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幻想剣客伝〜星之産声〜  作者: コウヤ
道行く者たち
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道行く者たち 壱

 頬を撫でる風が微かに肌寒く、山々に生い茂る木々の葉が仄かに紅や黄に染まりつつあるこの頃では、人里も俄に活気付き、周囲の水田も黄金に輝いて、深々と垂れた稲穂が今か今かと刈り入れの到来を待ちわびていた。道行く人間も妖怪も笑顔が絶えず、秋の実りを誰もが楽しみにしている。


 そんな里を、小高い山に築かれた城郭の天守閣が静かに見下ろしていた。堀に囲まれた白い外壁に黒い瓦、名を『美剣城』と呼ばれ、稗田邸、寺子屋と並ぶ人里の名所。


 その中庭から威勢の良い童たちの声が聞こえ、竹刀が激しく打ち合い、軽く受け流されて地に転んだ少年たちが見つめる先に、城の主にして人里の用心棒たる剣客が微笑んでいた。


 経津主刀哉――。


 引き締まった華奢な四肢に白い道着に紺色の袴、阿求から送られた陣羽織は衣替えで袖の長い紋付羽織を纏い、腰の帯に彼の象徴たる古の神刀が差し込まれていた。外の世界から流れつき、人の身体に刀神の魂が宿った彼は二度の異変を鎮め、その後はこれといった問題もなく本業である道場を営んでいる。


 何度挑んでも勝てないことに悔しがる童たちを起き上がらせ、出来の良かった子は大いに褒め、今一歩の子は大いに励ます。秋といえば食欲の他にも読書、運動も盛んになる。寺子屋で勉学に励んだ後の稽古は遊び盛りの童たちが楽しみにするところで、刀哉も失っていた記憶を取り戻してからは、里の為に働くことを生き甲斐としていた。


 最近では農民たちに混じって新たに田畑を開墾し、身体の鍛錬も兼ねて農作業も始めている。


 不意に城の台所から香ばしい香りが鼻をくすぐり、里の女たちが盥一杯に焼いた甘藷を盛って運んできた。夫を妖怪に喰われ、あるいは異変で失った未亡人たちが城に住み込みで家事全般を請け負ってくれている。稽古ですっかり空腹になった子供たちが藷に飛びついて頬一杯に齧りつき、刀哉も女たちに礼を言いながら一つ摘んだ。天高く馬肥ゆる秋とは良く言ったもので、秋ともなれば食欲が一層捗る。


「いつも済まない。助かる」


「いえいえ、先生にはお世話になってるだし、子供らも立派に育てて貰ってるだ。こっちこそお礼を言わせてくだせぇ。そんなことより、奥さんの具合は如何なもんですだ?」


「相変わらずだよ」


「オラも、先生のお子が産まれるのが楽しみですだぁ」


 未だ所帯を持った自覚があまりなく、その辺りについて触れられるとどうにも気恥ずかしくなってしまう。が、天涯孤独と思っていた己に家族が出来たことは何よりも嬉しかった。喉に詰まらせながら食べる子供たちも照れる師範をからかい、皆が朗らかに笑う様子を、件の姫鶴白刃が密かに伺っていた。


 刀神の魂を宿す刀哉がこの世総ての刀剣を統べるように、彼女はこの世総ての刀剣の化身であった。かつては外の世界で美術品と成り果てた無念から異変を引き起こしたが、彼によって怨念が浄化され、家臣として仕えた後に家族として嫁いだ。


 その腹には既に嫡男が宿っており、名実ともに彼の正室であるが、彼女自身は専ら家臣として仕え続けている。炊事や洗濯こそ住み込みに任せているものの、一応料理の練習もしているし、風呂くらいは沸かすことが出来る。とはいえ、白刃もまた彼と同じく、家族を得たことは無上の喜びに違いなかった。


 白刃は新婚祝いに送られた雅な紅いひとえの裾を引き、城の出入口や人里の四方を守る武者たちから送られた報告を感じ取りながら稽古を終えて童たちを家々に帰した主人を出迎える。


「殿、お勤めお疲れ様で御座います」


「白刃か。わざわざ中庭まで迎えに来ることも無いだろうに」


「主君を出迎えぬ家臣は不忠者で御座います。それに、妻は夫の帰りを出迎えるものと里の女たちから聞きました」


「左様か。では……ただいま、白刃」


「おかえりなさいませ、殿」


 城持ちになり、数人の使用人を抱えるようになったものの、刀哉と白刃の生活は寺子屋の離れに居た時から然程変化はない。


 共に食べ、共に休み、共に眠る。だが刀哉の仕事はそれなりに増えた。幻想郷における力の均衡が大きく人里に傾き、それまで単なる人間と妖怪の緩衝地帯であった里に、妖怪や神を相手にして一歩も引かない勢力が出来たとなれば、その代表である彼が他の勢力と……特に八雲との関わりが強くなるのは必然といえた。


 神出鬼没の八雲はともかく、博麗神社や紅魔館、守矢の神へ近況を報せる書状をしたためる。ある意味で行き当たりばったりな幻想郷の連中からすれば無駄な労力と見えるであろうし、事実、近況といっても日々変化のないことを書き連ねるわけにもいかないので、自然と相手が元気にしているか、あるいは暇つぶしに茶でも飲みに来ないか、などの世間話となってしまう。


 それでも彼は律儀にも一々筆を走らせた。


 むしろ、そんなところが彼らしいと神も妖怪も好感を持ち、霊夢を除いて彼に返事を送らぬものはいなかった。


 特に多いのが妖夢や早苗から送られてくる文だ。


 たまに人里へ赴いた際は城にも立ち寄って語らい合い、思い出話に興じることもあったが、基本的に二人共それぞれの仕事に専念している為、自然と文通が主になる。


 夕餉が作られている合間、書斎にて返書を書き終えた刀哉は白刃に武者を呼び出して貰い、飛脚である韋駄天のもとへ手紙を届けに遣いに出した。


 仏というだけあって幽界だろうがあの世だろうが自由に行き来出来るというのだから便利なものだ。


 さて、夕餉の頃である。


 城暮らしといっても実際に寝泊まりするのは城内にある座敷であり、その居間にて女中らが作った秋の味覚が並べられた膳に箸を伸ばす。赤とんぼが夕陽を背に飛び回り、栗の甘さに頬が緩む。


 日が沈んで月が夜空を照らすと風が一層寒さを増し、食後の茶を啜りながら囲炉裏で暖をとる。


 和やかな夫婦の団欒。静かで、花鳥風月を愉しむ生活はさながら隠居のようであったが、いざ有事となれば一挙に幾万の軍勢を動員して里を守らねばならない。年老いた里長の具合も日に日に悪くなっているようで、風の噂では、次期里長の有力候補に彼の名が挙がっているとのこと。引き受けるか否かは未だ考えたことはない。


 今は只、妻との生活に慣れることで手一杯だった。


 共に暮らすこと自体は以前と変わらないはずなのに、いざ夫婦となると妙に気恥ずかしいものがあり、特に契りを交わしてから暫くは白刃の顔を見るだけでも頬が火照った。


 初夜の時など考えただけで身悶えがする。我ながら甲斐性なしと溜息が出た。


 白刃からすれば不思議に見えたであろう。


 刀とはいえ身体は女。男は女を求め、一人でも多くの子を作り、御家の安泰を図るもの。無論快楽だけを求めるほどふしだらな夜伽は白刃も望まないが、かといって初夜以来抱いて貰えないのは少々寂しいと思えた。不満もあるだろう、疲れもあるだろう、余程のことが無ければ怒りを表に出さない彼のこと、日々の苛立ちを内々に貯めこんでいるに違いない。ならばせめて二人きりの寝床で愚痴の一つでも零して欲しい、豊満とは言い難いものの、この肌に甘えて欲しい。


 いつしか白刃は刀哉に主君としての器量と同時に、夫としての弱さも願うようになっていた。

 無論口に出すことは無く、彼に擦り寄ることもない。

 ただ彼の御意に従うだけと白刃は出会った時から心に誓っているのだから。


「今日は妙に肌寒いな。冬も近いらしい。子の為にも、風邪など引くなよ?」


「心得ておりまする。殿こそ、お体を大切に」


 袖を擦る刀哉が囲炉裏にくべる小枝を折ると、同時に女中が障子越しに声をかけてきた。


「失礼致しますだ。先ほど、博麗神社の巫女さんがお越しになりましただよ」


 途端に刀哉の顔色が曇った。霊夢が来たというだけで嫌な予感しか浮かばない。以前に来たときは夕飯を集り、またある時はいつぞや神社に泊めた借りと言って米一俵を持ち帰った。


 そういう不躾なところがどうにも刀哉は気に入らない。


「霊夢が来たのか……どうりで寒気がすると思った」


 彼はそそくさと立ち上がって背を向ける。


「あの、どちらへ?」


「俺はアレが苦手だ。白刃、悪いが適当に要件を聞いておいてくれ」


 しきりに首を左右に振りながら座敷の奥へ続く襖を開けた刹那、彼の顔が引きつった。薄暗い座敷に紅白の巫女服を纏った少女が腕を組んだまま仁王立ちし、その顔に明らかな怒りを浮かべている。


 博麗霊夢……幻想郷と外界を隔てる大結界の管理者にして、幻想郷の秩序と異変を鎮める、いわばこの世界の顔役が手を伸ばして刀哉の襟を掴みかかった。


「今しがた随分なお言葉が聞こえたのだけど、私の空耳よねぇ?」


「お前がそう思うのならばそうなのだろう」


 仏頂面で言ってのけ、霊夢の視線から顔を逸らす彼の背後で、白刃が懐に忍ばせていた小太刀『桜一文字』の鯉口を切って威嚇する。


「直ちに殿から手を離せ! この、不届き者め!」


「煩いわねぇ、新参のくせに私より大きな家に住んじゃってさぁ」


「ふふん、これが殿とお主との器の差というやつよ。何なら外壁の陰に神社を建ててやっても良いぞ? あんな山奥よりは賽銭が入るかもしれぬ。殿のお零れをな!」


 霊夢も霊夢だが白刃も刀哉以外に対しては相当な不届き者である。


 あわや掴み合いの喧嘩になりかけた所を刀哉が二人を押さえ付けて何とか座に着かせ、已む無くとっておきの饅頭を振る舞うことで霊夢の機嫌を直した。


「で、一体何の要件があってこんな時分に?」


 居住まいを正して質す彼に、霊夢は茶を啜りながら静かに答えた。


「……異変よ」



 

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