第四十七話 - 魔女の自己犠牲
目が覚めた。
どんな夢を見たとか、そういうことは一切なく。ただただ、何かのキッカケもなく目が覚めたのだ。
ただ、瞼がまだ完全に開けるわけではない。
ぼやけた視界が汚い天井に向かって広がっていたのだ。
身体が重くて、指先を動かこそうとしてもピクリともしない。
しばらく天井を半開きの目で眺めていることにした俺は、ぼんやりとしたまま考える。
そうか、俺はアイリスに殺されたのか。いや、殺されかけた……かな。
目をゆっくりと閉じる。
……なぜだ。
どうしようもないほどの疑問と怒りが湧き上がる。
たしかに俺とアイリスは今まで色々なことがあったし、今では俺の捕虜だ。
それでも信用はしていたし、今まで受けた恩返しくらいはしようと思っていた。
なのにいきなり……殺すってどういうことだ。
「管理官……? サイフラ管理官? 親父! 管理官の目が!」
なんだかとても親しく感じる声だ。
視界の中にチラチラとナンバーツー……いやシャオロンか。彼の帽子が見える。
彼が忙しく声を上げていると、部屋の端から低い声が響く。
「おぉう? 起きたのか? もう目覚めないかと思ったぞ」
今度こそ目がハッキリと開かれて、意識も鮮明になってくる。
頭を少しだけ持ち上げて自分の周りを見渡した。そして苦笑しながら声を返す。
「あぁ、曹少将とシャオロンか。俺、生きてたんだな」
それを聞いた二人は、なぜか突然大笑いをする。
何事かと思ってシャオロンに視線を向けると彼は腹を抱えながら俺の隣にあった椅子に座る。そして意地悪そうな顔を曹少将に見せながら言うのだ。
「親父がさっき『死んだら私がレインに渡したレアアイテムが無駄になる』と言ってたんですよ。それを思い出してしまって」
「ちょっとそれ何気に傷付くんだけど!?」
ヒーヒー言う二人には不満そうな声を上げるが、どうやら全く耳に入ってないらしい。
もういいよお前ら……と思いながら視線を天井に向けると、色々な思考が回ってくる。
アイリスは何をした? 俺はどうする? これから何をすればいい? と脳がごちゃごちゃになっていく。
「それで、真面目な話になるんだが……」
部屋の端にあった椅子に座っていた曹少将は、手に持っていた携帯型ゲーム機をポケットにしまうと俺の隣に座る。
それから深刻そうな顔をしてから、腕を組むのだ。
「まずは君を殺そうとしたアイリス・ベルヴァルト。彼女は捕虜管理施設からの脱走を試みて、施設に大きな損害を与えた」
「はぁ……あいつ脱走しようとしてたんですか」
「彼女は君の送信機を使って自爆装置を解除、そして君のIDカードを使って武器保管庫から魔導石を持ちだした。戦闘によって負傷者がかなり出ているがなによりも……」
アイリス、想像していたのよりかなり大規模なことをやってくれたんだな。
そう思っていると、曹少将は突然片手で両目を塞ぐと震えた声を腹から絞り出す。
「……あの捕虜、お前の元主人だがなぁ。B棟の施設をメチャクチャに破壊してくれて、それの修理経費が凄いんだ。元々、老朽化が進んだ基地なのにさぁ……」
曹少将は両目から手をどかすと、泣きそうな顔を俺に向ける。
最後には耐え切れなくなったのか両手で顔全体を塞ぐと「あ゛ぁああああ!」と悲鳴を上げた。たぶん、凄い額の経費が必要のように感じたので数字は聞きたくなかった。
「ところで聞きたいんだが、レイン。正直に言ってみろ。あの捕虜とは帝国にいた頃、親しかったのか?」
しかしすぐに真顔モードに切り替えた曹少将はグッと髭面を俺に近づけると、質問をすしてきた。おっさんの鼻息が顔にかかっても絶対に嬉しくなかったのでコクコクと頷きながら答える。
「んまぁ、それなりには。少なくとも殺されるとは思わなかったし……はぁ……」
俺はショックでも受けているのだろうか?
上半身を起こして、ベッドヘッドに背中を預けながら額を手で覆う。
アイリスとの関係はそこまで悪くなかったはずだったんだ。まさか殺されるなんて思いもするわけがない。
「サイフラ管理官は少しばかり考えが甘いですね」
いつもとは違う雰囲気で、年上ぶってくるシャオロン。
彼はキリッとした表情を俺に見せつけてくると、両手を広げながら話を続ける。
「あなたと彼女は、同じ人種でもないし、そもそも同じ陣営でもない。いわば敵なんです。一言で言えば、甘すぎましたね」
「……そうだよな。敵国の公爵家、しかも王位継承権まで保持してる女なんか信用するべきじゃねぇよな」
「捕虜にグロ飯を奢るとか、拷問は制限するとか。それで効率が上がるのなら、私だって従います。ただし捕虜は敵であるという大前提だけは忘れないで下さい。そのうち 本当に死にますよ」
シャオロンの説教を聞いて、頷きながら黙りこむ。
俺は自分の首を触りながら、未だにアイリスに手錠で締められた痕が残っていることを知る。どうやら、治癒細胞は完全に皮膚が切り裂けないかぎりは新しい皮膚に修復してくれないそうだ。
部屋に広がる沈黙の中、俺は告げる。
「──アイリスはどこだ?」
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「おい、この部屋の入室には身分証明を行うんだ」
俺が管理するB棟からはかなり離れた場所に位置する施設にある一室の前。
扉の前で無骨なショットガンを構えた兵士達に俺は引き止められた。
真っ黒な軍服に目立った腕章を見ると、この兵士らが中央政府の軍人だということが分かる。
「あぁ、身分証明ね」
面倒くさそうに思いながらも内ポケットからIDカードを出すとそれを見せる。
兵士達は防弾チョッキに装着していた端末にカードを読み込ませると、ひとりでに頷きながら目の前の分厚いドアが轟音と共にゆっくりと開かれた。
……俺は捕虜管理施設で働いている。
だから捕虜を閉じ込めるための部屋は数えきれないほど見てきたが、俺の視界に広がる光景。それは人を”閉じ込める”なんて生ぬるい部屋にはとても見えなかった。
まず最初に目が行くのは死角なんて有るわけがないほど設置された監視カメラとセンサーだ。それに加えて幾つもの機関銃が壁の角に備え付けられ、全てが同じ一点へ照準を合わせている。特殊な形状をした凸凹な壁は赤錆がこびり付いているが、恐らく魔力衝撃にも耐えるために設計されたやつだ。
そして最後にその部屋の一番奥で拘束された少女──アイリスを視界に収める。
「君がこの捕虜を担当するんだったな」
俺が部屋に一歩踏み入れると、続いて外にいた兵士達もついてくる。
それから壁に設置されたコントロールパネルを操作すると、アイリスと俺達の間に分厚い透明なアクリルの壁が展開される。
いきなり大きな音を立てて壁が展開されたわけだから、俺もびっくりしてアイリスの方を見る。
「まだ若いのだからミスは仕方がない。だが、また捕虜に殺されかけるような事にはなるなよ」
「あぁ、はい。俺のミスでした」
俺より頭一つデカイ兵士は、俺の頭を人差し指でさしながら厳重に注意をする。
それに威圧された俺は頷きながら謝罪をするのだった。
彼はショットガンの銃口を上に向けると、アクリルの壁へと顔を向ける。
「一週間以内にあの女を新型魔導石の解析に協力させるんだ」
兵士の言葉に「たったの一週間?」と苦そうな表情を向けると、彼は壁の向こう側にいるアイリスを覗きながら話を続けた。
「中央政府は出来る限り、君たちの手柄を横取りしたくない。実際、この女を捕虜にしたのは明之州方面陸軍だからな。だが、あんまりにも時間をかけるものなら中央政府がアイリス・ベルヴァルトの管理権を取り上げる」
要するに、俺がアイリスを協力させないと中央政府が管理権を要求してくるということか。俺にまだアイリスの件を任せているのは、きっと中央政府なりに俺達のメンツを潰さないように考慮してくれているんだろう。
黙ってアクリル越しのアイリスを見つめる。
手錠はもちろん、四股は壁に固定された鎖に繋がれている。
服装は貧相で汚い布を掛けられただけで下着も見える状態だ。
目隠しに猿ぐつわをされ、暴行でも受けたのか身体の傷がより一層ひどくなっていた。
「わかりました。でも中央政府は何か算段でもあるんでしょうか? アイリスに協力させるなんて」
「簡単だ。殺せばいい」
「え、殺しちゃう?」
兵士らしいといえば兵士らしいが、いきなり出てきた乱暴な言葉に少し驚きつつ思わず聞き返してしまう。その兵士は不思議そうな顔をすると片手のショットガンで空中に絵でも描くかのように説明を始める。
「そうだな。殺して解剖して、体内の魔術器官と脳を一緒に取り出して魔導石に接続すれ──」
「あッもういいです、はい」
凄いことを言い出すもんだから、引き気味に兵士の説明を遮る。
兵士はつまらなそうに手の平を見せると、他の兵士が持っていたトランクケースを俺に渡す。戸惑いながらケースを両手にしてると兵士は素っ気なく言う。
「この中に必要な物が有る。一週間だ、いいな?」
「はっ、お疲れ様でした!」
両手が塞がってるので軽く頭を下げて、兵士達を見送る。
そして一人になると静寂が部屋の中を支配した。
アイリスは相変わらずピクリとも動きはしないで、地べたに横たわって丸くなっている。
時より小さく震えているようだが……。
まずはトランクを開いて中身を確認することにした。
サブマシンガンのような銃とアイリスの自爆装置の送信機、そうしてアイリスの体力を回復させるためなのか小出力の魔導石が入っている。
「これ初めて見る銃だな……」
サブマシンガンに似た形をしているが、所々と今まで見てきた銃とは違う形状をしている。弾倉を確認してみると、一つ一つの弾丸が機械式で複雑に組み立てられていることに気付く。
「シールリング、これどうやって使うか分かるか?」
シールリングに話しかけると、本体のリングが小さく反応してから問いに答えてくる。
《非殺傷兵器AL3X、一般的な銃と同じです。ただ、特徴としては非殺傷弾を装填できる点です。この弾丸のタイプだと、射撃対象の肉に弾が展開して喰らいつきます。そして次にショック電気を与えて気絶させることができます。だだし、射程が短いのが注意点です》
「撃てるスタンガンみたいなもんか」
食べるラー油みたいだなぁ、とくだらないことを考えてみたりした。
その銃っていうかスタンガンに弾を込み終えると、腰のベルトに引っ掛ける。
送信機やらガイドラインやらをポケットにしまうと、アイリスの方へ再度向き直る。
ため息を付いて壁に設置されたコントロールパネルでアクリルの壁を収納させると、視線の先で横たわる少女に声をかけた。
「調子はどうだ、アイリス・ベルヴァルト」
…………あれ?
反応が皆無なのに不信感を覚え、靴を鳴らしながらアイリスのすぐ前にまで近づく。
彼女の猿ぐつわを取り外すと、口からの柔らかい息が手にかかる。
アイリスの首にオレンジ色の自爆装置があるのを確認してから、スタンガンを片手に、もう片方の手で目隠しも外す。
「……おい嘘だろ、まじかよ」
黒い目隠しからポタポタと垂れる赤い液体に息を呑んで、アイリスの目に視線を向ける。
応急措置のような治療痕があるが、左目の瞼が酷く傷ついているのが確認できた。
アイリスは両目とも閉じて苦しそうにしているが、左目の瞼を無理矢理開く。
「眼球に浅く切り込まれてるな……誰がこれやったんだよ。しかも魔導石で治療もしないとか殺すつもりか?」
先ほど中央政府の連中からもらったトランクに入っていた低出力の治療用魔導石をアイリスに握らせる。そして彼女の顔を少し鋭く叩く。
「おい、アイリス。魔導石で目の傷を塞げ」
アイリスが「ん、んー……」と唸るのを聞いてしばらくすると、魔導石が彼女の手の中でシュルシュルと回転を始めた。アイリスの傷が少しずつ塞がっていくのが目の前で確認できた。
生体兵器の治癒細胞が蒸気を発しながら肉を「復元」させるのに対して、魔術師は傷から血泡を吹き出しながら肉を生やしているようだ。間近で見ると不気味にでさえ思える。
「……レイン?」
俺が飲料水でアイリスの目にあった汚れや血を洗い流していると、かなり回復してきたのかアイリスが力ない声を上げる。
魔導石が低スペック故に回復に時間がかかってるみたいだが、意識はすでにハッキリとしているようだった。それを証明するように、身体にあった傷も薄っすらと塞がっていっている。
あぐらをかいて、継続して冷たい水でアイリスの傷を洗い流す。
もちろんアイリスの声には返事していないのだが、彼女のエメラルド色の目と視線が交わる。
あまり焦点が合っていないような瞳だったが、そのエメラルドの瞳孔がキュッと引き締まると──
「──レイン!」
アイリスがそう俺の名を言うと、いきなり腰辺りに抱きついてくる。
俺が混乱して「うお──ッ!」と声を上げるものの、お構いなしにアイリスはガッチリと俺の腰に抱きついたままだった。思わず、片手のスタンガンの銃口がアイリスの頭部に向けられたが、彼女は俺を攻撃する意図はなかったみたいだ。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 私、ここから逃げようと思ってレインの事を殺そうとしてその──!」
そう言うと、子どものような大泣きが部屋で反響する。
俺は混乱してスタンガンをアイリスの頭から外すと、それを地面に置く。
相変わらずアイリスが目を真っ赤にさせながら抱きついてくるので、何をすれば良いのか分からずに円周率──もちろん3.14以降は覚えていないのでシールリングが網膜ディスプレイに数値を表示してくれている──を頭の中で唱え始めてしまう。
凄く重いシチュエーションとはいえ、女性に抱きつかれるのは……初めてだもん。
アイリスは「ごめんなさい」と何度も謝り、泣きながら言葉を発するもんだから後半からは何を言ってるのか全くもって理解ができなかった。
しかし顔を真っ赤にしながら額を擦り付けてくるアイリスを見て、どうしようかと考え込む。
そして落ち着きを取り戻した俺は冷静な声でアイリスに言う。
「そのことはもういい、俺は死んでないし」
「でも私──」
「そんなことより決めろ。アブレイムストーンの解析に協力するかどうか」
しゃっくりをあげたり、咳をしたり、涙流したりと色々と忙しそうなアイリスだが、俺の声を聞くと顔をゆっくりと上げる。
アイリスはまだ泣き足りないみたいで依然として頬を濡らしているが、瞳を揺らしながらも真剣な目を俺に向ける。
「無理だよ……私がそれに協力して何人のブレシア人が死ぬと思ってるの」
「お前が協力してくれないと、こっちだって沢山の人が死ぬんだよ」
アイリスは顔を俯かせると、俺の服をギュッと握ってから放す。
そして鎖をジャラジャラとさせながら三角座りをして顔を両膝に埋める。
一言だけ弱々しく、彼女は呟いた。
「無理なの、ごめんなさい……」
魔術師、特にブレシア人の精神力は異常なほど強靭だと知られる。
彼らはどんな拷問にも耐え、全体主義的な思考を基に判断を下すのだ。
例え自分自身が死ぬとしても。