第四十八話 - 英雄(第一部完)
緑っぽい錆があちらこちらに見られる施設の中、お世辞にも清潔とは言えない薄汚れた床の上に俺は立っていた。
見つめる先は上下二段、そして横一列に延々と続く一辺80cm程の正方形の扉だ。
同じような正方形の扉が壁に埋め込まれ、その上には人の名前や階級などが記されたシールが貼られていた。
遺体処理施設──こういう施設に来るのはとても久しぶりな気がした。
遺体の回収に成功された戦死者達はこうして、決まった日にこの小さな扉の向こう側にあるタンクの中で薬品処理をされる。そして液体となった彼らの身体はフィルターを通して水になるのだ。
「俺実は火葬主義なんだよな。水になるってのはちょっとパッとしない」
ガタガタと振動する扉らを見つめていると、隣に立っていたリクは不満そうに愚痴を溢す。それを聞いた俺は思い出したように聞くのだった。
「たしかリクの出身州は列島地域のオオワ州出身でしたね。あそこは火葬主流だったし」
「そうだな、オオワ州のカントウ地区。でも北米地域なんか遺体を土壌みたいにするらしいだろ?」
「あぁ、そうでしたね。俺がサンディエゴ州にいた時、人の体は土に戻るとかで」
こうして話してみると、同じ国なのに埋葬方法っていうのは州によってかなり違う。
元々、ビローシス連合国の州は全部違う国だったんだから当然といえば当然な話だ。
リクは俺の話を聞いて「へぇー」と声を漏らすと、次は俺の姿をチラチラと見る。
「軍人っていうか、もうまるで軍属だな」
「そうですか?」
なんで? と思いながら自分の身体を見下ろしているとリクは人差し指を俺の胸に向ける。その先には俺が捕虜管理施設の管理官代理であることを示す銅色のバッジがあった。
たしかに俺は兵士の制服こそは着ているものの、装飾なんかは完全に軍属のようだ。
軍属というのは簡単にいえば、直接戦場で敵と戦わない軍関係者を指すのだが……なんだか兵士間で『戦争童貞』とバカにしてた軍属に見えるってのはあまり嬉しくないな。
「たしか重要な捕虜を任されたんだろう? 忙しいはずなのにいいのか? 別にこんな所に来なくても、こいつらは拗ねたりしないだろうに」
リクは目の前の扉の一つに触れると、冗談めかしたような口調で俺に問いかける。
そう、今遺体として処理されているのは紛れも無い──数少ないNタイプの生き残りだった先輩たちだ。
たしかにアイリス関連の事で色々ありすぎて、ここ数日は全く眠れていない。
カフェイン錠を噛み砕きながら仕事に当たっていた。それでも先輩たちの身体が埋葬されるという日なのだから、どうしてもこの目で見ておきたかったのだ。
「なにせ”兄貴”とまで呼んでやったんですからね。文句の一つでも言いに来てやったろうかと」
「……あまり身体を追い詰めるな。どんな形でもお前が生き続ける限り、Nタイプは最高だ」
俺が皮肉っぽく発した言葉にリクは心配そうな顔をしながら、紙袋を差し出してきた。
何かと思いながら右手で受け取るとチャラチャラとした音が聞こえてくる。
もしかして、と思ってその袋を開くと予想通り、大量の鉄板プレートが目に入る。
鉄板プレートにはそれぞれ誰かの名前や性別、そして所属先などの情報が記されている。それらは空けられた穴に通された一本のチェーンでまとめられていた。
──ドッグタグ、連合軍認識票だった。
「今まで戦死したNタイプ全員のドッグタグだ。生き残った奴が保管して回してきた」
「これ全部……」
「まだちゃんと決まっていないんだが、近い内にまた戦場に行く。軍も今回の敗北に苛ついて、復讐でもしたいんだろうな。次のはもっと前線だ」
連合軍認識票は一人の兵士に二枚渡される。
戦死した際の身元確認のためだ。
そして申請をすれば三枚目も渡される。
それは死ぬ前に仲間に渡すものだ。
ドッグタグの束の中にリクの名前が刻まれたものもあるのを見ながら、俺は頷いた。
でも同時にモヤモヤとする胸元を抑えながら言う。
「どうにか、俺もリクと同じ戦闘に参加できないんですかね」
「バカ言ってんじゃない、唯一の合格個体さまが何を!」
大袈裟に、そして茶化すようにリクは声を上げると俺の背中を強く叩く。
痛ッ! と思わず言うと、俺もハハハと苦笑いを返すしかない。
俺は背筋をまた直すと、扉の向こうで肉体から解放されているであろう先輩たちに視線を向けた。
「リクも先輩らも──俺とは違って、国を最後まで守り続けようとする英雄たちです」
遺体処理も終盤に差し掛かったのだろう、酷い音質でスピーカーがビローシス連合国国歌を流す。それを聞きながら、右手を左胸に添える。
俺はブレシア帝国の捕虜になったばかりの頃、連合国を裏切ることに別に精神的に追いつめられるような躊躇はなかった。
むしろ、アイリスといれば俺も良い待遇を受けられるんじゃないかと期待したくらいだ。だけど現実的にはやはり違かった。
連合軍が帝都に襲撃を仕掛けてきたあの日。
俺は同じ国の人間を殺すことができなかった。どんなに嫌いなビローシス連合国も、俺の祖国だったからだ。
そして絶対的な敵であるべきの魔術師側から無能者を見下ろすという鬱陶しさが、あの時の俺を引き止めた。ビローシス人を殺すな、と。
しかし、リクは俺の発言を聞いては澄ました顔で返す。
「連合国なんか生まれたばかりの赤ん坊国家だろ? 政府は愛国教育にご熱心だが、現状では愛州精神のほうが熱狂だ。俺だってオオワ州や友人、そして自分のために戦っている」
「はぁ……意外と薄情なんですね」
「レインは生まれた州がどこかも分からなければ、育った州もいくつかあるだろう? それなら愛州精神よりも愛国精神のほうが育つんだろう。たぶん」
「まぁ俺は捕虜管理施設に引きこもるんで、戦場とか考えなくていいかな?」
なんであれ国歌演奏中だ。
そんな中で笑ってしまわないように、リクと俺は顔歪めながら肩を上下させる。
リクが「軍属野郎が」と今にも吹き出しそうだな声を上げるが、きっと俺達二人は周りからとても不謹慎に見えただろう。
しかしリクと目があった瞬間、思わずが視界が潤んでNタイプの先輩たちの顔や声が聞こえたような気がした。
歯を食いしばって、舌を噛みつける。
泣くのは格好が悪い。
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「あー……カウンセリング受けてねぇからなのか、超涙もろいんだけど……」
牧師による弔いが終わった後、俺は捕虜管理の職務に戻るためにリクとは別れた。
それからというと、急いで駆け込んだトイレの個室で拳で壁を叩きながら歯ぎしりをする。
カウンセリングの正体を知ってから、それらを全く受けずに生活するつもりだった。
しかし精神力は明らかに弱まってきている。リクはどうやらカウンセリングのおかげでメンタルがピンピンとしていたな……。
「やっと会えたかと思ったら、死にやがって……クソ……」
上着の上から内ポケットに入ったドッグタグらを鷲掴みする。
Nタイプがこれだけ死んだ。魔術師に殺された。
どうしようもない感情に押し潰されながらも、少しずつ気持ちに整理をつけていく。
《ユーザー、カウンセリングを受けることを奨励しますが》
普段、声をかけなければ言葉を発することもないシールリングが気のせいか心配そうにアドバイスをしてくる。だがそのアドバイスは否定するしかない。
「あんなもん受けるわけ無いだろ。仕組みさえ知らなければ気持ちよく受けるけどさ」
《……それでは、当AIの発するリズムに合わせて深呼吸をしてください》
シールリングの流す電子的なビート音に合わせて深呼吸をする。
そして眉間にシワを寄せていると少しずつ、心が落ち着いてきたのが分かった。
同時に、先輩たちはまだ生きてるんじゃないのか? というよく考えれば有り得ないことも思いついてしまう。
すぐに自分の考えを否定すると、俺はゆっくりと立ち上がる。
「やっぱり、周りの人間が死ぬのは後味が悪いんだな」
《正常な判断です》
「絶対にNタイプが失敗作だなんて言わせない、そうだろう?」
《ユーザーの能力は、当AIが非常に高く評価しています。他のノイズシリーズと比べてもユーザーの状況判断能力とそれを処理する速度は他に類を見ないような──》
なんだか親バカっぽい発言をマシンガンのようにし始めるシールリングに「あ、うん……」と答え、後半は聞き流す。
それからリクから預かったドッグタグを一つ一つに目を通した。
全員の名前をハッキリと覚えている。とくに仲の良かった奴らの名前なんかを見ると、小さいころの記憶が脳裏で流れるのだ。
「……俺、アイリスは死なせたくない気がする」
ふと、思い出したように呟く。
彼女は色々とアレなところはあるが、良い奴だ。
俺が捕虜である時、本望ではなかっただろうけど俺を人間として扱った。
それが俺の国では、アイリス・ベルヴァルトはまるで家畜のようだ。
これじゃあ、あんまりにも不平等じゃないか。
「一週間か……アイリスにアブレイム・ストーンの情報を吐かせないと」
独り言のように呟いた言葉にシールリングは機嫌が良さそうにトーンの高い電子音をピロンと鳴らすのだった。
今まで御愛読ありがとうございました。
リメイク版『そして機械と魔法から。』近日公開予定。
同世界観のスピンオフ作品『そして最果ての君に花火は咲いて。』現在絶賛連載中。
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