第13話「夏の始まり、狂いだした日常」
新しい出会い。そして新しい生活が始まった春の季節が過ぎ、梅雨が明けるといよいよ本格的な夏の季節が到来する。
色々な出来事に巻き込まれ長いようで短かった一学期も今日で終わり。明日から全国の学生達が待ち侘びた夏休みが始まる。
終業式だけで学校は終わり、午前中だと言うのに、運動部の声や下校する生徒のざわめき声が聞こえてくる。
コミケ部の部室に居る浅井と優希と悠緋の三人はこの夏に行われるというコミックマーケットに出品する漫画の製作をしていた。
と言っても浅井の絵心は皆無で手伝おうとしても邪魔にしかならないので置物の様に何もせずに本を読んでいる。
「そろそろお昼か〜。ご飯どうする?」
読んでいた 本から顔を上げて、時間を確認する。時計の針は長いのが六。短いのが十二を指していた。
「十二時半か。確か今日は購買や学食は開かないのですよね」
と浅井。
「コンビニで何か買って来ますか?」
と優希が提案する。
「そうね〜。今日は部活さおしまいにして皆でどこか遊びに行きましょうか。莉遠ちゃんいないけど」
悠緋の提案に浅井と優希は反対しない。
元々優希は悠緋のしたいことをするのが生きがいみたいなものだし、浅井は自分に危険が無ければ基本的にどうでもいいと思っている。
無言で後片付けを始める優希を見てから浅井も読んでいた本を閉じて、バックに仕舞う。
「僕は部室に鍵を掛けてから行きますから、浅井と先輩は先に行ってて下さい」
「そう? 先に行ってるね。行こうか誠之君」
悠緋に促されて部室を後にする。特別棟とA棟を繋ぐ渡り廊下を歩き、一階に降り、昇降口に着くと浅井は図書室に返さなければいけない本があるのを思い出した。
「すみません、図書室に行ってきますね。返さないといけない本があるのを思い出しました」
「わかった。ユキが来たら二人で待ってるね」
悠緋を見送った浅井は小走りで図書室に向かった。
部室に施錠をしてからる、鍵を職員室に返しに行く。
職員室から出ると急いで昇降口に向かう。
あまり待たせると機嫌を損ねるからな。いや、今日は浅井と一緒だから大丈夫かな。
下駄箱からスニーカーを取り出し、上履きを入れる。
スニーカーを履いて外に出ると夏の強い陽射しにが照り付ける。
眩しさに顔をしかめながら悠緋と浅井の姿を探す。が、見つからない。
まだ来ていないのかと思う。まさか先に行ったりはしないだろう。
校門まで歩き、坂の下を見下ろすが、人影は見当たらない。
昇降口まで戻ろうと振り返ると。校門のすぐ傍に携帯が落ちているのに気付く。広い上げてみると。悠緋の携帯だとすぐ分かった。
どうして携帯がこんな所に。
優希が拾ったのを何処かで見ていたかのようなタイミングで電話が掛かってくる。
携帯を開いて画面を見ると、公衆電話と表示されていた。
少し戸惑うが優希は通話のボタンを押し電話に出る。
「もしもし?」
「女は預かった。無事に返して欲しければ。今から言う事を素直に聞くことだ」
聞き覚えのない男の声。その言葉に優希の表情が変わる。
いつもの優しげな笑顔では無く。誰も見たことがない険しい顔だ。
「金か?」
「違う。殺しの一族の末裔であるお前にふさわしい仕事だ」
綾にも分からない様に悠緋を誘拐する機会を伺っていたのか。こんな事なら悠緋から目を離すべきでは無かった。しかし、今は後悔する時間は無い。
優希は頭の冷静な部分で考える。
すぐに綾に連絡を取って、悠緋の居場所を調べさせる。その後は高宮の助けを借りて今日中に誰にも知られることなく全てを終わらせる。
「誰を殺せばいい?」
不自然にならない様に思考を張り巡らせながら、話を進める。
「物分かりがいいな。殺して欲しいのは」
金属バットが球を弾き返す音が聞こえ、それに続いて野球部の大声が聞こえてくる。
「浅井誠之。お前と同じ学校に通う生徒だ」
全ての音が優希から遠のきやがて何も聞こえなくなってしまう。
何故だ。政治家や企業の重要人物なら話はわかる。何故ただの高校生を殺す必要がある。
いや待て。莉遠に護られている時点で浅井はただの高校生では無いということか。だが、浅井の経歴に不自然な点は……。どちらにしても、浅井を殺したくは、友達を殺したくはない。
「嫌だと言ったら?」
電話の向こう側の男は人を馬鹿にするように笑い。
「こちらに人質がいるのを忘れるなよ。それと今日中に殺せ。お前に不必要な時間を与える訳にはいかないからな」
内心で優希は舌打ちする。今日中と言う事は恐らく何処からか見張られているだろう。少しでも不審な行動を取れば、悠緋は。
「悠緋に指一本でも触れてみろ。お前達全員残らず殺してやる」
「こちらとしてもお前の逆鱗に触れるつもりは無いから安心しろ。娘の引き渡しについてはお前が仕事をし終わった後に連絡する」
一方的に通話を切られた。
しばらく茫然と立っていた優希だが、ふらつきながら校門に寄り掛かり空を見上げる。
雲一つない青空が見上げた空があまりにも眩しくて優希は目を閉じる。
どこまでも青い空はその存在が揺るぎないものと訴えているようだと優希は思う。そして青空を疎ましくも思う。
いや、違うな。
優希は自嘲するように小さく笑う。
本当に疎ましいのは自分の中に流れる『忌まわしい血』だろう。
どこまで悠緋を傷付けるつもりだ。悠緋だけじゃない。何人の人間を傷つければいいんだ。
ゆっくりと目を開けると、やはりそこには先程と何ら変わりがない青空。自分にはこんな光の下ではなく。暗い闇の中がお似合いだ。
頬に何か違和感を感じ、手で拭うと少し手が濡れていた。
自然と涙が溢れ始める。涙は優希の意志とは関係なく次から次へと溢れて止まらない。
どうして自分には心があるのか。どうしてそんな不完全な存在なのか。心など無ければ躊躇いもなく人を殺せるのに。人を殺すことに悲しさなんて感じないのに。
『心が無ければ悲しいことなんて感じないよ。でも、心が無ければ好きな人と一緒に居ても何も感じない……ううん好きと思える人なんてできない。人を好きになるってことが何なのか分からない。楽しいことも嬉しいことも何も感じられないなんて哀しいことだと私は思うよ』
悠緋がすぐ傍から囁きかけてきたのかと錯覚するほどそれは鮮明に優希の耳から入り心に響く。
二年前のあの日。あの場所で悠緋は言った。優希の存在は間違っていないと心を持っているのだから間違いではないと。
────そうだ。あの日誓ったはずだ。悠緋の為だけに生きて悠緋の為だけに死のうと。悠緋の為なら躊躇いもせずに手を汚すと。
「悪い! 遅くなって。あれ? 悠緋さんは?」
本を返す際に司書の先生に読んだ本についての感想などを報告していたら、思ったよりも時間が過ぎてしまった。
大急ぎで昇降口から外に出ると校門に寄り掛かるようにして立っている優希を見つける。
「悪い! 遅くなって。あれ? 悠緋さんは?」
駆け寄った浅井は悠緋がいない事に気付き優希に尋ねる。
振り返った優希は何時ものように優しい笑顔で答える。
「気分が悪いからって先に帰ったよ」
「そうか……元気そうだったのにな」
「暑いからね……暑気当たりかもね」
図書室から走って来た浅井は確かにそうだなと空を見上げる。
雲一つ無い青空が広がり、太陽は地上を照らしていた。
とりあえずここに居ても暑いだけなので、坂を下った場所にあるコンビニに避難する。
冷房の効いたコンビニの中は別世界の様に涼しい。
漫画や雑誌のコーナーには青ヶ島学園の生徒が横に列をなしていた。
「どうする? 昼はコンビニ弁当にするか」
「いや、僕が作るよ。家に帰れば材料はあるし」
男に手料理を振る舞われるのも複雑な気分だったが、小遣いが少ないので金がかからない方を浅井は選択した。
飲み物だけを買いコンビニから出る。
優希の家までの道程を学校での出来事やテレビドラマの話など他愛もない話をしながら歩く。
家に着いてから優希は浅井をリビングに通すとすぐに二階に上がっていく。
二階建てで庭があり、天井が筒抜けで開放感が溢れるリビングのソファーに座りながらましまじと見渡す浅井。
今まで優希の家に遊びに来た事は無かったなそういえば。
大型のプラズマテレビはよく宣伝されている物だ。確か二十万くらいするはずだ。
その他にも照明や棚。カーテンに至るまで金を掛けていそうだ。
テーブルの上に置かれた写真立てを手に取る。
写真には優希を真中にして右側に悠緋。左側には黒木綾が写っていた。
どうして黒木先生が。親戚なのだろうか。
階段を降りる音が聞こえ、写真立てをテーブルに置く。
ドアが開き優希が入って来る。
テレビのリモコンをいじりニュース番組でチャンネルを固定する。
「何か食べたい物とかある?」
食べたい物と聞かれても困ってしまう。
食べたい物が無かった浅井は作る食べ物を優希に任せることにした。
リビングに入って来た優希は長い筒状のケースを肩に掛けていた。
野球部がバットを入れるのに似たような物を使っていたような気がする。ケースをリビングに置くのかと思ったが、肩に掛けたままリビングから出ていく。
また一人になった浅井はニュースの音に耳を傾けながら、本を読む。
ふとテーブルの上を見ると写真立てが無くなっていた。
床に落ちてもいないので優希が持って行ったのだろう。
深く考えもせずに本を読むのを再開する。
しばらくすると優希が炒飯と餃子をお盆に乗せて運んで来る。
「お待たせ」
「炒飯と餃子か」
まだ湯気が立っている餃子と炒飯を無言で食べる。
浅井の家の近所にある中華料理店の炒飯の味と同じだった事に驚く。
顔と性格が良くて、料理も出来ればモテモテだよなぁ。と浅井は思う。
以前自分がカツ丼を作った時の舞依の表情を浮かべる。
確か苦笑いだったはずだ。こんな炒飯だったら笑顔で居てくれるかな。
「ユキ。俺に料理を教えてくれ」
優希の表情が傍目から見て分かるように曇る。
そんなに料理が出来なさそうに見られているのか。
「見込みない?」
「あっいや……そんなことは……ただ、そんな時間がないと思うよ」
視線を逸らす優希を見て浅井は違和感を覚える。優希と会ってから一年経つがこんな風に気まずそうにするなんて。
「あっ。そういえば悠緋さんは?」
優希の右手がピクンと跳ねる。
「ユキ?」
「先輩なら大丈夫だよ自分の部屋で寝てるから」
穏やかな口調でいつものように笑っているのに、浅井はこれ以上追求するなと感じ取った。
まるであの時の綾の様な雰囲気だ。
冷房の効いた部屋で浅井は手にうっすらと汗を掻いていた。
「これからどうする?」
食べ終わると、皿を片付けようともせずに優希が言う。
浅井は後ろを向いてカーテン越に窓から外を見て。
「暑そうだよな。外」
「じゃあ。ゲームでもしようか」
優希は立ち上がり、クローゼットの上段からゲーム機の詰まった四角いケースを取り出す。
「いいけど……なにやるんだ?」
「色々あるから、手当たり次第?」
言いながら、ゲーム機のコンセントをテレビに繋ぎ無造作にソフトを掴むとCDをゲーム機にセットする。
椅子から立ち上がり、優希が座っているソファーに浅井も座った。