Spell:7
エントランスに二人の男性が待っていた。タイプは違うが、どちらも整った顔立ちをしている。
「今日も我が家のお姫様たちはきれいだね。ティア、よく似合っているよ」
「ありがと、お父様」
おそらくティアが社交界デビューだからだろう。背が低い方の男性、つまり、フレンたちの父ヴァルトエック公爵ベリエスが微笑んでティアに声をかけた。その前に言った『お姫様』にはきっと、彼の妻であるカティも含まれている。まあ、彼にとってはお姫様だろうね。爆発しろ。
何度も言うが、父ベリエスにフレンはよく似ている。父も藍色がかった黒髪をしており、中性的な顔立ちをしている。平たく言えば女顔だ。すでに四十に届く年齢だが、そうは見えない童顔。カティも相当の若作りだが、ベリエスには負ける。
瞳の色は現在、紫に見えるが本来は赤だ。魔法で紫に見せているのである。やはり、赤い虹彩は珍しいので。フレンのワインレッドの瞳はおそらく、父親譲りなのだろう。
中性的な顔立ちでさほど背が高くないベリエスだが、彼は剣の申し子だ。幼馴染である女帝ヴァルブルガのクーデターが成功したのは、彼が彼女に協力したからだとも言われる。現在は軍事最高責任者である。
そんな彼は愛想もいいし童顔で若く見える。そのため、結構若いお嬢さんにもモテる男だ。怒らせると怖いし、妻カティをこの上なく愛しているが、思うのは自由である。基本的に敵に回さなければ恐ろしくない人間であるし。
もう一人、背の高い方がフレンの婚約者たるクラウヴェル公爵子息ヒルデブランド・エッフェンベルクである。年はフレンより二つ上なので、今年二十歳になる。と言うか、先月なったばかりだ。
女性にしては長身のフレンが見上げるほどの長身にアッシュブラウンの髪。琥珀色の瞳は少し色が濃い目だ。切れ目気味で少々目つきが悪く見えるが、文句なしのハンサムである。どこまでもきれい、を突き詰めたようなベリエスやハインとは違ったタイプのハンサムである。
だが、表情筋が仕事をしていない。いや、この件に関してはフレンもあまり人のことは言えないので黙っておくが、つまりは表情が動かないのである。そのためにクールで素敵、と言われることもあるようだが、こいつはこれで結構感情豊かだと付き合いの長いフレンたちは知っている。
「こんばんは、フレン」
「こんばんは、ヒルデ」
彼の愛称である名を呼び、フレンは無造作に手を差し出す。ヒルデはその手を取って見た目だけは恭しく口づけた。それをじっと見つめていると、ヒルデが眉をひそめた。
「なんだ」
「いや……否定できないレベルでペアルックだなと思って」
ヒルデの夜会服は藍色だった。図らずもフレンのドレスも藍色だ。指色などに違いはあるものの、これは指摘されたら否定できない。
「……お前、言うことはそれだけか」
「ああ、うん。ネックレスありがとう。とても私の好みだよ」
「それは何よりだ」
「あと、その格好も似合ってるからね」
「俺は割と何を着ても似合う」
「それ、自慢? ちょっと腹立つんだけど」
とはいえ、ヒルデが割と何を着ても似合うのは確かだ。顔や良くて背が高いと、何でも着こなせるらしい。父は割と着るものに苦労している。幸いカティがそう言ったセンスに長けているのでこれまで問題が起こったことはないが、顔立ちの印象もあり、下手なデザインだとかわいらしく見えてしまうらしい。まあ、娘と顔が似ている時点で察していただきたいものだ。
「冗談だ。お前もその格好、いいと思うぞ」
「そりゃどうも」
いつもの気安い調子でやり取りをしていると、フレンはふと気が付いた。ヒルデの今日のネクタイピンは、フレンが先月の誕生日に贈ったものだった。毎年毎年、なんだかんだで自分で贈るものは選んでいる。他人任せにしたら、「お前、さぼっただろ」と何故かばれるのだ。解せぬ。なので、ヒルデの誕生日プレゼントはフレンが気合を入れて選ぶことにしている。
こうして、婚約者が選んだものを身に着けてくれるヒルデは優しいと思う。表情が動かないし貴族の子息にしては口が悪い。人のことは言えないが、それはわかっている。そんな面があっても、彼は優しい。それもわかっている。でも。
恋ではないんだよな。
と思うのだ。彼のことが好きか、と聞かれればフレンはおそらく『好きだ』と答える。だが、愛しているか、恋しているか、と聞かれればフレンは否定するだろう。彼に向ける感情はそんなものではないし、おそらく、彼からフレンに向かっている感情もそんなものではない。
「いい雰囲気のところ悪いけど、そろそろ出発しようか。ヒルデ。フレンを任せたよ」
「かしこまりました」
ヒルデがベリエスに向かって一礼する。ベリエスはカティとティアを連れて宮殿に行く。ヒルデはフレンを迎えに来たのだ。ちなみに、ここにはいないハインはメルを迎えに行った。
宮殿で、ティアをマックスに引き渡さなくてはならない。まだ社交界デビューの年齢を迎えていないマックスだが、彼は皇太子なので特別だ。婚約者のティアが社交界に出るので、彼も時期を早めて社交界に出ることになったのだ。まあ、彼の場合は以前から少しだけ顔を見せたりしていたのだが。皇族って大変だ。
皇族と言えば、ヒルデの母親は皇女だったりする。女帝ヴァルブルガの姉だ。そのため、ヒルデから見て女帝は叔母に当たり、マックスは従兄になるのだ。ヴァルトエック公爵家の姉妹は、二人そろって皇族に縁のあるものに嫁ぐのである。
ヒルデに手を貸されて、フレンはクラウヴェル公爵家の紋章が描かれた馬車に乗った。ベリエスたちを乗せたヴァルトエック公爵家の馬車が先に出発し、少し遅れてヒルデとフレンを乗せた馬車が動き始める。
「お前たちも最高学年か……早いものだな」
「何年寄りじみたこと言ってるの」
進行方向と反対向きに腰かけたヒルデに向かって、フレンはツッコミを入れた。ヒルデだって、二年前まではフレンたちと一緒に学園の生徒だった。今は魔法省で仕事をしているが。
「いや、自分が卒業してから二年が経とうとしていることに愕然としただけだ」
「……まあ、そうだね」
それは事実なので仕方がないが、ヒルデが愕然としたことまでは知らんがな。
「お前、卒業後はどうするんだ?」
「まだ決めてないけど、やっぱり魔法研究所かな」
実はお誘いも来ている。最終学年となったからには、卒業後の進路も考えなければならない。女子生徒なら「そのまま結婚」という子もいるが、フレンはそう考えていなかった。
「あなたと結婚すると言う方法もないわけではないけど、婚約破棄ならともかく、離婚ってのは外聞が悪いしね」
苦笑を浮かべてそう言うと、ヒルデがわずかに顔をしかめるのがわかった。
「別に俺はお前と婚約破棄するつもりも離婚するつもりもないが」
「それは何度も聞いてるよ。私も、あなたが相手だと気安いし、いいかなとも思うんだけどね」
フレンはドレスを着た状態で足を組み、さらに腕も組みながら言った。
「何か違うなと思うんだよね」
「違う、とは?」
問い返されて、フレンはどう説明したものか、と少し悩む。口元に指を当てて「うーん」と少し悩んだ。
「いや、政略結婚だし、むしろ仲がいいだけましなのかもしれないけど、ほら、ハインとメルもティアと殿下も互いを思いやってるのがわかるでしょう」
「……別に俺がお前を思いやってないわけじゃないぞ」
「うん。それもわかってる」
ヒルデがなんだかんだで優しい男であることはわかっている。こうしてフレンの話を聞いてくれているし。だが。
「でも、私に何かあっても、『よし、大丈夫だな』って置いていくでしょう」
「……お前、未だに初めて学生動員された時のこと怒ってるのか……」
げんなりした様子でヒルデは言った。フレンは「別に怒ってるわけじゃないよ」と首を左右に振る。
「ただ、あの時に現実を再認識しただけ」
「……信頼の証だ」
「それもわかってるよ」
だが、彼女が第四学年になり、当時最高学年だったヒルデに率いられて近くの街で起こった魔導師事件を解決しに行ったとき、逃げた魔導師を追う際にそう言われたのは確かだ。怪我を負ったフレンを見て、ヒルデは容体を確認すると、「よし、大丈夫だな」と判断してフレンをそこに残して行った。
もちろん、一人ではなかった。現場を調査する生徒も残っていたし、実際、怪我をしたとはいえ早急に対処が必要なほどではなかった。だが、フレンはその時再認識したのだ。自分は、ヒルデの一番にはなれないのだろうと。
もちろん、その時の判断としてはヒルデの判断が正しい。彼は学生とはいえ一軍を率いていたのだし、魔導師を捕らえなければならなかった。だから、怪我を負った彼女を置いて魔導師を捕らえに行くのは正常な判断だ。
だが、同時に思ったのだ。フレンはヒルデが好きだったが、愛しているわけではない。それはおそらく、彼も同じで、大切であるが何よりも優先するほど愛しているわけではないと。
もし、ヒルデに何よりも優先したい相手ができたなら。そう。ハインにとってのメルのような、マックスにとってのティアのような、そんな存在ができたなら。せめて自分は、彼の思いの妨げになりたくないなぁと漠然と思った。
たぶん、彼は優しいので、このままいけばフレンと結婚するだろう。別にフレンもそれは構わない。だが、彼にそう言う人ができた時、離婚するとなると時間もかかるし外聞が悪い。だから、しばらくは婚約期間のままで猶予が欲しかった。
と言うようなことを簡単に説明したが、結局のところ。
「私が設備の整った宮殿の研究所で研究をしたいだけかもしれない」
「……あほか」
力が抜けたようにクッションに寄りかかるヒルデの肩を、フレンはぽんぽん、とたたいた。
彼女はまだ気づいていない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
やっとヒルデが出てきました。良かったー。
父上は童顔女顔です。フレンは父上そっくり(笑)