初夏に咲いた桜 第4話 絆
火葬場へと時間は進んで戻る。
心が、今朝の出来事を思い出し苦笑いをした頃、その少し先からだ。
相間 心が今朝の出来事を思い出している時、待合室では、別の話題で盛り上がっていた。大人たちの話題、それは、故人が残した遺児のこと、双子の兄妹の身の振り方についてだ。
心が養護施設へ、2つ歳の離れた姉の凛は、新田家の養女となるぐらいだ。双子の兄妹の面倒を見るような、縁者は、なかなかいない。
そんな中、名乗り出たのは、凛の養父だった。
「あなた!」
養母は、声を荒げた。身体を夫の方へ寄せると、小さな声で、なにやら養父に耳打ちをする。養母は、養女である凛に配慮した言葉を選びながら、自分の夫の説得をはじめた。
その説得は、養父には届かなかった。
「退職金が入るから、女の子、一人ぐらい大丈夫だ」
養父の主張は、双子の妹を引き取ることは決定したと、その場の者たちに伝えた。
さらに、姉の凛も「お母さま、あたしも、もう、働いているから……」と援護するも、これは、「凛さん、あなたは、早く、良い人を見つけないと」と別の話題へとすり替えられてしまう。
いずれにせよ、双子の兄の方は、「男の子は、養護施設でも大丈夫だろう」と相間 心の時と同様にまとまりそうな気配がただよう。
彼は、何も言わない。
「どうせ、女の子に養護施設はかわいそうだ」とか言い出し、結果、双子の兄妹は、離ればなれになるのだろうと思っていた。
彼の思惑どおり、
「女の子に、養護施設わね」
「かわいそうだ」
などという意見が、あちらこちらから出てくる。
「男の子は、強いからね」
「ほら、心くんだって、遅刻はしたけど、立派に大きく育ったわ」
と言う声も強くなる。
「俺は関係ねえだろ!」
と心は叫びたいがこらえる。
彼は、一回目の人生の際、双子の兄妹のことなど聞いた覚えはなかった。そもそも、そんな話を聞く間もなく、大暴れをして、待合室を追い出されていたからだ。
それでも、彼は、確信をしていた。
きっと、兄妹は、離ればなれになったに違いないという確信だ。
だからといって、居候のような状態で、ボクシングジムの2階に住んでいる彼には、どうすることも出来なかった。
だから、彼は、沈黙を守っている。
それに、「養護施設だからといって、俺のような人生を歩むわけでない」とも知っていた。むしろ、「真っ当な人間が多い」という気もしていた。
双子の行方について、彼に構わず話は進んでいた。
場の空気は、姉の養父が、双子の妹を引き取ることを着地点にしているかのようだ。
待合室、その出入口のふすまが、スゥーッと静かに開く。
見知らぬ男性が「収骨の準備が整いました」と厳かに伝える。
それを聞いた各々は、立ち上がり、待合室を出ていく。
最後の方に、彼も、そこを出て、案内されるまま、歩いていた。
収骨室。
腰高まである箱型の台車。
少し距離を置いて、大人たち、そして、先頭付近に、双子の兄妹が立っている。
皆は、口をキュッと結ぶ。
案内をしてきた火葬場の職員は、姿勢正しく、皆が集まるのを待っていた。
彼は、その小さな背中に気がついた。
白い天板の上に、人骨が寝かされている。
台車より放たれる熱が、この場にいる者たちを包む。
そして、真新しい白骨が放つ独特な匂い。骨は、真っ白ではなく、ところどころ変色していた。
場にいる者たちは、故人の元気な姿を思い浮かべる。
だが、相間 心は、故人のことを覚えてはいなかった……
故人の遺児である双子は、ただ、黙っている。
職員の説明があってから、収骨がはじまった。
血縁や親しい者から順番に収骨をする。
彼は、故人の顔を思い出せないままだ。だから、彼自身、収骨の順番は、最後にしようと決めていた。
遺児の双子が、それぞれ、収骨を終える。
姉の養母が、収骨をするため遺骨の方へと進み出る。
そして、その様子を眺めていた彼は、誰かに肩をたたかれた。
彼の肩をたたいたのは、姉の養父だった。
「心くんが来てくれたことを、相間のおじさんも喜ぶよ」
姉の養父は、彼に断るすきを与えない。ゆっくりと遺骨が寝ている台の方へ押し出した。
彼が台のところに着くと、その隣には姉の養母が彼を見る。
その視線が、彼には、頬を拳で殴られた時より痛いと感じられた。
収骨の際、彼の手が震える。
顔も覚えていない他人の骨。
故人は、彼の亡父の弟にあたる叔父だった。
それすら、彼は、忘れている。
同じ名字、収骨の順番、そのことからも、それ以前に、「おじさんの葬儀」と言うことは、姉からも、今朝方、彼を葬儀に急かした詩織からも聞いていたはずだった。
なのに、彼は、そのことから逃げるように、叔父の記憶をなくす。
収骨の違い箸、長さも材質も違う2本の箸。
まるで、手で直接、遺骨に触れたかのように、彼には感じられた。
思ったより軽い遺骨の感覚。
その感覚が、彼の脳に深く重く刻まれる。
収骨の終了を待つ列に彼は加わった。
彼には、もう、隣にいる双子に心を配る余裕はない。
収骨が終わる。
パラパラと参列者が散りはじめた。
その誰もが、姉の養父に、あいさつをする。
喪主は、相間 心の姉、凛を養女として育ってた新田であった。
そのことを、心は悟った。
新田の妻が、故人の骨壷を抱えている。箱型の入れ物に収められ、宗教色の強い風呂敷に包まれた骨壷。
新田の妻は、その骨壷を両手で大切そうに抱えていた。
ここにきて、彼は、自分という人間を、おもい知る。
彼の一度目の人生、その最期の結果は、当然だった。
彼は、心底、そう思う。
そして、喪主の新田に深々と頭を下げた。
彼が、火葬場を出ようとするのを、新田が呼び止めた。
「心くん、今日は、来てくれてありがとう。相間の兄さんも喜んでるよ」
今まで、彼に、新田は、故人のことを「相間のおじさん」と言っていた。ここで、それを「兄さん」と呼び方を変えたことに、彼が気づく。
彼は、返す言葉を知らなかった。
なので、再び、頭を下げるのみだ。
彼にとって、新田は、姉の凛を養女として引き取った人物。そして、彼を養護施設に追いやった人物でもあった。
ただ、この時の彼は、そのような思いはない。
純粋に心から、新田に対してお辞儀をする。
姉の凛、その養父である新田は、柔らかい笑みを浮かべた。
「あの乱暴者が……立派になって……、ほらほら、頭を上げなさい」
彼は、新田の顔を見た。
新田の髪の毛には、白髪が多い。彼が、そこから視線を下ろすと、二人の目が合う。
50歳の相間 心は、繁華街で腹を刺されて死んだはずだった。その時は、自らの腹を刺した男以外、誰の顔も、彼の脳裏には無かった……
彼は、新田から視線をそらし、周りを見る。
そこには、姉の凛、その養母。それ以外の人々がいる。
彼にとっては、走馬灯かもしれない現実。
そして、現実かもしれない走馬灯。
20歳に戻った彼の周りには、自身が振り払ってきた絆がまだ存在している。それは、彼に対して好意を抱いていない絆も混ざっていた。むしろ、その方が多い。
それでも、彼は悟った。
死に際に絆がないことを嘆いた彼だ。
それを、探していた彼だ。
だから、彼は、初めて他人に手を差し出してみた。
新田は、その手を握り返し握手をした。
「やっぱり、心くん、兄さんの言うとおり強い子だ」
彼は、握手した手のひらに残る温もりを感じながら、
「俺が強い……?」
と聞き返した。
姉の凛が、楽しそうに、ころころ笑う。
そんな、姉の姿を彼は見た事がなかった。
「心くんたらっ。ケンカでは、負けなしなんでしょ?」
10代の頃から、彼の口癖は、確かに、「ケンカでは負けなしだぜ」だった。腕力で相手を黙らせる。それが、彼のやり方であり、「強さ」の象徴だった。
だが、死の間際に「自分は弱い」と自覚した。そして、その時、よぎった、「おまえは強い」という言葉……彼が、ずっと、支えにしてきた言葉だ。
誰に言われたか忘れてしまった言葉。
そして今、彼は、「強い」とは何か? それが、分からない。
「姉ちゃん、ごめん……多分、俺は、弱い……」
「気にすることないわ。お姉ちゃん、今の心くん、好きよ。それに、あなたは、やっぱり強い子よ」
彼は、おおいに戸惑う。一度目の人生は、誰にも屈服さず、唯我独尊、傍若無人で、暴力団幹部に成り上がった男だ。
その時に言われた「強い」より、姉や、彼女の養父である新田に言われた「強い」の方が、心に響く。
彼自身、自分は何も変わってなく、死ぬ時に感じた「弱い」ままだというのに……
「姉ちゃんも、新田さんも、やめてくれ」
これは、彼の精一杯の悲鳴だった。
「わかった、わかった。もう、よそう。何にせよ、兄さんは、いつも、心くんことを気にかけていたよ。だから、許してやってくれ」
壁掛け扇風機の風が、彼に吹く。
彼の短い髪が乱れる。他人には気にならない程度の髪の乱れ。そこに、彼は、手ぐしを入れる。
忘れていた記憶が急につながった。
「おまえは強い」
故人となってしまった叔父が、彼に、よく言っていた言葉だった。
記憶は数珠つなぎとなって呼び覚まされていく。
彼の父母が健在だった頃、叔父は、彼の相手をよくしていた。養護施設に入ってからも、小学生ぐらいまでは、面会に来ていた。
だが、彼には、叔父に裏切られたという気持ちがある。
裏切りとは、彼を養護施設に入れたことだ。
中学生になった彼は、叔父をひどく責めた。それ以来、彼と叔父は、疎遠になっている。
「俺の方が、許して欲しいですよ」
彼は、項垂れるようにして頭を下げた。
彼にとっての走馬灯。
それが、なぜ、遅刻した葬儀だったのか?
彼は、理解した。そして、自分を呪う。
故人には、どんな言葉も届かないからだ。
幽霊なんていない。
そんなことは、当たり前だ。
だから、彼が故人の言葉を、「許す」という言葉を聞くこともない……
「心くん、君は本当に変わったな……許して欲しいのは、兄さんなんだから、君が頭を下げる必要はないよ」
彼は、その言葉に甘えた。
そして、決心をした。
一度目の人生では、暴力団の幹部だ。
彼は、二度目の人生にも自信がなかった。
自分の本性は悪だと知っている。だから、きっと同じ道に戻っていくだろうと信じて疑わない。
これが、彼の走馬灯なら、いくらなんでも、そろそろ終わる。
仮に、なんの因果か現実だとして、二度目の人生だったとしたら……
そんな恐ろしいことを、彼は許せなかった。
だから、現実なら終わらせると決心をする。
その後、一言、二言、言葉を交わし、喪主を独り占めにするの良くないと彼は、その場を離れた。