第19話「二人の軌跡 3」
頬を膨らましてそっぽを向く優依をなだめながら商店街を抜け車が多い十字路に差し掛かる。
町の中心部の商店街の通りよりも交通量が激しい。
優依が高校を見たいと言い出したので横断歩道を渡り、しばらく道なりに歩く。
途中で左に曲がり橋を渡る。
橋を渡っている時から少し高台に鎮座している白塗りの校舎が見えていた。
民家の真ん中を通る歩道を歩き、石の階段を上がると体育館と自転車置き場の間に出る。
「前庭ってやつか」
「四階建てなんだね」
しばらく昇降口の前で校舎を眺めていた。
本校舎の右に体育館。左に用途不明の建物。
裏は山。グランドはどこだろう。
「うちの学校の生徒じゃないですね?」
頭だけを声がした右側に向ける。
一階の教室の中からドアを開けて生徒会と書かれた腕章を付けた男子生徒が出てくる。
整髪料を使っていないようでごく自然な髪型をしている。
一見して優しそうだがイケメンの部類には入りそうもなく普通だ。
「日本各地の学校を見る事が私の密かな趣味なんです」
にこやかな笑みで答える優依。
「変わったご趣味だな。あはは」
優依に勝るとも劣らずにこやかな笑みで返す男子生徒。
何だろうこの脱力系の空気は。自分が居てはいけない人間の気がするのだが。
浅井の心配をよそに優依は男子生徒と楽しそうに話を続ける。
「お祭りあるんですよね。ポスター見ましたよ」
「あれは元々俺達が実行委員になって企画し始めたやつだよ」
「へぇ〜」
肉屋の豪快おばさんが高校生がどうとか言っていたのはそれか。
「先輩〜。秋山先輩〜。前原先輩が今にも噴火しそうです。もどってきてくださ〜い」
先程、男子生徒が出て来た教室の窓から違う男子生徒が顔を出す。
秋山と呼ばれた少年は振り返りながら答える。
「疲れたから……」
「休憩中なんて答えたら学校の近くを流れる高津川に沈めるそうですよ〜。やばいですよ。前原先輩本気ですよ〜」
「やれやれ……」
踵を返して秋山は歩き出したが途中で止まり振り返る。
その顔には何か名案が閃いたと書いてあった。
浅井が嫌な予感を覚えたのもつかの間。
「君達。夏祭りの出し物や実行委員の仕事に興味はない?」
やっぱりね。浅井は静かにため息をつく。
聞くところによると高校生は高校生の出し物があるらしい。音学部や吹奏楽部などが出し物を出すことになっていて実行委員である生徒会のメンバーが連絡や打ち合わせ、当日の段取りなどを仕切っているそうだ。
屋台やら花火やらの手配がある他に段取り。更には生徒会メンバー(実行委員)による演劇もやって欲しいと町の商工会青年部から頼まれてしまったらしい。これ以上仕事を増やされてたまるかと断ろうとしたのだが、結局断り切れなかった。
断れなかった理由としては商工会の大人達が勝手にやるのを前提に当日の時間を組んでいたので今更変えるのは不可能だと言われたらしい。
つまるところ人手がかなり不足しているので町に長期滞在するのなら実行委員を手伝って欲しいと秋山は言ってきた。
「私としては手伝いたいけど……夏雪」
「はいはい。分かってるよ。でも。良いんですか? こういうのもなんですが俺達はこの学校の生徒じゃありませんし」
「構わないよ。夏休みで学校は休みだし。祭りの実行委員はボランティアみたいなものだからね。俺は秋山。秋山雅文。生徒会長代理で二年だ」
二回目の自己紹介を済ませるた浅井と優依は秋山に連れられて昇降口から校内に入る。昇降口前の通路を左に行くと購買や保健室や事務室。校長室があるらしい。右に行くとすぐに図書室でその少し手前に階段がある。図書室のドア前の通路の左側にはトイレがあった。
図書室に入ると生徒会の腕章をつけた数人の男子生徒と女子生徒が何かの作業をしていた。
「遅い! それでも生徒会長代理……って誰その人達?」
白い半そでのブラウスに紺のベストを着た女子生徒が秋山に問う。
メガネ越しに向けられた視線は冷ややかなものだ。
「手伝ってくれる事になったAとB。変わった名前だろ?」」
「AとB? 日本人にしては変わった名前ね」
「いやいやいや。信じないで下さいよ。それに日本人にしてはって。世界中探してもそんな名前の奴いるわけないと思いますよ」
突っ込む浅井の後ろで優依がクスクス笑い声を上げる。
突っ込んだ浅井が気に食わなかったのか、それとも優依が笑ったからか。メガネの女子生徒は不機嫌そうに言った。
「どうして世界にAやBって名前の人間がいないって分かるの? もしかしたらいるかもしれないじゃない」
「えっと……」
「それとも何? あなたはこの地球にいる全ての人間の名前を記憶しているの?」
「いや、だから……」
「記憶しているなら、今すぐ教えてもらえませんか。まずここにいる人達から当てて下さい」
もう勘弁して。
浅井はただ苦笑し何時までも続くマシンガントークにたしたじだ。
「まあまあ。もうその辺でいいだろ」
終わりが見えないマシンガントークを遮ったのは秋山だった。
「本題に戻すけど。この二人は旅行で来ていて夏祭りまで滞在するらしいから手伝ってもらう事になった。今の状況を考えれば貴重な人材なので逃がさないように」
何か最後の部分が間違っているような気がしないでもないが、生徒達は作業を中断し浅井と優依に視線を集めると口々に二つ返事をした。
簡単な自己紹介を終え、浅井と優依はそれぞれ任された仕事を始める。
浅井が任されたのは演劇の台本。祭の日まで一週間程なのにどんな劇をするのかも決まってないので読書が趣味の浅井に全てが託された。
ちらりと優依を見ると女子生徒の輪に溶け込み楽しそうにマジックで文字を書き込んでいる。
どんな劇にするか。一週間しかないので台本作成に長い時間は掛けられない。練習時間も考慮すれば明日には出来上がらなくては厳しいらしい。
つくづく無理難題を押し付けられたものだ。一日で物語全てを書ければ作家や漫画家だって苦労はしないだろう。
試行錯誤を繰り返している内に時間は過ぎ、今日の作業が終わりになった。
手伝ってくれるお礼に秋山が自分の家に泊めると言い出した。優依は断ろうとしたが、浅井は秋山の好意に甘える事にする。
夕方からでは宿も見つけにくいだろうと浅井が考えたからだ。一刻も早く腰を落ち着けて劇の内容を考えなくては。
学校から秋山に案内されて秋山の家に行く道中に様々な質問をされた。
何処から来た? 旅費はどうしているのか? 他にはどんな学校を見て来たのか? 二人の関係は?
丁寧に答えていた優依だが最後の質問には言葉が詰まってしまい、困った表情で浅井を見る。
浅井は浅井で劇の内容を考えていて優依が助け舟を出して欲しそうになっているのにまるで気付いていない。
仕方がないので優依は秘密だと答えた。
秋山も笑いながら
「そっか」と答えるとそれ以上の追求はしなかった。
秋山の家は二階建ての一軒家だった。
秋山に続いて中に入り始めにリビングに通され、続いてキッチン。トイレとお風呂。二階の空き部屋に案内される。
「浅井君はこの部屋を使って」
秋山は優依を連れて別の部屋に向かい、浅井はベットがある以外は家具が全く置かれていない部屋の真ん中に旅行用のボストンバッグを放り投げる。
中には着替えと歯ブラシなどが入っている。
一週間前。二人の旅行が始まった日に優依が買い揃えた物だ。
結構な値段だった事は記憶している。
時々考える。優依はどうして自分をこんなにも助けてくれるのか。わがままに付き合ってくれるのか。
いくら考えても分からないことだらけだ。
ベットに身を投げた浅井は視線に気付き、部屋の入口に顔を向ける。
少女が見下ろしていた。眠いのか不機嫌なのか目を細くして浅井を見つめていた。
長い黒髪の耳に被さる左右の髪の根本を少し丸めて後ろ髪とは別に分けて垂らしている。
歳は同じか上。下はないだろう。
太陽の光りを浴びたことがないような白い肌はまさしく純白と言うに相応しい。
モデルのようなスタイルに均整の取れた顔は華やかで、でもどこか控えめ……というよりも陰を持っている。
「えっと……秋山さんのお姉さんですか?」
沈黙に耐え兼ねて浅井が言う。しかし少女はピクリとも表情を変えず、見つめてくる。
見ず知らずで何処の馬の骨ともしれない浅井を警戒しているのか。
何分くらい見つめ合っていただろうか。浅井の感覚では二時間は過ぎていた。
実際には学校の休み時間に廊下のロッカーから次の授業で使う教科書をとって席に戻って来るくらいの時間しか過ぎていない。
「自分が壇上で躍らされている哀れな道化師だとしたらどうします?」
静かに。だが、はっきりと少女の鈴のように凜とした綺麗な声が聞こえた。
無表情だが、声色まではごまかせないのか、その綺麗な声は悲しそうだった。
「ピエロ……? 質問の意味がいまいち分かりませんが?」
「浅井誠之……いえ。あおばなつゆき。私を覚えていますか?」
少女は浅井の質問には答えなかった。それよりも浅井の思考を支配したのは少女が自分の名前を知っていた事。本名までも知られている。
「えっと。どこかでお会いしましたか?」
「そう。やはり今の貴方は浅井誠之であってあの人じゃないのね。所詮は躍らされている道化師。あの人じゃない貴方には何の興味もありません」
残念そうに言った少女は丁寧にお辞儀をして部屋から出て行った。
急いで起き上がった浅井は少女を追う。
「待って……」
「おわっ。驚かせないでくれよ」
部屋を出てすぐのところで秋山とぶつかりそうになる。
「どかしたか? トイレか? 漏れそうか?」
「違いますよ……あの。秋山さんにはお姉さんが居るんですか?」
何のことか分からないような表情をした後に秋山は納得する。
「あぁ。あいつに会ったのか。あいつは家族じゃなくて居候。ってか俺に家族いないし」
「えっ……?」
「事故でな。親はもうしんじまったよ。幸い遺産がかなりあったから生活には困らないけどな」
声は明るいが表情は険しかった。悲しさを必死に堪えているようだ。
「あ、あの……すみません」
言ってはいけないことを口にしたのかと浅井が落ち込んでいると突然視界がぐらつく。
秋山に羽交い締めにされていた。
「なぁに暗くなってんだよ。死なんてありふれたものなんだ。落ち込むより今を楽しもうぜ」
「わ、分かりましたから放して下さい」
「優依ちゃんにも言ったが敬語は禁止だ」
「えっ。だって秋山さん年上……あいたたっ!」
拳でグリグリと頭をえぐられる。
「物分かりが悪い奴はこうだっ」
「分かった。分かったからもうやめてっ」