申し訳ありません
男はドアをノックした。
一回目では返事がなく、二回目でようやくドアが開いた。
「はい、どちら様でしょうか」
ドアを開けて現れたのは若い女性。一般的な感覚で言えば美人の範疇に入るだろう、男はたちまちその女性の姿に目を奪われた。それはその顔かたちが美しかったこともあるが、それだけではなく顔が高校時代の恩師によく似ていたからだ。
「この近くに越してきた者で、引っ越しのご挨拶に伺ったのですが……。失礼ですがこちらに山田先生、いや山田、ええと下の名前は覚えていないのですが……」
「私の母は、昔学校の教師でした」
「ああ、やっぱりそうでしたか。実は私は高校時代に山田先生にお世話になっておりまして……」
思いがけず恩師と再会しそうになり、男は急に懐かしさを感じだした。
「と、言うことは、あなたは山田先生の娘さん? いやあ、先生によく似ておられる。特にきれいなところが……、あ、すいません、気に触ったのでしたら謝ります。
それで、先生は今ご在宅でしょうか。一言あいさつ申し上げたいのですが」
すると女は表情を曇らせてこう言った。
「母は、もう亡くなります」
「そう――、ですか」
男は肩を落とした。
「先生はまだお若かったはずですよね。何かの病気で、それとも事故にでも遭われたんですか?」
そこまで聞いたところで男にはあることが引っかかった。女は『母は、もう亡くなります』と言った。過去形ではなく今、これから起こることのように。
言い間違いだろうかと思っていると、女の手に血の付いた包丁が握られているのに気がついた。
男が驚いて顔を上げると、
「わざわざ来ていただいたのに、申し訳ありません」
と言って、女は深々と頭を下げた。