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幻想剣客伝〜星之産声〜  作者: コウヤ
道行く者たち
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道行く者たち 参

 地平線の山間から昇る暁日と共に目覚めるのが刀哉の常であり、寺子屋の離れに住み込んでいたころも、城に住むようになってからも、晴れた早朝には決まって中庭で素振りを繰り返すのが日課だった。


 爽やかな風を浴びると寝ぼけていた意識が明瞭になり、軽く身体を動かした後の朝食ほど美味い食事もない。里の何処からか鶏の鳴き声が聞こえた。まもなく里の者たちも新たな一日を迎えることであろう。城の台所では既に白い炊煙が空に向かって伸びている。


 昼前には件の巫女が押しかけてくるはず。


 よもや彼女の商売敵の本拠地へ行くことになろうとは……一晩経ってみると、やはり、理不尽に思えてならない。


 やがて白刃も顔を洗いに井戸端へ現れた。


 昨晩は互いに抱き合ったまま眠ってしまったため、少しばかり汗をかいてしまった。冷たい水を汲み上げて顔を洗い、手ぬぐいを湿らせて首筋を軽く拭う。そこへ引き締まった上半身を朝日に晒す主人が近づき、驚かさないように小さな声で白刃へ声をかけた。


「おはよう、白刃」


「あ、殿。おはようございまする」


 恭しく一礼した白刃はすぐに井戸の前から身を退いて主に場を譲る。


 思わず、苦笑が漏れた。相変わらず忠義心が篤いところが妙に可愛らしいが、別段、気を使う必要も無いと常々刀哉は言い聞かせている。確かに彼女からすれば夫婦である前に君臣の関係なのだろうが、彼からすれば己と彼女を主従という枠組みで考えたことなど一度もない。出会った時から今でも変わらない。そもそも上下関係というものが彼はあまり好きでは無かった。


 無論相手に対する敬意は払うが、其れ以上の縛りなど無用。

 強いて言うならば同じ屋根の下に暮らす仲間、あるいは家族。

 己が人を従えるだけの器があるなどと考えたことも無い。


 故に白刃が抱く志がはじめは疎ましかったし、これからも自ら望むことはあり得ないだろう。そういう、傍から見れば己を卑下するかの如き質素さが彼の欠点でもあり、美徳でもある。


 一国とまでは言わずとも城の主となった彼は未だに一個の剣客であろうとした。あらねばならないと思った。


 この身に神を宿していようとも、己は人の子として生涯を全うするのだと誓った。時に神の力を以って異変を鎮めることもあった。


 されど彼は己と神を完全に別物として捉えて止まない。


 さもなくば自分自身を見失うことになる。過去を失い、自分が善人か悪人かすら分からないまま、一寸先すら闇に包まれていた虚無を手探りで彷徨うことだけは避けたい。神でもなく、人間でもないものを表現するとすれば、それは最早化け物としか言いようが無いのだ。


 それだけは嫌だった。ならば一体己は何者なのか。


 考えるに考えあぐねた彼が導き出した答えが、あくまでも一個の剣客として生涯を全うすること。里人から見れば外来から来た道場の師範、白刃から見れば刀を統べる神。


 二つの視線を纏めて受け入れるため、彼は刀哉という名の、ある意味で道化の道を歩んでいる。今はそれで構わない。これからもそうあり続けなければならない。外の世界で美術品となった刀たちと同じように、既に自らの魂と乖離した己は、この世界から求められなければ存在する意味が無くなるのだから。


 自嘲めいた笑みを浮かべる彼の心中に孤独感が芽生える。


 家族を得て、近い未来に子供も生まれ、里にも妖怪にも受け入れられているというのに、この虚しさは一体何だというのか。


 考えても詮無き思考を冷水で洗い流し、手拭いで顔を拭いた彼は深く呼吸をして頭を切り替えながら白刃を伴って部屋へ戻った。


 竹が描かれた襖を開けると朝食の支度が整っている。


 ここのところ朝食は決まって粥にしていた。寝起きの胃袋に優しいというのもあるが、城に住む者が多くなり、寺子屋の離れに住んでいたときよりも多くの人数を養わねばならなくなった為、自然と倹約を考えねばならない。


 先にも述べたように、刀哉は城主となったかといって里人たちを支配するつもりなど毛頭なく、収入といえば道場で面倒を見ている子供や大人から授業料として貰う米や野菜、他にも男手がいるちょっとした仕事の報酬だとか、ともかくも古今東西一人の小作人も持たない城主はいないだろう。


 幸いにも飢えるほどのことはないので、今もこうして五穀の粥を啜ることが出来る。赤々とした梅干しの酸いさに口を窄め、他にも胡麻塩や糠漬けなど、粥に合うおかずを伴にずるずると粥を胃袋へ流し込んでいく。


 食事ほど生きている実感が堪能出来る時もない。


 程よい満腹感にホッと一息吐いていると、白刃が遠慮がちに尋ねてくる。


「本当に、寺へ行くのですか?」


 不安げな白刃の顔……彼女の気持ちも分からなくはない。


 碌でもないことになることは容易に想像出来る。今迄難儀と肩を組んで歩いてきたようなものだ。特に今回は霊夢が絡んでいるのだから、何事も無いまま帰れるなどと楽観的に考えられようか?


 否、断じて否。


 しかも商売敵の本拠地に乗り込むのだ。相手は僧なので穏やかに済めばいいが、考えてみれば幻想郷に住み着くような連中なら一概にいえない。ひょっとすると僧兵などを抱えた一向宗のような者たちであれば背筋が寒くなる。


 ともあれ、行くと決めた以上は行かねばならない。いざとなれば刀を抜いてでも霊夢を止めなければなるまい。果たして博霊の巫女を止められるのかどうかは定かでないが、こと己の利益に繋がる件に関して、霊夢が手加減をするとはとても思えなかった。


 食後、刀哉は縁側に腰掛けて刀の整備にとりかかる。


 布都御魂剣ふつのみたまのつるぎ


 鞘から抜かれた神刀の刃。刃渡り三尺あまり。玉のように美しい刃紋に微かな蒼が混じり、幾度と無く妖怪の牙や爪から我が身を護ってくれた命綱。魔を祓い、邪を下し、諸々の神をも平定した霊剣の切れ味は思い出す度に惚れ惚れする。


 寺相手に刀など抜きたくは無いが、前述のことも危惧して刃に打ち粉をくれてやり、薄く刀油を塗って懐紙で拭き取る。


 陽光を反射して輝く愛刀を鞘に戻すと、一陣の風が吹き抜け、同時に紅いスカートを靡かせた博霊霊夢が彼の眼前に降り立った。


「支度は出来てる? さっさと行くわよ」


 分かっていたとはいえ、いきなり目の前に降りてきた上に挨拶も無しとは恐れいった。すると霊夢に続いて軽やかに、だが少し慌てた風に降りてきたのは、守矢神社の巫女である東風谷早苗だった。


「はぁはぁ、もう! 霊夢さんってば、全然待ってくれないんだから」


「あんたが遅いのよ。大体、なんだってあんたがついて来るのよ?」


「うちだって参拝客が少ないんです! 神奈子様も諏訪子様も暇すぎて昼間っからお酒ばっかり飲んで……ちっとも神様らしくないんですからぁ、もう」


 溜息を吐く早苗は土埃がついた裾を手で払い、居住まいを正して刀哉に微笑みかける。


「おはようございます、刀哉さん。いつもお手紙ありがとうございます。久しぶりに来ましたけど、やっぱりお城って大きいなぁ」


「些か広すぎる感もある。部屋も余っている故、たまには泊まりに来てもいいぞ。大したもてなしも出来ないが、早苗には神社で世話になったこともある」

「ふふ、ちょっと前のことなのに、何だか懐かしく感じちゃいますね」


 他愛の無い会話に興じていた二人を、霊夢の手を叩く音が遮る。


「はいはい、積もる話は移動しながらして頂戴」


「霊夢、急いては事を仕損じるぞ」


「兵は神速を尊ぶんでしょ? いいから出発。ただでさえ飛べないあんたに合わせなきゃならないんだから」


 そう言われるとどうにも言い返すことが出来ず、早苗と互いに笑いあいながら城の正門に差し掛かると、見送りの為に白刃が門前に控えていた。霊夢を睨みつけ、早苗に軽く会釈をした白刃は、刀哉に桜一文字を差し出す。


「殿、どうかこれを。拙者は、常に殿のお側に仕えていたいのです」


 上目遣いで懇願する妻の意を酌み、その小太刀を受け取って腰に差し込み、大小二振りの太刀を携えた彼は一度だけにこりと頼もしく微笑んで居城を後にした。

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