ただのおやつ
僕の名前はタクちゃん。
今日はタエちゃんの初めての冒険を楽しんでね。
引っ越してからタエの日常は、近所の散歩から始まった。
60代後半のタエは、病気以来一気に老け込んでしまっている。
それから巧の相手をする為の体力作りと、近所との交友関係を広めようと午前は積極的に歩いていた。
息子の徹からスマホを持たされ、電話の掛け方と写真の撮り方、後は少しだけ連絡ツールを使えるようになっていた。
金曜日は菅原家に呼ばれる事が多い。
あまり御呼ばれされるのも良しとしないタエは、程よい距離を保っていた。
医者には二ヶ月に一回行き、その時は由美子が車を出すことになっている。
徹が仕事で忙しくしている姿は、ゲンに似ているとタエは思っているが、口が裂けても言えないことだった。
日常生活では質素にして、簡素な生活をしている。タエが少しくらいいなくても、菅原家は探す手段を持っていた。
「これって……。あの女性が言ってたことかしら?」
タエは買い物帰りに、いつもの道を通っているつもりだ。あの時の事は、おぼろげに覚えている。
これからゲンの足跡を辿れるのかと思うと、少しだけワクワクしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここはどこかしら?」
買い物カゴをぶら下げて、タエはここが何処かと不思議に思っていた。
家庭菜園をする為に野菜の種を大量に買い、その他には味噌や醤油・お揚げなどを購入していた。
巧が好きなホットケーキミックスと、お好み焼き用の一式も買った。
三時のおやつに出せるものは、欠かす訳にはいかない。
蜂蜜・バター・紅しょうが・青海苔・ソース・マヨネーズなど、孫の喜ぶ顔を思い浮かべるとほっこりしてしまう。
それにしても、ここは何処なんでしょう?
少し遠くにはあるが、正面には大きな壁が見えており、タエはこのまま進んで良いか迷っていた。
舗装されていないけれど人が通る道の真ん中に立っていて、近くには川が見えていた。
ここにいては邪魔になる……。そう思ったら川縁の方に避け、買い物カゴを置いて景色を楽しもうと座り込んだ。
しばらく眺めていると、馬車を操っている御者の男が通りかかり話し掛けてきた。
「こんな場所で、怪我でもされましたかな?」
「あら、こんにちは。どうやら、迷ってしまったみたいなの」
「街はすぐそこですので、宜しければ我が家で休みますか?」
「ご免なさいね。引っ越したばかりで道に疎くて」
ぼーっとしていたタエは、彫りの深いロマンスグレーの男性の顔を見て、日本語で話せたことに安心した。
グレーの髪の毛は、タエとお揃いだ。年齢的に老け込むのは早いけど、タエは絶妙なアッシュ色が気に入っていた。
御者台で男性の隣に座り、タエ達は思い出したように自己紹介を始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ほぉぉ。タエ殿は、旦那さんの仕事仲間へ会いに?」
「そうなの、ラスティさん。早くに引退したのに、気になって仕方がないみたい」
「それで、この街に用があるのですな」
「そうだと思うのだけど……。ここは何丁目かしら?」
何丁目という表現にラスティは首を傾げながらも、丁寧に街の説明をしてくれた。
この街は子爵領でも『湯治』と『職人』で有名な地区で、先代の子爵さまが湯治場として利用し始めてから発展したようだ。
なんでも『迷い人』が訪れて厚遇したところ、先代の子爵が早々に引退し、新しい知識と技術で発展したようだ。
迷い人とは、『この世ならざる世界から迷い込んだ、異なる世界の技術や知識を持つ者』らしい。
「そろそろ、見えて来ますよ」
「さっきの所は良いのですか?」
「あぁ……。タエ殿は私の友人ということで、許可を取りました」
「お金を払っていたように見えたわ……」
「一回の食事分くらいですよ。さあ、お疲れでしょう。でもその前に、この景色をご覧ください」
ラスティはタエが、この街の住民ではないと思っているだろう。
引っ越して間もないとしても、タエの驚きはまるで子供のようだったからだ。
湯畑で熱気が広がるこの光景は、この街に住む者の自慢だ。
ラスティはその驚きに満足しつつ、大店の商家に向かっていった。
帰還の挨拶をしたラスティは馬車を預け、裏にある自宅へ案内してくれた。
すぐに現れたのは、小学校低学年くらいの子供達。そのすぐ後に、上品そうな女性が顔を出してきた。
事情を説明したラスティに奥さんは優しげに微笑み、「騒がしい家ですが……」と断りをいれ、家の中に招き入れてくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まあ、素敵なおうちね」
「そう? 嬉しいわ。息子達が働いている間、孫達を預かっているの」
「うちも子供が呼んでくれて、今は近所に住んでいるわ。孫が可愛くてねぇ」
「えぇえぇ。でも、少し離れているくらいが丁度良いわ」
「ねぇ、おばあちゃん。今日のおやつなーに?」
「あらあら、お客さまが見えてるでしょ?」
「お腹が空くのは困ったわよねぇ」
「「「うーん」」」
タエは、『この奥さんは料理が得意なんだな』と思った。
それが分かっている孫達が、おばあちゃん自慢をしたいのだと感じ取っていた。
「じゃあ、お芋でも蒸かしましょうか?」
「「「えー……」」」
思惑が外れたのか、孫達はがっかりしていた。
私が来たばっかりに、そんな顔をさせてしまうのは本意ではなかった。
「そうそう、買い物カゴに良いものがあるの。それをお出しして良いかしら?」
「はて? この街の外で買える場所は……」
「あなた、それは……」
「ダメかしら?」
「えぇ、楽しみだわ。何が出来るのかしら?」
「そこにあるキャベツを、少し頂いても良いかしら?」
「あら。この子達、野菜は苦手なのよ」
「うちの孫も好物だから、きっと気に入ると思うわ」
タエはラスティの妻であるメリィに、作り方を教えながら材料を準備していく。
「何が出来るのー?」と集まる子供達に、タエは「何でしょうねー」とにこやかに返事を返した。
お好み焼きの準備は難しくない。メリィの勇姿に子供達は誇らしげだった。
「折角の材料、大丈夫だったの?」
「えぇ、問題ないわ。もう一種類あるから」
「そう言われちゃうと、そっちも気になるわ」
「タエ殿、あまり妻を焚き付けないでおくれ」
タエとメリィはお互い『ふふふっ』と笑う。材料を切って、混ぜるのはメリィだ。
タエが「ホットプレートはあるかしら?」と聞くと、「それはどういうもの?」と質問を受ける。
その間に子供達が皿を準備し、ラスティが「それなら」と白みが濃いグレーの石板を持ってきた。
「タエ殿の求めているのは、多分これだろう」
「いつもは面倒くさがるあなたがね……」
「この辺の料理ではなさそうだからな」
「簡単な料理だから、恥ずかしいわ」
ラスティはテーブルの上に置いた魔道具の火の調整をして、手をかざして温度を確かいる。
孫達には「絶対触ってはいけないよ」とよく言い聞かせた後、早速『お好み焼き』を焼き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そろそろ良いわ」
「では、ひっくり返すわね」
「次は僕ー、僕もやるー」
「わーたーしーの番!」
「危ないからダメよ。ラスティ、今後は考えないとね」
調理のライブ感に、徐々に子供達が興奮してきた。
テーブルから身を乗り出すと、メリィやラスティが注意する。
その間にタエはマヨネーズとソースと青海苔を出して、メリィにタイミングの指示をする。
縁の焼け具合から、メリィとラスティは楽しそうに観察している。
その様子が面白いのか、孫達の体がどんどん前のめりになっていった。
「せーの」
「「「よいしょー」」」
「楽しいわね」
「今日は特別だからな」
「「「はーい」」」
徐々に出来上がっていくお好み焼き。子供達は中に入っているキャベツなんてお構いなしだ。
ソースをかけマヨネーズをモッタリと乗せ、最後に青海苔をふりかける。
銀のフォークとナイフで取り分けると、みんなで食事に対する祈りの言葉を紡ぎだした。
「熱いから気をつけてね」
「フーフーして食べるのよ!」
「ねえ、もう食べて良いでしょ?」
「あぁ、気をつけるのだぞ」
祖父母を見ながらフーフーしているフリをしている子もいて、一刻も早く食べたいと口に入れ「あっふぅーう」とハフハフしている。
その光景が面白いのかラスティは笑い、メリィが慌ててジュースを持ってきた。
二人の子は年下なのだろうか? 兄の失敗に、念入りにフーフーして口に含んだ。
「「おーいしー」」
「ほーふひー」
「お野菜が入ってるのに、大丈夫なのね」
「ほほぉ、これはマヨネーズというやつだな」
「あの、特別なお店でしか食べられないソースね」
メリィはジュースを配り終えた後、まじまじと手元のお好み焼きを見る。
その白い部分を指差し、ラスティに確認していた。
石版にこぼれるソースの焼ける香りが、まだまだ食欲をそそる。
少し遅れたメリィが食べ始める頃、追加で焼けてきた一枚二枚をラスティがひっくり返していた。
食べ終わった子供達は、あっさり外に遊びに行ってしまった。
ラスティとメリィは高価な食材に感謝し、マヨネーズを何処で仕入れたのか質問をしてくる。
「これって珍しいのかしら?」
「そうだなぁ。これは先程話した『迷い人』が残したものなんだ」
「子爵さま専属の料理人か、高級店でなければ食べられないわ」
「そうなの? やっぱり、○Pさんは偉大なのね」
「あなた!」
「あぁ、そうだな。これだけのものをご馳走になったなら、報酬を払わねば失礼にあたる」
「何のことかしら?」
「この食事には、それだけの価値があるということだよ」
「えーっと……。一回の食事分ってことかしら?」
タエが微笑むと、ラスティもフッと吹き出す。
それからメリィはとっておきのワインを持ってきて、三人は楽しそうに食事と、この街のことを話し合った。