうよ」
新田は、心のすぐ目の前にいる。
「やっぱり、無理だと思うんだ。君だって、そう思ってるんだろ?」
「いや、育ててみせますよ」
彼は、なにか良からぬことを企んているような、悪い顔をした。
参列者たちは、眉をひそめるが、その表情に、姉の凛は、微笑む。養父母たちのあきれ顔には、わが子に対する愛情のような色が見えた。彼らは、心を育ってたわけではないが、実際、養女の弟だ、実際は、ずっと気にかけていた。
彼の悪い顔は、いたずらっ子のようだった。
「君にも、困ったな。一応、その根拠を聞かせてもらおう」
「俺は、命がけで育てるつもりさ。ちゃんとできないなら、こいつに殺されたっていい」
心は、一心の頭を撫でてやった。
実際、彼は、一心に殺されてここにいるのだから……そして、彼は思う。もし、ここが現実、走馬灯でないのなら、呼んだのは、こいつなんじゃないのかと……一心に殺されたことを、なにかの縁だと、彼は思う。
自ら命を断つ覚悟をしていた、彼だ。
殺された相手が、生きねばならない理由になったことを笑う。
大笑いだ。
「殺すとか物騒だな。だが、君らしい」
新田も、大声で笑う。腹を抱え、涙で笑う。
「心、一心、心月、君たちの名字は、同じ相間だ。それに、君たちの名前だって……まあ、これは、いづれ。とにかく、参列者を説得するなんて、簡単だからな」
新田の言うとおり、説得はスムーズにいく。
責任の所在。そこが決まれば、文句を言うものも少ない。
新田の責任で、双子は、心に託された。
火葬場は、森の中にある。
景色は自然豊か。
見上げれば、澄んだ青空が広がっていた。
暖かな日差しが、木々の葉をすかし、黄緑にみせる。
そよ風が吹くと、枝葉が揺れて、サラサラと歌う。
「写真でも撮ろう」
新田がはしゃぐ。そんな、姉の養父は、心には初めてだった。
自慢の一眼レフカメラと三脚をカバンから取り出す。
「あなた、こんな場所で……」
新田の妻は文句を言いながら、良い場所を探す。
姉の凛と養母は、ああだ、こうだ、言いながら場所を決めて、心と双子を手招きした。
修学旅行の記念写真のように、皆が並ぶ。
「ねぇ、心くん、詩織ちゃんになんて説明するの?」
「あいつは、関係ねえだろ」
と言いながら、頭の中で、彼は、シュミレーションをしてみる。詩織が、びっくりする姿ぐらいしか、彼には思い浮かばなかった。
「笑顔の準備はいいか」
三脚にカメラをセットして、レンズのダイヤルを回し、ピンとを合わす。
「いくぞ」
新田の掛け声。彼は、タイマーをセットして、心たちの方に加わる。
「よし笑え!」
新田の声のあと、しばらくしてから、フラッシュが光った。
はね返った光を、フィルムは記録する。
ネガは、この場の一瞬を焼き付けた。
数週間後、心の手元に郵便で写真が届く。
一番前には双子の兄妹、それぞれの肩に手をかけるようして心、彼を中心に、凛と新田の妻、妻の隣に夫が写った写真。
それは、まるで一枚の家族写真。
その写真を手に取る者、誰しもが思う。
満開の桜の花、背後にうつる木々に、その姿を思い浮かべる。
初夏に咲いた桜。
双子の入学を祝う家族写真を思い浮かべた。
その写真を、心は部屋に飾った。