何気ない日常
「菅原 巧、五歳」
「はい、よく言えました」
「タエちゃん。僕、もうすぐ小学生だよ」
「良いのよ。お父さんより、立派だわ」
タエちゃんは僕のことをいっぱい、いーっぱい誉めてくれる。
お父さんもお母さんも、「いっぱい勉強するのよ」って言うけど、タエちゃんと遊んでいる時が楽しいんだ。
でもタエちゃんは、時々寂しい顔をしたり、ぼーっとしたりする事もあるの。
お父さんは「スイッチが切れたみたい」って心配してるけど、僕と一緒だと元気なんだ。
菅原家は両親・息子・娘の4人家族で、タエは父親の母に当たる。
タエとは離れて暮らしていたが、折り合いの悪かった父ゲンが死去し、タエを引き取るという話が出ていた。
当時、巧がまだ小さかった事もあり、連れ合いをなくしたばかりのタエは答えを渋っていた。
その後タエに病気が見つかり、心配した父親がタエを近くに呼ぶことにした。
「元気なうちは、子供達に迷惑を掛けたくない」と言っていたタエも、子供世代の説得に素直に従うことにした。
タエは一男二女を儲け、それぞれ独立した家庭を持っている。
親族会議の結果、やはり長男が責務を果たすべきと、巧の父親が手を上げることになった。
そしてタエの希望により、限りなく近い別の家に住む事が決まったのが二年前。
「お母さ~ん。タエちゃんのところに行ってくる」
「あまり迷惑かけないのよ!」
「うん、分かった!」
これが菅原家の定番の会話となっていた。
菅原家とタエの家は10分以内の場所にあり、各種イベントでは積極的にタエを誘っている。
また二月に一度病院の送り迎えを母親が行っており、タエからあまり干渉しない関係に嫁姑の関係は良好だった。
時には一緒に買い物に出掛け、時には料理を習う関係。
母親も程よくパート勤めをしているので、丁度良い距離関係だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なあ……。母さんの所に、巧を預けて大丈夫なのか?」
「お義母さんは、思っているほど危なくないわ」
「近所の子にお菓子をあげないようにとか、アレルギーやルールについては理解があると思うが……」
「やっぱり、アレが少し心配?」
「ボケるには、まだ早い年齢なんだが……」
徹と由美子は、数年前に倒れたタエを心配し、その後にあった後遺症について考えていた。
折り合いが悪かった父ゲンも、タエとは仲睦まじい様子で、タエからゲンの悪口を聞いたことがなかった。
よく妻が亡くなると、後を追うように夫が……という話を聞くが、タエの喪失感は大きかったらしい。
それが病状に現れたのか、それとも溜まった心労なのか。
タエが倒れてから、少し『張り』というものが失われていた。
「巧には?」
「うん。『タエちゃんに何かあったら、誰か呼ぶのよ』って言ってあるわ。『困ったら家に帰ってきなさい』とも」
「アイツは出来る子だからな」
「何その遺伝的信頼は……。巧は、まだ小さいんだから」
「まあ母さんも、巧がいたら遠くに連れて行かないだろ?」
「そうね。そこだけは安心かも?」
魔の二歳児である友香は保育園に通っているので、巧が良いポジションで過ごしているのには、家庭的にも凄い助かっている。徹の妹達もたまに様子を見に来るし、由美子の家族は少し離れたところにいる。
菅原家的には何もかもが順調で、その分仕事に家庭に邁進できていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
子沢山の末子として生まれたタエは、とても可愛がられて育つことになる。
気合を入れて名前をつけた長子から、段々と手抜き感が出てきて、最後と決めた女の子には『多くの恵みがありますように』という願いを込めてタエという音になった。時代がら、多恵よりタエという名前の方がしっくりきたようだ。
それから自由奔放に育ち、『いつまでも家にいて良いんだからね』の言葉に、婚期を逃すことになった。
兄弟達の強い説得により両親が折れて、お見合いをしたのが職人のゲンだった。
ぶっきらぼうの職人気質、仕事は真面目で酒・タバコ・ギャンブルはしないが、面白みのない男だったと兄弟は言う。
それでも当時多かった、銭湯に関わる『タイル職人』だったので、将来性は高かったようだ。
絵も描けばタイルも貼る。左官のような仕事も請け負い、何でも器用にこなしていた。
「あなたから『お義父さんの話を聞く』って、あまりないわよね」
「そうだな。出張が多い人だったから、遊んでもらった記憶もなければ、接点が少なかったのかもしれないな」
「それで、どうして疎遠になったの?」
「独特な感性だったからなぁ。今思うと、母さんとも仲が良かったと思うし。なんでだろ?」
キャッチボールをした記憶もなければ、変な土産を買ってきて困惑させていた父。
口数も少なく、思ったことの1/10も言わない人だった。
仕事の話もしないし、たまにTVを占領して野球を見るくらいだ。
運動会も町内会の祭りも、父親に連れて行ってもらった記憶はなかった。
話はタエの病状に移った。
ゲンが無くなってから少し経ち、倒れて救急車で運ばれてから病気が発覚した。
その病気自体は薬でどうにかなる程度だったが、その後に違う症状が出てしまった。
ある日タエがフラフラと出掛け、あまりに帰って来ないので親族中で捜索をした。
悩みに悩んだ結果、警察に連絡しようか相談していた所で、不意に帰ってきたのだ。
何処に行ってたか聞いてもハッキリした事は言わず、少し様子を見ることに決まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日タエは、『家の中で閉じこもるより、日の光を浴びましょう』という医者の言うことを聞いて散歩に出ていた。
近所の公園に行き、砂場やブランコで遊ぶ幼い子を見ていた。
ニコニコして子供達を見ている。お昼になり、親子達が帰ってもニコニコして公園を見ていた。
やがて日が暮れてくると、ふとゲンの食事の準備をする時間だと、スーパーに買い物に行こうと思った。
「今日は何にしようかしら?」
ゲンの好物を思い浮かべながら、通い慣れた道を歩いていく。
既にゲンは亡くなっており、そのことは頭の中では理解しているつもりだった。
見たことのない道を歩いていても、タエには理解出来ていない。
到着した場所で女性に声を掛けられ、そこでお茶を飲み、帰る頃には暗くなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そう、素敵な旦那さまだったのね」
「そうなの。最初は怖かったけど、照れ屋なのよ」
「実は私、そのゲンさんのこと知ってるんです」
「あらまあ、生前お世話になった方ね」
「ゲンさんには、異世界で仕事をしてもらってたのよ」
「お仕事関係の方ね。あの人は、仕事の話は全然しなくて」
「ええ、とても真面目な人だったわ。それでね、『もし俺が先に死んだら、アイツが悲しむから』って」
「……その先は聞きたくないわ」
女性は困ったように首を傾げる。
タエがゲンの死を理解しつつ、否定したい気持ちで揺れていたのだ。
「いつ会えるか分からないし、ゲンさんの言葉を聞きたくないの?」
「それはそうだけど……」
「一つは、『子供や孫の事を頼む』よ。問題ないでしょ?」
「それは今までと変わらないわ。一つは、ってことは?」
「もう一つは、『何時までも待ってるから、ゆっくり来てくれ』ですって」
「自分勝手でひどいわ……」
「ある意味、優しさじゃないかしら? この言葉には続きがあってね」
「ええ、ちゃんと聞くわ」
女性はタエに、ゲンの最後の意志を伝える。
『アイツが悲しむから』の先、『もし暇を持て余すようだったら、あちらで俺の仕事仲間に伝えて欲しい。俺は元気だから』と。
ゲンのことを考える時間を、異世界を旅させることで紛らわす作戦だった。
その後、女性は多くの話を聞き要望を受けた。そして、「その時は宜しくね」と二人は別れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、引越しまでは順調に進んだ。
元々徹は二世帯住宅を考えており、タエの住める部屋も準備してあったが、タエは断固として了承しなかった。
結局、近所に住むことを条件に、タエは引越しを決断した。
断舎利をしたタエは多くの荷物を持たなかったが、『元の家にあった、物置を設置したい』と要望を出した。
そこにはゲンの仕事道具が入っているようで、大事に取っておきたいらしい。
すぐに巧が懐き、徹の妹達も安心することになった。
タエも喜び、新しい生活が始まった。