005
天狐の防毒面の内部に紫煙を充満させて、まるでそれが酸素ボンベであるかのように深呼吸を続ける主。
「……実をいうとね、結構傷付いたのよ。友人に麻薬中毒者扱いされて」仰向けに倒れて天井を見据えながら独り言のように呟く。いつものように聞き取って、俺は右隣に寄り添う。
「でもあの口ぶりからすると、主を助けるために周波数調整員になっているようにも聞き取れる気がする」
「…どうかしらね。椛は高校生時代の先輩。いつも自分らしく生きていて、私とは正反対。呪いに縛られた私とは正反対なの」
だからこそ惹かれ合って仲良くなって、憧れて……
「……て」
主が消え入りそうな声で何かを言った。俺は初めて言葉を聞き取れなかった。
「なんですか? 主」
「私を抱いて」
その言葉を聞いて、少しだけ戸惑った。端月の顔を確かめると、目に涙を浮かべて今にも溢れそうだった。さながらメデューサの首を見たときみたいに動けなくなる。
端月が伝えたいことは痛いほど伝わってきた。俺は天狐の仮面をつけていたことを思い出し、ふと取り外して裸眼で端月を見つめる。
端月は紫煙を防毒面に満たしながらも幻覚を生み出していた。磨りガラスのように半透明なあの日の先輩。『高校時代の椛』を。
「いいのか?」
「もともとこの夢を叶えるつもりもなかったし、灯にならいいって思ってる」
狼狽している俺をまっすぐに見つめてくれる。その瞳孔は井戸の底の地下水のように俺を映す。誠実とは別の開き方をしている。
「もともと子を成すことができない末代なのだから、幻覚くらい、いい夢見させてよ」
末代。
封月家の呪いは母から娘へと子を産むことで幻覚から解き放たれることができる。しかし端月は女性機能が生まれつき備わっていない。これが末代と言われる所以。
人を呪わば穴二つ。
末代まで呪い返されたということだろうか。
幻覚の中にある端月の瞳。瞳孔は広く開いて弛緩しきっている。その深淵を僕は覗き込む。紫煙の染み込んだ唇は厚く腫れて……
――磨りガラスのような少女達で埋め尽くされる屋敷牢、二人は空気の底に沈んでゆく……――
彼女の呪い『幻覚』は、彼女の意識に影響して現れているのでしょうか。
だとするのなら『紫煙』の本当の役割はなんでしょう。
どこからどこまでが現実の世界なのでしょう。
いかかでしたでしょうか?
短編として切りのいいところで区切りをつけていますが、物語の先は僕の中にはまだまだあって、でもその先は想像の余地を残していたい。
と、言うことで『尾田切灯の幽閉』でした。他の物語と繋がる部分もあるので、是非、他作品もよろしくお願いします。