仕事
多重階層都市グリムヒル。いくつものビル群が折り重なるようにして、人工島に根を生やしている無法地帯。今日も街のどこからか爆発音や銃声が聞こえる。
いつものことだからあまり気にはしないが、自分が何時その音の渦中に巻き込まれても、おかしくないという意識を持ち続けていなければ、生き残ることは出来ない。
この排気スモッグ臭い鉄錆びた街に生まれて、まだまもない頃は外の世界に憧れをよく抱いていたものだ。
殺す殺さない、生きる生きられないのやりとりがない外の世界が羨ましいと思った。だけど、どうだ? 今は見事にこの街で生きられる味をしめてるじゃないか。
人を殺すことに慣れていつもの冷酷さで、冷たい眼差しを命乞いする敵に銃口を向け眉間を弾丸で貫いてきた。今更まともな生き方なんてのは望まない、望めるわけがないのだから。この街「グリムヒル」では。
俺はいつものように愛銃のスナイパーライフル「シアン」が入ったケースを担いで、アパートから出る。
中層の1は住宅街や露店が立ち並び東洋のどこかの国を想像させるような街並みが意識されている。大戦前ここは、多くの東洋人が住むの街だったのかもしれない。
寂れた住宅街を抜けて、露店街に入ってから、少し歩くと貨物用エレベーターに乗り上層に向かう。
このグリムヒルは下層に行くほど治安が悪い。それに対して上層は比較的安全で、僅かではあるけど常識的な人々の営みがある。
細かく分けて上層は上からA区、B区、C区がある。中層はアルファベットではなく数字で分けられていて、1から52まである。下層も同じく数字で分けられているが、1から122まで。
上層以外は、気を抜けば物を盗られ、肩がぶつかっただけで銃弾が飛んでくるような場所と考えたほうがいいだろう。
ちなみに自分のアパートがあるのは中層の1だ。住む場所があるだけまだありがたい。グリムヒルではほとんどの人間が、鉄板やコンクリートの地面の上で寝ているのだから。
エレベーターで上層のC区に移動した。
煌びやかなネオンが昼夜を問わず光り続けて歓楽街を思わせるC区の雰囲気は、あまり好きではない。
C区に来た理由は仕事を貰うためだ。
一件の木造の建物のドアを開けて入ると、無法者たちの巣窟と化した酒場。酒の臭いもタバコの臭いも強烈、他愛もない会話でゲラゲラと笑う者が集まり、悪巧みをするためにはうってつけ。
どんな悪事でも「金が儲かる」と一言添えれば、すぐにでも人手が足りるような独特の空気を持つ場所だ。
酒を飲んで賑わう男たちを尻目に人が比較的少ないカウンターの席に座り、シアンの入ったケースを席の脇に置くとマスターがコーラの入ったコップを俺の目の前に置いた。
「ようジンジャー調子はどうだ」
マスターが俺のことをジンジャーと呼ぶのは俺の髪が赤毛だからだ。幼いのころからこの色を気にしているせいか、髪のことを言われるのは腹が立つ。
「そんな目つきで睨むなよ、悪かったよゼロ」
コーラを飲みながら、ひょうきんなマスターの声を聞きつつ今日の依頼人が来るのを待っていると、遅れてやってきたアイが俺の右隣に座る。
「もうひどいよゼロ、いくなら起こしてよ」
アイが頬を膨らまして拗ねながらマスターに俺と同じくコーラを頼む。
俺達はコーラが好きなのかと聞かれれば好きだと答えるだろう。
暇な時や仕事がない日はここでコーラを飲むのが日課になっている。他にもコーラ味の飴やグミ、ガムやラムネもよく口にしている。
「ねぇゼロ今日は誰が来るの?」
アイが聞いてきた、俺は店の入り口の方を指差す。そこには一人の中年くらいの女性が立っている、彼女が今日の依頼人だ。
服装からしてあまり裕福ではなさそうだ、履いているスボンの裾は擦り切れていて上着のシャツはボロボロで元は無地の白だったのが茶色く染まっている、おまけに髪はボサボサ。
女性が俺達の所まで歩みよると口を開いた。
「あなた達が『グリムリーパー』ですか?」
「そうだけど……おばさんはゼロの知り合い?」
「いえ知り合いではありません。あなた達の存在は以前から聞き及んでいます。十代半ばくらいの年齢で赤毛と金髪の男女の殺し屋、殺し方は死神そのものを思わせることから『グリムリーパー』と呼ばれると」
なるほど噂を聞いて俺達に依頼をしにきたという感じか、しかし誰かを何かの利益の為に殺せという依頼をするような人には見えない。
礼儀正しい振る舞いや喋り方から察するに、大戦前は真っ当な暮らしをしていたのだろう。
「要件だけ端的に伝えます、私の主人の仇をとって欲しいのです」
「へぇー、どうするゼロ?」
俺はコーラを飲み干して椅子から降りて、女性の顔を覗き込む。顔の様子からかなりの憎しみと憎悪を感じられる表情をしているが、同時に謎の悲しみも感じられた。
依頼は受けるても良いが、彼女が相応の報酬を払えるとは思えない。
俺はシアンのケースを開いてスコープを女性に渡す。スコープは長い間使ってきた為、レンズが傷だらけなのだ。
「ゼロはレンズの変えを探してきてくれたら、受けるって」
「それでしたら少々お待ち下さい、主人の使っていたライフルのスコープのレンズならありますので」
女性はシアンのスコープを持って店から出て行く、しばらく待てば主人とやらが使っていたライフルのスコープか、もしくはレンズを持ってくるはずだ。
俺はコーラがなくなったコップの中の氷を揺らして音を鳴らすとマスターがコップにコーラを注いだ。
「口で言ってくれよゼロ、コーラでいいんだよな?」
俺が頷く前にマスターは、すでにコップにコーラを注ぎ終わっている。分かっているなら一々聞かなくても良いはずだ。俺は注がれたコーラを再び飲み干した。
「ゼロは今日も喋らねぇな」
「しょうがないよマスター、ゼロはごく稀にしか喋らないんだから」
俺が喋らないのは、言葉は使い方を間違えれば誤解を生むだけだからだ。
実際言葉の通じない異国の人間同士が話し合った所で通訳がいなければ、会話は成り立たない。それ故に通じ合わない人間の間には簡単に争いが生まれる。なら言葉をなくしてしまえばいい、そう思った末に俺は言葉を使わない。
「昔はこれでもお喋りだったんだよゼロは」
「そうなのか? 信じられねぇよ」
アイとは長い付き合い故に、表情だけで何を思っているかなんて、アイには筒抜けだ。察しのいい奴でもあるが、偶にどうでもいいことを話題にしたりしてくるのは勘弁して欲しい。
しばらくすると女性が戻ってきた、手には新品同然のスコープが握られている。女性は俺にそのスコープを渡すと同時に「お願いします」と言葉を添えた。
手渡されたスコープはよく手入れがされていて、10倍から50倍までの切り替え可能だ。シルバーフレームのシアンとも色合いの良い灰色のカーボン素材を使われている。シアンに早速装着して、スコープを覗き込み倍率の調整をしてみる。視界も良好、これなら満足のいく仕事ができるだろう。
「ゼロどう? 使えそうかな」
俺はアイに頷いて返事をした、するとアイは女性に対して質問をする。簡単な質問だ「誰を殺して欲しいのか」標的が分からなければ話は進まない。
女性は一枚の写真をスボンのポケットから取り出すとアイに渡した。アイは俺にその写真を見せると同時に辛そうな顔をする。写真には仲の良さそうな家族の写真で依頼主である女性とその主人に当たる人物の男性と、その間にいる娘と思わしき人物が写っている。年齢は俺たちと同じくらいか。
「娘を……殺して下さい……」
憎しみのこもった声で娘を殺せというのかこの母親は。まぁスコープ一つの対価には見合うだろう。
アイは母親に娘に最後に会った場所を聞くと娘はエレベーターに乗って、下層へ下りていったらしい。
娘の特長は茶色の髪をポニーテールに結んでいて、身長は俺たちより低く130センチくらいらしい。俺たちの身長は160センチはあるから年齢に相反して身長が低いようだ。
武器は主人を殺された彼女曰く、ハンドガンを二丁ほど持っているらしい。ハンドガンの種類はオートマチック。
「名前はサーリャといいます、なぜあの娘が主人を殺すなんて凶行に走ったのか……」
「サーリャちゃんかぁ、中々可愛い子だなぁ殺す気になれないや」
アイが低い声で嫌そうに言うと、母親は娘を殺してくれれば追加報酬でグリム金貨を6枚出すと言った瞬間、アイは目の色を変えた。
この母親は相当娘が憎いようだ。たかが子供の命にそれだけの価値があるとも思えないが、いやそもそも命にあまり意味や価値なんてない。あるのは、生きているか死んでいるかの違いだけだ。
期日は今日から三日間だ、グリムヒルは広いがアイがこの広大なグリムヒルの地図役をやってくれている。狙撃に有効なポイントもアイがみつけて俺に指示を出す。地図やターゲットを殺す方法は整っているが、問題はターゲット自体だ。
下層に向かったということは治安の悪い場所にいるということ、つまりまだ生きているか分からない。それでも死体の確認でもできれば、まだ別かもしれないが。
「で、そのサーリャちゃんがいなくなってから何日くらい経つの?」
「もう一年経ちます、でも娘はまだ生きてます……あのずる賢い娘なら」
「一年って……」
アイが驚いて瞼を何度も瞬きさせる。一年間も下層に子供がいたら間違いなく殺されてる。
「一年っていうと、ちょうどあの噂と同期だな『デュアルガンナー』なんでも背は低くて女だが、めっぽう強いらしいぜ」
なるほど『デュアルガンナー』か、確かに銃は二丁で持っているという情報と、ちょうど一年経つとなると一致する点があるな。マスターが噂好きで良かった、これでターゲットが生きてる確信が持てる。
アイと俺は席を立つとグリム金貨を1枚マスターに渡して、店を出て下層行きのエレベーターに向かった。
「ねーゼロ、ゼロって私達と同じ歳くらいの子を殺せる?」
俺は頷いた。今日というその日その日を生きるために必要ならば、俺は誰を殺すにも躊躇はない。
「ふーん、私はちょっと気が引けるかな……もしかしたら友達になれるかもしれないのに」
友達か、昔から友達なんていない俺にはその価値がわからない。アイがいれば充分だ。しかし全く友情とやらに興味がないわけじゃない。
孤児院に居た頃、周りの奴らが仲良してるのを羨ましいと思いながら、いつも遠くから離れて見ていた。
「私も昔は友達が沢山いたんだ。でも今はゼロが私の唯一の友達になっちゃった」
友達か……年齢の低い俺たちは、いつ死ぬかお互いに分からない身だというのに情を移してしまったら、そうなった時に生きていられるか分からない。友達なんてのは、いらないものだ。でももしアイがいなくなったら俺はどうなるんだろう、どうするんだろう。
鉄臭い道を歩いてエレベーターのボタンを押してシャッターが開くのを待つ、シャッターが開くと何人かの軍人風の男たちが銃を持って歩いて出てきて、周りを見渡して地図を広げた。随分と重装備だ、安全な上層に何の用だろう。気にしても仕方なさそうだが、なぜか胸騒ぎがする。
俺たちがエレベーターに乗ろうとするとその軍人風の男にアイの腕が掴まれた。
「何かなおじさん、私達忙しいんだけど」
「間違いない、こいつだ手配ランクS級の女アサシン……ナイフ使いのアイだ」
しまった、こんな所でハンターに出会うとは。
ハンターとはグリムヒルが世界から放棄されて間も無く、組織化された軍人達がこの街の治安維持の為に築かれた組織『アーミーヘブン』の兵士のことだ。その中でも俺達犯罪者を捕らえる、あるいは殺害することにより報酬を得る兵士はハンターと呼ばれる。
兵士は達は治安維持といってもそれらしいことは一切せず、それどころか逆にこいつらのせいで治安は悪化している。気に食わないことがあれば軍人という肩書きを盾に誰であろうと容赦しない連中ばかり。しかし稀に真面目な奴がいて、その真面目な奴に出くわすとこのような状況になる。
手配ランクとは、いわゆる悪名のことだ。ランクが高ければ高いほど人に害を成してきたことになる。
「そっちは赤毛……ってことはS級の二人組の殺し屋か」
「ねぇおじさん、腕斬り落とされたくなかったら離してよ、私達忙しいんだ」
アイが鋭い目つきになる、そろそろ腕を離さないと本当にまずいぞ、この男。
アイのナイフ格闘技術は、ずば抜けて高い。しつこく言いよってくる人間の頭を胴体から切断して離す動作は目にも止まらぬ速さだ。
「……どうする、S級相手に俺らで」「いや、まずいだろ」「俺まだ死にたくねぇし」「ガキ二人だぜ?」
「わかった悪かった、俺たちゃ何もしねぇよ……行きたきゃ行け」
「ダメだね」
アイが「ダメだね」と言った瞬間、兵士の喉から鮮血が噴き出してあちこちに飛び散る。驚いた兵士達に向けて、兵士の一人から噴き出す鮮血の出る方向を変えさせる為に頭を掴んで体制を変えて他の兵士たちの目に噴き出させて、視界を潰す目くらましにすると、次々にナイフで男たちの急所を抉った。脊髄、心臓、脳天、肝臓……最後の一人を殺すという所で、俺はアイを殴って殺すのをやめさせる。
「いたっ! なにすんのさ!」
こいつらがハンターなら『デュアルガンナー』のことも知ってる可能性がある、貴重な情報原を無駄にしたくない。
「ああ、はいはいわかったよ。ハンターのおじさん見逃す変わりに質問に答えて。私達『デュアルガンナー』っていう強くて可愛い女の子探してるんだけど、心当たりない?」
「し、知ってる……今じゃ下層でその名を知らない奴はいない! 奴も殺し屋やってんだ、下層にあった警察署を寝床にしてる……頼むから、助けて……死にたくない」
アイと俺はエレベーターに乗る、男は尻もちをついてほっと胸を撫で下ろしたが、エレベーターのシャッターが閉まる寸前で俺がハンドガンで眉間に風穴をあけてやった。死を感じる恐怖すら与えないほどの早技で。
男は安堵した表情のまま、その場から動かなくなる。
「あ、ゼロずるい!」
ずるいもなにもない、見逃せば仕返しで俺達を殺しにくることもありえる。それがハンターという奴らだ。
それにしても上層をハンターがうろつくなんて……いや、真面目なタイプの奴らだから多分警備か何かに来ていた可能性もあるか。
ちなみに手配されてる人間を始末すると高い報酬が出る。俺達も報酬目当てで手配されてる奴を始末することもある。
エレベーターを降りて下層の1に着く、下層は殆ど太陽の光が届かない場所でいつも湿りきったスモッグが視界を遮る。空気も死体やゴミの腐敗した臭いがかなりキツイ。
警察署はアイがいうには1から階段でおりて更に下の3にあるらしい。この街は下層が一番広いが、まだ3で良かった。もっと下に行くとガスマスクが必要なほど腐敗した空気が漂っている。
いつでも応戦できるようにハンドガンを持って警戒しながら進む。アイが先頭を歩くアイも常にナイフを右手で逆手持ちにしている。
周りを見渡と鋭い目つきをしている者や生気を感じない目をしている者もいる。その中には何人かで集まり俺達を監視するような目で追ってくる奴らもいる。
いつもの陰気さが、この下層の空気を支配していて気味が悪い。
「私達やっぱり目立つのかな?」
黙って頷く、アイの金髪と淡い青眼はグリムヒルでは目立つ。グリムヒルに集まった人間の人種は様々だが、その中でも特に珍しい部類に入ると思う。アイ以外にこんな綺麗な髪と眼を持つ人は見たことがない。
そう思っている自分の髪も赤毛だから、俺達二人が並ぶとかなり目立つ。
「ゼロ髪ながくなったよね、狙撃の邪魔にならない?」
前髪をすこし触って目の位置までの距離を考えてみる、狙撃の時に髪が目にかかると邪魔になるのは確かだが、このくらいの長さなら……大丈夫だ、問題ない……下手に髪を切って失敗した時に変な髪型になるよりはマシだろう。とはいえ確かにこのまま伸びると、流石に切らなければならない。今度ヘアピンでも買うことにしよう。