初夏に咲いた桜 第1話 終焉で知る
やっと死ねる。
そう思ったことを、彼は意外に思う。
空は、闇に染まり。
厚い雲の切れ間に、月が、見え隠れする。
やせ細った野犬が、水たまりをさけ、泥でぬかるんだ路地をさまよっていた。
街の中心、夜の歓楽街は、いつにも増して、にぎわっている。おおぜいの酔っ払いが、千鳥足で通りを歩く。彼らの笑い声に、奇声が混じっていた。
1999年12月31日、2000年という節目を前に、人々は浮かれていた。
彼は、そこにいる。
歩道に倒れた彼を、まだ、誰も気にかける様子もなかった。
彼は、せめて、身体をおこし、夜空を見たいと願う。
かなわぬ願い、指一本も、まぶたを閉じる力すら……彼には、もうない。
彼は、見知らぬチンピラに、腹をドスンと刺された。
だから、ここに倒れている。
自業自得。
ケンカでは負け知らずの彼も、最期はあっけなかった。
彼の脳裏に、腹を刺したチンピラの顔が浮かぶ。
顔に特徴的なアザのあるチンピラの顔だ。
意外なことに、復讐心はない。
鉄砲玉になったチンピラに同情してしまうぐらいだ。
だが、不満はある。
もっと別な顔を思い浮かべたいと思う不満だ。
しかし、チンピラの顔と特徴的なアザが脳裏に張り付いたまま……
人の行き交いが、盛んな通り。
明るいネオンが点滅を繰り返し、町を彩っている。
いつのまにか、厚い雲が夜空の隙間を埋めていた。
そこから、雨粒が、一つ、二つと落ちてくる。
道路が濡れる。
彼の背中も濡れていく。
うつぶせに倒れたまま、彼の脳裏に、ようやく浮かぶのは、彼の死を望む顔の数々……
彼は、それが、ただ、ただ、悲しい。
そして、やっと死ねると思いいたった。
雨が本降りになると、腹から流れ出る血を洗って薄めていく。
「おまえは強い」
遠のく意識の中、脳内に響く声。
誰に言われたか忘れた言葉。
それだけを支えに生きてきた。
しかし、彼は、その言葉ほど強くない。
彼自身、自分が、「弱い」と実感するが、それが、遅すぎた。
暴力団幹部、相間 心、享年50歳が抗争で死んだと報道されるのは、ずっと後のこと。
裏社会の住人以外、誰も気に留めない、小さなニュースだ。
そして、彼の魂は、ずっと、ずっと過去にさかのぼって、はじまる。
相間 心は、火葬場の前にいた。
見覚えのある風景。
彼は、走馬灯という言葉を思い出した。