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秋の桜子の物語集

春仕事の始まる報せと芽吹く大地と、貴方が帰れない春

作者: 秋の桜子

 去年、ヤマアララギの花が満開になる頃。両親を早くに亡くし、農園を営む祖父母に育てられた夫と婚礼を上げたルーラ。ようやく楽になると喜んだ、祖父母達は古い家と農機具、広大な畑を若い二人に遺し、孫の顔も見ることなく、青空に鳥が舞い飛ぶ夏の時期、次々と天に召された。


 ルーラは今、独りで古い家と畑を守ろうと、頑張っている。





 リュリュリ、チュピピ。今年の冬は何時になく厳しく、高い山の頂きにはまだら模様に雪が残っているのが、麓の村から見えるのだが、早朝の水の色を広げた柔らかな空に春告げ鳥の一声、響く。


 ルーラはため息をひとつ。カーテンを開けた窓から空を見上げ、穏やかな過去の思い出がポツリ。


 大人も子どももそれぞれに忙しく、楽しい季節の到来を報せる響きを心待ちにし、その訪れを耳にすると幼い頃は、母親にいの一番で報せに行っていた昔を。大地の女神に供える為の特別な菓子は、今も昔も何よりのご馳走。街に行けば菓子屋にその時期だけ並ぶ、女神の菓子。


 ルーラが育った村では家々のレシピで作る仕来り。その菓子がふんわりと、さっくりと、しっとりと。それぞれに美味しく作れる娘が、器量良しと呼ばれていた。


 自分で焼ける年になると、村娘達は日頃からの鍛錬とばかりに、台所に立つ時間を増やす。春のさくらんぼのバターケーキ、夏の蝉の声を聴いた日の檸檬クリームパイ、真っ赤に染まった木の葉に霜がおりた日に焼く秋のナッツのクッキー、初雪の訪れ、冬のプラムプディングを上手く作れるようにと。


 去年、仕込んださくらんぼの砂糖漬けの壺を引っ張り出さなければと思うのだが、今年はそんな気分にはならない。


「でも。毎年、さくらんぼのケーキを焼いて大地の女神様に御供えしていたのだもの、今年もちゃんとしなくちゃ」


 のろのろと動き寝室を出る。居間の壁に作り付けられてある食器棚を開け、壺を取り出すついでに、一角を占めているジャムの瓶の残りを数える。


 畑や森で採れたベリー類、小さな家の裏庭で、地を守る様に背を伸ばし花開き葉を広げるのだが、残念ながら実る果実は、虫食いだらけの林檎のいいとこ取りをした物、砂糖を買い出しに行った市場で見つけた、一箱幾らのオレンジで仕込んだマーマレード達が、色の順にきちんと並んで整列している。所々、歯抜けになっている。


「ひとつ、ふたつ、みっつ……、あの人に持たせた分を差し引いても随分減っちゃったな。大事に食べないと。今年はお砂糖、沢山買えないかもしれないもの」


 ため息をひとつ。かちり、扉を閉め壺を台所へと運び、先に朝食の用意に取り掛かかる。結婚祝に貰ったラジオのスイッチを入れる、ゴム手袋と小さな片手鍋を手に地下室へと向かう。


「塩漬菜もあと少しかな。今年は雪が深くて買い出しになかなか出れなかったから、よく食べちゃった」


 つぶやきながら、みしりみしりと踏み段をきしませ降りていく。パチン、電気を点け木箱の中を覗き、じゃが芋をふたつ、エプロンのポケットに押し込める。林檎を放り込んでいるおかげで、芽は伸びてはいない。


「種芋。届かない時はこれを植えても出来るけれど、そうなるともう沢山は食べられない、置いとかないと。ふぅ、種芋は南からよね。注文はしているけれど、今年は大丈夫なのかしら、頼んだ分はいつ届くのだろう」


 ゴム手袋をはめ、意を決して漬物樽の蓋を開け手を突っ込む。


「ふぐ。冷たい! 春になったのに」


 濃い塩水は氷水よりも冷たく、ゴム手袋等無駄と言わんばかりの刺激をルーラに伝える。手袋の中に水が入らぬ様、慎重にぬるりと中をまさぐりお目当てを探り出す。


 片手鍋の中に掴み取った菜っ葉をボチョンと入れる。


「うーん。あと少しかなぁ、もうしばらく、臭う前迄は頼りにしたいのに。もっと沢山漬けとくんだったなぁ」


 汚れていない手で灯りを消すと、四角く明るい開けっ放しの扉を目指してみしりみしり、階段を上がる。沿う壁には、ドラキュラ対策に使えそうなニンニクのネックレス、色々な赤の唐辛子が太い糸で通され筏の様、網目の袋には森で採った茸や、畑で採れた豆類がそれぞれ干された物が袋の底に残り、順々にぶら下がっている。


「茸も豆も減ったな。天気が良いなら、一度干さなきゃ。あ、そうそう。種! トウモロコシや豆や麦、一度中身を確認しておかなきゃ、ブリキの缶に入れてあるからネズミは大丈夫だけど、黴てないか心配」


 誰に言うこともなく独り呟きながら、台所へと入る。シンクに片手鍋を置き、じゃが芋を取り出すと蛇口を捻りお湯を出す、洗い桶に溜めると冷たく固くなった手袋の手を沈めた。



『今日の天気は、ガー、ピー、東 雨雲が近づく事から……』


「ふぅん、春は東から西に雲が動くからここは、夜かなぁ、降るのは、相変わらず電波の調子悪いし」


 ジャボジャボ、湯の中でゴム手袋をしたまま洗う。


『中部は夕、ピー、雨、ガガガ、夜には雨になる ガガガ』


 アナウンサーの声に応える、ルーラ。


「うふふ、多分当たり」


 手袋を脱ぐと、パッパ、振って水気を切る。くるりと身体を取り回し、数歩。台所の小さな窓枠を利用してロープを貼った場に向かうと、洗濯バサミで挟んで干す。カチャン、鍵を開けて窓を開けた。


「今日は霜が降りていないなぁ、そろそろゼラニウムを外に出せるかしら」


 フラワーボックスは空席、そこに座るプランターはルーラの足元で緑の葉を柔らかに茂らしている。エプロンの下、スカートのポケットから携帯を取り出すと画面を開く。


「ねえ、畑のヤマアララギの花が咲いたわ。そろそろ土を起こして肥料を撒かないと、ちょっとだけ習ったけどあの大きいの、運転出来るかしら」


 待ち受け画面に語るルーラ。ボコボコと盛り上がる去年の畝に冬を越した草がモコモコと伸び始めている。広い広い大地、家の近くに数本、箒を逆さに立てた様なヤマアララギの木に赤子の拳程の真白い花が、ポツポツ、ポツポツ、ポツポツと。


 ジャジャン♪


 ラジオから国歌が流れる。定時報告の時間。ルーラは振り向き窓枠に背をもたれ耳とぎすませる。心臓を打つ音が大きく強く、締め付けられる苦しさが襲う。


(大丈夫。信じている、帰るまで家と畑を頼むと。泣かずに待っててと、だからきっと貴方は帰ってくるの、もうすぐしたら)


『アーシェス ガー、続くガガガ道で……』


「私が貴方自慢のトラクターを運転したら、どうなるかは知らないわよ、でも。やるしか無いけど」


 淡々と語るアナウンサーに話しかけるルーラ。


「ぶつけたらどうしよう、冬が来る前にほんの少し使い方教わったけど」


『ピー。激しい……、ガガガ、攻、防があった 報告』


「それで、追っ払ったの?」


 リュリュリ、チュピピ。背後から鳥の声。


「ケーキを焼かないと」


 続きを聞くのが怖くなったルーラは、慌ててラジオに近づくと音量を一気に下げた。ガガガ、ゴニョゴニョ、ゴニョ、ピィィ……。静かになるラジオ。


 砂糖にバター。卵、小麦粉ふくらし粉、砂糖漬けのさくらんぼ。キルシュも効かせて、春の女神に捧げるケーキ。


「大地の女神様、女神さま。とっときの美味しいケーキを焼きます。だからこの空の下できっと、同じ鳥の声を聞いて畑を耕やさなきゃと、先を案じながら私達を守る皆に力を貸してくださいな」


 祈るように言葉を吐くとキュッと、携帯を抱きしめる。


「大丈夫、大丈夫。きっともうすぐ帰って来るの、全てが終わって、疲れたよ。お腹が空いた、熱い紅茶にジャムを入れてと、言いながらドアをバーン! と開けて入って来るの」


 (私は元気でここで待っている。貴方にそう頼まれたもの。だから不安に潰されて泣いたりなんかしないわ)


「種まきの時期を逃すと収穫できなくなっちゃう、ここは夏は短くて冬が早いの、早く肥料を撒いて鋤こなさないと……」


 呟くルーラ。携帯をポケットに押し込むと込み上げる不安を打ち消す様にきびきび動く。ケーキを焼く段取りを始める。やることは山のようにある。


(ウジウジ考えちゃだめ、どこの家も女子どもと年寄りばっかり残ってるんだもん、やれることは自分でやらないと)


「なんとかなるわ、うん、私は元気で、それでもって若いんだもん。トラックだって運転出来るし、ね!」


 リュリュリ、チュピピ……。日が昇った空に春告げ鳥の声が戯れる様に響く。開け放している窓の外から、古いがしっかりと磨き上げられた台所に、まだひんやり冷たい風に混ざって入り込む。


 ルーラは自分に言い聞かせると、ボウルに卵をふたつ、ココンと割って入れた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 早く、早く帰ってきてあげて~……! 不安を押し殺して出来る限り普段通りの日常を過ごそうとする描写が素晴らしかったです。
[一言] 情景描写がとても上手だと思いました☆ はやくルーラに良い春が来るといいですね!
[一言] めっちゃ泣きました……! つらくても、何もできなくても、日々の生活を紡いでいくしかないんですよね。いつか帰ってくることを信じて…… せめて、彼女や村人たちの祈りが届きますように!
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