走る・改
2023年10月から改稿を始めました。極端ではないですが、少しずつ変わっていく予定です。
1・潮流
島は南北へ動く性質を持っている。そのため、島のすぐ近くにある潮流はたびたび極端な変化を起こす。だが周囲10キロを超えたあたりから、潮は島の動きの影響を逃れる。
「海が荒いわ」
波がチカチカと光っている。カラタは目を細め、額に手をかざし、背伸びをして沖合を見つめた。小柄なカラタがいくら伸びをしたところで見えるものにそうそう代わり映えはないけれど、それでもちょっとだけ遠くが見える気がする。
「……大丈夫かしら」
呟いたすぐに、走り出していた。
長い坂道の天辺近くにある家の前から海岸沿いの漁港まで、カラタはひたすら走り続ける。
手に持つものがなにも無い時のカラタは速い。滅多にそんな時がないから、普段はみんな忘れてしまっているのだが、走っているところを見かけた人たちは必ず、「そういえばあの子は足が速かったわ」と言い合うのだ。
カラタの家族のほとんどが、島の長い海岸線の南の端に近い場所にあるこの村のひとつしかない小さな漁港で働いている。
父も兄も叔父や従兄弟たちも。もちろん夫も。
この雨季の前に結婚したばかりの夫は18歳で、仲間うちでは一番若手ではあるけれど、周囲の期待の大きい海獣漁師だ。だが海獣漁師の仕事は他の漁師よりも危険が高い。カラタはその生業で育ってきたにも関わらず、海獣漁があまり好きではなかった。こんな波の荒い日は獲物を得ても船が転覆しやすい。そしてそんな事故をカラタはいくらも知っている。
「まだ、帰ってない」
ほとんど息も切らさずにかけつけた漁港に海獣漁の船は見当たらない。近海の漁船は帰ってきているほぼ帰ってきているようだが、潮目を越えて島の影響下を離れた海域まで漁に出る海獣漁は、どうしても帰港が遅くなる。
「よう、バナットはまだだぞ」
漁網の手入れをしていた漁師のひとりがカラタを見つけ、揶揄するように話しかけてくる。カラタはわかっているというように、手を振っただけでそこを通り過ぎ、漁師たちの笑い声に背を向けた。
――大丈夫。大丈夫。兄さんが一緒だし。
兄のコアツァはまだ20歳になったばかりだが、すでに稀にみる腕前だと島中で評判になっている。
と、本人は言っている。カラタはまだ島の反対側の北の市にすら行ったことがない。兄が言うほど小さな島ではないのだ。こんな島の端の端にある漁港の漁師の腕前が響き渡るとも思えない。だが海の荒れた日は、そんな兄のたわ言をお守りのように感じてしまう。
「あ」
小さな影を沖合に見つけたカラタは立っていた堤防の端を蹴り、船が獲物を下ろすために着く浜辺へと再び駆け出した。