星の行方 壱
「捜し物とな?」
神霊廟の一室にて、話を聞いた彼の困惑した顔が、湯気のたつ中国茶の水面に映り込んだ。
神子は真っ直ぐに刀哉の瞳を見つめて頷く。ただの茶会ではないと考えてはいたが、よりによって捜し物とは如何なる存念であろう。
彼の疑念を察した神子は茶を一口音無く啜り、言葉を紡ぐ。
「本来ならば、外来人の貴方に依頼すべきでないことは承知しています。が、ある者に推薦されまして」
「……八雲か」
脳裏に胡散臭い笑みが思い浮かぶ。勝手に人を掌で転がしておいて、真意を全く伝えない。ため息が出そうになる彼の賢明さに神子は少なからず感心したように大きく頷いた。
「ご賢察。貴方はその身に神を宿すと聞いています。またその神刀で幾度も異変を鎮めたとも。その腕を見込んで、是非ともお願いしたい」
「一体何を捜せというのか?」
焦れる彼の眼前で、神子は笏を頭上に掲げた。
「星です」
「なんと? 戯れ言は好かんのだが」
「無論、大まじめです。先日我が神霊廟にて封印していた、我々が『凶星』と呼ぶ宝玉が行方を眩ませたのです。私も仔細は詳しくないのですが、聞くところによると、その星はこの世を滅ぼす力を秘めているとか」
「随分と胡散臭い話だな」
訝しい顔をする彼に神子が身を乗り出した。
「凶星の行方さえ分かれば、あとは我々が始末をつけます。どうか力を貸して頂きたい」
神妙な物言いと事の重大さに彼は腕を組んで唸る。
白刃も珍しく口を噤んで主人の意向を気にかけ、しかし視線はしっかりと神子の澄まし顔を睨んでいた。いずれにしても凶星とやらが封印を突破して行方を眩ませたのなら、神子の言うように、いつか幻想郷に災いをもたらすかもしれない。芽は早く摘み取るに限る。
腑に落ちない点も多いが、かといって断る理由も見当たらず、彼は冷め切った茶を飲み干して立ち上がった。
「また八雲の掌で踊るのは御免だが、座して災いを待つというのも気に入らぬ。やれるだけのことは、やってみよう」
「感謝します。刀の神よ」
「半分は人の子だ。それと物部のことなのだがな、早とちりとはいえあれはあれでお前に忠義を尽くしている。此度のことは俺に免じて大目に見てやってくれ」
「寛容な方なのですね」
「似たようなのが側にいるからな」
ふと考えてみれば、今まで人から頼まれごとをされて断れた試しがあっただろうか。人里の連中から仕事の手伝いを頼まれたときも二つ返事であったし、そもそも刀神の頼みを聞き入れて、今際の際とはいえ我が手で我が身を斬った。
存外にお人好しなのかも知れぬと自嘲する。
安請け合いをしてしまったとも思える。一体何処をどう探せばいいのかも分からない。見つけたとして、もしも凶星とやらが己に災いをもたらせばどうなるのか。幾度も考えを巡らせるが結局、分からない、で結論に至ってしまい、城に戻って以後、白刃を置いて自室に篭ってから畳に寝転んでジッと天上を眺めたまま動かなかった。
やがておもむろに起き上がると硯に墨を溶かし、巻紙に筆を走らせていく。宛先は様々。博麗神社を始めとした、自身が知る幻想郷の代表格らに此度の一件を報せ、凶星、およびそれに関する情報があれば城の者に言伝てほしい旨を認める。
特に霊夢には先日の借りを返すとばかりに、後日直接城まで来いと念を押し、白刃に留守を任せ、自身もまた散歩がてらに人里で聴きこみをすることにした。まだ昼過ぎなので郡上の空も太陽も高く、風は少々肌寒いが日差しは温かい。
相変わらず賑やかな里の通りを歩くと馴染みの連中から気さくに声をかけられ、甘味処の看板娘から試食の誘いもあった。その折に最近変わったことが無かったかと聞いてみるものの、この幻想郷において変わらないものがあるはずもなく、試食品の芋羊羹を熱い茶で流し込む彼のもとに白銀の髪を靡かせる寺子屋の主が近づいた。
「おや、城主様がこんなところで甘味か?」
「甘味処で甘味を味わうのは道理だろう?」
「ふふ、確かに。私にも彼と同じものを」
と、慧音は彼の隣に腰を下ろして茶を啜り、ごくごく自然に寺子屋での珍事などを話し始めた。城に移り住んで以来寺子屋に足を運ぶことも少なくなり、時折覗いてみるものの、大抵は授業中なのでゆっくりと喋る機会も中々無かった。故に離れに間借りしていた頃を思い出し、話も弾む。彼が道場を始めてから体の弱かった子も丈夫になり、皆まじめに文武両道を修めているのが教師として嬉しいと彼女は顔をほころばせていた。童たちの笑顔は彼の生き甲斐の一つなので彼女につられて微笑み、話も佳境に入ったあたりで切り出す。
「ときに、凶星なる物について聞いたことはないか?」
慧音は暫し考えこみ、指先を空の彼方へ向ける。
「凶星……というと、凶事を示す星のことか?」
「いや、それがな――」
彼は神霊廟での一件を慧音に話した。
「ふむ、当の本人たちでさえ正体が分からないものを捜してくれとは、また難儀なことに巻き込まれたものだな」
「断ったところで災いが起きてはかなわないからな」
「そうか。では私も他人事では無いな。異変の芽は早めに摘み取っておくに限る。だが八雲は一体何をしているのだ?」
「知らん。ちゃっかりと根回しをしているようだから、陰でこそこそと動きまわっているのだろう。天道の下を歩く俺たちとはやり方が違うのさ」
「違いない。それにしても、凶星か。一体、どんな災いを……少し調べてみる必要がありそうだな。刀哉はまだ聴きこみを続けるのか?」
「ああ。里の次は、野山にいる妖怪たちにも聞いて回ろうと思う」
「そうか。初めの頃は妖怪の山に乗り込んだこともあったなぁ。あの時は肝が冷えたが、今なら安心して送り出せる」
「あの時は怒り心頭だったからな。白刃に留守を任せている故、なにかわかれば報せてやってくれ」
「心得た。妹紅にも話してみよう」
人は繋がりによって生きることが出来る。特に気心の知れた友が多ければ多いほど、ときに大きな力となって険しい道を乗り越えられる。今回はとにかく人手がいる。それこそ猫の手も借りたいほどに。慧音は一旦寺子屋に戻り、支払いを済ませた彼もまた聴きこみを再開した。
が、悪いうわさと言えば誰さんところの犬がお亡くなりになっただとか、あるいは財布を落としただとか、この世の災いにしてはずいぶんと規模が小さい。無論凶星とは何の関係も無いのだろうが、うわさ話に敏い連中でさえ思い当たるところがないとなれば、未だ凶星は力を取り戻していないのだろう。
長く封印されていれば力が劣化することもありえよう。
もしも自身が封印されたとしても鍛錬だけは怠らないようにしようと思いつつ妖怪の山を目指して森の中を歩く。
目的地は無いが、途上で襲ってきた理性無き魑魅魍魎を成敗して回るうちに、いつの間にか森の奥深くへ迷い込んでしまった。
そもそも人が通る道自体が無いのだが。
幻想郷の森は基本的に妖怪の巣窟であるため、周囲には濃厚な妖気が立ち込めている。普通の人間ならたちまち体調を崩し、気がついたら妖怪の腹に収まっていることが多い。が、彼は無意識に四肢から放たれる霊力によって妖気を跳ね除け、暗い森の中を平然と進んでいった。森から出ようとする意思と裏腹に、森の奥へと……。
一方、美剣城にて留守を預かる白刃のもとに、刀哉の書状を読んだ魔理沙や早苗、妖夢が城を訪ねてきた。早苗は昨日を含めて数回しか訪れていないが、魔理沙は度々顔を出しては刀哉と盃を酌み交わし、妖夢も道場にて共に稽古に励むこともあるので、白刃とも気さくな間柄だった。三人は城の謁見室に通され、当然の如く白刃が上座に腰を下ろして皆を迎える。
「皆、大義である。生憎と殿は外出されている故、拙者が承ろう」
「なんで客が下座なんだぜ?」
「ややこしくなるので黙っておきましょう」
「お二人共、常識に囚われてはいけません」
ひそひそと耳打ちし合う三人に尊大な態度を取る白刃は、こほんと咳払いを一つ鳴らし、刀哉が各々に送った書状の確認と、凶星について何か情報が無いか問いただした。
が、数時間前に手紙を受け取った三人に心当たりがあるはずもなく、城に来たのも刀哉本人から話を聞こうと思ったと言う。
「刀哉がいないんじゃぁ、無駄足だったぜ。まっ、せっかくだから茶は飲ませて貰うぜ」
「魔理沙さん、またそんな不躾な」
「妖夢だって茶菓子に手が伸びてるぜ?」
「はっ! いつの間に……」
魔理沙と妖夢のやり取りを傍らに、早苗は既に菓子と茶を楽しんでいた。情報がないことに小さく舌打ちを鳴らす白刃は、ふと刀哉から聞いた三人との出会い話を思い出す。
魔理沙は刀哉の命を救い、早苗は共に湯浴みをし、妖夢に至っては妹分。白刃は微かに身を乗り出した。
「ときにお主たちに尋ねたいことがあるのだが」
「なんだぜ?」
三人の視線が白刃に集中し、
「単刀直入に聞く。お主ら、我が殿を好いておるな?」
途端に三人の開いた口が塞がらなくなった。それを図星と捉えたのか、白刃はうんうんと勝手に納得して頷く。
「なに、気にするほどのこともない。拙者も刀とはいえ女子であるからな。我が殿ほどの御仁なれば、どのような女でも惚れてしまうのも無理はあるまい」
「おいおいおい! 何言ってるんだぜ! 私は刀哉のことは、その、ただの友達としか思ってないし……」
「わ、私だって、同じ外来人として親近感があるだけですもん。一緒にお風呂入っちゃったけど……」
「私は好いていますよ?」
堂々とした妖夢の言葉に空気が張り詰める。
「白刃さんの言うとおり、彼はそこいらの男性とは一線を画しますし、同じ剣の道を歩む者として尊敬出来ます。けれど、彼には既に白刃さんという伴侶がいるではないですか。人の好意を知っておきながらそんなことを聞くのは、嫌がらせですか? ならば容赦しません」
楼観剣を構える妖夢の気迫は並々ならぬものがあり、しかし白刃は動揺する素振りを全く見せず、呵々と笑った。
「うむ、妖夢くらいはっきりと己の気持ちを語れるくらいが良い」
「お前は一体何が言いたいんだぜ? まさか刀哉に浮気でもさせようってのか?」
「まさか。されど、お主たちが殿を好いておるならば、殿のお側にいても良いと考えておる」
「どういうことですか?」
すると白刃は一同を見渡して高らかに言った。
「お主たち、殿の側室となれ」