Spell:17
年が明けてからもう一度ヒルデと会った。ニューイヤーコンサートを一緒に聞きに行ったのである。ちなみに、フレンの両親ヴァルトエック公爵夫妻、ハインとメル、さらにマックスとティアも来ていた。
音楽は好きだ。音楽は魔法の一種であり、精神感応系の振動魔法を使用する魔導師なら必ずかじる分野だ。フレンはそこが専門範囲でもあるので、かなり詳しい。と言っても、魔力はないけど。
「毎年のことだが、どうだった?」
そう。ヒルデの言うようにこのニューイヤーコンサートには毎年来ている。フレンはヒルデ側の両親……つまり、クラウヴェル公爵夫妻とともにいた。と言っても、クラウヴェル公爵夫人は女帝ヴァルブルガの姉。そして、女帝もこのコンサートに来ているので、皇族の席に近いところにいることになる。そして、皇族の席にはマックスとティアもいるし、ヴァルブルガと仲の良いヴァルトエック公爵夫妻とハイン、メルの二人も近くにいるので、フレンとしては家族で来ているのとそんなに変わらなかった。考えてみれば、すごい一族である。
「良かったわよ。ピアノとヴァイオリンの旋律がいいわよね。力を感じるわ」
「お前は芸術鑑賞に来てもそっち方面に走るんだな」
そう言うヒルデの口調は呆れているようにも聞こえるが、それでこそフレンだ、と言っているようにも聞こえた。どう見ても仲良し婚約者同士にしか見えない。
そう思われているとは知らないフレンは心の中でため息をついた。休暇中は合おうと思えばヒルデに会うことができたが、学校に戻ればそうはいかない。こんなことで胸が張り裂けそうになるとは、恋心とは恐ろしい。
と、いつも通りポーカーフェイスで考えていた。
腕を組んで歩くと、ヒルデはフレンに歩調を合わせてくれる。貴族男性にしては口は悪いが、彼もちゃんと紳士なのである。思えば、惹かれる要素はいろいろあったのだな、と思う。
「学園に戻ったらしばらくは会えんな」
「そうだねぇ」
気にしてなさそうにフレンは返事をする。ヒルデは苦笑してつぶやくように言った。
「そう思うとさびしいものだな」
「お、奇遇だねぇ。私もだよ」
笑顔で軽い調子でそんな会話をする二人である。どう見ても軽口にしか見えないと思われるが、ハインに「堂々といちゃつかないでよ」と苦情が入った。いや、少なくともあんたらには言われたくない。
「じゃあお前、無茶するなよ」
「わかってるわよ。そもそも、私はほとんど学園の外に出ないしね」
「それもそうか」
フレンは研究者だ。学生の身分であっても、研究者だ。そして、魔力の低い彼女はほとんど魔導師として派遣依頼がかかることがない。
だが、そんな彼女の考えとは違う方向に事態は動き始めていた。
△
年明け十日ほど経ち、フレンたちは学園に戻っていた。目の前で行われている仕合……と言うよりは稽古を何となく見つめている。師範役がハイン、生徒役がマックスだ。優秀な剣士の父を持つハインとフレンはそれなりに剣を使える。特にハインは、この国でも十指に入る腕前だろう。
マックスは皇太子であるが、魔法、剣などは使えた方がいいだろうと言う女帝の意向により、ベリエスの指導を受けていた。ハインたちと同じだ。そして、学園にいるときはこうしてたまにハインと打ちあっている。
時々フレンも参加するが、口ではなんと言っていてもフェミニストであるマックスは、フレンの相手を嫌がる。現時点でマックスよりフレンの方が強いのだが、先方の意志を尊重しているのでフレンはあまり組まないようにしていた。
「マックス様……」
ハインとマックスの稽古をはらはらと見つめているのはティアだ。ハインは父ベリエスと同じく、心配するだけ無駄なタイプの人間なので、ティアも怪我の心配はしていない。どう考えても、ハインの方が強いし。
「がんばれー」
応援の声をあげているのはメルだ。魔法医でもある彼女は、万が一怪我をしたときの為の待機要員だ。彼女的にはハインの勇士を見ることができて役得らしい。
ちなみに、ハインとマックスの攻防を見守っているのは彼女らだけではない。他の女子学生たちもちらちらと見ている。男子学生も混じっているが。まあ、ハインの剣術は覗き見したくなるくらいには素晴らしいものだと思う。
しばらくして、決着がつく。なかなかいい勝負であったが、マックスは体力でダウンした。まあ、いい勝負と言ってもハインが手加減していたのだと思う。ティアが「マックス!」と名を呼びながら駆け寄る。メルも「お疲れ~」とハインの方に向かった。相変わらず仲の良いカップルどもである。フレンは壁に寄りかかったままため息をついた。
「よし。二人とも怪我はなさそうね」
メルがハインとマックスを見て満足げにうなずいた。ハインはただニコリと笑い、マックスは苦笑を浮かべた。
「ハインの腕がいいからだね。手加減してもらっても勝てないなんて」
「マックスのせいじゃないわ! うちのお父様とお兄様とお姉様は実力が人間のレベルを越えてるもの!」
と、ティアがフォローにならないフォローを言い出したので、フレンは持っていた身の丈ほどもある杖をとん、とティアの頭の上に置いた。痛くなかったはずだが、反射的にティアが「痛っ」と言った。
「余計なことは言わなくてよろしい」
「ご、ごめんなさい」
ティアが頭に手をやりながら言った。フレンも怒っているわけではないのでうなずき、杖をどかした。
フレンは魔力が弱い。だから、こうした魔導師たちの中にいると『弱い』と思われる。実際、そう思われて校外動員はほとんどされない。
だが、魔力のなさと弱いと言うことは結びつかない。父のベリエスを見ればわかるが、魔力のないものにはないものなりの戦い方があるのだ。いわばフレンの強さは『奥の手』であるので、彼女が妹に言われるほど強いと言うことはできるだけ言わないでほしかった。
その時、校内放送がかかった。放送用の拡声魔法でハインに呼び出しがかかる。ハインに視線が集まった。
「……校外実習かな」
ハインは苦笑気味に言った。学生動員は、実習扱いなのである。
「この時期にハインが招集されると言うことは、結構せっぱつまった案件なのだろうね」
フレンも冷静に言った。彼女の中で、ハインなら無事に帰ってくる、という思いがあるからである。
フレンは杖を肩にかけてぱんぱん、と手をたたいた。
「はい、これでお開き! 各自、自分の部屋に戻りなさい」
授業終了後の自由時間なので、そろそろ就寝時間になる。呼び出されたハインはともかく、他の学生たちは部屋に戻る時間だ。
学生たちは「はーい」とおとなしく部屋に戻っていく。視線をハインたちの方に戻すと、ティアが不安げに「お兄様……」と上目づかいに兄を見上げている。ティアがやるとかわいらしい。ハインは妹の頬を撫でた。
「大丈夫だよ、ティア。僕が負けるはずないんだから」
にこりと笑って自信過剰な言葉を吐くハインであるが、彼の場合本当にそうしてしまう可能性が高い。
ハインはそのまま職員室に向かう。不安げなティアはマックスがエスコートして連れて行った。フレンとメルが肩を寄せ合って歩きながら小声で情報交換した。
「この時期に動員か……何かの犯罪組織か?」
「どうだろう。まあ、ハインなら何が相手でも大丈夫だろうけど」
この言葉に、メルの婚約者に対する絶対の信頼がうかがえた。いや、フレンもハインが負けるとは思っていないが。彼の実力はすでに軍属魔導師とそん色ないレベルだからだ。
現在は冬。多少は過ごしやすいと言っても、やはり雪は積もっているし、行動を起こすには向かない。だからこそ逆に行動するものもいるのだろうが。
「だけど……」
メルが少しだけ顔をしかめた。
「嫌な予感がするのは事実」
「……同感」
この場合は残念なことに、魔導師の直感は良く当たるのだ。
△
ハインは呼び出しの翌日、十五名の学生を率いて学園から見て東にあたる古城へ向かった。ここを密輸組織が根城にしていると言うのだ。一応、教師が一人ついているが、基本的に学生の授業の一環である。教師は監督するだけだ。
まあ、相手もそんなに大きな組織でないようだし、あっさり片づけて帰ってくるだろうと思っていたのだが、フレンが甘かったようだ。今度はフレンが呼び出され、職員室に向かった。なのに、通されたのは学園長室だった。
「これは殿下」
学園長室に先にいたマックスに、フレンは声をかけた。マックスはいつものように笑みを浮かべるのではなく、少し困ったような表情をしていた。
「……フレン。呼び立ててごめんね」
「ってことは、殿下がわたくしを呼んだのですか」
これは穏やかではないな、と思う。つまり、学園長からマックスに声がかかり、マックスがフレンを呼び立てた。ということは、学園長はマックスに女帝からの伝言を預かっていたのだろう。それを聞いてマックスがフレンを呼び立てたと言うことは、マックスが自力で解決できなかったなにがしかが待ち構えている可能性が高い。
学園長もその場にいたが、口を開いたのはマックスだった。
「先ほど、母上より使者が参った。なんでも、ハンナヴァルト公爵が挙兵したという」
「ハンナヴァルト公爵……と言うと、領地はハインが向かったあたりですか。ああ……なるほど」
何となく読めてきた気がする。だが、フレンはマックスの次の言葉を待った。
「話が早くて助かる。ハインたちはおびき出されたのだ。ハインが負けるとは思いたくはないが、数が少ないからな……」
マックスの懸念はもっともだ。いくらハインが優秀であっても、連れて行った人数が少なすぎる。挙兵したと言うのなら、ハンナヴァルト公爵はそれなりの人数を動員しているだろう。
フレンは顎に指を当て、しばし考えた。この時期の挙兵。ハインたちがおびき出されたと言う事実。そして、ハンナヴァルト公爵の事情。
「狙っているのは、帝位、ではなくハンナヴァルト公領の復活でしょうか。あそこはもともと、帝国内に存在する小公国でしたから」
マルシャル帝国はいくつかの国が併合されてできているのだ。女帝ヴァルブルガの父が皇帝だった時代まで、この国は侵略と戦争で成り立ってきた。その時に併合された国々である。なので、一口に帝国と言っても様々な人種が存在する。
ハンナヴァルト公爵領は、もともとハンナヴァルト公国という小国だった。それが、先帝の時代に併合されたのだ。国境を接しているのが帝国のみ、と言う完全に帝国に囲まれた状態で、かなり持ったと言える。
だが、ついに併合された。彼の領地が魔法学園の目と鼻の先にあるのでわかるかもしれないが、フレンたちの父も併合時の戦争に参加しているはずだ。
「さしずめ、ハインは見せしめですか。あれは最強と言われるヴァルトエック公爵の跡取りですからね。打ち取ったとなればよい宣伝になりましょう」
まあ、あの片割れがそう簡単に死ぬとは思いにくいが。彼が死ぬとメルが泣くので、まあ、死ぬことはないだろう。
「冬場の挙兵は、兵士の派遣が困難です。と、言うことは殿下に出陣命令が下ったのですね」
「そう言うことだ……初陣になる」
マックスは十四歳だ。基本的に十五歳から成人とみなされるので、戦中であっても十五歳を越えてから初陣となるケースが多い。今回は特例なのだろう。
フレンはふっと笑った。
「その重要な初陣に、このわたくしに同行せよとおっしゃりますか」
「そのつもりだ」
「魔力の少ないわたくしに、できることなどございましょうか」
「私はフレンの頭脳を信頼している。ただ強いだけの魔導師なら他から集めてくればいい。私は初陣だ。私の補佐を頼まれてくれないか?」
いつもおっとりして見せている彼だが、はっきりと言い切った。きっと、彼は良い皇帝になる。フレンは微笑んで右の拳を左胸当てた。軍人の敬礼である。女性用の制服姿でやるのもちょっと不思議だが。
「かしこまりまして。微力ながら、力添えいたしましょう」
マックスがほっとしたように微笑んだ。別にフレンがいるからと言って何とかなるわけではないのだが、ずいぶんと信用されたものだ。
「とにかく、帝都から母上が正規軍を送ってくれるので、それが到着するまでの時間かせぎができれば問題なしだよ」
「それなら何とかなるかもしれませんね」
おそらく、正規軍として軍を率いてくるのはベリエスだろう。フレンが敵軍であるとして、最強と呼ばれるベリエスが軍を率いて突っ込んで来たらさすがに引く。見かけも大切なのだ。
それにしても、ヴァルトエック公爵家がほぼ総動員である。身ごもっているカティと皇太子の婚約者であるティアはお留守番であるが。
「でも、フレンを連れて行ったらヒルデが怒る気もするね」
マックスが苦笑気味に言った。フレンは一瞬どきりとしたが、それを表情に出さずに返した。
「いえ。あの男はわたくしの初陣の時に、怪我をしたわたくしを見て『大丈夫だな』と言って置いて行った男ですから」
「でもそれは、ヒルデがフレンを信頼している証拠でしょう?」
「……そうなのでしょうか」
そうだといいな、とちょっと思うが、どうだろう。いや、ヒルデはフレンを信じてくれてはいると思うが。放置しても死なない、と言う意味で。
とりあえず話を戻して。
「ティアには申し訳ないけど、すぐに出発しよう。戦闘員も最低限しか連れて行けないけど」
「わたくしの腕の見せ所と言うことですね」
フレンがうなずいた。フレンの方からも、数人引き抜いてもいいと言うことだろう。できれば戦闘経験のあるものがいいが、贅沢は言えない。何より、魔力の低いフレンを信じて従ってくれる相手でないと、時間稼ぎとはいえうまく行かないだろう。
その後、一時間の間にフレンは出発の支度を整えた。人員や食料、武器などの備品に至るまですべてだ。人数は総勢二十名。教師を二人含んでいる。
「では、行こう」
いくらフレンがすべてを手配しているとはいえ、この場合の指揮官はマックスになる。彼の号令で、フレンたちは進軍を始めた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
マックスの口調が安定していないのは緊張しているからです。




