とある少年のモノローグⅲ
※ 時系列 #1 ※
それは、とある日の夕方の出来事だった。
一人の青年は、生暖かい風が緩くなぜるコンビニの帰り道を歩いていると、もくもくと煙が立ち上る一軒の家を見つけた。
今までこの道は何度も通った事があるため、これが木造建築の住宅だという事も知っている。
その家が火事になっていた。
現場の周囲には野次馬が群がっていて、なにやら知り合い同士で何かを話している。
「……もう中に人はいないのかな」
黒い煙を眺めながら家の前まで歩いた青年はポツリと小さく呟いた。
野次馬の話し声に耳を傾けてみると、消防車はもう呼んでいるらしい。あと少しでもすれば到着し、無事に事を済ませてくれるはずだ。
火の巡りはかなり早いようで、既に一階の窓から見えるその向こうは真っ赤な炎に包まれている。もしもまだ中に人がいるのなら、出るために多少の火傷は我慢しなければならないだろう。
――もしも、まだ中に人がいたら?
不意に嫌な予感が巡り、背筋を凍らせた青年は、近くに立って住宅を見上げていた野次馬の一人に尋ねた。
「あの、中からは誰か出てきたんですか?」
火の消し忘れなどの家の中に誰もいない間に火災が起きるケースもありうる。それなら問題は無いのだが、そうじゃなかった場合は……。
突然声を掛けられた野次馬は、見知らぬ相手だという事を気にもせずに、
「いんや、まだ誰も出てきてないんだよ。煙が出始めてから一人も」
「え……?」
「だからまだ中に人がいるのか、そうじゃないかは分からないんだ。でも、出てこないところをみると、火の消し忘れかなんかだろう。中には誰もいないんじゃないか?」
「そう、でしょうか……?」
確実にそうとは言いきれない。
もしかすれば、中で何か問題が起きている可能性だってあるのだから。
煙の出る木造建築へと視線を向ける。湿度が低い所為か火の回りはかなり速い。少し目をそらしている間に、火は更に進行していた。
背筋を走る怖気は止まらない。
寧ろ、唸りを上げて燃え盛る炎を前に不安は増すばかりだった。
「もしまだ中に人がいたら……」
助かる可能性は、限りなく低いだろう。
呟いた直後の出来事だった。
――悲鳴。
女の子の、悲鳴が聞こえた。
中に、まだ取り残された人がいる。声の感じからして、まだ若い、おおよそ十五歳くらいの少女だろう。
思考はそこまで一瞬で到達した。
野次馬がざわめきだす。
しかし、動き出そうとする者は誰一人としていない。
(――なんで、誰も動こうとしないんだ?)
炎の海に飛び込むなんて無謀だから。
(――目の前で、もしかしたら助けられたかもしれない人を見殺しにする。そんな事をしてなんとも思わないのか?)
自分が死ぬよりマシだ。
それはそうだろう。助けられないかもしれない命のために自分の命を投げ出す、なんて事が出来る人が少ないのはすぐに分かる事だ。
彼女は助からない。
野次馬達は心に小さなしこりを残しつつも、コレまでと変わらない人生を歩んでいく。
きっと世界中の何処かでも起きているような、無難な結末。
「……ふざけるなよ」
葛藤が声となって口から漏れ出す。
「相手は何処の誰かも知らない、この先俺の人生に一度も関わるタイミングさえないような人かもしれないんだ」
袋を握る手が、立ち尽くす足が、恐怖に震える。
「わざわざ危険を冒して助かるかどうかも分からない赤の他人のために火の海に飛び込む? ははっ、バカみたいじゃないか」
――だとしても。
青年はコンビニ袋を投げ捨てて、火の家に向かって駆け出す。
恐怖で手が、足が震える。身体はこの先へ行きたくないと主張する。走る足が止まりそうになる
それを、「少女を助けたい」という心で無理やりに動かして前へ進んだ。
袋の中に二冊の成人誌が入っている事なんてもはや頭の片隅にも残っていない。無造作に袋を投げ出して走り出し、熱くなったドアノブに触れる。熱さを無視して思い切り開くと、その先は案の定火の海。
「熱――っ」
玄関のでこれなら、中にいる人はもう……。
思わず口に出しそうになって、やめる。ネガティブな思考は振り払う。きっと、まだ、大丈夫なはずだ。
「行くぞ」
決意するように口に出して、青年は炎の中へと駆け出す。薄いパーカーの袖を口元にあて、それを強く噛む事で熱さを我慢する。目を瞑ってしまいそうになるのを堪え、どこに悲鳴の主がいるのかを探す。
インテリアの鉢木やカーペット、引火しそうなものは全て赤黒く燃え上がっていた。靴を伝って足裏から伝わる熱は強く、皮膚が溶け出すんじゃないかと思わせる程凄まじい。
あたりは一面赤色で、もはや何が原因なのかも分からない。
違う、問題はそこじゃない。
探すべきは中に取り残されている少女だ。
煙が目に染みて涙が浮かんでくる。
探す。
全身へジリジリと突き刺さるような痛みを堪える。
探す――……、
見つかった。
倒れた食器棚。耐火仕様のようだが、高熱の炎に曝されて端から少しづつ燃え始めている。ガラス扉の奥に見える食器はほとんど粉々に割れていた。
そして。
悲鳴の主である少女は、その棚に下半身を押し潰されていた。
血の気が引いていくのを感じる。
下ろされた瞼は小刻みに震えているが、意識は無いらしい。指の一本をも動く気配は無い。即死でない事くらいが救いだった。
いや、或いは。
もはや死んでいた方が救われる領域だったのかもしれない。
足元の血溜まりによって意識がネガティブな方向へ流れていくのを堪え、青年は食器棚に手を掛ける。
両腕に力を込め、持ち上げる。
持ち上げようとする――が、あまりの重さに持ち上がりそうも無い。
「く、っそ、がァああ――ッ!!」
普段は上げないがなり声。歯を食いしばり、持てる力の全てを総動員して両腕を引き上げる。
ギュゴッ! と何かがめり込む音が聞こえた。持ち上げられた食器棚の角が床を削った音だ。
(よしっ!)
既に大きな火傷負っている両腕を鼓舞し、僅かに笑みを浮かべる。このままいけば、持ち上げられるかもしれない。
「頼む、頼むよ! 無事でいてくれ!!」
希望が見えた、直後。
頭上から巨大な何かが落下してきた。
「がッ!?」
後頭部に叩き付ける様に振ってきたのはペンダントライトだった。天井との連結部分が溶け、重さを支えられなくなったのだ。
強い痛みに食器棚を掴んでいた手を離しかけ、それだけはと堪える。
血が頬を伝った。意識が明滅し、視界がぐわんぐわんと揺れる。両手には既に力が入らない。もはや気力だけで保っている状態だ。
もうダメかもしれない、本能的にそう思った。
「う、うぅ……」
視界の端で倒れた少女の指が動く。弱々しい呻き声が、耳鳴りの中に紛れ込む。
(あぁ)
せめて意識を失ったままならば、迫り来る死の恐怖を覚えずに済んだのに。
青年は聖人君子なんかじゃない。ニュースで人が死んだと報道されても、その度に深く悲しむようなお人よしなんかでもない。
それでも、『一人の女の子を助けるために命を懸けた』青年は、小さく声を漏らした。
「……ごめん、ごめんな」
薄っすらと瞼を開けた少女と目が合ったような気がしたが、構わず続ける。
「俺では、貴方を助ける事はできなかったみたいだ」
死ぬのは怖い。勿論、怖い。どうしてこんな事をしてしまったんだろう、という後悔の念も少なからずある。
でも今は、この少女を助けられなかった事への悔いで一杯だった。
どこにでもいるただの大学生だった彼――上坂唯の人生は、人助けの失敗で幕を下ろす。
◇
水面に浮かび上がる様な感覚を覚え、その少年はゆっくりと目を開いた。長い間眠っていた所為か、視界がボヤけて焦点が合わない。
トンッと足裏に伝わる感覚を覚え、ようやく自分が『立ったまま、ましてや宙に浮かんで眠っていた』ことに気が付いた。
それだけでもはや異常なのだが、人生丸々振り返る勢いの夢を見た後だ。
異常性は放置する。
こめかみを押さえる彼に、夢では何度も聞いたが実際に耳にするのは懐かしく感じる声が届いた。
《やっと起きたんだねー、ディア》
「……エスト」
青白い光を振りまいて現れたのは、瑠璃色の髪と瞳が目立つ巨乳美少女【大精霊エストリカ】だ。
「……俺は、寝ていたのか」
「そうねー。そりゃもうぐっすりと、死んだみたいに。ざっと一〇〇年近くかなぁ」
「一〇〇年……?」
驚きを隠せないセルディアにエストリカに言う。
「そ。あの日、ディアがセルリアと会ってから大体一〇〇年」
付け加える様に言われて、改めて実感する。これはきっと、いや十中八九セルリアによって起こされた現象なのだと。
「母さんは、何をしたんだ?」
「【時空凍結】」
端的に答え、続ける。
「……って、セルリアが言ってた。ディアが今眠っていた場所は、一〇〇年前の状態と一切変わらない状態でいるんだよ。ほら、よく見たら岩壁の色とか全然違ってるでしょ?」
「いや、悪いんだけれど、まだ視界に靄が掛かっててよく分からない」
「……まあ、そうなってるんだけど、つまりセルリアが設定した座標範囲内にいたディアも、その【時空凍結】の術式効果が適用されてたって訳。分かりやすく言い換えたけど、元々セルリアはディアを中心に座標を設定したから、寧ろ周りはオマケらしいねー」
「そうか……」
光に慣れたからか視界の靄が晴れていく。言われてみると、確かに岩石の色や苔に明確な違いが伺えた。
目を擦るセルディアを見て、エストリカは苦笑しながら、
「目が覚めたらすぐ、あの後の事聞かれると思った」
『あの後の事』とは、間違いなく彼が気を失った後の事だろう。何らかの魔術によって意識を刈り取られてから、【時空凍結】をするに至るまでの出来事と思惑。
だがセルディアは頭を横に振って、
「いいや、大丈夫だよ。母さんは俺に幸せになって欲しいって言った。そして俺を一〇〇年後まで凍結した。つまりは、そういう事なんだろ」
セルリアはきっと分かっていたのだ。いや、きっと分かっている人の方が多かった。
魔王が負けて、人族の勝利で戦争が終結する。そして生き残った魔族は人族の目を掻い潜り、密かに窮屈に生きていかなければならない。
セルディア=レイアサルトは、ある条件化でのみ魔族としての特徴が現れる半魔だ。つまり、その条件さえ満たせば人族と遜色ない姿を保つ事も可能である。
人族の大陸で、人族の住む街で、人族として暮らす事も出来るのだ。
ほとぼりが冷めだす未来でなら、堂々と生を全うできるかもしれない。
「だから、時空間操作なんて確実に禁呪指定の術式まで持ち出して、俺を未来に送り出したんだ」
「ふーん、意外ね。もう少し凹んだり落ち込んだりすると思っていたけれど」
「……まあ、そりゃあ拗ねたい気分ではあるけれどさ」
セルディアが眠っていた洞窟。
その暗闇の中から見える外の光を見据えて、少年は言った。
「折角母さんが送り出してくれたんだ。幸せにならなきゃ、損じゃないか?」
その笑みに陰はない。
エストリカも彼の様子を見て微笑むと、
「ほんと、それならあたしの事も幸せにして欲しいものよねー。ディアが起きるまでの一〇〇年間、ずっと一人で待ってたんだから。退屈だったなー。退屈すぎて、ディアの夢の中とか覗いちゃったよ」
「…………………………………………………………………………………まじで?」
彼女の言葉を受けて、セルディアの思考に空白が生じた。呆然とした表情はまるで氷の様に固まっている。
表情筋を微動だにさせない彼を無視してエストリカは続ける。
「うんうんまじまじ。ディア、前世でもこんな感じだったんだねー」
「……あ、あはは。いやー、どんな夢を見たのかあまり覚えていないからなあ。てか、生まれ変わったからって性格は変わらないからね、ハハッ。それにしても心配だなぁ……プライバシーって尊重されるものだよね?」
ひくひくと口の端が痙攣するセルディアの口から出るのは、聞いている方が虚しく思えてくる様な限界を感じるすっとぼけだった。相当困惑しているのか、この世界にプライバシーの権利なんて法律が無いであろう事は頭から抜けている。
冷や汗を流し、しどろもどろに言うセルディアにエストリカは端的に尋ねる。
「で、アレは一体どういう了見なの?」
「……アレとは一体何のことでございましょうかエストリカ様」
ぶっちゃけ『アレ』と言われて思いつくのは一つだけだった。エストリカの言葉の意図に気が付いていたからこそ、セルディアは限界を超えようとしていたのだ。
彼はとぼけるのをやめない。言い逃れる事を諦めない。
そんな少年をニヤニヤした顔で見つめながら、大精霊は言う。
「あたしが憑依している間、ディアが考えている事が分かるっていうのは知ってたよね?」
確認するように。
ニヤニヤを収める事もなくエストリカは言った。
憑依の権能は、エストリカだけに限らず『大精霊』全てに共通する力である。
「憑依の効力は、対象の感情や内心を読み取る事が出来るもの。それの応用で、ディアが寝てる時に見てる夢も一緒に見れたんだよねぇ」
「……、」
「あっ、でも、今回限りだと思うよ? 普段眠っている時は夢に対する認識が曖昧だから、憑依してても良く分からないもん。だから夢の内容を見れたときはびっくりしちゃった」
起きたら夢の内容を忘れている、という現象と同じなのだろう。ハッキリと覚えていられる夢じゃないと覗き見することができないらしい。つまり逆説的に考えれば、セルディアは夢を鮮明に覚えている。
というか、そんな補足説明は何の慰めにもならなかった。寧ろ逆に追い詰められた。元々エストリカに慰めの意思なんて無かっただろうが。
ようは『全部見られていた』のだ。
勿論、エストリカが寝ている間に胸を揉もうとして返り討ちにあった事も、全て。
両腕で自分の豊満な胸を真ん中に寄せるようにしながら、彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。
「まさか寝てる間に襲われるとは思ってなかったなぁ。ま、本番まで出来ずに、しかも胸を揉む事さえ叶わず終わるような残念ヘタレには変わりなかったみたいだけどー」
「……、」
「で? で? どうだった?? 寝ている女の子のおっぱいを揉めなかった感想は」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………さて、そろそろ移動を開始しようか」




