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Spell:31










「ヒルデ」


 翌早朝、学園内を歩いていると見知った後姿を発見して声をかけた。ディーデリヒ軍と戦っていた時、フレンがいたバルコニーから外を眺めていたのはヒルデだった。フレンを認め目を細めた彼に近寄る。

「何してんの」

「お前こそ」

「私は朝の散歩」

 実のところ、校舎の復旧具合と学校にかかっていた防御魔法の構築具合を見て回っていたのだが、それは言わないでおいた。

「朝日の昇る側を歩けはいいだろ」

「それは私の自由でしょ」

 ディーデリヒ軍が展開していた正面門方面は西側にあたる。そのため、総長である今、校舎の陰になり少し肌寒いくらいだった。ヒルデのツッコミも尤もである。

「あんたこそ、何してんの」

 同じ質問を返すと、ヒルデはため息をついた。

「防御魔法の構築具合を見ている」

「そう」

 聞いたのに、フレンの答えは素っ気なかった。そんな気がしていたので、意外性も何もなかったからである。

 フレンはヒルデの隣から正面門の方を眺めた。


「久しぶりに来ると、懐かしいな」


 ぽつりとヒルデが言った。それに答えるようにフレンも言う。


「私もあと数か月でここを去ると思うと、さみしい気がするな」


 フレンたちの卒業の日は刻々と近づいている。すでに卒業試験も終え、卒業論文も提出している。そう言えば、メルが学会に提出する分はまだできていなかったか。

「……」

「……」

 沈黙が下りる。二人とも何も言わなかった。もうすぐみんなが起きてくる時間になる。そうなれば、この二人きりの時間は終わる。そう思うと、フレンは何か言わなければならないような気がしてきた。

「……っていうか、よく考えると、どうしてヒルデがここにいるんだ」

「だから、防御魔法を」

「そうじゃなくて、どうして陛下と一緒に学園に来たのかってこと」

 ベリエスはまだわかる。彼は将軍と呼ばれる軍事最高責任者である。だが、ヒルデは文官だ。何度も言うが、文官である。それが当然ように従軍しているのに、フレンは今更ながら気が付いた。

「……一応、俺は陛下の書記官として来てるんだが」

「……」

 フレンが胡乱気な目でヒルデを見つめると、彼はため息をついた。

「心配だったんだ」

「心配? 何が?」

「お前が」

 まっすぐ濃い琥珀色の瞳で見つめられ、柄にもなくフレンはうろたえた。


「……はあ?」


 いぶかしげな、と言うよりいつも通りの反応ができたのはたっぷり間を置いてからだった。

「まあ、確かにハインに比べたら不安のある留守役だったかもしれないけど」

 先のディーデリヒ軍との戦いでもそうだった。ヒルデを危険にさらしてしまった。フレンは、自分の経験が足りないことを自覚している。

「いや、そう言うことではなくてだな。……ハインがいなかったら、お前、自分が何とかしないとって思うだろ。お前、一人でやろうとするから」

「……」

 ちょっと否定できなくて、フレンは沈黙した。実際に、ティアからも指摘されたし。

「……私を心配して、来てくれたんだ」

「だからそう言っているだろう」

「……」

「……」

 妙な沈黙が下りる。苦痛ではないが、気恥ずかしい気がした。


 校舎内に人の気配が現れる。そろそろ、みんなの起床時間なのだ。

 それでも二人の間に沈黙は続く。先に動いたのはヒルデだった。

「じゃあ俺は出発の準備があるから」

 そう言って校舎に入ろうとするヒルデの手を、フレンは思わずつかんだ。驚いたようにヒルデが振り返る。

「どうした」

「あ……と……」

 要領を得ずしどろもどろになるフレンに、ヒルデはいぶかしげな表情になる。即断即決冷静沈着を常とする彼女の挙動不審さに違和感を覚えたようだ。

 そう。即断即決。今言わなければ、後悔すると思った。


「その……私、あなたのことが好きみたい、で」


 そこまで言ってしまえば、言葉は自然に出てきた。


「だから、来てくれて、うれしかった。ありがとう」


 フレンの決死の告白にヒルデの琥珀色の瞳が見開かれた。いつも可愛げのないフレンの殊勝な言葉に驚いたのもあるだろう。二、三秒沈黙したヒルデは、おもむろにフレンの体を抱き寄せた。

「わっ」

 さほど強くなかったが、思いがけない行動にフレンは逆らえず、おとなしくヒルデの腕の中に納まった。窒息しそうなほど強く抱きしめられ、フレンは驚き、すぐにドギマギしだした。自分にもこんなかわいらしい反応ができるとは! と微妙に余裕のあるフレンである。

「お前……あまり可愛いことを言うなよ」

 耳元でささやくように言われ、フレンは赤くなった。顔を見られたくなくて、ヒルデの肩に顔をうずめる。本人は自覚していないが、その行為は彼女が思っているよりかわいらしい行動で、ヒルデは思わずびくっとした。少し体を離し、フレンのおとがいに指をかけ、上向かせる。

 フレンは赤くなっている自覚があったので、恥ずかしくなり目を伏せた。ヒルデが少々強引にフレンに口づける。フレンはさらに強く目を閉じた。

 名残惜しむように唇が離れていく。赤くなり、目を潤ませたフレンを見てヒルデが微笑む。珍しい心からの笑みにフレンも目を細めた。


「ちょーっとそこのお二人さん。いい雰囲気のところ申し訳ないけど、そろそろ帝都に戻る準備をしたいんだけど」


 声がかかり、二人はそちらを見た。バルコニーへ出る窓のところに軽装の女帝が立っていた。ヒルデは平然としていたが、フレンはギクッとしてヒルデの腕に抱き着いた。


「うん、まあ……一応わかってて君たちを婚約させたんだけど……見せつけられると結構ショックだ……」


 やっぱりいた。ベリエスだ。何をわかっていてヒルデとフレンを婚約させたのかは不明であるが、父親の気持ちは何となくわかった。

 ティアとマックスとは違う。初々しい初恋カップルのような二人とは違う。もともとフレンとヒルデは恋人を通り越してもはや夫婦であるとはハインのセリフだが、この場合正鵠を射ているのかもしれない。ティアとマックスのようなある意味戯れとは違う。

 恐れ知らずにも見えるフレンだが、父親は怖い。家族の中でベリエスを恐れないのは母カティくらいだろう。


「とりあえずフレン。怒ってないから父のところにおいで」


 ベリエスが手招きした。赤を通り越し、青くなったフレンがヒルデを見上げると彼女の頭を軽くたたいた。

 フレンはため息をつき、父の元に戻って行った。

 後で聞いたのだが、ヒルデはベリエスに殴られたらしい。一応両思いなので怒ることはなかったのだが、殴らせろ、と言うのが娘の父親の心情らしい。よくわからない理論ではあるが、父がフレンを愛していると言うことはよくわかった。

 父やヒルデとの別れを少しさみしく思いつつ、フレンの事後処理の仕事はまだ終わっていない。


 戦死者の遺体は学園の近くで埋葬された。戦死者の遺族が希望すれば、遺骨は家族の墓に再埋葬することもできる。学園全体で死者に対して祈りをささげたが、いわゆる喪主はマックス、そして、実際に鎮魂歌を歌ったのはフレンだ。

 この場合の鎮魂歌は、別に魔力は必要ない。鎮魂歌は鎮魂歌にすぎず、精神感応魔法は必要ない。


 さらに学園での戦闘とはいえ、学生が戦ったのでその報告書。校舎の修復もまだ済んでおらず、フレンはしばらく校舎復旧の指揮を執っていた。防御魔法は最優先で復旧させた。


 何とか卒業するまでに校舎はほぼ元通り。問題は、未だに終わらないメルの論文である。学会に提出する分なので、最悪『襲撃があって間に合いませんでした』でも大丈夫なはずだが、メルは頑張るらしい。


 首席卒業のハインは時間が取れないので、相変わらずフレンがメルを手伝っている。


「うう~っ。あとは参考資料……」


 何とか本文を書き終えたメルがうなって机になついた。一応、まだメルの研究室を使っているが、書籍などは最低限しか置いていない。三日後には卒業式なのだ。当然である。教師陣にも早く引き揚げろと言われているのだ。


「はいはい、よかったな。協力者に私の名前を書いておけよ。あと、部屋を片付けてくれたハインにも感謝しておけ」


 女性二人はほぼ論文にかかりきりだったので、この研究室を片づけたのはハインだ。忙しいのに、よくやる。

「わかってるわよぅ。フレンも、次席だから式の予行練習とかあったはずなのに、ごめん~」

「そう思うなら、論文は早めに仕上げることだね」

 と、期日前にきっちり仕上げたフレン。研究室は撤収済みである。段取りの良い彼女と比べるのもどうかと思うが、メルはいい加減すぎると思うのだ。

 論文の提出期限は卒業式よりあとだから、参考文献だけならたぶん大丈夫だろう。ならばやらなければならないことがある。

「さて。じゃあ、予行練習に行ってこようか。今、ハインが答辞を読んでいるころだろう」

「え!?」

「お前も五位で卒業なんだから、前に並ぶんだよ」

 そう言ってフレンはメルを引っ張って立たせ、講堂に向かった。

 メルはフレンが次席卒業と言ったが、それを言うならメルは五位で卒業だ。学科だけの成績で見るのなら、この二人はかなり優秀なのだが、何分二人とも実技の成績が良くなかった。フレンは魔力が足りないだけだが、メルは運動神経の問題である。

 そのままメルをひきつれて講堂に行ったのだが、メルがハインの答辞を聞いてすごいすごいと騒ぐのでやっぱり置いてくればよかっただろうかと思った。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


フレンは父が怖い。

次で最終話です。


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