第3話「上級生」
空席だった席も埋まりはじめ、浅井の周りも、隣の席だけを残して空席は無くなっていた。
未だに埋まらない隣の席を横目で見ていると、教室の前のドアが開き、教師が入ってくる。
入学式早々遅刻だろうかと、現れない隣の席の生徒の事を少し考えながら、黒板に向き直る。
教卓の前に立ったのは、まだ若い女の教師だった。不機嫌なのか、元々そうなのかは分らないが、口をへの字に結んでいる。
「若いな、二十代か?」
「さあ」
偶然か、それとも國御坂が小声で言った言葉が聞こえたのか教卓に立っていた教師は浅井の方に睨むような視線を送り、何かを言おうと口を開こうとする。が、いきなり教室の後ろのドアが開きそれを遮る。
教室内が静かだったので、ドアが開く音はよく響き渡った。教室中の視線がドアを開いた生徒に向けられる。
牛乳瓶のフタのような眼鏡って本当にあるんだな。それが浅井が遅刻してきた生徒を見た時の第一印象だった。
囁き声が聞こえている教室を見渡し、空いている空席を見つけると、遅刻してきた生徒はつかつかつかと教室を横切り、窓際の前から三番目の隣の席にバックを掛けて席に座る。
「やれやれ……今日は入学式だから多めに見てやるが、以後気をつけるように」
「……」
教師はそれ以上は何も言わずに、クラス名簿を教卓に置く。
「私はこのクラスを一年間担当する、黒木綾だ。どうせ男どもは年齢を訊きたがってるだろうから言っておくが、二十四だ」
浅井を睨みながら吐き捨てるように言う。
年齢のことを言っていたのは國御坂なのだが、あんな小声が聞こえていたのは驚きだ。
黒木は必要最低限のこれからの日程を黒板に書き写し、あとは好きにしろとでもいいたげに、窓の近くに置いてあったパイプ椅子に腰を下ろし、窓から外を眺める。
高校生なのだから、言われなくても入学式が行われる時間になったら、自分達で整列して体育館に入場しろとでも言いたいのだろう。
國御坂とトイレに行って帰ってくると、入れ違いに牛乳瓶のフタのような眼鏡をした生徒が教室から出ていく。
不思議に思いながら黒板を見ると、もう整列をしなくてはいけない時間だった。そのことを浅井は國御坂と近くにいた数人に告げ、廊下に出ていく。
全員が整列をすると、黒井は最後に教室内の窓に施錠されているかを確認してから、廊下に出て教室のドアを施錠する。
一組の列が動き出し、それに続いて二組の先頭から歩き出す。
体育館には既に上級生が待機していて、入場する新入生を拍手で迎えてくれる。新入生は上級生の前を通り、パイプ椅子の前まで歩いて行き、順番に座って行く。
一学年全員が椅子に座ると、拍手は鳴り止み壇上に教頭が上がり、挙式の挨拶を告げる。
「今日は授業がないから、これで終わりだ。遅くまで居残ってないで、早く帰れよ」
「起立。礼」
入学式が終わり、教室に帰ってきた直後のHRで運悪くクラス委員を引き受ける事になった生徒が、号令を掛け。全員に放課後が訪れる。
浅井はエナメルバックを右肩から斜めに掛けて、教室のドアを目指す。
「浅井」
呼び止められ半身だけで後ろにを向く
「今日はどうする?」
「どうって、帰る。國御坂は部活か」
「入学式からなんてだるいけどな」
「まあ、頑張れよ」
「ああ。なあ浅井。戻りたくなったら出来るだけ早く戻って来いよ」
「……考えておくよ」
國御坂と別れ、一人で階段を降りる途中で雪夏が追いついてきて隣に並ぶ。
「よっ! 帰るの?」
「部活はやらないから。永山さんは?」
「雪夏でいいよ。あたしはテニス部に入るから、体験入部してくる。じゃね」
「また明日」
階段を二段飛ばしで下りていく雪夏を見送りながら、自分も階段を降りようとした時、何となく後ろを振り返った。
階段の上にいた牛乳瓶のフタのような眼鏡をした生徒が浅井を見下ろしていた。
────なんだっけ? 名前。
HRの時に一人、一人自己紹介をした時の事を思い出す。頭の中ではその時の映像が蘇る。
前の席の生徒が自己紹介をし終わり、ゆっくりと立ち上がり前を向きながら静かに、
「あれぇ?」
階段の下、踊り場から明るい声が聞こえ、思考が中断される。振り返ると、男子と同じ青のブレザーにスカートを身に着けた、上級生が立っていた。
「悠緋さん……あっ」
浅井の横を通って牛乳瓶のフタのような眼鏡をした生徒が階段を降りていく。踊り場にいた河瀬悠緋は壁に背中をつけて道をあける。
「お邪魔だったかな?」
「いえ……悠緋さんはどうしたんですか?」
「ユキが見当たらなくて、てっきり誠之君と一緒だと思ってたんだけど」
そういえば、放課後になってから姿を見ていない。もしかしたら、
「高宮の所に行っているかもしれません」
「高宮?」
「ユキの中学時代の同級生で高宮清って言うんですけど」
「ああ。あの高宮君か。この学校入学したのか」
ほんの少しだけ、何かを考えるような素振りを見せた悠緋は踵を返して、階段を降り始める。
「あの、高宮は七組ですけど」
「いいのいいの。ユキも子供じゃないんだし、一人で帰れるでしょう。それに一年振りに友達と会ったんだもの。男の子同士の話があると思うよ」
そういうものかなと浅井が言うと、そういうものよと悠緋が断言する。
悠緋と一緒に一階まで降り、下駄箱に向かう前に悠緋が図書館に用があると言うので、浅井も場所を覚えたいので案内してもらう。
男子高校生には比較的珍しく、浅井は読書が趣味である。ミステリーとかSF。その他いろいろとジャンルを問わず面白そうな本を見つけては読んでいる。
「私の用事は済んだけど、どうする? ユキを探しに行く? それとも一緒に帰ろうか?」
「一緒に帰りましょうか。同じ方向ですし」
「うん。そうだね」
浅井は本棚から適当に取って読んでいた、本を戻してから悠緋と一緒に図書館を後にする。