最終話「軌跡の在り処」
夏祭りの次の日浅井と優衣は川上町を後にしていた。秋山と瑞希に見送られながら黒川市行きのバスに乗り込み後部座席に座る。
肩を並べて座席に座る浅井と優衣は互いに言葉を交わそうとはしなかった。今までに何度も経験してきた沈黙だが、今回は違っていた。いつもとは違い息が苦しくならない。気まずくない心地の良い沈黙だった。
一週間と言う短い期間だったが秋山と過ごした時間は楽しかった。年上だがそんな感じがしなくて気軽に話せる友達みたいだったと浅井は思う。そして浅井は秋山が最後に言った言葉を思い出す。
笑いながら秋山は「もし生まれ変わりがあるのなら今度は同じ学校で馬鹿をやりたい」と言った。その言葉には浅井も優衣も大きく頷いた。川上高校は居心地の良い場所だから。
バスは川上町での思い出を振り払うかのように順調に走り続ける。途中で他のお客を乗せることがないまま黒川市内へと入った。
駅前で降りると後は優衣に市内を歩いて案内してもらう。通っていたという幼稚園にも行くがやはり何も覚えてはいない。何も思い出せなかった。
子供の頃によく遊んだ公園に行っても何も感じない。全く見覚えがない。
公園を通り過ぎ、図書館を横切り、商店街を抜け。山へと続く坂道を上っていく。途中で舗装されていない脇道に逸れ、しばらく歩くと一軒の家が見えて来た。いや、家だったものが見えて来た。
黒い灰が地面一面に広がっていて、家の枠組みと思える柱が数本いまだに立っていた。
十何年もの間、この場所はずっと変わらなかったようだ。当時の火事の凄惨さを物語っている。
ようやく辿り着く事が出来た。浅井が生まれた場所であり本当の両親と過ごした家に。長い年月を掛けてようやく。
「……なにか、思い出した?」
「…………ごめん。やっぱり何も感じないよ」
強いて言えば心臓が高鳴っていること以外何の変化もない。スライドショーみたいに過去の記憶が蘇る訳でもない。もしかしたら本当にそんな記憶は無いのかも知れないと浅井は思いたい。しかし、この場所が実際にこうしてある以上。全ては本当の事なのだろう。
「そっか……ねえ夏雪。私と君って本当に仲良かったんだよ」
優衣が浅井より前に踏み出し言う。
「うん……前に言っていたな。そんな事」
「君は私に何でもしてくれた。優しくしてくれたし、遊んでくれた。そして……秘密の金庫の開け方も教えてくれたね」
「……優衣?」
背中を向けている優衣の異変に気づいた浅井は場の空気が重くなっていくのが分かった。先程まではうるさかった蝉の声も何時しか途絶え。静寂が場を支配した。
「全ては柏木家の書いたシナリオだった」
「柏木ってユキの事か?」
優衣がゆっくりと振り返り浅井は驚き目を見張る。優衣の瞳は何時ものようにどこまでも澄んでいて穏やかな色を見せていたが、今は恐ろしいほど冷たく。闇に染まっていた。優衣自身から発せられる何かが浅井に恐怖を植え付ける。
「今の首相の名前知ってる?」
当然だ。高校生くらいなら誰でも知っている簡単な問題だ。しかし、浅井は咄嗟に答えることができずしどろもどろになっていると。
「柏木正希。そう柏木グループの実質上のトップ……そして裏の顔である黒影を自由に動かせる者。その男が十年前。当時の首相だった蒼羽を暗殺することで次期総裁が自分になる事を確信していた。そして彼にはそれを実行するだけの力があった」
簡単な話だった。自分が一番偉くなるのに手っ取り早い方法は目障りな邪魔者を消すこと。小学生でも思いつきそうな、簡単な話だ。
「私達は黒影から離反し。人を護る為に受け継がれた力を使う。体の良い妄言よ。黒影はどんな手段を用いてでもターゲットを殺す為に必要なのは相手を完全に油断させる事を第一としている。
分かり易く言うと。とある権力者が毎日毎日、暗殺の影に怯えながら過ごしていた。そんな時に黒影から離反して人の命を護る為に生きると言う一族が現れました。黒影と同じ力を持つその一族を雇えば、自分は助かる。そう権力者に思わせ雇わせてる。そして殺す。つまり私達は黒影から離反なんてしていなかった。全ては相手を騙すための布石」
浅井は咄嗟に身構える。今までの話を繋ぎ合せて出る答えはたった一つ。
優衣は自分を殺す為にこの地に連れて来た。
「あはははは。気づくのが遅いねぇ。そうだよ。私達は最初から君を護る為の存在じゃない。君を監視して君が記憶を取り戻す兆候があれば記憶を奪い飼い殺しすはずだった。もっとも上は別な使い道を探していたようだけどね。君の双子の妹が月の兎に入ったのも偶然じゃない。国の為に従順に働かせていた。ただの駒だよ」
「……そんな」
舞依との思い出が全て音を立てて砕け散った。浅井はがくっと地面にひざをつくと身体が前にぐらっと傾き四つん這いになる。
「詳しくは知らないけど蒼羽首相の金庫に保管されていた書類がどうしても必要だったらしくてね。それを手に入れないと暗殺を実行できなかった。だから私が君に近付いた。君は本当に優しかった。私が頼む事なら何でもしてくれた。大事な書類が保管された金庫の開け方さえもね」
「うそ……だ」
「お前が両親を殺したんだよっ! お前が実の妹を自由の無い地獄の様な生活に送り込んだ張本人だ!!」
「嘘だっ! 嘘だっ!! 嘘だ嘘だ嘘だ……嘘だっ!」
過去の記憶。燃え盛る炎の中。一人の大人が自分を見下ろしていた。手には何かの書類。そして大人は屈みこんで耳元で囁く。
『君のおかげだよ。ありがとう』
「ああぁああぁああぁああぁあぁああぁああぁあ!! 違うっ!! おれじゃないっ!! おれのせいじゃないっ!! おれのせいじゃっ!」
「……そう。じゃあ誰のせい?」
「おれじゃないっ! おれじゃないっ!! おれじゃないっ!!」
壊れた人形のように浅井は頭を抱え込み同じ言葉をただ繰り返す。
「……そう。じゃあわたしのせいかなぁ?」
狂気に満ちた目がぎろりと動き、優衣の姿をとらえる。
「そうだ……お前が悪いんだ……お前さえいなければ、お前がいたから世界が狂ったんだ……ふははははあはははは、そうだよ、お前がいたからなんだ! お前がっ!!」
今にも飛びかかりそうな浅井を優衣は銃を突きつけて制する。
「……あとは任せたよ。優希」
呟くとその銃を浅井に渡す。
「さぁ! わたしが憎いでしょ!? 殺したいでしょ!? 神菜舞依はもう死んだっ。私が殺したっ。あの事件に関わった神菜の者全てを殺してあとはわたしだけ。さぁわたしを殺しなさいっ!!」
辺りに少年の叫び声が響き渡り。そのすぐ後に何発もの銃声が聞こえた。しかしこの銃声音が事件として表沙汰になることは決してなかった。
「これは……驚いたな」
ショートカットの少年が望遠鏡で殺人の現場を見ていた。それは、少女が少年の目の前に初めて現れた時に予想した通りの結果になった。
「実験終了。ミッシングプランが無事終了した事を『監視者』が証明する……どう? これで信じる気になった?」
「あぁ。これから先。君に協力することを約束するよ……って言っても本当に出来るのかい? こんな約束など無意味じゃないのかい?」
「貴方の人なりは見極めたわ。貴方は興味が前面に出るタイプね。だから大丈夫。まぁ。拒否しても無理やり従わせるけど?」
「ふふ。それでも良いさ。何時か……何時になるか分からないけど父さんに母さん。そしてあいつを救える日が来るのなら。喜んで協力するよ」
「そうね……あとの問題点は彼か」
「浅井誠之?」
「いえ。あの人じゃない浅井誠之には興味がない。ただ、柏木優希の存在が気になる。あの少年何かに気づいている節がある。それを確かめないと」
ふと少女は両手を胸の前で合わせ祈り始める。
「お祈り?」
「ええ。これからの浅井誠之が健やかなる時を歩めます様に。と。せめてその時まではこの夏の軌跡を思い出す事無く。健やかに……」